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背伸びして滅びし世あり豆桜

クシャダス紀行(5) ツアーガイド

2016/03/10 Thu

 ――古い日記と記憶を基にこの紀行記をまとめています。
 文字ばかりの長い記事をお読みいただくのは忍びないので、適宜フリーの画像をダウンロードして使わせていただいています。
 下手でも何でも自前の写真を使いたいのですが、フロッピーディスクに保存していた写真をFDドライバで読み出そうとしたところ、古いディスクの疵でドライバが故障し、残念ながら使うことが出来ません。
 ご了承のほど。 ――

 今、一冊の本を懐かしく紐解いている。
 エクレム・アクルガム(Ekrem Akurgal)というトルコの考古学者が英語で出版した「トルコの古代文明と遺跡」(Ancient Civilization and Ruins of Turkey:ISBN 975-479-110-4)という本だ。
 図解入りで初心者にも解りやすく書かれてはいるが、立派な考古学の専門書である。
 そんな本を門外漢の私が手にしたのには、ちょっとした経緯がある。

 M社の依頼を請けて私が初めてトルコに渡ったのは1995年8月のことで、赴任に先立ってM社の神戸の事業所を訪ねて打合わせを行った。
 阪神淡路大震災から半年余りが過ぎた頃だった。

 約一年間のトルコ滞在期間中、旅行は最大の楽しみだった。
 治安の良くないアナトリア最東部に足を運ぶことはなかったが、随分いろいろな観光地を巡り歩いた。
 エフェソスにもその時に一度訪ねているので、今回の旅行は二度目になる。

 一度目の時はイズミルに滞在し、エフェソスへはそのイズミルのホテルで探してもらった車付き個人ガイドに案内してもらった。
 ガイドは学生だった。
 顔立ちの整った利発そうな青年で、英語が達者なばかりでなく、古代ギリシャの文明や神話に驚くほど詳しい。
 イズミルのエーゲ大学で考古学を専攻していると聞いて納得した。
 「エーゲ大学は新しい大学で、個人的にはアンカラ大学のこういう教授を尊敬している」と言って、青年がその教授の名前とともに紹介してくれたのが掲著なのである。

 後日イスタンブルの書店で購入したこの本は、以来、Blue Guideという旅行ガイドブック(英語)のトルコ編とともに、トルコの国内を旅行する時には欠かさず携行するようになり、三年後の1999年に再びトルコに赴任することになった時も日本から持参して行った。
 Blue Guideは、広告ばかりが目立つ当世の多くのトラベルブックと違って広告がなく、工芸、建築美術、古代文明といったその国や地域の文化を丁寧に紹介していることで定評があった旅行ガイドブックだ。
 旅先の情報をまだ紙に頼っていたインターネット時代到来前夜の、「最後の良心」のようなガイドブックだった。



「トルコの古代文明と遺跡」 (蔵書)


 エフェソス訪問も二度目となるこの日は、ガイド付きのツアーバスには乗らずにタクシーで行くことにした。
 自由度を優先したのだが、S氏のエフェソス案内ぐらいは自分で出来ると思ったこともその理由である。

 M社のエンジニアであるS氏は温厚な御仁で、神戸に住んでおられる。
 私とはほぼ同輩で、トルコへはひと月足らずの短期の出張で来ている。

 私たちがエーゲ海に来ている間、トルコに長期滞在している他の十人ほどのエンジニア達は、大半がスペインのマドリードに旅行に行っている。
 私もマドリードへ行きたかったのだが、S氏とY氏(都合で来れなくなったが)の二人はトルコの国内を旅行したいと言う。
 いろいろと考えた末にマドリード行きを諦め、語学が得意とは言えない二人をアテンドすることにしたのだった。
 私費で過ごす休暇だからどこへ行こうと自由ではあるが、英語屋の私がスペインに行っても人の役に立てることは少ないだろう。

(最終更新日:2016.3.11)



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クシャダス紀行(4) 行き当たりばったり

2016/03/07 Mon

 やがて前方にイズミルのオトガルが見えてきた。
 オトガル(otogal)とはトルコ語でバスターミナルのことである。
 語源はフランス語で、バスを意味するautoと駅を意味するgareを、トルコ語読みにして綴った合成語らしい。
 フランス語のgareは鉄道駅限定で、バスの駅はla stationと言うようだが、トルコ語では鉄道駅をistasyonと言う。

 オトガルに到着する間際になって、バスの車掌から何やらアナウンスがあった。
 クシャダスが何とか…と言うのだが、その何とかの理解が私のトルコ語の力では及ばない。

 隣の青年に、車掌は何と言ったのかと英語で訊ねる。
 英語が話せる青年で、「このバスの終点はクシャダスです」と言ったのだと教えてもらう。
 青年はイスタンブル大学の学生で、他の二人の学生仲間と一緒にクシャダスに行くのだと言う。

 S氏と私が向かう先はクシャダスなので、それならば、わざわざイズミルでバスを乗り換える必要はない。
 「クシャダスまで乗って行きます」と車掌にトルコ語で告げ、追加料金を訊ねるが、要らないという。

 イスタンブルからイズミルまでは、フェリーの海路も含めると5百km近い距離があるが、バス料金は日本円にして1,700円ほどだ。
 この料金に、車中での諸々のサービスの他、フェリー代も含まれている。
 それでさえ安すぎるほど安いと思うのに、追加料金が要らないとは…。



イズミル市街 (Photo Credit: TARIK GANDUR / Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0)


 乗客の大半がイズミルのオトガルで降りて寂しくなったバスで、クシャダスへと向かう。
 イズミルには、クシャダスからの帰りに明日一晩泊まることにしている。

 止んでいた雨がまた降り出してきた。
 イズミルの市街を離れると、再びピンクの花が咲く果樹園を見かけるようになった。
 午前9時、1時間半ほどでクシャダスのオトガルに到着。

 私たちと同様、三人の学生たちもこれから宿を探すと言う。
 一緒にオトガル内の観光案内所を探す。
 案内所はすぐに見つかったがシャッターが開いていない。
 連休とは言え、オフシーズンの午前9時では止むを得まい。

 ホテルの客引きらしい男に声を掛けられる。
 なんとなくうさん臭い感じがしたが、学生たちと2台のタクシーに分乗して、男に付いて行ってみることにする。
 予め宿を予約してこなかったのは、クシャダスは夏の観光地だからこの時期はホテルも暇で、格安で泊まれる良いホテルが簡単に見つかるだろうと思ったからだ。

 男が案内してくれたホテルに着く。
 ホテルというよりは安い民宿といった、古い上に一見して安普請と分かる小さな宿だ。
 中に入って見る気にもなれない。
 三人の学生たちも失望したようだ。
 ここで客引きの男の案内を断ってチップを渡し、乗って来たタクシーの運転手に宿を探してもらうことにする。

 タクシーの運転手が案内してくれたホテルは砂浜に面した三つ星ホテルで、学生たちがフロントに交渉に行く。
 三人相部屋の朝夕2食付きで、一人一泊60米ドルほど。
 泊まることに決めたと言う。
 S氏と私はもう一ランク上のホテルを探すことにして、学生たちと別れる。

 眺望の良い磯と砂浜にまたがった広い敷地に二階建てのフラットが並ぶ、四つ星の大きなリゾートホテルに泊まることにした。
 泳げる季節ではないが、プライベートビーチもある。
 シャワー付きのツインベッド・ルームとバス付きのダブルベッド・ルームにリビングというファミリー向けのスイートで、朝夕2食付き、飲み放題で、一人一泊約70米ドルと安い。
 一夜の宿にはもったいないような居心地の好い部屋だ。

 荷を解き、シャワーを浴びて着替えをし、コーヒーショップで軽く腹ごしらえをしてから、フロントで頼んだタクシーに乗って、ギリシャ文明遺跡の観光にエフェソスへと向かう。

 何もかも予めセットされた旅よりは、臨機応変が求められる行き当たりばったりの旅が好きだ。
 幸運に恵まれることもあれば恵まれないこともある。
 どちらに転ぶかは賭けのようなものだが、恵まれた幸運は永く忘れないものだ。
 幸運に恵まれず厭な思いをしたことも、後になれば、良い経験だったと笑って語れるようになると思っている。

(最終更新日:2016.3.7)



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クシャダス紀行(3) 春は曙

2016/03/05 Sat

 1999年3月29日。

 誰かが車窓のカーテンを開けた音に目が覚める。
 白々と夜が明け始めている。
 四時間近く眠っただろうか。

 黒い大きな木の影が、見えては飛ぶように過ぎて行く。
 道の近くの木々の大きな影。
 谷を挟んだ向こう側の斜面に繁っている木々の遠い影。
 針葉樹らしい。
 落葉松(からまつ)かもしれない。
 寝ている間、バスは山道を走っていたようだ。

 ここはどこだろう。
 時間からすると、イズミルからそんなに遠くないところまで来ているはずだが。


foggy_morning_forrrest_image
Free image downloaded from PEXELS (Copyrighted)


 雨残りのせいか深い靄が立ち込めていて、夜が明けるのに手間取っているようにも思える。
 バスが下り勾配の道を走っていることに気付く。
 やはりエーゲ海に近づいているようだ。

 緩やかな長い坂を下って道が平地にさしかかると、靄の中から、ピンクの花を咲かせた果樹園らしい畑が現れては過ぎ去ってゆく。
 こんな春めいた景色の中では、深い靄という言う方はおかしい。
 濃い霞と言い換えたほうが良さそうだ。

 それにしても、あれは何の花だろうか…と気にかかる。
 黒海エレリからイスタンブルに向かうバスの車窓から、花咲くアーモンドの果樹園が見えた。
 同じピンクでも、少しくすんで何となく淋しさが漂うアーモンドの花に比べると、鮮やかな花色だ。
 梅や桃ぐらいの木の高さで、アーモンドのように高木ではない。

 ふと、東京から寝台車で仙台に帰省した時に、福島辺りで迎えた夜明けの春霞を思い出す。
 牛乳を流したような濃い霞の中に見えた花盛りの桃の果樹園。
 あの遠い昔の景色を彷彿とさせる春の曙。
 マイカーでの旅なら車から降りて、その桃源の趣きにしばし溺れてみることだろう。
 もしクシャダスでも同じ花を見かけたら、必ず、近くまで行って確かめてみよう。

 果実が生っている季節ではないが、あちこちにオリーブ畑も見え始める。
 オレンジやレモンの果樹園も。
 
 先刻までの深山幽谷の趣きは消え、あっという間に温暖なエーゲの長閑な春の景色に変わった。
 もうすぐ海が見られる。
 今ではギリシャ領だがかつてはその多くがトルコ領だった大小の島々が並ぶ、どこを切り取っても絵葉書になりそうな輝く夏のエーゲ海もいいが、こんな鄙(ひな)びた春景色のほうが私は好きかもしれない。

(最終更新日:2016.3.10)



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クシャダス紀行(2) クルバンバイラム(生贄祭)

2016/03/04 Fri

 イズミル行きのバスはそぼ降る夜雨の中を出発。
 イスタンブルからイズミルまでの所要時間は約8時間。
 クシャダスへはイズミルから別のバスに乗り継いで行く。

 イスタンブルには寄らずに黒海エレリから真っ直ぐクシャダスへ行く路線もあるのだが、わざわざイスタンブル経由にしたのには理由がある。
 直行バスは十二時間ほどの長旅になって疲れるだろうと思ったことと、大好きなイスタンブルの街を歩きたかったからである。
 西と東の文明の交差点とも言われるイスタンブルは、何十回訪ねても飽きることがない。
 西洋人にとっても東洋人にとってもエキゾチックな魅力に溢れる町…とも言えようか。
 時々、死ぬときはボスポラス海峡を眺めながら逝きたいものだとさえ思う。

 S氏と私以外、バスの乗客は皆トルコ人のようだ。
 ちょうど今日からクルバンバイラム(生贄祭)の四連休に入ったところで、帰省する人も混じって旅行者が多い。

 クルバンバイラムは、ラマザン(絶食期間)明けを祝うシェケルバイラム(砂糖祭)に続いてやってくる、神に感謝の生贄を捧げる祭だ。
 本来は巡礼者による儀式だが、家庭でも、余裕のある者は羊や牛などの動物を一頭買い、生贄として神に捧げる。
 バイラムの初日の朝、神に祈りを捧げてから、家長が動物の喉を掻き切って食肉にするのだ。
 肉は貧しい人たちにも分け与えられる。
 動物は、「正しい羊の屠(はふ)り方」に則って出来るだけ苦しまない方法で喉を掻き切るのだそうだが、見たことはない。

 今日の昼間、S氏と二人で石畳の街を歩いている時に、正しく屠られたらしい羊が皮を剥がれた肉の塊となり、往来に面した軒下にぶら下がっているのを見た。
 大都会イスタンブルでも数少ない、キリスト教の教会がある辺りだった。

 住宅街の狭い路地で、真新しいジャケットを着てネクタイを締め、散髪もしてもらったらしい八、九歳かと思われる優しそうな顔をした少年にも出会った。
 黒くて細い眼をした見慣れない顔つきの私たち二人を眺め回した後、少年はしばらく後をついてきた。
 ポケットから大人たちにもらったご祝儀を取り出し、嬉しそうに私たちに見せる少年。
 日本なら正月のお年玉というところだろうか。
 トルコにもそんな風習があることを初めて知った。

 今年のクルバンバイラムは春だが、イスラム暦による行事なので祭の時期は年ごとに変る。
 日本の正月に似た雰囲気が漂う祭のように思えるのは、今年は春に巡ってきたバイラムだからだろうか。



From
Google Maps

*     *      *


      アジアへと渡る海峡橋朧 /むく

 ボスポラス海峡に架かる近代的な大橋を渡って、バスはイスタンブルのヨーロッパ側市街からアジア側へ。
 タクシムを出発して1時間半ほどで、ペンディクという町に着いた。
 ここからフェリーに乗ってマルマラ海を渡る。

 フェリーの船内では、乗客は車から出ることになっているらしい。
 万一船が転覆したりした場合、甲板の車の中にいては助かる命も助からないからか。

 幸い雨は止む。
 2階の甲板に立つ。
 風の強い船首や船側は避けて、船尾のデッキに。
 航跡が夜目にも白く見えるのと、フェリーにごく近い水面に船の灯が映っているほかは、一面まっ暗闇だ。
 遥か遠くの町の灯も、どれがどこの町やら皆目見当がつかない。

 甲板に出ているのは元気な若者たちで、大方の乗客は冷たい夜風に晒されるのを避け、長椅子が並んだ広い船室内で過ごしている。
 その船室内や甲板の光景をデジカメで撮っていると、若者たちに取り囲まれて質問攻めに遭った。
 トルコではデジカメがまだ珍しい。

 マルマラ海を渡り、フェリーは古都ブルサに近いヤロバという町に着く。
 漆黒の闇の中をバスは再びイズミルを目指す。
 やがて車内の話し声がまばらになり、私も眠りに就いた。

(最終更新日:2016.3.10)



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クシャダス紀行(1) ガン・ストラップ

2016/03/03 Thu

 1999年3月28日。

 イスタンブルの宵。

      春雨やベリーダンスの館出でて /むく

 ホテルのロビーでコンシェルジュに呼んでもらったタクシーに乗り、ウルソイという長距離バス運行会社のバス乗り場に向かう。
 いつもは歩いて行く目と鼻の先のバス乗り場に行くのに、今日に限ってタクシーを呼んでもらったのは雨のせいばかりではない。
 目の前のタクシム広場を歩いて横切りたくなかったからだ。

 タクシム広場では、昨日私たちがイスタンブルに到着した時刻の一時間ほど前に、自爆テロ事件が起きたばかりである。
 そんな時にわざわざ事件があった現場をうろつくことはない。
 いつものことだが、今回の犯行もクルド系の反政府運動グループによるものだと言う。
 なんと憐れなテロリストよ…。

 タクシムは言わば東京の「銀座四丁目」のようなイスタンブルの中心街で、その真ん中にあるタクシム広場は、トルコで最も爆弾テロに遭いやすい場所だと言われている。

 今回の旅の目的地はエーゲ海沿岸の町クシャダス。
 一緒にトルコで仕事をしているS氏との二人旅だ。
 もう一人、Y氏という同僚も合流する予定だったが、出発当日になって急遽都合がつかなくなってしまった。
 Y氏の都合の確認に手間取ったために黒海エレリの町を出発するのが一時間ほど遅れてしまったのだが、今思えばそれは天啓だったかもしれない。
 イスタンブルに早く着いていれば、ちょうど自爆テロが起きた時刻にタクシム広場を歩いていたかもしれない。


タクシム
Free image downloaded from Istanbul Hotel Finder in Turkey.com (Copyrighted)

*     *     *


 タクシムのウルソイ・バスの乗り場も馴染みの場所になった。
 イスタンブルに遊びに来た時は、たいがいウルソイ・バスに乗って帰る。
 黒海エレリ行きのバスは他のバス会社も運行しているのだが、ウルソイ・バスのサービスが一番気に入っている。
 バスはドイツのベンツ製で新しい。
 長距離を走るため、車体の横にはたっぷりと荷物を収納できるトランクルームが付いている。
 座席は勿論リクライニングで、スペースもゆったりしている。
 トイレ、テレビ、ビデオ、オーディオ・ヘッドセット、読書灯と、まるで旅客機並みの娯楽装備もある。
 車掌はよく躾が行き届いた青年で、乗客への対応ぶりも気持がいい。
 車内ではネスカフェ(インスタントコーヒー)、リプトン・ティ、ジュース、水、軽食、朝食、紙のウェットタオルなどをサービスしてくれる。

 ウルソイ・バスのタクシムの乗り場はチケットセンターを兼ねているので、待合室も完備している。
 いつだったか、バスを待っている間に行った洗面室で、四十歳前後の体格のいい男が顔を洗っていることころに遭遇したことがあった。
 男がハンカチを取り出そうとジャケットの胸前をはだけた時、白いYシャツの腋に沿って黒っぽい革製のストラップが覗き見えた。
 即座にガン・ストラップだと察しがついた。
 旅人が護身用に拳銃を持つことは、トルコではそう珍しくもないことのようだ。

(最終更新日:2016.3.10)



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テーマ : 海外旅行記
ジャンル : 旅行

俳句エッセイ: 珊瑚採り

2014/04/04 Fri

 日付変更線に近い太平洋上に、小さな点が連なるように浮かぶマーシャル諸島クェゼリン環礁は、真珠の首飾りとも呼ぶべき造化の奇跡である。
 地図にも載らない芥子粒のような島々には、白砂の浜にココ椰子が繁り、リーフの内には色鮮やかな魚が群れる。
 男はアロハシャツを、女はムームーを着て、万事のんびりと暮している。

 奇なる縁から、ゴーギャンのタヒチの絵を彷彿とさせるこの楽園に一年半もの間滞在したのは、一九七二~三年、二十代半ばのことだった。
 辛うじて電気はあるものの、テレビもなければ電話もない。
 スコールを溜めては飲み水と為し、寄せ来る波をウォッシュレットと為す孤島暮らしである。
 日本との通信は手紙に頼るしかなく、流れ星を見れば胸騒ぎを覚えた。

 ある日、クェゼリンとは少し離れたマーシャル諸島の首都、マジュロを訪ねた。
 首都とは言っても人口一万人弱の小島である。
 そこで島の住民から「あのリーフに見えている座礁船で来た日本人が三人いる」と聞いて、その三人が住む浜辺の小屋を訪ねてみた。
 三人はともに沖縄は糸満の漁師という中年の男たち。
 「今夜、針千本鍋をやるから」と誘われて、夜また出直した。

 「俺たち、鮪を獲りに来たことになっているが、本当は紅珊瑚を採りにきたのさ。
 前は沖縄でも採れたんだが…。
 俺には鼓膜がない。
 あると深く潜れないから取ってしまった」と、その夜、裸電球一つの殺風景な小屋の中で漁師の一人が語ってくれた。

 子供の頃はサイパンに住み、島に米軍が上陸してからは山中の防空壕に隠れ住んだという終戦話も聞いた。
 その凄惨極まる話を、泡盛を酌み蛇皮線を爪弾きながら静かに語る漁師の姿が、今も瞼に焼き付いている。

    孤島暮らし煮出して作るアイスティー

    突いたエイと縺れ沖へまた沖へ

    鳥山の立つ夏潮を全速力

    また鮫だ頭だけ釣る夏まぐろ

    航跡もイルカの群も夕焼ける  

    珊瑚採り鼓膜を捨てた遠い夏

    夏の月シーラカンス眠れる海へ


 ―― 『惜春』2013年9月号に「旅の木」(114)「クェゼリン環礁」として掲載



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テーマ : 詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など
ジャンル : 学問・文化・芸術

俳文: 雪国で暮らす予定と初電話

2014/01/17 Fri

       雪国で暮らす予定と初電話

       (ゆきぐにでくらすよていと はつでんわ)

 子供の頃、村のほとんどの家には電話がなかった。電話のある家が電話局の代わりか公衆電話のような役割をしていた。火急の用があって、それが短文の電報では埒が明かない場合に、その家まで行って「電話を借りる」のである。大抵は市外通話で、当時は遠距離電話と言っていた。通話料金を確認しなければならないので、交換手経由で相手方と接続してもらう。そんな時代の初電話とケータイで受ける近頃の初電話とでは、湧いてくる思いの深さにも違いがあろう。と言う私も手紙や葉書を書くことが少なくなっていたが、この頃、切手をよく買いに行く。俳句の結社や雑誌に投稿したりするためである。文字の通信をケータイやパソコンを使った電子メールに依存することが多くなってみると、肉筆で手紙や原稿を書いたり、宛名を書いたり、切手を買ったり貼ったりといった手作業が、懐かしくもありまた楽しい。

(2013年詠:横須賀市寓居)





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俳文: バレンタインイヴ忙しき吾子二人

2014/01/09 Thu

       バレンタインイヴ忙しき吾子二人

       (ばれんたいいぶ いそがしきあこふたり)

 "My Funny Valentine"というジャズのスタンダード曲は十代の頃から知っていたが、バレンタインディにチョコレートを貰った記憶は私の青春時代にはない。まだ当節のように定着した行事ではなかったから…だと思う。これを行事として定着させた立役者は戦後昭和の女性たちである。売りたいチョコレートメーカーと告白したい女性たちの思惑が一致した、などと言っては夢がない。義理でもプレゼントを貰うのは嬉しいものだ。

(2001年詠:冨里市寓居)





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俳文: 池の端の白梅は八重小止み雨

2014/01/09 Thu

       池の端のしら梅は八重小止み雨

       (いけのはのしらうらめはやえ こやみあめ)

 日本の早春を彩る梅の花。その昔中国から渡来したとも言われるが、起源はともかく、温暖な土地によく育つ植物であるようだ。北海道でも花は咲くと聞くが一般的な光景ではないだろう。明治維新の後、内地の人々が移り住むようになった当初の北海道に梅はなかったのではないかと思う。その北海道では梅も桜も五月に咲く。タイの高地では三月が梅の実の収穫時期だった。ところ変わればであり、歳時記は東京を中心として編まれたものという話もむべなるかなである。

(2001年詠:鎌倉市鶴岡八幡宮)





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プロフィール

Muku Watanabe-渡邊むく

Author:Muku Watanabe-渡邊むく
英語通訳業はほぼ自主引退。愛妻と二人で神奈川県秦野市でスローライフしています。山中湖の別宅で野鳥観察三昧に耽ったり。俳句のことに限らず、お気軽にコメントをくださると励みになります。

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