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2024.07.30
特集
日本遺産巡り#38◆飛騨匠の技・こころ
-木とともに、今に引き継ぐ1300年-
飛騨高山に匠の技が生まれ、
今に伝わる“わけ”を訪ねて
全国唯一の税制「飛騨工制度」とは
まち博学芸員:757 年の法律・養老律令に、「斐陀(飛騨)国条」という条文が定められました。飛騨の国は、当時の税である租庸調のうち庸と調を免除する代わりに、1 里につき 10 人の匠を都に送ることが求められました。これが「飛騨工制度」です。匠たちは 1 年間の任期中、寺社や宮殿の建築に従事しました。匠たちの食糧 1 年分も飛騨から持ち込んだため、都までの日程は約 14 日間、帰りは 7 日間ほどを要したようです。匠たちは労役を提供するだけでなく、都における寺社建築の様式や技術を持ち帰り、飛騨での建築物に活かしました。
1 枚の肖像画の前で、学芸員さんの足が止まります。
まち博学芸員:鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した藤原宗安(ふじわらのむねやす)です。大工として初めて、飛騨権守の官位を得た人で、江戸時代の大工から崇拝された人物です。飛騨国分寺には宗安の木像が安置されています。
藤原宗安を筆頭に、飛騨匠の名声は次第に全国へと知れわたっていきました。今昔物語を基に編まれた「飛騨匠物語」は、人気絵師の葛飾北斎が挿し絵を描いています。また、匠たちの中には都に残って活躍を続けた人もいたようで、奈良県にある地名「飛騨町」などに、その名残があります。
この他にも、匠の技がふんだんに盛り込まれた高山城の復元模型など、まちの博物館にはさまざまな展示があり、飛騨高山の歴史を知るのに最適な施設となっています。
【飛騨高山まちの博物館】
所在地 | 岐阜県高山市上一之町 75 |
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アクセス | JR 高山駅から徒歩約 20 分 |
休館日 | 無休(臨時休館あり) |
都で学んだ建築様式を飛騨で再現?
背景右に見える巨木は樹齢 1200 年の天然記念物、飛騨国分寺大イチョウです。
本堂の建物で最もお気に入りの部分はどこですか、とお尋ねすると、「もちろん、柱ですよ」と即答くださいました。
北原住職の説明を伺いながら、本堂に安置された数多くの文化財を拝見します。ご本尊の木造薬師如来坐像は国指定の重要文化財。約 1000 年の歴史を持つヒノキの一木造りの仏様です。
北原さん:木鶴大明神は室町時代の飛騨の匠で、自分で彫った鶴に乗って大陸に渡ったと伝えられる、飛騨の大工さんの祖先のような存在ですね。
所在地 | 岐阜県高山市総和町 1-83 |
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アクセス | JR 高山駅から徒歩約 5 分 |
定休日 | 不定休(12 月 31 日・1 月 1 日) |
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礎石の配置から、南側正面 1間分が吹きはなし(壁や戸のない柱間)となっており、奈良の唐招提寺金堂と同じ様式であることがわかりました。
奈良の都で寺院建築に携わった飛騨の匠が当時の最新様式を学んで帰り、この地で再現したのかも? 想像が膨らみます。
所在地 | 岐阜県高山市岡本町 2-128 |
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アクセス | JR 高山駅から徒歩約 11 分 |
明治の匠が技のすべてを注いだ住宅
まち博学芸員:高山の町家は、江戸時代のものも一部残っていますが、大部分は明治 8 年の大火の後に建てられたものです。江戸時代の町家は、幕府の倹約令の下で質素な建物が主流だったと思われますが、規制が撤廃された明治の住宅には、手の込んだ細工などが織り込まれるようになりました。
高山市の古い町並エリアを散策してみましょう。市街中心部を流れる宮川の東側に、旧高山城下町・伝統的建造物群保存地区が南北に連なります。飲食店や工芸品を扱うお店が並び、観光客でいつもにぎわっています。左右を見渡しながら歩けば、まさに匠の技でできているまちだと実感できるはずです。
旧高山城下町の北部、下二之町大新町伝統的建造物群保存地区にある日下部民藝館を訪れました。
日下部民藝館(日下部家住宅)外観。日下部家住宅は国の重要文化財に指定されています。
所在地 | 岐阜県高山市大新町1-52 |
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アクセス | JR高山駅から徒歩約16分 |
休館日 | 毎週火曜日を休館(祝日の場合は翌日) |
工芸品として残っていく匠の技もある
飛騨高山を代表する伝統工芸には「飛騨春慶(しゅんけい)」と「一位一刀彫(いちいいっとうぼり)」があり、いずれも国の伝統的工芸品に指定されています。飛騨春慶とは、赤みのかかった透明な漆を使った工芸品。木地の木目が透けて見えるため、材料の選定から木加工、塗り仕上げまですべての工程で、高い技術が求められます。また、一位一刀彫は、イチイの木を材料に用い、彩色を施さずに仕上げる彫刻作品です。
おや? 手元にはたくさんの彫刻刀が並んでいます。吉野さん、「一刀」ではないのですか?
叩きノミ、平ノミ、丸ノミ、曲がりノミなど、さまざまな彫刻刀を使い分けます。
吉野さんの作品。一位一刀彫のルールさえ守れば、何を彫るか、どんな大きさにするかなどは、職人さんの自由だそうです。
イチイの丸太は、中心部は赤みが強く(赤太)、周縁部は白い(白太)という特徴があり、例えば「おしどり夫婦」なら、頭に少し白太が入るように計算して彫ります。また、お面を彫る場合は、木目の中心が顔の中心に来るように心がけます。彩色をしない彫刻ですので、木目が作品の命です。
この仕事のやりがいとはどのようなことでしょうか。伺ってみました。
吉野さん:やはり、自分が考えて作ったものを気に入ってくださるお客様の存在ですね。一位一刀彫はほぼ全工程が手仕事ですので、お値段も相応の額になります。それでもご購入くださり、飾って楽しんでくれる人がいる。それがこの仕事のよろこびです。それから、これは父が常々言っていたことですが、「自分がこの世から消えても作品は残る。生きた証がこの先、何百年も残るのだ」と。それは伝統工芸の仕事ならではのよさだと、私も思います。
所在地 | 岐阜県高山市上一之町35-1 |
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アクセス | JR高山駅から徒歩約15分 |
休館日 | 無休(臨時休館あり) |
“組”の人々が屋台にかける熱い思い
高山祭とは、春の山王祭(毎年4月14・15日開催)と秋の八幡祭(毎年10月9・10日開催)の総称で、お祭りを行う神社も登場する屋台も、春と秋では異なります。
櫻山八幡宮境内にある高山祭屋台会館には、秋の高山祭「八幡祭」で活躍する11台の屋台のうち4台を、交代で展示しています。高山祭の屋台の実物をいつでも見られるのはここだけだということです。
この日は、鳳凰台(ほうおうたい)・布袋台(ほていたい)・金鳳台(きんぽうたい)・鳩峯車(きゅうほうしゃ)の4屋台と、重さ2.5トンの大みこしも展示されていました。学芸員の瀬木登美子さんと一緒に、鳳凰台を見学します。
間近で見る屋台の美しさと迫力もさることながら、瀬木さんの“屋台愛”に気おされそうです。
この修理で再発見される技術もあります。例えば、車輪。分解して計測すると、わずかに楕円形であることがわかりました。曳くときにこの形が功を奏し、屋台がゆらゆらと揺れることで、例えば見送り幕に描かれた竜が天に昇るように見えるんです。解体修理は、過去の匠たちが屋台に注ぎ込んだ技を、現代の匠へと受け継いでいく機会になるんです。
11台の屋台は「屋台組」とよばれる地域の人々によって管理や修理が行われます。各組の人々が自分たちの屋台にかける思いは並々ならぬものがあるようです。
高山祭屋台会館学芸員の瀬木登美子さん(左)と、今回の日本遺産を巡る旅をコーディネートしてくださった高山市教育委員会の大谷眞帆さん。
解体修理の後には他の組の人も集まって出来栄えを称えるのですが、解散後には「ウチの屋台が一番だな!」なんて言っています。修理も職人さんに丸投げしたりせず、細かくチェックしてダメ出ししたり。組の人たちは本当に仲がいいです。屋台がつなぐ絆は強いですね。
所在地 | 岐阜県高山市桜町178 |
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アクセス | JR高山駅から徒歩約21分、車で約6分 |
休館日 | 無休 |
江戸時代の匠と屋台組の人たち、
彼らの思いに全力で応える
元田木山 一刀彫工房を主宰する元田木山(げんだぼくざん)さん
元田木山 一刀彫工房を主宰する元田木山(げんだぼくざん)さんは、一位一刀彫の伝統工芸士であり、祭・屋台修理技術者であり、さらには伝統工芸とは趣の異なる彫刻作品で日展や日彫展への出品・受賞経験も豊富なアーティストでもあります。工房をお訪ねしたときには、春の高山祭12台の一つ、恵比須台を彩る彫刻の清掃・修理の作業中でした。
元田さん:組の人が「ピカピカにはしないでくれ」と言うんですね。飛龍の金に限らず、長い時を経て褪せてきた、今の色がいいんだと。ぶつかったりして剥がれ落ちてしまった箇所には新しく色を足しますが、褪せた色に合わせるのは至難の業。どこまできれいにするのか、どのあたりで抑えるのか、悩みながらの作業ですね。
きれいにするだけでなく、破損した箇所を補修することも元田さんの仕事。彫師の腕の見せ所です。
「木山」は、技術者・芸術家としての名。本名は元田勝さんです。二十歳の頃にお父様に師事し、52年目を迎えます。
所在地 | 岐阜県高山市大新町2-149 |
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多彩な樹種の森林資源に恵まれた環境で、木の性質を見分けて使い分ける技術が発達したこと。中央からその技術が認められ、早い段階で全国に知られる「飛騨匠ブランド」が育ったこと。それらはもちろん大きな要素に違いありません。
ですが最も大きな要因は、地域文化を愛し、大切に残そう、次代に伝えようと考える、飛騨高山の人々の、並々ならぬ思いだったのではないでしょうか。
【本稿で紹介した構成文化財】 | 飛騨国分寺 国分尼寺金堂跡 日下部家住宅 一位一刀彫 高山祭屋台 |
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