弾丸・日帰りで富山に行ってきました。
東京→富山までは、新幹線で2時間10分。
2席並びの窓側に座り、到着まで寝ようと思っていたのですが、
ある理由で、私の席を他の人に譲って、3席並びの通路側へ移動しました。
移動した席では、ゆっくり出来なかったけど、由とします!
久し振りに下りた富山駅。 駅前にホテルが増えていました。
地元の電車に乗り替えます。サッカー『カターレ富山』の応援ラッピングです。
中は、お馴染みの赤い座席。
これを見ると『地元に帰ってきた~~~』と実感します。
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※ここからは明るい話題ではありません。苦手な方はスルーして下さい。
さて、久しぶりに帰ってきた理由は、母に面会するためです。
『母に会う』ではなく『面会』です。
以前にちょっと書きましたが、母は2~3年前に認知症を発症しました。
基本は自宅で暮らし、週に4回はデイサービスを利用。
家では、私の妹が面倒を見てくれていました。
妹はフルタイムで仕事をしていて、なんとか、それを維持できる状態でした。
(きっと、色々な苦労は有ったと思います・・・)
母の認知症がキッカケで、姉妹仲が崩れてしまいました。
これは、親の介護をされている家庭では、よく有る事かもしれませんが、
我が家の場合は、妹からの完全拒否のような感じ。
発症後、母に会いに行った時に、
妹から『何も言わないで欲しいし、しないで欲しい』と言われたので、
口出しは一切せず、母に会うのも我慢して静観していました。
叔母(母の妹)が母に会う度に、私にメールで様子を知らせてくれていました。
今年の9月半ば、妹から電話があり『母が入院した』と。
デイサービスの施設で倒れ、救急で病院に運ばれて、
脳に小さな血の塊があり、直ぐに内視鏡で手術をして成功したと。
意識はちゃんとあるし心配ないが、もう自宅では無理なので、
今の病院 → 次の病院 → その先は未定・・との連絡でした。
今回、2つ目の病院に入院中の母の面会に行ってきました。
その病院は、運よく実家のすぐ近くでした。
叔母と一緒に病棟へ行くと、たまたまナースステーションに居た母が、
私を見て『あ!』と言いました。
あぁ、娘を認識したんだと思って『お母さ~ん!』と駆け寄ると、
実は私が誰だか分かっていませんでした(-_-;)
『あ!』と言ったのは、誰かが居たからなんですね(笑)
脳の手術の影響だと思いますが、顔に左右差があり、風貌が変わっていました。
母の手を握って話し掛けると、よく喋るし&笑うけど、娘だと認識していません。
不思議だったのは、私はショックでも悲しくもありませんでした。
だって、母が凄く楽しそうだし、噛み合わない話に爆笑ばかりだったから。
一緒に行った叔母も『ほんの少し前まで分かったのに・・でも幸せそう』と。
人間の脳は不思議で、
人の顔が分からず、今と過去を行ったり来たりする母でも、
ベッドに書いてある自分の名前(漢字)が読めるし、私が書いた字も読めました。
本当は、面会時間15分というルールでしたが、
東京から来たと聞いた看護師さんが気を利かせてくれて、40分ほど過ごしました。
富山での滞在時間は4時間でしたが、母とずっと手を繋いで過ごして大満足です。
そして翌日、連絡があり・・・母は施設に移る事が決まりました。
リハビリに力を入れている施設らしいので、少しでも良くなるといいな。
また、会いに行きます。
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自分へのお土産は『鱒寿司』と『黒とろろ』
素直に美味しい。
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