もの言う猫
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夫語録_b0209810_12311271.jpg



夫の、特殊なこだわり(物を整列させたがる)については、前に書いたことがあるので、

読んでくださった方もおいでかもしれない。

しかし、その独自の几帳面さとは裏腹に、夫は、元来、えらく無頓着な人間であり、

それはおもに、言語面に著しい。

つまり、全発言のうち70~80%は、適当にしゃべっていると思われる。


たとえば――。

私たちがときどき利用する近所のカフェは、営業日が変則的だ。

しかも、やたら休みの日が多い。

「今日は、やってるかな?」

ひとりごとを言ったら、耳さとく聞きつけた夫が得意げに教えてくれた。

「カフェの壁に、やってるって書いてあったよ」


いやいや、さすがに、壁に書いてあったら落書きレベルでしょ。

【カフェのドアに、<open>の札が下げてあったよ】

と、夫は、そう言っているつもりなのだ。



こういうこともあった。

お盆の迎え火をたいたあと、水を撒いて後始末をしている私と娘を尻目に、

「じゃあ、お父さんは、先に家の中で、迎え火を焚いてるからね」


自分ちを火事にするつもりか。

ここは、【先に家の中に入って、お線香をあげているから】

と言うべきである。


「ゆうべのタベー、食べれるかな?」


と、問う夫の指は、カレーの鍋をさしている。

もちろん、

【ゆうべのカレー、食べられるかな?】が、正しい。



このように、夫にかかると、

カウチポテトは河内(かわち)ポテトになり、ポテトチップスはチップチョップスになり、

八百屋は野菜屋になり、KYは、YKKになる。


長年、適当にものを言われ続けていると、自然に脳内補完が行われて、夫が何を言わんとしているか、

すぐにわかるようになってしまった。

そのため、私と娘は、呆れたり面白がったりしながら、不都合を感じることもなく過ごしている。





だが、過去にさかのぼれば、不都合ありまくりの出来事もあった。

二十年近く前、私はパニック・ディスオーダー(パニック障害)を患っていた。

最近ではかなりポピュラーになった感のある病気だが、当時は、このカタカナの病名自体、

耳慣れないものだった。

幸い名医に出会えたおかげで、発作もほとんど出なくなり、いわゆる寛解状態になったころ、

義母の三回忌があった。


親戚、知人一同、車に分乗してお寺に向かうことになったが、パニック持ちのせいで

車が苦手になっていた私は、ひとりだけ電車で移動することにした。

無事に法要を済ませてから、会食の席にうつったのだが、みんなの私への態度が、

いつもと違う。いわば、腫物に触るようなのだ。

(体調を気遣ってくれてるんだな)と胸の内で感謝しつつも、常日頃、虚弱な嫁のイメージを

与えているので、名誉挽回のために、ここぞとばかり元気そうにふるまった。

しかし、テンションを上げれば上げるほど、座が白ける。

ことに、歳のいった伯母たちは、いつもの饒舌が嘘のように、終始うつむき加減で、

気もそぞろな様子だった。


そんなこんなで、家に帰ったらどっと疲れが出てしまった。

のろのろと喪服からスエットに着替え、お茶で一息入れてから夫に問うた。

「おばさんたち、ばかに気を遣ってなかった?私の病気のせいかな?」

夫、答えていわく、「大丈夫、行きの車の中でちゃんと説明しといたから」

「……ふーん?まぁ、それなら良かったけど」


「『ジャレさん、何の病気なの?』って聞かれたから、

パニック・デストロイヤーです』って教えたら、みんな、すごくびっくりしてたよ」



はぁ??

そりゃ、びっくりするだろうよ!

みんなは、私に気を遣っていたのではなく、嫁がいきなり暴れ出しやしないかと、

気が気ではなかったのだ。

さすがにこの時ばかりは、夫に四の字固めをかけてやりたくなった。




夫の適当発言は、一向に治まる気配がない。


今朝も、バッグに図書館の本をパンパンに詰め込んで帰ってきた夫から、

例の不定期営業のカフェについて、報告があった。

「壁のカペは、休みでした」


夫語録_b0209810_12491263.jpg


# by mofu903 | 2015-03-22 12:34 | 家族
今年は、目から_b0209810_12425817.jpg



10年ほど前に花粉症デビューしてからこのかた、もっぱら鼻にダメージを受けていたが、

今年は、鼻を上回る目の不快に悩まされている。



「かゆくて、かゆくて、たまらない。目玉を取り出して洗いたいくらいよ!」

と、以前、キレ気味に言った友人がいた。


それを聞いたときは、ゲゲゲの鬼太郎の父さん(目玉のおやじ)が、

茶碗の風呂の中で手拭いを使っている図が思い起こされて、

可笑しかった。


が、今こそ、この友人の気持ちが手に取るようにわかる。





もともと私は、目薬全般でくしゃみが止まらなくなる体質であり、

くしゃみをすると、ひどく不機嫌になる性質なので、

あれこれ考えた末に、洗眼薬を使ってみることにした。


添付の小さいキャップに洗眼液を入れ、目元にぴったりあてがってから、上を向き、

瞬きして目の中を洗う。

このキャップの縁は、逆さにした時に液が零れないよう、目の窪みに沿って絶妙なカーブを描いている。


こんなところにも、研究開発スタッフの苦心の跡がしのばれる。


期待に胸を膨らませつつ、早速、使ってみた。





説明書通りに、洗眼液の中で何度か瞬きしたあと、明るいところで使用後の液体を見ると、

細かい黒い点々がフヨフヨと浮いているではないか。


これには、感動した。


今日は風が強かったから、花粉を含んだ砂塵に違いない。


こんなに入ってたら、そりゃムズムズもするわぁ。


それにしても、取れるもんだわぁ。



一人で感動しているのはもったいないので、娘にも見せた。


キャップの中の液体を覗き込んだ娘いわく、「これ、マスカラ」


は?? 確かに……そう言われれば……。


説明書に、『アイメイクを落としてからご使用ください』と書いてあったような。





念入りにクレンジングしてから、ふたたび実行。


説明書には、『ゆっくり瞬きをしてください』とあったが、それでは、生ぬるいような気がする。


高速で目をパチパチさせつつ、

(真上を見てー、次は下、はい、今度は目頭寄り~、はい、目尻寄り~)

という具合に、目玉をぐりぐり回すことにした。


『洗う』からには、目の中は、洗濯機の洗濯漕のようであってしかるべきだ。


さらに、液をまんべんなくいきわたらせるために、両眼は水平に保つべきだろう。


目薬をさそうとして勢いよく天井を仰ぎ、首筋を違えたことがあるので、そこは用心しないとならない。



目玉をぐりぐりしながら、ちょっとずつあごの角度を上げていき、顔面を天井と平行に――


が、リクライニング式のフロアチェアーに、足を延ばして座っていたのは、まずかった。


めいっぱい頭をのけぞらせた時点でバランスが崩れ、椅子ごと後ろにバターン。


突然の出来事でパニックになり、日頃の運動不足も災いして、なかなか起き上がれない。


木から落ちたカブトムシさながら、あうあうと手足をばたつかせ、やっと元の体勢にもどれたが、

濡れた顔を拭いていたら、やり場のない怒りが、ふつふつと込み上げてきた。




怒りはやがて、脱力に変わった。


製薬会社には悪いけど、これ、たぶんもう買わない。




今年は、目から_b0209810_12552797.jpg


最近はまっているビスコッティ。すてきにガリガリしてます。
レシピの二倍量で作っても、一日でなくなります。
まぁ、ほとんど私が食べてるんだけど(._.)


レシピはこちらです♥
# by mofu903 | 2015-03-11 12:56 | 日常

春の隣で_b0209810_20405866.jpg


この冬、東京ではまとまった雪が降らなかったせいか、例年以上に寒さが厳しいとは感じなかった。

でも、これはあくまで能天気な人間(私)の主観であって、小鳥たちにとっては、

ことのほか辛い冬だったようだ。


寒中でも花を絶やさないビオラや、二月の声を聞くなり顔を出すクロッカスのつぼみが、

ついばまれて見る影もなくなってしまうのは毎年のことだが、今年は、ハボタン、

こぼれ種育ちのノースポール、地面に張り付くようにして寒さに耐えていたサクラソウまでが、

あらかた彼らの胃袋に収まってしまった。

意に染まない食事だろうに。

(生きるためだもの、贅沢言ってられないわ)という嘆きが聞こえるようだが、

花はもっとかわいそうなので、普段は傍観者の人間が、一肌脱ぐことにした。

朝夕に、パンくず、節分豆の残り、古くなったお米をテラスにまいてやるのだが

(この人間はケチなので、決して新しいお米はまかない)、それでも、来ては去る小鳥たちの食欲を

満たすには及ばず、植物の受難はあいかわらずだった。


ところが、ここ何日か、ビオラとクロッカスが無傷で咲いている。

くりくり坊主だった花壇のこぼれ種組も、息を吹き返したように、再び新芽を伸ばし始めた。

小鳥たちの餌場が復活したらしい。

彼らのテーブルが豊かになってきたということは、春がもうそこまできているという証でもある。




春の隣で_b0209810_20325473.jpg





昨日は、雪にならないのが不思議なくらい冷たい雨が終日降っていたが、今朝はうって変わって、

明るい日ざしが枯れ芝を蜜色に染めている。

小さな花壇では、やっと黒土を押し上げたばかりのチューリップの芽が、びっくりするほど伸びていた。

一晩で3センチ!

時季を得たものの勢いはすごい、あんなに冷たい雨でさえ、成長の力に変えてしまうのだから。





日ざしに誘われて散歩に出ると、外気がいつになく甘い香りを含んでいる。

道端の沈丁花にも、つぼみがいっぱいだ。

「春隣」という言葉がある。

俳句では春間近の時候をいい、本当は立春の直前あたりをさす季語らしいが、

私は、この言葉に、ちょうど今頃の季節を思う。


寄り道をしながら、つかず離れずついてくる小さな春の子どもが、ときどきすぐ隣にやってくる。

そして、湿った柔らかな指で、私のまぶたや、耳たぶや、鼻の頭をつっつく。

 「見て、見て!」

 「ほら、聞こえない?」

 「何の匂いか当ててごらん!」







あれは、一年生が終わるころだったかしら、

<あなたが発見したことを、毎日ノートに書きましょう> 確か、そんな宿題だった。


「今日は、マフラーをわすれたけど、さむくありませんでした」

「学校のかえりに、いろんなおうちのやねが、ぴかぴか光って見えました」

2Bの鉛筆を握りしめ、わくわくしながら発見ノートに書き込んだっけ。



春の隣にいたら、そのときの気持ちを鮮やかに思い出した。




春の隣で_b0209810_20425156.jpg

# by mofu903 | 2015-02-22 20:50 | 季節