僕の住むエリアにて、本格的に高校や大学のオンライン授業が始まる見込みだ。(既に動き始めたところもある)
僕自身、この流れは歓迎するべきものだと捉えている。これが一般的になれば、教育という少し保守的な世界も、きっと多少は変わるだろう。
―だが、なかなかそうはいかないらしい。僕は生徒からその授業の仔細を軽く聞いたのだが、それには【時間割】が存在すると聞き、少しがっかりした。
つまり、決まった時間にアクセスし、ライブの授業を視聴せよと、そういうことだ。尚、もしログインが無ければ、電話が掛かってくるのだという。
・・・・これ、せっかくオンラインにしたのに、良いところを殺しちゃっていませんかね?
今日はそれについて私見を述べる。
ライブ授業と違い、授業をデータとして配信することの最たるメリットは、個々人にあったカリキュラムというのが自動的に整うという点だ。
例えば得意単元の授業なら、わかると判断した時点でサクサク飛ばせばいい。逆に苦手であるなら、巻き戻して確認したり、演習の解説を何度も聴いたりと工夫すればいい。
一日の最初は好きな科目からにしたい生徒は、それを選んで受講を始めればいい。苦手と得意を交互にしたければ、そうすればいい。休憩時間も、究極好きにすればいい。
この匙加減は、データの受け手が指先でチョチョイとすればできるのだ。これはメリットとして、計り知れないくらいデカいところがある。
―だがこれを、時間割までカチっと決めたカリキュラムにすると、集団授業とオンライン授業のデメリットだけが残る気がしてならない。
集団授業のネックは、得意も苦手も十把一絡げにして授業を進めねばならない点だ。できるヤツは退屈し、苦手なヤツは置いて行かれる。
また、オンライン授業にも、通信トラブルや、生徒からの反応が得づらく、アドリブが利かないというネックがある。やはりどちらも一長一短なのだ。
そして『授業を生配信、時間も決まっている!』というやり方だと、このネックだけが見事に融合した講義が完成してしまうのだ。
恐らく、この辺は当事者の先生方も分かっていることだろうが・・。生徒の管理や、ある程度の業務時間を確保せねばならないといった黒い事情があるのだろう。
心底同情するが、結局誰も幸せになっていない気がするので、これについては今後も疑問を投げかけたいと思う。
『折衷案』と言えば聞こえはいいが、それはもしかしたら『良いところの殺し合い』かもしれない。
皆さんもそういうヘンなアイデアになっていないか、色々と周りを見てみると面白いかもしれない。
では今日はこの辺で。