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「救急に生きる」インタビュー02<br>“考える男”北岡

北岡和高 Kitaoka Kazutaka

Kitaoka Kazutaka 松山市消防局 救急ワークステーション救急隊長 消防司令補

Interview

「救急に生きる」インタビュー02
“考える男”北岡

救急隊員は一人一人、「人の命を救いたい」という熱い思いを胸に秘めて生きている。その思いをベースに、どんな考えを持ち、どんなことに情熱を注いでいるか。3人の救急隊員に聞いた。

写真◎中井俊治
Jレスキュー2016年11月号掲載記事
※役職、肩書は取材当時のもの

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「型にはめず、自分で考えられる人が、本物の救急隊員だ」

自分を決して甘やかさない指導者だから、隊員の目標になる

消防司令補・北岡和高は松山市消防局で21年間救急隊に所属して活動を続けてきた。現在は中四国初の常駐型救急ワークステーションで救急隊長を務める。

松山市消防局は2015年(平成27年)10月1日より、愛媛県立中央病院の向かいで常駐型救急ワークステーションの運用を開始した。これまで実施していた派遣型での病院滞在は平日9時~17時。それが24時間常駐体制となり、救急車が24時間医師同乗で出動できる体制になった。救急救命士の病院実習や法定実習が円滑・短期間が実施できるようになったのもメリットで、医師や看護師と合同での訓練も行いやすくなった。

同ワークステーションには心肺停止や救助事案、アナフィラキシーショックなど重症度や緊急度の高い事案の出動要請がかかる。局全体でみれば転院搬送や軽症事案などの出動要請が多い中、ここに配属された隊員は多様な事案を経験することができる。同ワークステーションは、まさに松山消防の救急レベル向上のための教育拠点なのだ。

同ワークステーションの初代救急隊長である北岡は、この恵まれた教育環境を最大限に活かすべく隊員の育成に心血を注いでいる。「救急隊は現場の最前線で傷病者の命と向き合う仕事。救急隊員は常に、その場その場で最善の方法を考え続けなければならないと思う」と言う北岡の目標は、救急隊員たちに“自分で考える人”になってもらうことだ。

救急活動は、資器材の取り扱い方法から処置方法まで細かくマニュアル化されている部分が多い。もちろんマニュアルや講習で基礎的な知識(北岡はそれを「型」と呼ぶ)を身につけることは重要だが、型にとらわれすぎるあまり、考えることをやめてしまうのがもっとも愚かだと北岡は考える。

「症状観察ひとつをとっても、ひとつとして同じ状況はないのに、無理矢理に型にあてはめようとする人が多い。隊員には、『なぜこの現場でこの動きをするのか?』と問いかけたときに、明確に理由を答えられる力を身につけてほしい」

「マニュアルだから」、「そういう風に習ったから」というマニュアル至上主義の考え方は、完全な思考停止でしかない。活動の根拠を常に考えて状況に柔軟に対応することこそが、真に傷病者の立場に立った活動であり、北岡の目指す“考える救急隊員”の姿だ。

もちろん北岡は、基礎を疎かにしていいと言っているわけではない。基本をマスターしていなければ、応用的な活動など当然成り立たないだろう。ワークステーションには現在3名が常駐する。厳密な配属規定はないが、配属されている隊員は皆ある程度経験を積んだ者ばかりだ。基本を熟知した隊員たちがブラッシュアップするには絶好の職場だからである。

救急に生きるインタビュー02
救急ワークステーションの救急隊長として、部下の育成に情熱を傾ける。
やらせてみて気づかせる

“考える人”を育てるという北岡の思いは、訓練の指導スタイルにも表れている。取材当日、ワークステーションでは車と歩行者の交通事故を想定し、交通外傷者をバックボードで搬送する訓練が実施されていた。隊員は基本が身についている者ばかりなので、訓練中は基本的に口を挟まず隊員たちの思うように活動させていたが、訓練終了後のフィードバックタイムに北岡から鋭い指摘が飛んだ。

「処置方法については、完璧。でも、全身観察が終わってるのにシャツをめくりっぱなしにしてたのはなんで?」

隊員が虚を突かれたような表情になり、答えに詰まった。同訓練で傷病者が負傷したのは左足だけだったが、隊員たちは全身観察のために腹部のシャツをめくり、そのままにしていたのだった。

「交通事故ってことは、ここは外やろ? 時期によっては寒いかもしれんし、周りに人がいたら傷病者は恥ずかしいんとちゃうか?」

隊員たちは症状観察や応急処置に集中しすぎるあまり、傷病者の気持ちにまで思いがいたらなかったのだ。

「現場活動でもあまり部下に指示しすぎず、ある程度のことは任せる。任せて、心の中でだけ心配するようにしている。自分で考えさせて、あとでフィードバックしたほうが記憶にも残りやすいと思うから」

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平成27年10月に開所した救急ワークステーション。道を挟んで向かい側に愛媛県立中央病院がある。
レベル別の訓練メニュー

北岡に課されたミッションは、所属隊員の教育だけではない。松山市消防局では救急隊全体のレベルアップのため、消防局・消防署の職員を毎日1名ずつ救急ワークステーションに派遣し、ワークステーションでの実技訓練や隣接する愛媛県立中央病院のカンファレンスに参加させるなどの研修を実施している。北岡は現在、研修生の実技訓練も任されているのだ。

しかし、研修生として派遣されるのは基本的には救急隊員だが、レベルはいろいろ。新人もいれば隊長クラスのベテランもやってくる。研修は1日間だから理解に時間のかかることは教えられないが、来たからには何かしらを持って帰ってほしい。そこで北岡は、キャリアも立場も違う職員ごとのメニュー製作に、目下奮闘する毎日だ。

「たとえば新人なら胸骨圧迫、隊長職の職員だったら想定を付与してどう動くかを訓練するなど、毎日メニューを考えるのは難しいがやりがいがある。逆に、自分が教えられることも多々あり、自分にとっても刺激になっている」

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交通事故を想定した訓練。北岡は後ろに控え、隊員たちの動きをつぶさに見守る。
未熟な自分をいさめる

救急隊員を育成するという立場にいる北岡だが、自分自身もまだまだ勉強中の身だという。北岡はJPTEC(Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care:病院前救護にかかわる人々が習得すべき知識と体得すべき技能が盛り込まれた活動指針)やMCLS(Mass Casualty Life Support:多数傷病者への医療対応標準化トレーニングコース)のインストラクター資格を持っているにもかかわらず、今でも非番日などを利用してISLS(Immediate Stroke Life Support:神経救急蘇生)等を積極的に受講する。新たな知識や事例を吸収することで自分を刺激し、経験則にとらわれないようにする。

「腹腔内出血や骨盤骨折、くも膜下出血など、自分の至らなさのせいで見抜けなかった事案がいくつもある。結果は同じかもしれないが、見抜いたうえで搬送するのと認識していないのでは活動の質がまったく異なる。認識していればもっと違う活動ができたと思えて仕方ない。苦い思いをした事案はいつまでも覚えており、自身をいさめるためにも外部講習を受け続け、積極的に部下と情報共有している」

また救急の世界はマニュアル改訂のスピードが速いため、常にアンテナを敏感に張るようにも心がけている。

「平成27年に指導救命士を受講して、全国の救急隊員とのネットワークができた。人との繋がりから情報を得ることも多い。志の高い全国の仲間の存在はとても心強い」

救急に生きるインタビュー02
取材当日は、愛媛県立中央病院のフライトナース志望者が訓練の見学にきていた。医師や看護師との連携も積極的に行っている。
進化し続けるワークステーション

日々の救急活動に加えて部下の教育や研修生の訓練など、北岡の毎日は多忙を極めるが、現在は集団災害への対応にも力を入れており、各地の集団救急事案を松山市や近隣消防本部で起こったと想定し、トリアージ訓練や図上訓練を行っている。

現在の研修制度でワークステーションに派遣されてくるのは主に救急隊員だが、今後は通信指令員も派遣される予定だという。運用を開始してまだ1年足らずの救急ワークステーションは日々進化し続けているのだ。通信指令員が派遣されれば、北岡は胸骨圧迫の的確な指導など、口頭指導に必要なことをしっかり教えたいと考えている。

部下たちに北岡の印象を聞いてみると、皆が口をそろえて「普段はひょうきんだが、アツい救急魂を持った人。目指したい目標だ」と語る。“考える男”北岡和高は、松山消防救急隊を少しでもレベルアップさせる! という熱い思いを内に秘め、今日も活動にまい進している。

救急に生きるインタビュー02
北岡隊長はこんな人!
北岡和高

北岡和高きたおかかずたか

1973年(昭和48年)、愛媛県松山市生まれ。1991年(平成3年)に消防吏員を拝命し、平成5年10月に救急隊へ配属。2年ほど他業務を経験し、平成8年以降は救急隊員として救急畑を邁進。平成27年10月1日に運用を開始した救急ワークステーションの初代救急隊長を務める。

救急隊員は一人一人、「人の命を救いたい」という熱い思いを胸に秘めて生きている。その思いをベースに、どんな考えを持ち、どんなことに情熱を注いでいるか。3人の救急隊員に聞いた。
写真◎中井俊治 Jレスキュー2016年11月号掲載記事 ※役職、肩書は取材当時のもの

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