トランスジェンダー歌謡の歴史 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
1月6日(金)
トランスジェンダーの歌謡(歌手)については、2004年に論文「トランスジェンダーと興行-戦後日本を中心に-」(『現代風俗2004 興行』新宿書房 2005年2月)を書いたとき,初期の「性転換者」に歌手になった人が多いことに気づいて以来、気になっていた。
話が前後するが、1990年代後半に私がお手伝いしていた店(新宿歌舞伎町「ジュネ」)は、カラオケ・女装スナック的な店で、スタッフやお客さんに歌上手が多かった。
私も成り行きで唄う機会が多く、そうした自己体験的にも、トランスジェンダーと歌謡には関心をもっていた。
ただ、いろいろ多忙で、なかなかまとめる機会がなかった。
昨夜、Twitterでこの分野に関心がある方(藤嶋隆樹さん)とやりとりした勢いで、まとめてみた。
まだ調べたりないことも多いので、いろいろご教示いただけると、幸いに思う。
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1950年代に男性から女性へ「性転換」した永井明子、吉川香代、椎名敏江は、いずれも転性後に歌手になっている。
永井と椎名(芸名:ジーナ敏江)はシャンソン歌手として舞台に立ち、歌っているステージ写真は残っているが、レコードは出していないと思う(正確に言えば、未確認)。
↑ 唄う永井明子(『東京タイムズ』1953年9月13日)
↑ シャンソン歌手ジーナ敏江の舞台(『100万人のよる』1959年1月号)
「にわか歌手」だった永井と椎名とは異なり、吉川はもともと音楽畑の人だった。
音楽家を目指して国立音楽大学に入学、ピアノ科から声楽科に移り将来を有望視される成績で卒業し、郷里に近い愛知県豊橋中学校に音楽教師として赴任した。
1943年(昭和18)、招集されて陸軍衛生兵として中国戦線に出征したが、上等兵で無事に復員、東京の深川第一中学校の音楽教師として再び教壇に立つ。
その後、女性的な体質が表面化し、1954~55年に女性への転性手術を受け、教職を辞して職業歌手に転身。
芸名を緑川雅美と名乗り、浅草の料亭「星菊水」の専属歌手として1960年頃まで舞台で活躍し、その後は、歌謡教室の教師に転じた。
(参照)三橋順子「日本女装昔話27 男性音楽教師から女性歌手へ 吉川香代」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_27.htm
↑ 唄う緑川雅美(掲載誌不明。1957~58年頃)
1960年前半に、「性転換」ダンサーとして人気があった銀座ローズも舞台では歌っていた。
「女の運命」というレコードを「テイチク」から出している。
発売年は1970年と思われるが、全盛期を過ぎていて要確認。
↑ 銀座ローズ「女の運命」(1970年?)
「和製ブルーボーイ」としては銀座ローズの後輩になるカルーセル麻紀は、1968年に「愛してヨコハマ」でレコード・デビューしている。
今のところ、これがトランスジェンダーのレコードの最初である可能性が高い。
カルーセル麻紀は、その後も1970年代に数枚のレコードを出ている。
↑ 「夜の花びら」(1974年)
↑ 「灰皿とって」(1978年)
↑ 「日本列島日が暮れて…」(1977年)
↑ 「なりゆきまかせ」(1980年)
1969年には「ブルーボーイ歌手」のキャッチコピーで、ヘレン南がレコード・デビューした。
↑ ヘレン南「女ごころ」
ヘレン南は、晩年、静岡県焼津市の「松風閣」というホテルの専属歌手をしていたが、2009年末に亡くなった。
私が2010年夏にお話をうかがったゴールデン圭子さん(1960年代に「性転換ダンサー」として活躍、晩年は岐阜市柳ケ瀬のスナック「シーラカンス」のママ)の同郷(北海道出身)の友達だった。
ちなみに、「ブルーボーイ」とは1963年にフランス・パリの「カルーゼル」の性転換女性たちが来日公演して話題になったときに、マスメディアがつけた呼称で、「身体を女性化した男性」という意味。
その後、銀座ローズやカルーセル麻紀など、日本人の同じような人を「和製ブルーボーイ」と呼ぶようになった。
ヘレン南とほぼ同時代に女装歌手として話題になったのが橘アンリ。
1969年9月に東京赤坂のホテル・ニュージャパンと「女性」歌手として出演契約を結んで、週3回、レストランのステージに立ち、シャンソンやカンツォーネを歌った。
声はやはり低音だったようだ。
「甘い生活」というレコードを1970年に出している。
↑ 橘アンリ「甘い生活」(1970)。
(参照)三橋順子「日本女装昔話 番外編 5 一流ホテルと契約した女装歌手 橘アンリの夢」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_bangai_05.htm
↑ 唄う橘アンリ(『週刊新潮』 1969年6月28日号)
1981年4月、大阪のゲイボーイ、ベティ(後に「ベティのマヨネーズ」のママ)が桑田佳祐の作詞作曲で「I Love you はひとりごと」というレコードを出す。
↑ ベティ「I Love you はひとりごと」
そのとき、桑田が考案した「男と女のハーフ」という意味の「ニュー・ハーフ」というキャッチコピーが、「ニューハーフ」の語源になる。
1981年3月にポスター企画「六本木美人」に選ばれ、1981年10月公開の角川映画「蔵の中」に主演し、ニューハーフ・ブームを起こした松原留美子は、アルバム(LP)で「ニューハーフ」(を出し、さらにシングルで「一夜恋」「砂時計」を出している。
↑ 松原留美子「ニューハーフ」(1981年9月21日)
↑ 松原留美子「一夜恋」(1981年11月1日)
↑ 松原留美子「砂時計」(1982年7月21日)
松原のレコードは聴いたことがあるが、すごいハスキーボイスというか、ほとんど男声で、かなり厳しかった。
男性から女性へのトランスジェンダーの場合、一度、声変わりしたら、いくら女性ホルモンを投与しても声は高くならない。
したがって、女性歌手としてやっていくのはかなり辛いものがあり、話題にはなっても、職業的にはなかなか成功し難い。
その点、声帯ポリープを患う前のはるな愛は、きれいな女声で、歌もうまかった。
現在のトランスジェンダー歌手としては、中村中(あたる)が第一人者であることは異論はないだろう。
2006年9月にリリースした「友達の詩」がヒットし、2007年大晦日のNHK紅白歌合戦に戸籍上男性のソロシンガーとしては初めて紅組で出場した。
↑ 中村中『友達の詩』(2006年9月)
男声、女声を超越した迫力ある歌唱は、実に魅力的。
【追記(6月11日)】
光岡優(1956年~ )『女形』(1985年2月、キングレコード)
1977年、モロッコでGeorges Burou博士の執刀で「性転換手術」を受けた人。
銀座八丁目のクラブ「パトウ」のホステスで、1980年代中頃、「11PM」(日本テレビ系)などの深夜番組にときどき出演していた。
【追記(2018年4月19日)】
橘アンリさんについて、 ドラァグクイーンのRachel D'Amourさんから「松山市で「橘アンリ運命鑑定所」をされている方ではないか?」との情報をいただく。
http://anri-tachibana.jp/
橘アンリさんが東京で歌手デビューした1969年に21歳、1990年に郷里(松山市)で「運命鑑定所」を開業したのが42歳、そして今、2018年に70歳という計算になるので、年齢的には矛盾はない。
おそらく、というか、かなりの程度、ご本人だと思う。
お元気でご活躍なら、とてもうれしい。
トランスジェンダーの歌謡(歌手)については、2004年に論文「トランスジェンダーと興行-戦後日本を中心に-」(『現代風俗2004 興行』新宿書房 2005年2月)を書いたとき,初期の「性転換者」に歌手になった人が多いことに気づいて以来、気になっていた。
話が前後するが、1990年代後半に私がお手伝いしていた店(新宿歌舞伎町「ジュネ」)は、カラオケ・女装スナック的な店で、スタッフやお客さんに歌上手が多かった。
私も成り行きで唄う機会が多く、そうした自己体験的にも、トランスジェンダーと歌謡には関心をもっていた。
ただ、いろいろ多忙で、なかなかまとめる機会がなかった。
昨夜、Twitterでこの分野に関心がある方(藤嶋隆樹さん)とやりとりした勢いで、まとめてみた。
まだ調べたりないことも多いので、いろいろご教示いただけると、幸いに思う。
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1950年代に男性から女性へ「性転換」した永井明子、吉川香代、椎名敏江は、いずれも転性後に歌手になっている。
永井と椎名(芸名:ジーナ敏江)はシャンソン歌手として舞台に立ち、歌っているステージ写真は残っているが、レコードは出していないと思う(正確に言えば、未確認)。
↑ 唄う永井明子(『東京タイムズ』1953年9月13日)
↑ シャンソン歌手ジーナ敏江の舞台(『100万人のよる』1959年1月号)
「にわか歌手」だった永井と椎名とは異なり、吉川はもともと音楽畑の人だった。
音楽家を目指して国立音楽大学に入学、ピアノ科から声楽科に移り将来を有望視される成績で卒業し、郷里に近い愛知県豊橋中学校に音楽教師として赴任した。
1943年(昭和18)、招集されて陸軍衛生兵として中国戦線に出征したが、上等兵で無事に復員、東京の深川第一中学校の音楽教師として再び教壇に立つ。
その後、女性的な体質が表面化し、1954~55年に女性への転性手術を受け、教職を辞して職業歌手に転身。
芸名を緑川雅美と名乗り、浅草の料亭「星菊水」の専属歌手として1960年頃まで舞台で活躍し、その後は、歌謡教室の教師に転じた。
(参照)三橋順子「日本女装昔話27 男性音楽教師から女性歌手へ 吉川香代」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_27.htm
↑ 唄う緑川雅美(掲載誌不明。1957~58年頃)
1960年前半に、「性転換」ダンサーとして人気があった銀座ローズも舞台では歌っていた。
「女の運命」というレコードを「テイチク」から出している。
発売年は1970年と思われるが、全盛期を過ぎていて要確認。
↑ 銀座ローズ「女の運命」(1970年?)
「和製ブルーボーイ」としては銀座ローズの後輩になるカルーセル麻紀は、1968年に「愛してヨコハマ」でレコード・デビューしている。
今のところ、これがトランスジェンダーのレコードの最初である可能性が高い。
カルーセル麻紀は、その後も1970年代に数枚のレコードを出ている。
↑ 「夜の花びら」(1974年)
↑ 「灰皿とって」(1978年)
↑ 「日本列島日が暮れて…」(1977年)
↑ 「なりゆきまかせ」(1980年)
1969年には「ブルーボーイ歌手」のキャッチコピーで、ヘレン南がレコード・デビューした。
↑ ヘレン南「女ごころ」
ヘレン南は、晩年、静岡県焼津市の「松風閣」というホテルの専属歌手をしていたが、2009年末に亡くなった。
私が2010年夏にお話をうかがったゴールデン圭子さん(1960年代に「性転換ダンサー」として活躍、晩年は岐阜市柳ケ瀬のスナック「シーラカンス」のママ)の同郷(北海道出身)の友達だった。
ちなみに、「ブルーボーイ」とは1963年にフランス・パリの「カルーゼル」の性転換女性たちが来日公演して話題になったときに、マスメディアがつけた呼称で、「身体を女性化した男性」という意味。
その後、銀座ローズやカルーセル麻紀など、日本人の同じような人を「和製ブルーボーイ」と呼ぶようになった。
ヘレン南とほぼ同時代に女装歌手として話題になったのが橘アンリ。
1969年9月に東京赤坂のホテル・ニュージャパンと「女性」歌手として出演契約を結んで、週3回、レストランのステージに立ち、シャンソンやカンツォーネを歌った。
声はやはり低音だったようだ。
「甘い生活」というレコードを1970年に出している。
↑ 橘アンリ「甘い生活」(1970)。
(参照)三橋順子「日本女装昔話 番外編 5 一流ホテルと契約した女装歌手 橘アンリの夢」
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld3_3_bangai_05.htm
↑ 唄う橘アンリ(『週刊新潮』 1969年6月28日号)
1981年4月、大阪のゲイボーイ、ベティ(後に「ベティのマヨネーズ」のママ)が桑田佳祐の作詞作曲で「I Love you はひとりごと」というレコードを出す。
↑ ベティ「I Love you はひとりごと」
そのとき、桑田が考案した「男と女のハーフ」という意味の「ニュー・ハーフ」というキャッチコピーが、「ニューハーフ」の語源になる。
1981年3月にポスター企画「六本木美人」に選ばれ、1981年10月公開の角川映画「蔵の中」に主演し、ニューハーフ・ブームを起こした松原留美子は、アルバム(LP)で「ニューハーフ」(を出し、さらにシングルで「一夜恋」「砂時計」を出している。
↑ 松原留美子「ニューハーフ」(1981年9月21日)
↑ 松原留美子「一夜恋」(1981年11月1日)
↑ 松原留美子「砂時計」(1982年7月21日)
松原のレコードは聴いたことがあるが、すごいハスキーボイスというか、ほとんど男声で、かなり厳しかった。
男性から女性へのトランスジェンダーの場合、一度、声変わりしたら、いくら女性ホルモンを投与しても声は高くならない。
したがって、女性歌手としてやっていくのはかなり辛いものがあり、話題にはなっても、職業的にはなかなか成功し難い。
その点、声帯ポリープを患う前のはるな愛は、きれいな女声で、歌もうまかった。
現在のトランスジェンダー歌手としては、中村中(あたる)が第一人者であることは異論はないだろう。
2006年9月にリリースした「友達の詩」がヒットし、2007年大晦日のNHK紅白歌合戦に戸籍上男性のソロシンガーとしては初めて紅組で出場した。
↑ 中村中『友達の詩』(2006年9月)
男声、女声を超越した迫力ある歌唱は、実に魅力的。
【追記(6月11日)】
光岡優(1956年~ )『女形』(1985年2月、キングレコード)
1977年、モロッコでGeorges Burou博士の執刀で「性転換手術」を受けた人。
銀座八丁目のクラブ「パトウ」のホステスで、1980年代中頃、「11PM」(日本テレビ系)などの深夜番組にときどき出演していた。
【追記(2018年4月19日)】
橘アンリさんについて、 ドラァグクイーンのRachel D'Amourさんから「松山市で「橘アンリ運命鑑定所」をされている方ではないか?」との情報をいただく。
http://anri-tachibana.jp/
橘アンリさんが東京で歌手デビューした1969年に21歳、1990年に郷里(松山市)で「運命鑑定所」を開業したのが42歳、そして今、2018年に70歳という計算になるので、年齢的には矛盾はない。
おそらく、というか、かなりの程度、ご本人だと思う。
お元気でご活躍なら、とてもうれしい。
2017-01-07 01:21
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コメント(9)
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初めてコメントをします。
銀座ローズさんは「女の運命」というレコードを出されているようです。
私も聴いたことはないのですが。
いつもブログ楽しみにしています。
by へっぽこ (2017-01-07 05:37)
再びへっぽこです。
調べていたら橘アンリさんは1970年に「甘い生活」というレコードを出されているようです。
by へっぽこ (2017-01-07 06:29)
へっぽこさん、いらっしゃいま~せ。
調べが行き届いていないところを補ってくださり、ありがとうございました。
今、確認して、本文を手直ししました。
感謝です。
by 三橋順子 (2017-01-07 10:30)
三たびへっぽこです。
こちらのサイトによると→http://fujiyama.press.ne.jp/70debut.htm
「女の運命」の発売は1970年となっていますが、銀座ローズの全盛期とはずれており、実際のところはどうなのでしょうね。
話は少し変わるのですが、近頃は二次性徴が終わった人でも上手に女性の歌を歌われる人が増えている気がします。
トランスジェンダーでは
悠以:ディズニーのカバー
青木歌音:中森明菜のカバー
モノマネでは
丸山強:中森明菜、石川秀美、河合奈保子
君島遼:小林幸子、美空ひばりなど多数
かまだ聖子:松田聖子
丸山強さんは1980年代に活躍されて中森明菜さんのモノマネがとても上手です。
これからもブログを楽しみにしています。
by へっぽこ (2017-01-08 06:43)
へっぽこさん、いらっしゃいま~せ。
再三のご教示、ありがとうございます。
確認は現物を手に入れるしかありませんが、本文、手直ししておきました。
by 三橋順子 (2017-01-08 07:18)
昭和58年、第34回紅白歌合戦出場の梅沢富美男さん、平成24年、第63回紅白歌合戦出場の美輪明宏さんもいますね。
月刊雑誌はNHKの発表前から編集を始める都合があって、昔、小学館の学年誌で、ピーター(池畑慎之介)さんが、昭和45年、第21回紅白歌合戦出場予定になっている記事を見た事があります。
紅組出場だったような記憶があります。
あと、この人。
麻倉ケイト トップページ
http://keitareya369.icts.jp/
by 橘 まるみ (2017-01-10 19:19)
初めてコメントいたします。
橘アンリさんの記事について。
橘アンリさんが唄っている写真ですが、
週刊新潮 昭和44年6月28日号に掲載されてました。
必要でしたら画像を送ることもできますよ。
とりあえずご連絡までに。
by 豚汁 (2020-05-17 00:18)
豚汁さま、いらっしゃいま~せ。
掲載誌情報、ありがとうございました。
本文に入れました。
記事のコピーはもっているので、大丈夫です。
by 三橋順子 (2020-05-19 03:17)
はじめまして
海外の例だとこういう人がいます
https://i-d.vice.com/jp/article/8xxmev/the-unbelievable-story-of-transgender-soul-singer-jackie-shane
なんと映像まであります
https://youtu.be/yUYW2iwimBw
by 由美子 (2020-07-26 12:15)