秀句鑑賞-秋の季語: 秋燕(あきつばめ)
2015/03/26 Thu
March 26 2015
三泊みなと
Y字路のひとつは海へ秋つばめ
作者は北海道の人。冬が長い北の大地で暮らす人にとって、南へ向かって旅発つ秋燕を見送るのは淋しいものだろう、と共感に迫られる。旅の空で見た秋燕ではなく、毎日の生活の中の景色だと解したい。「Y字路のひとつは海へ」と言って、もう一つの道はどこへとは言っていない。伏せることによって強い印象を与えることに成功した一句。芭蕉いわく「いひおほせて何かある」(『去来抄』:向井去来作)。俳句は科学論文や法律文書ではない。言い尽くさないところに余情が生まれ、一句に呪文のようなパワーが具わる。芭蕉は旅の詩人であったが、旅行に出掛けなくても、日常の中で心の旅は無限にできる。俳句は、生活の中心に四季を置くことから発する詩と言えようか。自然への畏敬の念を持って、その大きな懐に抱かれて詠む四季の詩である、と。移り行く四季と虚心坦懐に向き合うことの大切さを痛感させられる秀句。(渡邊むく)
【三泊みなと:北海道在住。『月刊俳句界』2015年1月号より。】
三泊みなと
Y字路のひとつは海へ秋つばめ
作者は北海道の人。冬が長い北の大地で暮らす人にとって、南へ向かって旅発つ秋燕を見送るのは淋しいものだろう、と共感に迫られる。旅の空で見た秋燕ではなく、毎日の生活の中の景色だと解したい。「Y字路のひとつは海へ」と言って、もう一つの道はどこへとは言っていない。伏せることによって強い印象を与えることに成功した一句。芭蕉いわく「いひおほせて何かある」(『去来抄』:向井去来作)。俳句は科学論文や法律文書ではない。言い尽くさないところに余情が生まれ、一句に呪文のようなパワーが具わる。芭蕉は旅の詩人であったが、旅行に出掛けなくても、日常の中で心の旅は無限にできる。俳句は、生活の中心に四季を置くことから発する詩と言えようか。自然への畏敬の念を持って、その大きな懐に抱かれて詠む四季の詩である、と。移り行く四季と虚心坦懐に向き合うことの大切さを痛感させられる秀句。(渡邊むく)
【三泊みなと:北海道在住。『月刊俳句界』2015年1月号より。】
テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術
コメント
こんばんは!
私の句をこのような形で投稿して下さり
有難う御座います。
感激です。どうも有り難う御座いました。
渡邉むく先生から特選を頂いた気分です。
この投稿文りまどが、残しておきたいので
コピ-させて下さいませね。
宜しくお願いします
りまどさま
書きたいと思いながら、つい遅くなってしまったことも。
どうぞコピーなさって存分にご使用くださいませ。
鍵コメさま
>y字路、人生で岐路に立った時を感じることば。
>言い尽くさないことの素晴らしさ、勉強になります(*^。^*)
コメントありがとうございます。
Y字路を「人生の岐路」と。
素晴らしいご鑑賞ですね。
そこまで思いつきませんでした。
作者も喜ばれるかと、こちらに紹介させていただきました。