通りすがりの○△□2024・公園だもの、6月だもの 9
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「考える」というのは動詞なんですね。
だから疲れるのです。
見えるものの動きは分かるのですが
ジッとしていても頭の中は大忙しなのです。
写真について「考える」も
じつは写真を撮るのと同じくらいエネルギーが要ります。
写真について「考える」と写真を「撮る」は
本質的には同じなのだと思います。
写真について考えていることが写真に反映されます。
写真を撮る時に考えていては遅いのです。
かと言って予めイメージを完成させておくというのも
違うと思います。
イメージを予め完成させておくというのと
写真について考えているというのは、別のことではないでしょうか。
イメージは過去の安定したデータからやってきますが
考えることは想定外の未来に向かうことだと思います。
古いイメージでは新しさを装うことしかできないと思います。
未来はいつだって想定外ではないでしょうか。
想定外の未来を撮れることがあるから写真は面白いのです。
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