テレビ批評(光る君へ):続々・たそがれ日記:SSブログ
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もうすっかり上臈女房 [テレビ批評(光る君へ)]

10月20日(日)

「光る君へ」

出身身分が低い(受領階層)新参で、後ろの方にいたのに、いつの間にか最前列にいる藤式部。
もうすっかり上臈女房。
すっかり上臈女房.jpg
中宮様の篤い信頼、左大臣様との特別な関係が背景。

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藤原惟規の死 [テレビ批評(光る君へ)]

10月15日(火)

「光る君へ」第39回「とだえぬ絆」

藤式部の弟、藤原惟規の死については、寛弘8年(1011)、父・為時の任地である越後に同行して、その地で亡くなったこと以外、史料はない。

正確な没年も年齢も不詳で、おそらく30代半ばと思われる。

当時の急死のパターンとしては、「脚気傷心」、ビタミンB1不足に由来する心臓疾患(急性心不全)が考えられる。

次いで、脳血管系の病気(脳出血)。

急死ではないが、壮年期の死因としては、糖尿病。
藤原伊周は、父・道隆から受け継いだ遺伝性の糖尿病だった可能性が高い。

女性の場合、それに妊娠・出産にともなう死が加わる。

ともかく、致死性の病気に対して、有効な治療法がない時代。
頼れるのは、自らの体力・免疫力だけ。

だから神仏の加護を祈るしかない。

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台車式部 [テレビ批評(光る君へ)]

10月6日(日)

台車で運ばれる藤式部さま。
台車式部1.jpg
まるで大きなお雛様を運んでいるみたい。
台車式部2.jpg
装束を脱いで移動するか? 装束のママ台車で運ばれるか?の選択で、後者を選んだとのこと。

女房装束(俗に「十二単」)は、それだけ脱ぎ着が大変ということ。

実際には、脱ぐより着付けが大変。
脱ぐのは、帯がないので意外とスポンと脱げる(経験者)。
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紫式部の遠い子孫、源在子という女性 [テレビ批評(光る君へ)]

9月25日(水)

鎌倉時代初期に源在子(あるこ:1171~1257)という女性がいた。

その母、藤原範子は後鳥羽天皇の乳母で、後白河院政の実力者・源通親(村上源氏)の妻になった。

在子の実父は、平清盛の正室(継室)平時子の異父弟の法勝寺執行・能円(姓は藤原)だったが、母の縁で在子は、通親の猶子として後鳥羽天皇の後宮に入り、第一皇子・為仁親王を産み、親王が即位すると、承明門院の院号を与えられた。

この在子、実は紫式部の遠い子孫なのだ。

式部の娘・藤原賢子(大弐三位)は、大宰大弐。高階成章と結婚し、高階為家を産む。
為家の息子・為賢の娘が藤原能兼(藤原南家貞嗣流)との間に藤原範兼を産み、その範兼が範子の父になる。

つまり、
紫式部ー藤原賢子ー高階為家ー高階為賢ー女子ー藤原範兼ー藤原範子ー源在子ー土御門天皇
という系譜になる。

このあたり、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽の4代の院政を支えた中・下級貴族の間で通婚が行われている状況が見える。

在子は紫式部の7代の子孫、128分の1の血を受け継いでいることになる。

そして、在子を通じて紫式部の遺伝子は皇室に入り、土御門天皇は今上天皇の直系のご先祖なので、現在まで受け継がれることになる。

すご~~~~く、薄まっているが・・・。


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ドラマに出てきた歌 [テレビ批評(光る君へ)]

9月22日(日)

「光る君へ」第36回『待ち望まれた日』

今回、出てきた歌。
出典はいずれも『紫式部日記』。

めづらしき 光さしそふ さかづきは 
 もちながらこそ 千代(ちよ)もめぐらめ(紫式部)

【訳】(皇子誕生という)素晴らしい(希望の)光が加わった(宴の)盃は、(人々が順番に捧げ)持ち続け、満月のように欠けずに、千年もめぐるだろう。

「さかづき」は「盃」と「栄月」の、「もち」は「持ち」と「望(月)」の掛詞。
かなり技巧的な賀歌。

いかにいかが 数(かぞ)へやるべき 八千歳(やちとせ)の
 あまり久しき 君が御代(みよ)をば(紫式部)

【訳】若宮誕生から五十日のお祝いに、どのように遙かまで数えるのが良いのでしょう。何千年もあまりに長く続くはずの若宮のご治世を。

第1句、字余りの破調だが、どのようにの意味の「いかが」と「五十(いか)賀」を掛けている。

あしたづの 齢(よはひ)しあらば 君が代の
 千歳(ちとせ)の数も かぞへとりてむ(藤原道長)

【訳】(私に)鶴のような(千年の)寿命があるならば、若宮の御世の千年の数も、数えられるだろう。

道長の返歌は、とても素直(技巧なし)。





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『紫式部日記』の実写化 [テレビ批評(光る君へ)]

9月22日(日)

「光る君へ」第36回『待ち望まれた日』

『紫式部日記』に描写された土御門殿における中宮・彰子の出産と敦成親王の五十日の祝いのシーンが実写再現されたのが、元・平安時代史研究者には。実に興味深かった。

出産を妨げようと暴れ回る怨霊(よりましの女性に、とり憑いている)を調伏するシーン。
よりまし.jpg
よりまし役の女優さん大熱演。

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とうとうバレた~ぁ! [テレビ批評(光る君へ)]

9月22日(日)

「光る君へ」第36回『待ち望まれた日』

バレた~ぁ、とうとうバレた~ぁ!

まひろ(紫式部)と道長の特別な関係が倫子さまと赤染衛門先生に同時にバレた~ぁ。
バレた.jpg

中宮・彰子の出産(皇子誕生)の後、月を見上げる2人。(場所は倫子様の土御門殿)
まひろと道長.jpg
こんなことしてたら、そりゃあ、バレる。
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和泉式部という歌人 [テレビ批評(光る君へ)]

9月15日(日)

捨て果てんと 思ふさへこそ かなしけれ 
 君に馴れにし 我が身と思へば (和泉式部)
(世を捨てて尼になってしまおうと思うことまでが悲しい。亡き君に馴れ親しんだ我が身と思うので)

恋人の敦道親王と死別した頃、尼になろと思って詠んだ歌。

この歌を詠む場面が、「光る君へ」に出てきた。

和泉式部は、感情がそのまま口から歌として溢れ出すような天性の歌人。
技巧的な同時代の歌人たち(藤原公任や紫式部など)とはかなり異質。
私は、万葉時代の額田王、近代の与謝野晶子と並ぶ、天才女性歌人だと思っている。

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「和泉式部日記」誕生 [テレビ批評(光る君へ)]

9月15日(日)

「光る君へ」

敦道親王に死別して傷心のあかね(和泉式部)に、恋人との思い出を書き記すように勧めるまひろ(紫式部)。
和泉式部.jpg
そして『和泉式部日記』が誕生。


そんな史料はないのだが、これが今後の「通説」になる予感(笑)。

これまでの大河ドラマは、歴史事実に基づいてストーリーを作っていたが、今回の主人公・紫式部については、史料が極端に少なく、ほとんどがフィクションなので、逆転現象(フィクションの史実化)が生じることが危惧される。
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思い出の扇 [テレビ批評(光る君へ)]

9月1日(日)

「光る君へ」第33回「式部誕生」

初恋の娘との出会いの場面を扇絵に描かせて、25年後にその女性に手渡す藤原道長。
扇1.jpg
扇3.jpg
これは、藤式部もぐっとくる。
扇2.jpg
優れた脚本家による見事な伏線回収。

道長の日記『御堂関白記』を読むと、実在の道長も、けっこう細かな心遣いをする人だったと思われる。
公卿や配下の者への贈り物を細かく記しているのは、不公平や、前回より少ない事態を回避するため。
人心の掌握に長けた人で、それが四半世紀にわたる長期政権の一因になった。
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