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  • 「百科事典娘」(「ウィキ姉妹」)は、カスガがデザインした、3つのウィキメディアプロジェクトを表す3つの文字です。ウィキペディア(全言語版、特に日本語版と英語版はカスガの使用言語であるため)、ウィキクオートはウィキクオートたん、ウィキメディア・コモンズはコモンズたんです。…
    13キロバイト (353 語) - 2023年5月8日 (月) 13:28
  • ようこそ ウィキクォート日本語版へ ウィキクォートへようこそ。ウィキクォートは、共同作業による引用集プロジェクトです。あらゆる言語における著名な人物の発言、有名な作品などからの引用、諺などを集め、公開します。現在1,097項目の引用集があります。誰でも編集に参加できます。なお運営に関しては、姉妹プ…
    3キロバイト (108 語) - 2022年8月1日 (月) 04:40
  • ウィキペディアにも山の記事があります。 ウィクショナリーにも山の項目があります。 山についての引用句と諺。 あしひきの山のしづくに妹待つと われ立ち濡れぬ山のしづくに -- 大津皇子『萬葉集』巻二 たち別れいなばの山の峰におふるまつとし聞かばとく帰りこむ -- 在原行平…
    3キロバイト (464 語) - 2021年11月23日 (火) 06:51
  • ウィキペディアにも源氏物語の記事があります。 ウィキソースに源氏物語に関する記事群があります。 源氏物語は、紫式部作とされる11世紀初頭ころに成立した物語。 源氏を一の卷よりして、人も交らず、几帳のうちにうち臥して、ひき出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。 – 菅原孝標女『更級日記』…
    3キロバイト (534 語) - 2023年4月21日 (金) 10:34
  • ウィキペディアにも杜甫の記事があります。 盛唐の詩人。後世詩聖とあがめられる。 一首 一片花飛減却春 風飄萬點正愁人 且看欲盡花經眼 莫厭傷多酒入脣 江上小堂巣翡翠 苑邊高塚臥麒麟 細推物理須行樂 何用浮名絆此身 ニ首 朝囘日日典春衣 毎日江頭盡醉歸 酒債尋常行處有 人生七十古來稀 穿花蛺蝶深深見…
    2キロバイト (317 語) - 2024年9月14日 (土) 09:38
  • ウィキペディアにも自由の記事があります。 ウィクショナリーにも自由の項目があります。 自由(じゆう)に関する引用句、諺。 民主制国家の基礎は自由である。 -- アリストテレス 我々が戦うのは、栄光や名誉のためでも、富のためでもない。ただ自由のためなのだ。 -- アーブロース宣言…
    4キロバイト (513 語) - 2019年10月7日 (月) 07:17
  • ウィキペディアにも藤原家隆 (従二位)の記事があります。 ウィキペディアにも藤原家隆 (曖昧さ回避)の記事があります。 藤原家隆は、鎌倉時代の公卿、歌人。『新古今和歌集』の選者の1人。藤原俊成の養子の寂蓮の婿。 風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける 『新勅撰和歌集』。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。…
    852バイト (96 語) - 2023年11月4日 (土) 22:10
  • ウィキペディアにも親鸞の記事があります。 日本の仏教者。法然の弟子であり、浄土真宗の開祖に擬せられる。 『教行信証』は、経典や文献からの引用が大半を占めるが、親鸞自身の記述も随所に見られる。原文は漢文。 爾れ者(しかれば)、已に僧に非ず俗に非ず——化身土文類六末・後序…
    4キロバイト (679 語) - 2023年11月4日 (土) 20:34
  • ウィキペディアにも源重之の記事があります。 みなもとのしげゆき。日本の歌人。三十六歌仙のひとり。 葦の葉にかくれてすみし津の国のこやもあらはに冬は来にけり 『拾遺和歌集』「こや」には「小屋」と摂津国昆陽を掛ける。 風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふころかな 『詞花和歌集』収録。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。…
    785バイト (89 語) - 2024年1月27日 (土) 23:38
  • ウィキペディアにも文屋康秀の記事があります。 ふんやのやすひで。平安時代初期の歌人であり、六歌仙、三十六歌仙の一。文屋朝康は子。 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ 『古今和歌集』。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。 伝本によってはこれを文屋朝康に帰すものがある。…
    896バイト (102 語) - 2024年6月8日 (土) 10:23
  • ウィキペディアにも道元の記事があります。 日本の僧侶。曹洞宗の開祖。 佛道をならふといふは 自己をならふ也 自己をならふといふは 自己をわするるなり 自己をわするるといふは 萬法に證せらるるなり 萬法に證せらるるといふは 自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり - 一 現成公案 佛祖は大悟の邊際を跳出し…
    1キロバイト (249 語) - 2023年8月26日 (土) 07:34
  • ウィキペディアにも春道列樹の記事があります。 はるみちのつらき。平安時代の歌人。三十六歌仙の一。 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり   『古今和歌集』。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。…
    584バイト (50 語) - 2024年6月8日 (土) 02:39
  • ウィキペディアにも杉田久女の記事があります。 すぎた ひさじょ。鹿児島出身の俳人。『ホトトギス』同人であったが、後に除名された。 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ 足袋つぐやノラともならず教師妻 紫陽花に秋冷いたる信濃かな われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 谺して山ほととぎすほしいまゝ 風に落つ楊貴妃桜房のまゝ…
    930バイト (129 語) - 2024年6月7日 (金) 11:24
  • ウィキペディアにも明智光秀の記事があります。 あけちみつひで、戦国時代の武将。 ときは今 天が下しる五月哉 順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す -辞世の句 「仏のうそは方便という。武士のうそは武略という。土民百姓はかわゆきことなり。」 『老人雑話』より。…
    878バイト (98 語) - 2024年6月8日 (土) 02:47
  • ウィキペディアにも藤原朝忠の記事があります。 ふじわらのあさただ。日本の歌人。三十六歌仙のひとり。中納言朝忠とも呼ばれる。父は藤原定方。 逢ふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし   『拾遺和歌集』収録。詞書「天暦御時歌合に」。藤原定家の『小倉百人一首』にも収録。…
    1キロバイト (196 語) - 2023年10月21日 (土) 14:56
  • ウィキペディアにも藤原敦忠の記事があります。 ふじわらのあつただ。日本の歌人。三十六歌仙のひとり。権中納言敦忠とも呼ばれる。 あひ見ての後の心にくらぶれば昔は物も思はざりけり    『拾遺和歌集』収録。 藤原定家の『小倉百人一首』にも収録され、写本等では多く「昔は物を」とする。 物思ふとすぐる月日もしらぬまに今年はけふにはてぬとかきく…
    2キロバイト (265 語) - 2023年11月11日 (土) 22:39
  • ウィキペディアにも矢の記事があります。 ウィクショナリーにも矢の項目があります。 矢に関する引用・諺。 光陰矢のごとし -- 李益『遊子吟』 1本の矢は簡単に折れるが3本の矢は折れない -- 毛利元就 石に立つ矢 -- 日本の諺 刀折れ矢尽く -- 中国の成句 白羽の矢が立つ -- 日本の諺 敵を見て矢をはぐ…
    527バイト (85 語) - 2024年10月27日 (日) 10:31
  • ウィキペディアにも池田勇人の記事があります。 池田勇人(1899年-1965年)は日本の政治家。第58,59,60代内閣総理大臣。 私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。 1950年12月7日…
    2キロバイト (321 語) - 2023年6月25日 (日) 10:19
  • ウィキペディアにも柳生宗矩の記事があります。 日本の剣術家(新陰流剣術)、大名。 かたんと一筋におもふも病也 兵法つかはむと一筋におもふも病也 習ひのたけを出さんと一筋おもふも病 かからんと一筋におもふも病也 またんとばかりおもふも病也 病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也 何事も心のひとすじにとどまりたるを病とする也…
    948バイト (132 語) - 2024年5月19日 (日) 04:09
  • 矢ぐるまの花 -石川啄木 よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ -土方歳三 辞世の句 ウィキペディアにも北海道の記事があります。 ウィクショナリーにも北海道の項目があります。 ウィキソースに北海道に関する記事群があります。 ウィキメディア・コモンズに北海道に関するメディアがあります。…
    557バイト (90 語) - 2016年4月30日 (土) 10:05
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