夫の、特殊なこだわり(物を整列させたがる)については、前に書いたことがあるので、
読んでくださった方もおいでかもしれない。
しかし、その独自の几帳面さとは裏腹に、夫は、元来、えらく無頓着な人間であり、
それはおもに、言語面に著しい。
つまり、全発言のうち70~80%は、適当にしゃべっていると思われる。
たとえば――。
私たちがときどき利用する近所のカフェは、営業日が変則的だ。
しかも、やたら休みの日が多い。
「今日は、やってるかな?」
ひとりごとを言ったら、耳さとく聞きつけた夫が得意げに教えてくれた。
「カフェの壁に、やってるって書いてあったよ」
いやいや、さすがに、壁に書いてあったら落書きレベルでしょ。
【カフェのドアに、<open>の札が下げてあったよ】
と、夫は、そう言っているつもりなのだ。
こういうこともあった。
お盆の迎え火をたいたあと、水を撒いて後始末をしている私と娘を尻目に、
「じゃあ、お父さんは、先に家の中で、迎え火を焚いてるからね」
自分ちを火事にするつもりか。
ここは、【先に家の中に入って、お線香をあげているから】
と言うべきである。
「ゆうべのタベー、食べれるかな?」
と、問う夫の指は、カレーの鍋をさしている。
もちろん、
【ゆうべのカレー、食べられるかな?】が、正しい。
このように、夫にかかると、
カウチポテトは河内(かわち)ポテトになり、ポテトチップスはチップチョップスになり、
八百屋は野菜屋になり、KYは、YKKになる。
長年、適当にものを言われ続けていると、自然に脳内補完が行われて、夫が何を言わんとしているか、
すぐにわかるようになってしまった。
そのため、私と娘は、呆れたり面白がったりしながら、不都合を感じることもなく過ごしている。
だが、過去にさかのぼれば、不都合ありまくりの出来事もあった。
二十年近く前、私はパニック・ディスオーダー(パニック障害)を患っていた。
最近ではかなりポピュラーになった感のある病気だが、当時は、このカタカナの病名自体、
耳慣れないものだった。
幸い名医に出会えたおかげで、発作もほとんど出なくなり、いわゆる寛解状態になったころ、
義母の三回忌があった。
親戚、知人一同、車に分乗してお寺に向かうことになったが、パニック持ちのせいで
車が苦手になっていた私は、ひとりだけ電車で移動することにした。
無事に法要を済ませてから、会食の席にうつったのだが、みんなの私への態度が、
いつもと違う。いわば、腫物に触るようなのだ。
(体調を気遣ってくれてるんだな)と胸の内で感謝しつつも、常日頃、虚弱な嫁のイメージを
与えているので、名誉挽回のために、ここぞとばかり元気そうにふるまった。
しかし、テンションを上げれば上げるほど、座が白ける。
ことに、歳のいった伯母たちは、いつもの饒舌が嘘のように、終始うつむき加減で、
気もそぞろな様子だった。
そんなこんなで、家に帰ったらどっと疲れが出てしまった。
のろのろと喪服からスエットに着替え、お茶で一息入れてから夫に問うた。
「おばさんたち、ばかに気を遣ってなかった?私の病気のせいかな?」
夫、答えていわく、「大丈夫、行きの車の中でちゃんと説明しといたから」
「……ふーん?まぁ、それなら良かったけど」
「『ジャレさん、何の病気なの?』って聞かれたから、
『パニック・デストロイヤーです』って教えたら、みんな、すごくびっくりしてたよ」
はぁ??
そりゃ、びっくりするだろうよ!
みんなは、私に気を遣っていたのではなく、嫁がいきなり暴れ出しやしないかと、
気が気ではなかったのだ。
さすがにこの時ばかりは、夫に四の字固めをかけてやりたくなった。
夫の適当発言は、一向に治まる気配がない。
今朝も、バッグに図書館の本をパンパンに詰め込んで帰ってきた夫から、
例の不定期営業のカフェについて、報告があった。
「壁のカペは、休みでした」
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by mofu903
| 2015-03-22 12:34
| 家族