通りすがりの○△□240921・強い風が吹いた。 8
意味があるから写真を撮るのではなく、意味はないけど写真を撮るのです。
意味なんて後でいくらでも見つけて作り出せばいいのですから。
人間には意味がなければ何もやる気がしない、起こらないという
「意味必要病」みたいなものがあります。
それから回復するには写真はピッタリの良薬です。
写真を撮る意味が見つかるまで待つことはありません。
時間と体力と費用があれば写真を撮りに出かけられます。
写真を撮ることにはスランプはありません。
すでに世界は、見えない写真で出来ています。
被写体に事欠かないのです。
そして現場ではあまりゴチャゴチャ考えずに、
たくさん撮って、見える写真にすればいいのです。
撮りたいものがないからシャッターを押せないのではなく、
シャッターを押す気になればいいだけです。
見たものを撮ればいいと思っていると写真になるものを見逃します。
自分が好きで見たものを撮ればいいと思っていると
見ていて「いいなあ」と思ったものしか撮れなくなります。
「自分に関係あるもの」「私に関係のあるもの」しか撮れなくなります。
家族、親しい人たち、飲食した料理、お気に入りのもの・・・。
身近な人たちにしか見せないのならそれでいいのですが。
受け身の流れの中でジンワリ目に入ってきた見たものを撮るのではなく
自分から意識的にキョロキョロ流れを起こして
目に入ってきた見たものを撮るのです。
「下手ですが」と言い訳気味に前置きしたり
「下手だけど、いい」とブランド化したりしないで
ともかくたくさん撮ることを意識したいです。
見えてくるまで待つのではなく、見ようとしたほうがいいのです。
カメラが壊れていたり操作をミスったりしなければ写真は写るのですから。
写真なんて誰でも写せるのですから。
ただ、その写真が評価されるかどうかは別なんですね。
それでも、評価されることばかり考えていては写真は撮れないですから
ともかく、ひたすらシャッターを押し続けるだけです。
シャッターを押すのはタダですから。
「無意味」なものに価値を見出そうとしない世の中で
「無意味」なものに夢中になれるという至高の時間があります。
それを味わわせてくれるのが、必要経費を最小限にできて
なんと、ほとんどタダなのが写真を撮るという時間なのです。
カメラを持って近くを散歩するだけでもいいのですから。
「いい人」になるためではなく「ただの人」になるための、
そんな時間が写真を撮るという時間ではないでしょうか。
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- Genre:写真
- Thread:ひとりごとのようなもの