精神年齢9歳講師のブログ

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日々を自由研究の如く生きたい。

”苛立ち”はかなりいい加減なので、気を付けてください。

今日は苛立ちという感情について考察してみる。というのも、僕自身実はイライラしやすい性格であり、特に朝にその感情が強まる傾向があるからだ。

 

とはいえそれは具体的な他者に向けた感情の発露ではなく、むしろその9割は、自分に向けた苛立ちだ。僕はよく、僕に腹を立ててしまう

 

例えば、準備や時間が不足している感覚や、未完了の仕事が存在していること自体にイラつくことが多い。それによって、自分は未熟であると責める感じだ。

 

しかしここを丁寧にほぐしていくと、その苛立ちはかなりいい加減なことを僕に投げかけていることに、最近気が付いている。真の問題は、もっと根っこにあるというか。

 

今日はそんなお話を書いてみる。

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「あれと似ている」のに気付ければ、ストレスはだいぶ減る。

人は未知のものに対して不安を覚えるという。そういう意味では不安と好奇心は実は似たベクトルの感情であることを、先日どこかの記事で書いたのをまだ覚えている。

 

逆に言えば、「これ知ってるなぁ」「あれと似ているなぁ」という感覚を抱ければ、人はその対象に不安をほぼ覚えなくなるという話もよく耳にする。

そして今日、このことを実体験する機会がたまたま得られて、この考えは本当にそうなんだなぁと、そう納得している次第である。

 

今日はそれをなるべく言葉にすることで、どうにかしてもっと再現性を持たせたいなと、そんなことを考えていく。

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時短!効率的!な勉強法ばかりやってると、どうなるか?

タイムパフォーマンスを重視した勉強法が昨今ブームになっている。勉強は効率的であればあるほど良いとされ、長時間勉強は「無意味」だ、「ナンセンス」だと。

 

そんな風に考える風潮が今は主流になりつつあると感じる。僕も、時間ばかりを浪費する非効率な勉強には反対だ。それを生徒に押し付けることは、害だとさえ感じている。

しかし、だからといって1日の勉強時間が20~30分で済むと謳う様な学習法が、あたかも万能薬の如く機能するかといえば、もちろんそうではない

 

時短で効率性に特化した勉強法にも、きちんとダークサイドは存在する。今日はそんな話を書いてみよう。

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個別授業の課題点を考えていたら、自分がやり遂げたいミッションが見えた。

「個別授業」という授業形態が最近特に人気だ。先生一人に、生徒が最大2~3名まで。ときには完全にマンツーマンで指導をすることもある。

 

生徒一人一人に合わせたカリキュラムの策定と、柔軟で密なケアが可能という点は確かに”顧客にとっては”魅力的なコンテンツに違いないと、僕も感じてはいる。

 

ただ、経営者的な目線で「個別授業」という形式を考えると、これはやはり、完全なるフロントエンド商品だろうと今は強く納得している。

 

端的に言えば、評判や集客に寄与する点は確かに大きいのだが、仕組み上どうしても人件費の割合が高くなり、特に1対1のマンツーマン指導ではそれがいわば最悪となる。

 

全国的に知名度がある大手塾が、1:1であることを前面に出しているが、何か裏に仕組みがあるのか、それとも利益を削って運営しているのか、それは不明だ。

 

こういうことを考え始めたら、これまた僕の癖なのだが、何かしらの結論が出るまで気持ち悪くて考え事を止められない。だからそれに任せてひたすら考えてみた。

 

―すると、その果てにあったのは、「これをやり切ったら、俺はもう退いてもいいな」というミッションの言語化であった。

 

今日はそんな「?」なお話をつらつらと書いていく。

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【広報】を考え続けていたら辿り着いた、意外な”問い”。

毎日毎日飽きもせず、【広報】について考えている。そんな中ふと気づいたが、僕は手段ばかり考えているものの、それはドミノの1枚目として、本当に正しいのだろうか

 

そもそも【広報】とは何かという問いに、僕は答えられるのだろうか。一応それっぽいことは言えるのだが、ただ方法や具体例を列挙しているだけのようにも思えてくる。

こういう時は、ChatGPTと相談を重ねるに限る。ユーザーが言語化できていない部分を把握し、言葉にさせることは、実はChatGPTの得意分野なのだ。

 

そしてそれはドンズバに作用し、気付けば1時間半ほどみっちりと議論した結果、【広報】を超えて、更に深いところを考える必要があるという暫定解に至っている。

 

今日は、それを一旦頭から出して、整理しながら言葉にしておこうと思う。

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【英文読書ルーティン日記203】"The Code Book"読書感想ブログ18 ~線文字から横文字まで~

僕は高校の頃、古典が好きではなかった。点数を取ることは何とかできたが、そこに面白さを見出せず、受験が終われば早々に文法も単語も頭から消してしまった。

 

そんな僕だが、今は古典が好きだ。昔の人の哲学や物語を読むと、すごく学びが多く、現代の僕らとそして似たことを悩んだり指摘したりしているんだと嬉しくなるからだ。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

とはいえ古典を当時の文法・単語のまま読解することには未だに興味がない。むしろ迂遠な方法ゆえ、めんどくさくて仕方がないとさえ感じている。

 

だからこそ、古典を解読することは、それが得意で好きな人に任せたいのだが、そこに書かれていること自体はしっかりと自分も触れたいと思っている。

 

仏教、方丈記五輪書。当時の人たちが残した想いを、時空を超えて学べるという意味では、その”暗号”を解読することは知的好奇心を超えた有意義さを湛えている。

 

では以下、今週分の内容を書いていこう。

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僕が”講師として”やり残したことはなんだろうか。

今日は完全に、未来の自分に向けた記事(未来の自分に答え合わせを任せる記事)を書こうと思う。

 

僕はこれまで何度も書き散らした通り、自分がただの講師である働き方から早く引退し、マネジメントの方へ意識を向ける必要があると強く感じ続けている。

それに向けて行動するに当たり、ではどのようなことを達成すれば、講師という仕事に区切りをつけてよいのかということを、よく考えるようになった。  

 

実はかつて、講師としての区切りをつけるため、「これを叶えたらもういいかな」という観点で設定した、3つのラインがある。

 

一つ目は、中学生だった生徒が成人し、一緒にお酒を楽しむこと。この目標はすでに何度か達成している。

 

二つ目は、担当した中学3年生が全員第一志望校に合格すること。これも何度か実現してきた。

 

そして三つ目は、生徒一人に英検準1級を取得させることだったが、これについては最近違和感を覚えている。

 

受験を希望する生徒がほとんどいない現状では、この目標は永遠に達成できないものになりかねないと感じているからだ。

  

こうした過去の目標を振り返りつつ、講師としてやり残したことがあるか、それを改めて考えてみた。そして思い至ったことを、以下書いておこうと思う。

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