先週読んだ章はすごく考えさせられた。自分が居なくなった後のこと。それを考えてみると、今すべきことがとても明確になる気がしたからだ。
何を託したくないか。何を残したくないか。その目線で今の状況を見つめて、具体的にできるところを、目に見える・見えない関係なく変えたり改善したりする。
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いよいよ本書を読み始めて13週目に入り、内容もすごく確信に迫るようなところへ突っ込み始めた。
楽しみだ。早速始めていきましょう。
- 4月24日(月) WHYの創り方 ―序章
- 4月25日(火) 本当にWHYの確立に成功しているときに言われること
- 4月26日(水) WHYの見つけ方
- 4月27日(木) WHYを見失っているサイン
- 4月28日(金) 局所的に考えないということ
- 4月29日(土) 応援は何から生まれるか
- 4月30日(日) 現在地の共有は”技術”である
4月24日(月) WHYの創り方 ―序章
最終章の話は、いよいよ「WHYの創り方」であった。別に「見つけ方」と書いてもいいと思うのだが、微妙な言葉の綾なので、どうでもいいと思う。
その例として出てきたのが、Apple創業者(共同設立者)の、二人のスティーブだ。まずはここのストーリーを通じて、エッセンスを説くようである。
少し意外だったのだが、彼ら二人が目指したのは、独占的な権力への抵抗というべきものだったらしい。政府や、独占企業など、だ。
だからか、最初に彼らが手掛けた有名なアイテムは、「ブルーボックス」といういわば電話回線をハッキングする装置だったのだ。(もちろん違法)
そしてその反抗というWHYから始まり、次に取り組んだのは、個人に対し、圧倒的な存在と戦う力を授けるといった感じのことだ。そう、PCである。
ここから一体どんな話へと展開していくのか。すごく気になって仕方がない。
4月25日(火) 本当にWHYの確立に成功しているときに言われること
「これは海外でも同じなのか」と思った、少し面白い発見がある。それは、本当の意味でWHYの体現に成功し、ファンを集めることができているときに言われることだ。
その”こと”とは、外野からの「宗教」「教祖」「カルト」呼ばわりである。理解できない価値観をシェアし、あいつらは一体何をしているのか。そんな意味だろう。
ただ冷静に考えれば、僕らは大体子どもの頃、何度も人からそれを言われてきたはずである。僕らは元来、揶揄されネイティブなのだ。
例えば、「ただのカードになんでここまで躍起になれるんだ?」と親に言われ、「男子はなんでベーゴマみたいなのにハマれるの?」と女子に揶揄され。
しかし当の本人”たち”は、そんなのお構いなしだ。楽しいのみならず、仲間がいることをしっかりと認識していたからだ。
本当にWHYの確立に成功し、それで人を集められているとき、外野からはどうしても怪訝な顔をされる。それもまた一つの指標なのではないか。
機能ではなく意味を売る。そのヒントになりそうな具体例だと思った。
4月26日(水) WHYの見つけ方
非常に大切なWHYを見つけるには、一体どうすればいいか。答えられているようで答えられていないこの質問に、具体的な回答がやっと登場した。
それは、過去の振り返りだ。自分の人生を振り返ってみて、熱中できたこと、あるいは逆に全く気が乗らなかったことを列挙し、共通点を探る。
点と点が繋がれば線になるという有名な逸話があるが、それを意識的に行う感じだ。僕は何が好きで、何が嫌いなのか。
そして自分の人生を振り返ると、それらにうっすらとつながりが見えるのを、何となく感じている。今までやってこなかった、点を線にする作業。
GW、じっくりやってみようと思う。
4月27日(木) WHYを見失っているサイン
逆に、WHYを見失っているサインはなんなのか。それは、今やっていることに意義を見出せていない、つまり何をどのようにしているかしか答えられない状況そのものだ。
例えば、ビラ配りを考える。どこに人員配置して、何部配るというのは明確に答えられるのに、何のためにビラ配りをするかという質問に窮する。
こういう状況に陥っていることは、つまりWHYの喪失を意味するという話らしい。すごく納得する。(ちなみに基本は広報と集客、ひいては売り上げ増が目的だと思う)
手段の目的化。体調不良以外で何か心が辛いとき、その観点を差し向けられるよう意識しておこうと思う。
4月28日(金) 局所的に考えないということ
筆者がWHYを失ったとき、自分は何に熱中できるか、あるいはしていたか、過去を振り返り点と点を繋ぐということをやったそうだ。
すると、分野を問わず、公私を問わず、「ワクワクすることをするんだ」と人に説いて、それによってその人が人生を変えるのを見るという経験が根幹だったそうだ。
それをヒントに「ゴールデンサークル」を考案し、「WHYから始めよ」という提案を説き、気付けばTEDで講演をするまでになっていた、と。
どうしても「何をしているときが楽しいか」とだけ聞かれると、例えば仕事のそれみたいに、無意識にフレームを設定しがちになる。
そこを如何に外して、公私問わず、人生の時期を問わず、何をしているときが楽しかったかとかそういう部分にだけフォーカスできるか。これが要ではなかろうか。
早くGWにならないかな。じっくり考え抜きたいテーマが、今確実に存在している。
4月29日(土) 応援は何から生まれるか
『応援』という言葉の解像度を、今以上に高めたい。そんなことを、今回の章を読んで考えさせられた。今の時代、狙って応援を設計出来たら、確実に勝てるからだ。
では、その『応援』は何から生まれるか。そもそも、『応援』とは何なのか。佐渡島庸平を見習って、まずはやはり語源から探りたいと思う。
国語辞典によれば、こんな定義が紹介されている。
① 味方となって励まし、また、助けること。また、その者。加勢。
※日本外史(1827)一九「上杉謙信出二兵上野一、遙為二応援一」 ※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一〇「下手に取做(とりなし)を試みた日にゃあ、〈略〉小町田の身に害になるとも、毫も応援(オウヱン)にゃアならないとか」 〔心書‐撃勢〕
② 競技などで、拍手をし、歌をうたい、声をかけるなどして、味方やひいきの選手を元気づけること。
※竹沢先生と云ふ人(1924‐25)〈長与善郎〉竹沢先生の花見「どこかの小学校が運動会をやってゐる。〈略〉『応援をしたくなるね』」
という感じだ。味方となって励まし、助ける。これが語源だとわかる。となれば、しっくりくることがある。
例えば世の中には完璧超人が居る。東大卒8等身美男美女とかを想像すればわかるのではなかろうか。思うに、そういう存在は、『応援』とは程遠いと感じている。
元々例えばアイドルとは既に完成された完璧なパフォーマンスが至上だったのだが、AKB48全盛期頃から、その意味合いが変わってきたように思う。
自分は何に悩み、何と戦い、そしてそのために応援が欲しいという弱さというか正直さをさらけ出しながら、全力で努力する。
西野亮廣氏は新刊「夢と金」で、『応援シロ』の話をされていた。それによれば、「目標値―現在地の共有」がそこに当たるのだと書かれていた。
段々と腑に落ちてくる。そしてこの本で指摘されていた『応援』の欠かせない要素を加えると、さらに刺さるものがある。それは何と戦っているか、だ。
相手を蹴落とし自分が一番になる。そのために戦う人は、応援”されない”。そうではなく、自分自身に打ち克つために戦う人を、人は応援”したくなる”。
全球団のピッチャーをぼこぼこにしたいという人ではなく、「応援してくれる皆様のために優勝という最高の結果を届けたい」という人を応援したくなる。
ここを設計というとすごく打算的に聞こえるが、そうではなく、たとえどうでもいいと思われようが、自分がしたいことを可視化して言語化し、シェアする。
それが大事なんだと改めて思わされた。GW明けに具体的な作戦を発動できるよう、しっかりと考え込みたいと思う。
4月30日(日) 現在地の共有は”技術”である
特定の誰かを不幸にして自分が幸せになる。そんな人、誰も応援はしない。昨日より今日、今日より半年後、世界を、自分をより豊かにしたいと思う人が、応援される。
過去を振り返り、原体験を知り、点と点を繋げて線にして、それを未来まで繋ぎ、目標値を決める。それを分割し、スポットスポットで報告を上げる。共有する。
この長大な洋書を読み込みながら、僕はそういう具体的にやりたいことを考えていた。そして改めて思ったが、応援を生む共有とは、心がけや才能ではなく、技術である。
体系的な方法を学び、システムを設計し、練習を重ねねば、上手になってこない。西野亮廣氏や原田勝弘氏といった広報・共有のプロの御業、あれは職人技なのだ。
だから僕も、『共有力の鍛え方』とでもいうべき考え方を体系的に学ぶか、自分なりに設計するかしなければならないと思った。
ビジネス書を書くようなつもりで、毎週どっかの曜日の記事をその連載風なものに変えようかなと、そんなことも思った。
―ということで今日はこの辺で。