第916話 ワタシノハジマリノバショ後編『私にはスタートだったのっ!』長瀬海岸煉瓦塊・浦賀ドッグ外壁ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『何かを好きになるにはキッカケ(理由)があるわけで』
『なんとなく好きに』だって『絶対小さな理由があるはず』
そう。私にとって『煉瓦』を好きになるキッカケは二つあった。
一つはお兄ちゃんたちに連れられて出向いた矢納水力発電所跡の蔦覆う素敵な煉瓦壁。
そしてもう一つはーーー
教授さん(駅員3さん)と共に出向いた浦賀ドッグなんだあ^^
そこの長い外壁の天辺に二人して肘をつき、煉瓦の刻印と言うものを博物館とかの展示物じゃなく
『自分たちの眼で探し出し』
そして『見つけた』のが、まるで宝探しのようで楽しくなっちゃってね。フフフ^^
そして煉瓦刻印探しの旅に日々至るって感じでしょうか☆
ーーーさて、
お兄ちゃんと夕実っちと共に三浦半島の煉瓦の検潮所を見たんだけれど、
私にとって『ハジマリノバショ』である浦賀ドッグはそれ程遠くないと、家を出る前から思ってたの。
だったらば再訪を!
だったらばもう一度あの時見つけた刻印を!
と、再会に胸躍らせたんだけどーーー
『まさかあんなになってしまっただなんて』
第916話、菅原琴音のハジマリ物語再訪スタートっす。
やって来ました寿司が如何にも食えそうなとこ!
イメージ的には『マグロ!』って感じですぅ^^
さて、海鮮系のお店はゴロゴロしてるんだけど、お兄ちゃんが連れてってくれたのはーーー
何だよう!ここまで来て回転寿司か!
どうせならお寿司屋さんとかー
市場とかで食べたかったのにい^^;
まあまあまあ。回転寿司=廉価バージョンの寿司と思うだろうが、そうじゃねーってのを教えちゃる^^
とりあえず入った入った^^
そう兄貴に言われて渋々入店する私たち。
するとーーー
うっは!めっちゃ混み!!!
だって超絶人気店だもんw
むしろお昼時だっつーのに少しの並びで入店出来たことを光栄に思えw
まずは生ビールですね^^
くはー!五臓六腑どころか昇天しちゃいそうにうめー!(*´д`*)
お前、さんざん飲んでただろうに・・・^^;
まずはこの店『海鮮』に来たならってことで お約束らしい『炙りカマトロ3貫握り』でいこうか。
うわあ・・・うわああ・・・すごく美味しい(*´д`*)(*´д`*)
これなんかどうだ?カワハギの肝付き。
マジやべー!(*´д`*)
美味しんぼでも出てた、相模湾の地鯖もいいぞ?
わきゃー☆と~ろ~け~そー(*´д`*)
マグロのわたなんてどうよ^^
マグロのもつ系っすか。美味しいけど人を選ぶかもっすね。
私は大好き(*´д`*)
大トロは許してくれ(財布的に)
しかしみんなに中トロを奢っちゃる!
最高です!抱いてくださいお兄様(*´д`*)
それは許さないから雌豚っ!
回転寿司と侮るなかれってやつっすかね^^
『ガチの回転寿司店ってのは別物』って思わされた感じだったっす。
さてそんな中でお兄ちゃんと夕実っちと私が
『ダントツで気に入った一品』 がありやした。
それはこちら↓
・・・この塩辛・・・
めっちゃ!うーまーいーぞおおおおおお!
自家製だな。こういうところこそ100円均一とかの廉価回転寿司とは断然違うよな^^
既製品とかじゃなく、職人さんがイカの肝にあて塩して水抜いて、余分な塩や臭みを洗ってから
裏ごしで肝をこして、新鮮なスルメをそこに和えて寝かした一品だと思うよ^^
サイドメニューの塩辛だけで人気のあるお店だって納得ですう^^
お土産で包んで欲しいくらいっす(*´д`*)
さあ~って、美味しいものもたらふく食べた私たち一行。
お兄ちゃんが見せたいと言う『もう一つの場所』へと向かうことに。
っつーことで再び京急線にライドオン!
『わいあーるぴーのび』って随分変わった駅名ですね^^;
車中、通過駅でへんてこな駅名を発見。
なあ~お兄ちゃん。YRP野比って何よ???
元々は横須賀市野比に造られた野比駅って名称だったが、
『横須賀リサーチパーク』って言う国際的な電波・通信技術などの研究施設や機関が出来たってことで、
その頭文字YRPを新たに駅名に付け加えたんだ(1998年改称)
英語が駅名に入るって何か馴染めないなあ。
ですね~。ただでさえ駅名改称って違和感しばらく感じちゃいますです。
確かにな。オレは利用している東武伊勢崎線がスカイツリーラインって呼称変更にも未だに違和感あるし、
スカイツリー駅よりも業平橋駅って名前残して欲しかった派閥だもんw
草加駅のお隣『松原団地駅』も最近『獨協大学前駅』に変わりましたよね?
うーん・・・未だになんかしっくりこないんだよねーw
(※長年親しんだ駅名でしたしね)
さてやって来たのは『京急久里浜駅』
私っち的には、初めて学芸員さんたちとの会合に参加した思い出の土地っす。
確かお前、高校の一室に展示されていた超貴重な横須賀や東京湾の海堡の煉瓦や煉瓦刻印、
しかも各博物館や資料館に展示前の資料を見せて頂いたんだよな?
しかもフツーの一般人なのにですうw
今思うと『超絶大後悔』してるっすよマジで(:_;)
当時の私は『なんとなく煉瓦が好き・・・かな?』とか、
『煉瓦の刻印? へ~そんなのもあるのね^^』と、
長テーブルの上や下に陳列された煉瓦ちゃんを眺める程度だったしね^^;(しかも時間持て余してたw)
もし『今の煉瓦好き状態でそこに飛び込んでたら?』
オシッコ漏らしながら写真パシャパシャ撮影して悶絶してたと思うっすマジで(*´д`*)
やめろ妹よ。表現が汚らしい^^;
まあそれだけもったいない出会いでもあり、興味がないとあるとでは世界観まったく別物だってことは分かったですう^^;
まさかお前が、あれから煉瓦刻印求めて日本中を飛び回るとはオレも思わなかったよ^^
でも言わせてくれ。
煉瓦刻印に出逢ったからこそ『見知らぬ土地に行き、素敵な発見をし、その歴史を知り、より深く日本ってものを知れた』んじゃないか?
色々な人との出会いなんかもありましたしね^^
それはつくづく実感してるっす。
だって、煉瓦やその刻印に興味持たなかったら・・・
あの人にもあの土地にもあの自然にも何にも出会うことがなかったってことっすもんね!
テレビでしか見たことない景色。
ネットの動画や写真でしか見たことない風景。
実際にそこに行き、目に焼き付けたものは画面の向こう側より思ってたものよりまるで別物ばかりの感動ばっかだったっすもん^^
まあ~形はどうあれ流れはどうであれ煉瓦に触れてから『普通の日常よりも世界観が広がった』のは間違い無いんだろうな^^
こっちは振り回されることばかりですが、それでも色んなところに行けたのは私も感謝ですう
さて、お兄ちゃんが言うにはこの久里浜を流れる平作川の河口付近に用事があるっちゅーことらしい。
さっそく向かうことにしたんすがーーー
途中にあるヨークマートでガソリン調達してきました兄上!
ご苦労だった。妹よ☆
(まだ飲むのかー)
そんでもって河口にやって来たけど西に進むの?東に行くの?
東へGO!
ブ・ラジャー!(了解)
そして歩くこと2分くらいでーーー
やべえ!浜辺に煉瓦ちゃんらしきもの発見であります!
そうだ。まさにそれが今日の第二目標である!
でも先輩。この海岸通りからそこに降りて行くのは少し厳しい感じですけど^^;
と言うことで、
少し手前の浜辺まで戻ってそこへと向かうことにしたっす♪
わきゃ? 砂浜だとばっかり思ってたですが、ちょっと沖は遠浅の岩礁が多いですう。
---そしてようやくーーー
うひょー!来ました煉瓦ちゃん(*´д`*)
海辺に煉瓦の瓦礫ですか。一体何があったんでしょうかね???
それは後でオレなりに考察してみる。
考察?
まあ~まずは琴音よ!思う存分、例の奴を探すが良いぞ^^
サー!イエッサー!(*´д`*)
と言うことでこの煉瓦塊が何なのかも知ることも無くいきなりステーキ刻印探しスタートですう^^;
おひょー、道路に近いところには3つの残骸。
そこから少し海に出た所にも1つありますですね。
オレ的にはこの向こう側にも沈んだ煉瓦がありそうな気がしてるが。
ここでようやく先輩が『ビーサン(ビーチサンダル)くらいは持ってきた方がいいよ^^』って言ってた意味が分かりました(写真はビーサンじゃありませんが)
ジャブジャブしながらも順繰りにチェックしていく私たち。
これ不思議な積み方っすね。
だな。よく気づいたなお前。楔のような三角の煉瓦が入ってるだろ?
私的には元々立ってたものが波に土台部をさらわれて横倒しになっちゃった気がするんすけど。
例えば海に突き出た何かしらの煉瓦構造物のアーチ煉瓦の入り口部分!
そうか?オレは~横倒しになってはいないような気がするぜ?
推測するならーーー
海に煉瓦の柱を建てる場合、四角い煉瓦を長方形や正方形に積み上げるよりも斜めの煉瓦を入れて、なるべく角面を小さくして波の抵抗から守る・・・とかじゃないかな?
確かに真四角よりもなるべく円形に近づけた六角とか八角形の柱の方が浸食に強そうですぅ^^
どちらにしてもだ、何らかの煉瓦の基礎部位だったんじゃないかとは思うんだ。
煉瓦の支柱(土台)なのか・・・はたまた煉瓦構造物の入り口部分なのか?
わきゃ? こっちは完全に煉瓦の平面が上を向いてる塊ですよ?
多分、そこに刻印があれば何かヒントになるかも?
来た来た来たあああ!!!
これって『〇にT』だし東京煉瓦㈱の刻印じゃん!
(※東京煉瓦株式會社工場。明治31年足立区江北鹿浜に創設。
荒川放水路計画により足立区宮城に移転。
だから前期・東京煉瓦㈱と後期・東京煉瓦㈱が存在)
お!こっちにもあんぞ!^^
摩耗してるけど東京煉瓦㈱っぽいな。
わきゃー!見てくださいですこれ!
完璧だな刻印の残り具合^^
その後、私たちは沖合の煉瓦塊を除いていくつか刻印を発見しましたです^^
御免!もう刻印腹いっぱいっすw
っつーか東京煉瓦㈱の煉瓦刻印ばっかりで飽きたw
先輩。さっきは刻印が見つかることで『ここにある煉瓦が何の構造物だったのかのヒントになるかも?』って言ってましたけど・・・
何のヒントになるんだよw
ヒントと言うか、実はある程度何なのかを知ってて少し君たちに刻印探しで遊んでもらっただけなんだよ^^;
もてあそばれてただけ?私たち^^;^^;
これは色々な資料本や教授、横須賀の先生方に聞いた感じだと恐らくーーー
この今いる久里浜の長瀬と言う海岸にあったらしい
『浦賀ドック建築用試作煉瓦を焼いた煉瓦窯の名残』
・・・かもだ。
かも?
(浦賀ドック!?)
先生方も確証を得ない研究途上の話なのでクエスチョンマークつけるけれども、
かつてこの久里浜の岬を隔ててお隣さんにある浦賀ドックの建造の際に試作(プロトタイプ)として久里浜に煉瓦窯を築いたそうなんだ。
!?
・・・っつーことは、その煉瓦窯に使用されたのが東京煉瓦㈱の煉瓦ってこと?
だな!
それを繋ぐ可能性として、浦賀ドックと言うのは様々な煉瓦が使用されているんだが、
愛知県の岡田煉瓦さんとかでしょ?
そう。その中には東京煉瓦㈱の煉瓦もあったそうだ。
浦賀ドック築港の案件の際、
『どの煉瓦を使用したら良いのか?』と模索したと思う。
『自前で焼いた方が安価じゃね?』ってことで久里浜に試作の煉瓦窯を造って焼いてはみたものの、
その出来は思うものではなく結局、
愛知からの輸入煉瓦や都市近郊の大手煉瓦工場の煉瓦製品に頼ることになっちゃったんだ。
東京煉瓦㈱さんには試作の窯建造でもお世話になっちゃったしー
引き続きよろしくお願いいたします(*´д`*)・・・ってなことじゃねーかな?w
なるほどね。まさか浦賀ドックと繋がりあっただなんて私的にびっくりっすマジで☆
でもでもでもですよー
こんな潮の満ち引きで海に沈んじゃう場所にわざわざ煉瓦窯つくったですか???
昔の地図を見ると、元々ここら辺は内陸だったんだ(と言っても沼地に近いもの。そして漁船が使う入江的な場所だった)
関東大震災でもう少し隆起したが、その後は浸食されて今に至るって感じかな^^
(昭和30年代頃の航空写真。少しだけカラー化処理)
うわーほんとだあ!
いくつもの古い航空写真からボクも煉瓦構造物が映ってないか探したが、解像度的に探し出せなかった^^;
とは言え、限りなく答えに近いものなんじゃないかと思うよ^^
(※ 調べ始めはこのすぐ近くが陸軍の駐屯地であり機雷学校もあったので、軍の煉瓦遺構じゃないかと思ってたが、資料本の記述などからこの結論に至った感じ)
答えが出てマジさいこー!
っつーことで~
祝杯いきやしょかw
ってな感じでここからは海に足を投げ出し皆で缶チューハイの祝杯をぐびぐび^^;
しばらく太平洋を眺めてまったりしましたですよ^^
(吟生生サラミは確かに美味しかったですう)
さて、再び砂浜経由で歩き出したところ、
こんな発見もありました!
砂浜に『大阪窯業の耐火煉瓦刻印ちゃん発見っす!』(*´д`*)
ちょ、ちょっと待て!
結構探すと東京煉瓦㈱の煉瓦が散乱してるなココ☆
特に気になるのはやっぱり『大阪窯業の耐火煉瓦がなぜここにあるのか?』だよな。
大阪窯業さんの煉瓦も試作煉瓦窯に使われたかも?
って、疑問が出てくるよね!
煉瓦窯で煉瓦を焼くには耐火度の高い煉瓦が必要・・・ですよね?
いい線いってると思うよ夕実ちゃん^^
もしかしたらば大阪窯業さんも、試作煉瓦の段階では浦賀ドックと何らかの繋がりがあったんだと思うね^^
さあ、お兄ちゃん。ここからはどうすんの?
もう特に予定は無いかな^^
結構、煉瓦史的には収穫のある旅だったと思うしな。
じゃあ・・・私のお願い聞いてもらっていいかな?
無茶なことじゃなきゃ別にかまわないぞ?
まだ昼の2時を過ぎたくらいだし。
じゃあ・・・
ここから隣にある『浦賀ドックに行きたい』んですけど!
と言うか本当に御免なさい。ここまで来たならどうしても見ておきたいとこがあるんす。
珍しいなどうした? お前がそこまで真面目に頼むなんて。ああ構わないよ。
ここからはトンネルを潜ればもうすぐそこが浦賀だしな^^
と言うことで久里浜駅に戻って帰宅するのではなく、少しお隣の浦賀へと向かうことになったとですう。
何時に無い琴音っちの真剣な眼差しに、そこに行かなければいけないと私も先輩も思ったのです。
トンネルを潜るともうそこは浦賀。
そしてそこには煉瓦の構造物が、早速お出迎えですう。
川間ドックか。初めて見たな。
世界で現存4つしか現存しない煉瓦ドックの一つっすね。私も初めて見たっす。
先輩曰く、浦賀ドックの分工場として設立された大型船の修理工場だそうですう(明治28年築港開始。明治31年開港。戦時の戦艦も修繕しましたよ^^)
残念ながら今現在は民間のマリーナ施設として使われているので会員や許諾を得ないと間近では見れないみたいです^^
さてそこからは浦賀湾の縁を辿って歩いていきましたよ^^
浦賀の渡し・・・懐かしいなあ(浦賀湾の東西を結ぶポンポン船。かつて教授さんと一緒に乗った)
琴音っちが逐一その景色に懐かしむ、この浦賀。
彼女にとってここがどんなに大切か思い出の場所なのか、
普段よりとても饒舌に喋べくる彼女を見ていて私と菅原先輩は気づきましたですよ。
そして、
彼女は浦賀ドックのある部分を向こうに見つけて、弾むように突然駆けだしたのです。
ねえねえ見てよ皆!
ここっす!
この浦賀ドッグの外周にある煉瓦壁が私のハジマリ物語なんだよお(*´д`*)
おおー!帯鉄補強はしてるけど立派な煉瓦壁だな!ココは。
しかもこれって・・・フランドル積み!?
ね!いいでしょ?
素敵な煉瓦壁でしょ!(*´д`*)
私はこの煉瓦壁のもうちょっと先の煉瓦壁に教授さんと一緒によじ登って『初めて煉瓦刻印を発見したんだよ!』
今思えばその刻印は『本当に刻印なのか不確かなもの』だったけれど、
それが宝探しみたいでとっても楽しくてハート掴まされたんだよう^^
いつもの理屈っぽくて、かつ何に対しても冷めてる感じの琴音っちなんて、そこにはどこにも無かった。
ただただ今は丸で小さい子供が母親に素敵なものを見つけちゃったんだよ!ってはしゃいでる感じだったのです^^
だけどーーー
あれっ!?
あれあれ!?
これは・・・
ううう・・・・
うわあああああああっーーーー!!
今どき煉瓦ちゃんになっちゃってるううう。
なんで?
え?
なんでなんで?
何でだよおおおおおおおおお。。。
もしかして・・・改修されちまった・・・のか?
私の思い出の刻印があ・・・
なんとまさかの改修の憂き目にあい、思い出の煉瓦も消えていた・・・のですう。
調べてみた感じじゃ・・・昨年くらいに改修されたみたいだな^^;
何でまた、よりによって思い出部分だけw(現・住友重機械工業㈱の施設)
色々事情があるんだろ。住友さんにもな^^;
琴音っちの落胆たるや・・・^^;
私にとって『ここが煉瓦刻印との関わりのスタート』だったからね・・・
まあ・・・今日はやけ酒に付き合ってやるぜ?
思い出の場所が無くなっちゃったんだもんね^^;
私もトコトン付き合いますですよ^^;
みんな・・・ありがどう・・・
と言うことで、帰ってから粛々と琴音っちの慰め大会がスタート。
死ぬほどお付き合いで朝までやけ酒を飲んだ次第ですw
(割とマジで。ボクにとって結構ショッキングな出来事だもんなあ~^^;)
さて次回はいよいよ『遅めの夏休みシリーズ』のハジマリですう^^
そこには『博物館とか資料館に預けなきゃ怒られちゃうんじゃねーの?』ってくらいの超貴重な大発見がありました。
その他にも遺構にグルメにてんこ盛り!
向かった舞台は『北海道の道東』
気になる方はぜひどうぞですう^^
ではではまた会う日までです☆
第915話 ワタシノハジマリノバショ前編『海を見続ける煉瓦』油壷検潮場(旧)ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『夕実ちゃん!海に行くぞ!!^^』
『わきゃあ!海ですか!?行く!行くです☆』
ーーーある夏も終わりかけの午後。
いつものように琴音っちのアパートでダラダラしていた私。
そこに菅原先輩がやってきて海に誘われちった(*´д`*)
だけど当然のごとく『私も行きたいっす!海(*´д`*)』と、余計な雌豚(琴音)まで乗ってきた(-_-;)チッ
『で、先輩。どこの海ですか?』
『今回の目的地は神奈川県の三浦半島の煉瓦だよ^^』
『むひょー!お兄ちゃん最高っす(*´д`*)』
えっとお・・・
・・・海の話じゃないの?
・・・海水浴じゃないの???
また煉瓦絡みですか^^;
この人たちはどうも普通の観光もレジャーもしてくんないし誘ってくれないよね^^;
『じゃあ・・・じゃあです。水着とか要らないんですね・・・(;´д`)トホホですう』と嘆いたら、
『個人的には見たいけどビーサン(ビーチサンダル)くらいかな~必要なのは^^』だってさ^^;
『目指すは油壷マリンパークのすぐ近く!明日朝一出発すんぞ!(*´д`*)』と先輩は指先を天井に掲げて行き先を宣言した。
油壷マリンパーク?
聞いたことあるようなないような?
---っと言うことでえ~
第915話、神奈川県は三浦半島編スタートですう~^^
さてニューデイズでお酒とおつまみを買い込んで到着したのは京急線の『三崎口駅』と言うところ。
神奈川県の三浦半島の終着駅っすね^^
でもここが終点って中途半端過ぎない???
ですよね。だってまだまだ三浦半島の途中ですよ?
先っちょの城ヶ島までまだまだ遠いですしー。
だよな。元々は油壷まで延伸するつもりだったらしいが・・
油壷ってここから西だし、半島の先へとは元々線路をつくる気は無かったみたいだね^^;
さて、いい具合に『油壷』ってワードが出てきたな。
実は今日はそこへと向かうわけなんだがーーー
そこに行けば『なぜ油壷へと延伸しなかったのか?』が少し分かると思うよ^^
っつーことで早速バスに乗ってレッツゴーだ(*´д`*)
かくして、私たちは京急バスに乗り込んで、その終点の油壷マリンパークを目指すことになったとですう^^
うっは!股に挟まないとチューハイこぼれちゃうよ!
路線バスで酒なんか飲むなよお前・・・
誰かに見られたら恥ずかしいですう。
だって私たち以外、誰も乗ってないじゃんかお(*´д`*)
琴音っちの傍若無人さ加減には呆れるばかり。
いや・・・確かに人いませんけどね?(マリンパーク大丈夫かしら・・・)
そんなこんなで15分くらいで油壷マリンパーク前に到着ですう☆
オープン30分前っつーのに、駐車場にも2台くらいしか止まってないっすね。
昔はこの手の水族館が無かったから大賑わいだったんだけど、今や江ノ島や八景島シーパラダイスと周りに出来ちゃったしな。
動植物水族館、企業もそうだけど長年活況を得るってのは大変なんだよ^^;
さて目的の場所はここじゃない。
ここから2~3分のとこだ^^
めっさ近いとこに煉瓦ちゃんある訳ね!
私的には水族館に行きたかったけれど、彼らはグングンと来た道を戻りだす・・・^^;
そーしてたどり着いたところはーーー
油壷検潮場入り口?
わきゃ? 国土地理院って書いてありますですよ。
地図とかそう言うの作ってるとこですよね^^
そうだね。一番思いつくのは地図とかかもね^^
国土地理院ってのは日本国内の基準となる測量を行う行政機関だ。
そして他にも役割がある。
地図だけじゃないんすかw
日本各地に計測・測量場などを設けて河川や海、山体の変化なども監視してるんだ。
つまりはコレ、『自然災害から国民を守るための機関』と思ってくれていいと思うよ^^
つーことはだ。検潮場って『海関係』っしょ?
そしてそこに煉瓦さんがいらっしゃるってことですね^^
まあ~それは実物見てからにしようぜ^^
んじゃ行こうか☆
森の中へと下るコンクリの階段を降りて行く私たち。
その切れ目から海が少し覗いてきました。
もうここからでも綺麗な海が想像できるくらい☆
ちょっと心躍りかけたところでーーー
ねえ夕実っち、その岩肌見てみそ(*´д`*)
え?どうしたの?って・・・
うぎゃあああああああああああああ!
私がフナ虫苦手なの知ってるくせに^^;
この際あんたも海育ちなんだから克服しようよ(*´д`*)
死んじゃえ雌豚ぁ!(無理なものは無理)
お遊びはそこまでにして・・・
死活問題ですう!
ほら御覧。見えてきたよ^^;
そう言われて正気を取り戻した私の眼下にはポツンと建物が。
ちょっと待てよお兄ちゃん!
煉瓦ちゃんじゃねーじゃねーかマジで(-_-メ)
まあまあ、押さえて押さえて^^
まずはこの建物には解説案内板があるから見てみようぜ。
油壷検潮場。海面の上がり下がりを記録する建物って書いてありますですね。
そうなんだ。この上がり下がりってのは『津波の潮位の計測』なんかにも重要な役割をもってる訳。
つ、津波・・・。そう言われるととっても凄い建物に見えてきました^^;
およ???
ちょっと待って!!!
このめっちゃ近代的なブツの後ろに煉瓦ちゃんいるじゃないのさあああああああああ!
早速イコウッス(*´д`*)
あちゃー。見つかったかw
ぶっちゃけもう見えてました☆
くうー!ちっこいけどなんかワクワクしてきた!
頭上注意って張り紙ありますけどお、入り口上部の石の装飾がグラグラしてるとかでしょうか?
夕実っち!上よりも目の前!目の前!!
え!?
ひえええ~っ!!??
もっと先に言ってくださいです!
しょうがないじゃん海なんだしw
こじんまりしてるが、立派な煉瓦だな。
あの・・・この説明版、さっきの新しい建物とまるっきし同じなんですけど^^;
確かにこの煉瓦造りの検潮場を説明するものって感じじゃないっすね。
そうだな。まあ~せっかくだしここらへんでこの建物の解説といくか^^
先ほど見てきた近代的な油壷検潮場は平成7年に建設されたコンクリの検潮場だ^^
そしてこの目の前の煉瓦造りの建物がその前身。
『旧油壷検潮場』ってわけ^^
明治27年(1895年)建造。
その間100年を超えるデータを取り続けてきた海の守り神と言っていいんだよ^^
そのデータの中には『関東大震災時の海の潮位の変化』も入っているんだ。
関東大震災・・・
私は正直言うと、小さな煉瓦造りの観測機くらいにしか思ってなかったのですが・・・
めちゃくちゃ見直してしまいましたですこの建物!
私なんて涙止まらねーし!
だって一個人を助ける煉瓦ちゃんには数多く出会ってるけれど、ここは100年もの間、万人の為にコツコツと頑張ってたんしょ?
もう感謝だし、愛さずにはいられないっす!マジで☆
そうなんだよ。ここは小さいけれど偉大な煉瓦建築って思ってほしいね^^
因みに検潮所って『どんな仕組み?』って人に図説を用意したぞ。
ちょっとどこのサイトの図説を拝借したのか忘れちゃったけどこんな感じだ。
そこ重要でしょうよ!(元サイト様。ごめんなさい^^;)
んじゃー!ここの歴史なんかも説明できたと言うことでえーーー
いつもの行ってみやしょうね(*´д`*)(*´д`*)
と言うことで恒例の『煉瓦刻印探し』です^^;
れっつすたーとお☆
積み方はツートンツーのイギリス積みですう^^
目地は何だろ?綺麗な海砂混じってそうだな。
先輩、この建物の下にある標石っぽいのは???
三角点標石だね^^ 経度・緯度・標高の基準点だよ。
さすが検潮所!
裏手に回るとここがどういう構造物かよくわかるっすね^^
堅牢な石積みを土台にして波からの浸食にも耐えうる造りにしてあるんだ^^
全部煉瓦じゃダメなんですか?
『防水』って考えると、流石に焼過煉瓦ちゃんや釉薬煉瓦ちゃんでも自然石には敵わないんすよ^^
じゃあ耐火煉瓦とかでも???
夕実ちゃん。実は耐火煉瓦は赤煉瓦よりも水には弱いんだよ。火には滅法強いんだけどねえ^^
この穴ぽこが気になるんですが・・・
それは何だろうなあ?
再び上に回って観察です。
海に面した下方を覗き込むと、何だか変な溝の付いた石柱がありましたです。
お兄ちゃん。あれって何さ?
ん~・・・わからんw
もしかしたら・・・昔の潮位測量の名残・・・とかじゃないかな?
海に面した側には小窓も。
なあ兄ちゃん。行政のブツだから特級とか一級とか高そうな煉瓦ばっかだと思ってたけど、随分と焼きムラのある煉瓦ちゃんも多い気がすんだけど
そうだなあ。風化でなったわけじゃない気泡のブツブツなんかもあるし
間近で見ると結構、歪な煉瓦も多いな。
これって全部、焼過煉瓦さんなのでしょうか?
殆どそうだと思うけど、釉薬煉瓦っぽいのもチラチラあるような気もするよね。
おおっと! そういや刻印探しすんのすっかり忘れてたなw
いいんじゃないでしょうか。構造を知るのもお勉強だと思いますし^^;
んじゃー!今度こそレッツファイティング(*´д`*)
この検潮場。四方ぐるりと軒先煉瓦が突出してるので、もしかしたら・・・の可能性大ですね^^
んー・・・無いっぽいいいいい( ;∀;)
もしかしたら・・・とは思ってたんだがな。許せ妹よ^^;
と言うことで残念ながら刻印ぽいものすら見つけられませんでしたですう^^;
とは言えーーー
この検潮場のある内湾って、とっても素敵な眺めですよね!
そうだよね夕実ちゃん^^ ここは油壷湾って言う三浦半島きってのリアス式海岸の静かな内湾なんだ☆
天然の良港であり、日本が近代化を迎えた頃にはヨットハーバーのメッカでもあったんだよ^^
まあそのおかげか別荘地とかヨットハーバー関係者などのある一定の人種が好む土地でもあり、普通の人が来ることも無く植生も守られ素敵な自然が残る土地柄でもあったわけだ。
あー、やっと分かって来たぜお兄ちゃん。
つまりはこういうことっしょ?
えっと・・・何の話???
簡単なことっすよ。京急が油壷まで線路を延伸しなかった。もしくは出来なかった理由って『景観破壊』を怖がった地元の人の反対にあったって感じじゃね?
まあぶっちゃけそんな感じだと思うよ^^
ああ・・・その話ね^^;
でも確かにここまで線路が通ってーーー
観光客がワンサカワンサカだったら・・・
この眼前の綺麗な景色は本当に今も綺麗だったか。
それが保たれていたか・・・と言われると、正直私も自信が無いように思えますです。
なんとなく分かるけど、なんでそこまで言い切れるの?夕実っち。
だって『ごみの漂流物も廃棄されたようなゴミもほとんど見かけなかった』じゃないですかあ。
確かに・・・
悲しいのは『人があまり来ないから自然美がある』ってとこでしょうかです。
モラルさえ良ければ、きっと自然と共有できると思っちゃったですよ。
確かにな。
でも悲しいかな、みんなが皆、善人じゃないしね^^;
まあ、とりあえずうちらだけでもポイ捨て厳禁ね!
因みに夕実ちゃん、なんでここが『油壷って言われてるか』教えてあげようか。
そう言えば気になってたですう^^
油とか何かこの綺麗な海辺には似つかわしくない感じですよね?
諸説あるんだが、
かつてここらを治めていた三浦一族が北条家に追いやられて家臣たちがこの湾に投身した様が油のように一面深紅の海に染まったからだとかーーー
いつもいつも油を流し込んだように凪った静かな水面だったからーーーとからしい。
えっと・・・血とか油のようなとか・・・
もっと昔の人は他に良いネーミングを付けられなかったんでしょうか^^;
案外、土地の名前なんてそんなもんよ(*´д`*)
とっても素敵なとこなのに・・・^^;
さて、ここで油壷検潮場を十分に堪能した私たち。
てっきりこのまま帰路に就くかと思いきやーーー
なんかすぐ近くにある廃桟橋っぽいのがめっちゃ気になるんすけどマジで!
・・・って仰る琴音っちの希望で、検潮所横の廃桟橋?へと行くことになったとですう・・・^^;
これって検潮所に関係あるのかな???
んん~・・・、オレ的には特に関連性なさそうに思えるが・・・、とにかく真横にあるのが謎だ。
せっかくだしー先っちょまで行ってみたい(*´д`*)
いや、鉄骨の幅も狭いしボロボロだしやめようよ^^;
でもほら? 案外頑丈っすよ^^
ほんとに行っちゃったよあの人^^;
ココからしか決して撮影できない新旧コラボの油壷検潮場のショット、ゲットだぜい(*´д`*)
落ちても死ぬことはないけどビショビショですう。
早く・・・いやゆっくり慎重に帰ってきてよ琴音っち^^;
ん?
あら?
えええっとーーーねえねえ!ここからだともう少し先に変なものが見えるんすけど!
廃桟橋の先で『よっ!はっ!とおっ!』と声を上げつつ周りの写真をパチっていた琴音っちが、
私たちのもとに帰ってくるなり、
この桟橋の更に先にも怪しげな景色を見つけたぜい!と自慢げに写真を見せてくれたのです。
おおー、何か石積みや、はしけみたいな残骸があるな!
でしょー(*´д`*)
と言うことで・・・アレは何なのかを確かめに湾の縁を歩って確かめることになったとですう^^;
でっかいキノコ発見!
食べ応えありそうだな!
係船柱でしょ・・・^^;
と言うことは・・・ハーバーの名残?
木々をかき分けていくとそこには護岸・・・らしきものが。
やっぱ船着き場っすよねー。
ん?これはなんだろ?
かろうじて残る小道を進むと廃桟橋から見えた景色へと到着したようですう。
そしてコンクリートの階段の先はーーー
おおー! 完全に行き先水没してるっすよ。
向こう岸にも同じような構造物があるですね^^
っつーことは?
恐らく向こうへと続く橋みたいなものがあったんじゃないかな?
検潮所付近には別荘も舟屋も無さそうだし、この橋の向こうに別荘地があって、今いるボクたちの方にヨットや船を係留してたんじゃないかと思うね^^
でもこれ、結構年数経ってるよね?
んじゃー、いつごろまでこの廃橋があったのか航空写真を見てみるか。
そう言って先輩はタブレットをピッポッパ。
そして見せてくれたのがコチラですう。
これは昭和52年頃のこの地域の写真なんだがーーー
何か橋っぽいのがあるうう!
検潮所横の桟橋もしっかりしてるよね^^
そしてこの後の年代だと橋も壊れ、桟橋もみすぼらしい感じに映ってるんだ。
更にこれより前の時代を見てみたんだがーーー
戦後からしばらくはこの橋すら見受けられなかった。
んじゃ、昭和中期頃に出来たけど案外短命な橋だったって感じっすかね。
写真見た感じじゃな。
で、どうする?
このまま先を目指すか?
もういいですw
だよなw んじゃー次を目指そうか^^
帰りがけにもう一度旧油壷検潮場を拝んでから、私たちは次の目的地へと・・・
えっと次の目的地ってどこですか先輩
寿司食いに行くんだよ☆
待ってました!
そしてそこから久里浜にある煉瓦に会いに行くぜ!
と言うことで次回はお寿司と煉瓦とそして・・・
琴音っちが煉瓦の刻印にハマったキッカケの場所へと進みます。
ではではまた今度、お会いいたしましょうですう(*´д`*)
第914話 煉瓦の洞リベンジ編後編☆『煉瓦の洞の裏山には・・・?』奉請山神社跡・炭ガマ跡・路盤跡ほか [廃村さーくる2(煉瓦工場探索)]
『先輩からの素敵なプレゼント!』
・・・最初はそう思ったのだけれどもお・・・
要するにこれから『悪路』を歩かされるってことでしょ?
この『日本野鳥の会のレインブーツ』ってえ^^;
先の世界文化遺産登録で関東から一番近い世界文化遺産ってことで多くの観光客で賑わう韮山反射炉。
その礎を造った河津町梨本の山中にある、
日本で一番古い耐火煉瓦工場跡『煉瓦の洞』
ここまではお勉強したですう。
---でもそこってそんなに悪路なの?
せっかくだからと洒落てるレインブーツを履いて見せた私。
でも私のちょっと不安げな表情を読み取られたかのように先輩が偽善のエール(声)をかけてきた。
『大丈夫だよ夕実ちゃん^^ ちょっと山を登る程度だから☆』
わたしは『ハハハ・・・』と引きつり笑顔で返す。
だって妹の琴音っちもそうだけど、
憧れの先輩にも今までどんなに騙されてきたことかですものお^^;
奴らの『ちょっと』とか『少しくらいだから』は、
もー!絶対信じない!って思った物語。
第914話、スタートですう^^;
(それでもこれからずっと騙される☆)
んじゃー!さっそく行こうか(*´д`*)
そう琴音っちが叫びつつ、林道からグングンと下への道を進みだすのです。
ちょっとホッとしたのは舗装はされずとも、傾斜も無く足場もしっかりした下り道だったからですかね。
わきゃ!? モノラックのギザギザレールがありますですよ!?
うちらは見慣れたもんだし、お兄ちゃん解説ヨロ(*´д`*)
モノラックの説明かよ^^;
まあ~いいかw
モノラックってのは簡単に言えば『農業用の運搬用簡易モノレール』ってとこかな^^
地元『伊豆稲取』など伊豆の東部・南部は元々ミカンの生産が盛んだったんだが、
ミカンの育成には日当たりの良い傾斜面が主流。
だけんども(なまり)
急斜面ってのは運搬にすこぶる不便なわけ。
っつーことでーーー
この簡易モノレールがかなり重宝されたっつーわけだよな~^^
なんせミカン畑突っ切って里まで楽々ミカンを運べるっすからね☆
私、結構ミカンと一緒に乗せてもらったことあるですう(*´д`*)タノシカッタナア
でもまあ・・・今じゃ動いてるの殆ど見かけないかな。
確かにな・・・。
かつては結構重宝された運搬技術だったけど、レールのメンテもめんどくさいし(レールの周りに生える雑草取りもメンドクセーし。従事者の高齢化で扱う人も減った)
軽トラでガバッと運んだ方が早えーしな^^;
子供の頃はこれに乗るのも遊びでしたっす☆
で、この目の前にある奴は、何を運んでいたのですかね?
もう、見るからに使ってない感じですけど^^;
それは先に進めばすぐに分かるよ☆
そう言っていつものように答えをもったいぶる菅原兄妹^^;
林を抜けるとその答えがすぐに分かったのです。
もしかして・・・ワサビ田?
正解!
まあ~天城の山中で段々畑ってきたら、分からなければ狂ってるとしか言いようがないかな(辛辣。そしてデリカシーなし)
わきゃ・・・ですよね^^;
で、煉瓦の洞ってのは、このワサビ田の近くなのですね!
林道から下ると小さな小川が。
橋を渡るとーーー
ワサビ田の脇を歩くと『煉瓦の洞は右へ』の立て看板が。
先輩たちに連れられて行くとーーー
何か山の中に遺構があったとですう☆(林道からすぐ近くでホッとしたw)
えっと・・・ここが煉瓦の洞ってやつですかぁ?
そだよ^^
正確にはこの目の前の登り窯Aやその他の遺構を全部ひっくるめての総称っす^^
そしてAとBの窯跡が残ってるんだけど、この目の前のAが特に保存状態がいいってとこかな^^
ふぇー!こんな山中に100年を優に超える登り窯跡が残ってるんですね。すっごいですう。
このAの窯は屋根付き。
先輩曰く『雨風からの風化を防ぐためのもの』なんだそう。
で、さっそくまずはここからじっくりとここを見てみることになりましたよー^^
焚口・・・でしょうか?
お!流石、常滑や喜多方や下野ホフマン輪窯で勉強してきただけあるね^^
なんだかんだで覚えさせられましたですう^^;
ここは韮山反射炉の体躯用炉材として耐火煉瓦を造っていたわけなんすが(主に反射炉内部や煙突)
元々この近辺は炭焼き場なんかがあったらしいっす。
しかも陶製に適した土も山中にあり、
更に伊豆石も含めて耐火煉瓦にとってはうってつけの白土も多く産出されてたんだって。
要するに韮山反射炉の創始者・江川英龍は超絶良いとこみっけてたわけだよw
鼻が利くってやつですかね^^;
いやマジで鼻が利くわけっすよワンワン!
U゜φ゜U
当時は自前で耐火煉瓦を焼くなんて模索状態だった時代っす。
なんせ幕末~明治維新の煉瓦のはしりってのは輸入煉瓦に頼る感じだったし、
外国から煉瓦技師を呼んで囲って造ってたんだから。
そして明治の中期に、この韮山反射炉に使用された梨本製耐火煉瓦って『実際、質的にどないやねん?』って調べたんだってさ。
そしたら『当時としてはとても優秀な1700℃にも耐えられる良質耐火煉瓦だった』って分析が出たほどなんすよ☆
へえー。江川さんマジ優秀ですう☆
ここでの煉瓦を焼く際に、当初はこの付近の木々を伐採して木炭として燃料にしてたんだが、
それが中年後年からは九州からの木炭や石炭に依存してたって話らしい。
なんでそこまで詳しいの^^;
そりゃー、煉瓦好きだし、ほぼ地元だし、しかもリベンジ戦だし、調べまくるのが趣味人ですよw
マニアって怖いなーって思った瞬間でした^^;
さてっと、長ーい難しいお話は終わりにして色々ちょっと見ていきましょうです。
残念ながら遺跡保護の観点から触れることも窯場内に入ることもNGなので、遠巻きながらも観察することになったですう。
窯場Aの付近には耐火煉瓦?と言うよりも加工された伊豆石?の欠片がチラホラ。
菅原兄妹は逐一それを手に取って『あーでもないこーでもない』と議論する(私には異次元会話・・・^^;)
そしていよいよ内部構造物へ!
わきゃ? 横から見ると随分と吹き抜けてる登り窯ですね。
多分、昔は壁が覆っててもっともっと登り窯っぽかったと思うんす。
でも風化で側面の壁が崩れちゃったんじゃないかなー。
ここからは望遠レンズで内部へと迫ります(ルールだし、注意書きにも柵内には入らないでねって書いてあったしね^^)
するとカメラを覗いていた琴音っちが声を上げたのです。
ねえねえ!お兄ちゃん!!!
どうした??
煉瓦の洞の窯場の欠けた部分に『煉瓦っぽいのが露見してる』んすけど!
えっと・・・どういうことですか!?
おー!確かに煉瓦の洞の窯場の内部構造は煉瓦積みっぽいなあ。
長年の風雪劣化でそれが赤煉瓦なのか白煉瓦(耐火煉瓦)なのかは分からないけれど、石を煉瓦状にわざわざ加工して積み上げたって訳じゃなさそうだな!
えっと・・・だからそれってどういうことなんでしょうかですう^^;
簡単に言うと2パターンかな?
2パターン???
そうだね。今目の前にある煉瓦の洞の窯場はーーー
①ココとは別の場所で焼いた煉瓦で建築した登り窯か輸入煉瓦で築き上げた。
②元々は石積みや土盛りで造った窯場だったが、後年に煉瓦を使用して作り直された?
・・・とかかな^^
えっと・・・えとえと・・・
それでも意味分からないんですけど^^;
①だったら煉瓦の洞を造るためのもっと古い煉瓦工場的何かが存在したって可能性のあるロマンがあるしー
②だったとしても煉瓦の洞が実は改良されつつも使われていたって言うロマン(真実)があるんすよ(*´д`*)
煉瓦工場を造るために必要だった更にその前に存在したかもしれない煉瓦工場の存在・・・ってことですね。
ああ・・・なんとなく分かりましたですよ(まったく分かってません☆)
前回は晩秋の暗がりで全然見えなかったけどぉ、見れて良かったし新発見じゃー!(*´д`*)
(※ 石じゃないよなあ・・・どう考えても煉瓦っぽいんだが・・・)
さて、最上段まで舐めまわすように観察した私たち。
この後はどうするのかなあ~って私は思ってたのです。
確か案内板には窯場A以外にも窯場Bがあったから、
てっきり次はそっちへと向かうもんだと思ってたのですーーー
じゃー!窯場Aの裏手にかつて存在したって言う『神社探し』に行くとするか^^
いいぜー!お兄ちゃん☆
え!? 神社探し???
夕実ちゃん案内図の表記を思い出してみてよ。
登り窯付近に『鳥居のマーク』があったでしょ?
ありました・・・
っつーことはだよ! 痕跡があったから町の教育委員会さんがわざわざ記したってことだし、それをボクは探してみたいんだよね~(*´д`*)
しかもそれって、煉瓦の洞が出来てからすぐに工場の安全を願って建てられた神社らしいんすよお。
パーッと斜面を見上げた感じ、鳥居も参道も本殿も祠すら見えないじゃない?
確かに・・・
って、ことでー!
レッツ山登り(*´д`*)(*´д`*)
あはーん・・・。つまりはそう言うことだったのか。
日本野鳥の会のレインブーツを私に履かせたのは足場の悪い山登りをさせる為だったのですねとほほ・・・^^;
さて枯れ枝枯草が覆う目の前の山を踏みしめて登ることに^^;
表現するならばフカフカのふわふわな登りにくーい坂を行くって感じでしょうか。
うーん・・・すっごい滑るよおー^^;
そしてしばらくするとーーー
おおっと!?
なんか今までと違って明らかに人の手で丁寧に加工された残骸っぽいの発見っす(*´д`*)
神社跡来たかっ!?
山の斜面に見つけた如何にも怪しい石の瓦礫たち。
その中の一つに『変なものがある』ことに気づいたの。
わきゃ? ええっと・・・何か『蓋のされてる瓦礫』があるです。
え?どれどれ???
お!もしかしてコレのこと???
お宝が封印されてるかもしんないしい~、
御開帳してみるっすか(*´д`*)
止めておいた方が…
私たちが止めるのも聞かず、琴音っちはパッカーンと蓋を開けちゃいましたです。
その中にはーーー
え!?
こ、コレってえ…
(・・・何?)
神社跡ってのは間違いないみたいだが・・・。
明治8年奉請山神社って彫ってあるですね。
イメージ的に廃な社殿跡とかかな~って思ってたけど、
祠(ほこら)、しかもとっても小さな小さな石祠(せきし)を祀ってたんだね!
何か封印を解いたみたいで罰当たりな気がしてきた。
っつーことで再び封印しまーす☆
軽いなー琴音っちは^^;
とは言えココこそが煉瓦の洞に従事した人々が安全を祈願して造った神社跡だったことが分かりましたですう
(※ 恐らく世に画像として出回ることが無かったであろう本邦初公開? 正直最初はお墓かな・・・と思ってしまいましたです^^;)
さてっと、神社跡も解明できましたし、
この後はどうするですか???
オレ的には、この煉瓦の洞の裏手の山。つまりはこの神社跡の更に上にも『何かが存在していた?』んじゃないかと思ってるんだよね^^
だよね!
だってさ? 煉瓦の洞で焼く耐火煉瓦の供給源である白土は『この付近』だったってことでしょ?
それって・・・
恐らくこの目の前の山だったんじゃないかな?
文献によればーーー
韮山反射炉の耐火煉瓦を造った煉瓦の洞の白土の供給源は、
『この梨本及び近所の山田山の土』だったそうなんだ。
っつーことは目の前の山肌が手っ取り早く一番怪しいよね(*´д`*)
しかも、もしかしたら牛車や馬車、もしくは人力だったとして『重い白土を運ぶためのかつてのルート(道)』が見つかるかもしんないしな(*´д`*)
要するに登りたいんですね^^;
はい分かりました行ってらっしゃいませご主人様☆
え?夕実っち行かないの?
もし何か発見出来たら超絶貴重な発見だよお?
ボクたち・・・3人で一つじゃないのかな?
行きます!行きますよお^^;
んじゃー!行きやすか!レッツ煉瓦の洞の裏山ランデブー(*´д`*)(*´д`*)
おー・・いぇーい・・・^^;
・・・と言うことでここからはレッツ!クライミングですう(;´д`)トホホ
道なんてないじゃない!
あるのは緩い稜線の登り道だけっすねw
ん?ちょっと待てよ?
もう少し上の方が匂うな(男の子の勘)
先輩がそう言うものだから・・・
渋々登坂続行ですう^^;
するとーーー
ん!?
あれ!?
山肌をぐるりと巡れそうな路盤跡がある!?
もしかして遂に来ちゃいましたか!
煉瓦の洞関連の路盤に(*´д`*)
ん~ん~・・・どうだろ?
ちょっとワクワクしてきちゃったな^^
でもな?ちょっとここには別の話もあるんだよ。
別の話???
煉瓦の洞に使用する動力源。つまりは木炭。
それってのは近隣からまずは木々を伐採したそうなんだ。
今現在は鬱蒼とした森になってるが、出来うる限りこの付近の過去の航空写真を見たところ、
結構な感じでかつて、はげ山に近い状態があったんだよ。
今現在ボクらは山の稜線伝いに登って来ただろ?
左手側には杉が多く見えないかい?(最初の写真)
もしかしたらば後年に杉の植林の為に設けた簡易な道かもしれないし、
そうでなければ煉瓦の洞に関する道の跡かもだね^^
なるほどっす。
とは言え人の手が確実に加わった路盤跡なのは間違いなさそうっすね^^
で、先輩。これからどうしますですか?
左手は植林された杉林っぽいし、右手側に少し歩いてみよう。
右手側は昔ながらの広葉樹が広がってるみたいだし、何か発見があるかもね^^
と言うことで何かを求めて右側への路盤跡へ行ったのですう^^
するとーーー
おい琴音!ちょっと下を見て見ろよ!!!
なんすか? 沢が見えるくらいで・・・
およ!? 石垣じゃね???アレ!
人工物だよな・・・アレ。
後で余裕があったら見に行こう^^
その後も路盤伝いに眼下を流れる沢を観察。
明るい平らな開けた土地もあり、むしろそっちに行けばよかったんじゃないかと思ったくらいですw
さて緑濃い画像ばかりで写真ばかりではイメージ湧きにくいと思いますので、
私が簡単な俯瞰図を描いてみましたよ^^
おー、夕実っちにしては上出来っすね。
失敬な!
この地図で言うとボクたちは路盤Aと沢が並行する辺りに居るってことだな^^
路盤Bとかもうネタバレ載っかっちゃってんよw
さてさてもうこれ以上上に登っても特には無さそうだけれども、先輩がもう少しだけ!って言うもんだから、
再び稜線伝いに進軍開始することになったとです。とほほ・・・^^;
木が・・・
左側に落ちたら死にそう^^;
うっは・・・完全に尾根道だなここ。
左右どちらにコケても滑落っすねw
わきゃ・・・でもなぜでしょうか。
本当はとっても怖いのですが、
尾根筋が素敵な道に見えちゃったです^^
いつの間にか時間も忘れてその先へその先へと足が動かされてしまったのです。
そこからしばらくすると幅も広くなだらかな処へとでました。
うっは!まだまだ道のように上まで続いてんよw
思わずここまで来ちまったが、これ以上登っても流石に煉瓦の洞とは関係なさそうだし引き返すとしよう^^;
一旦、窯場Aに戻ってきた私たち。
流石にヘトヘトで汗だくです^^;
くー!沢の水、超絶つめてー(*´д`*)
顔を洗うのには最高だな(*´д`*)
先輩、この後はもしかして・・・
この沢の上流へ?
もう疲れちゃったからまた今度かなw
(行かないのかよ^^;)
でもまあ、案内板に載ってる奴くらいは探してから帰るっす☆
と言う我がまま菅原兄妹に振り回されつつも残りの煉瓦の洞物件を巡ることにしましたですうーー^^
まずは窯場Aと沢付近にある『石垣』
そしてここが・・・窯場Bですか。なんだかAとの扱いの差が激しい気が・・・^^;
河津町にお金があればねえ・・・。これが悲しい現実ってやつっすよマジで^^;
わきゃ? そういえばですよ。『C』って記号も描いてありましたが。
それがちょっと気がかりなんだよボクも。もしかして全部で3基の窯場があった・・・とかなのかな?
んじゃー!幻の『窯場C』を目指していくっすよ~ん(*´д`*)
さて、ここまで来たなら・・・と窯場Cを探しに行った私たち。
そこにはーーーーーー
どこが何だか全然わっかんねーw
藪が濃すぎて(あと倒木のオンパレードで)何が何だか・・・^^;
それならばとこの付近にあると言う『炭ガマ跡』を探すことに。
炭ガマ発見!
ただの灰皿ですよ(でも何でこんな森の中に^^;もう少し木々が少ないとこに置けばいいのに)
でもすぐ近くに石垣発見ですう^^
それは窯場Bの横の石垣だし、ここに来るまでに誰でも見つけられるでしょ夕実ちゃん^^;
てへ(*'ω'*)
っとまあ、最初は嫌々でしたがちょっとしたアトラクションみたいで終えた今は楽しかったかなあ~なんて思っちゃいましたですね^^
次こそは完全解明すんぞ!ってことで乾杯!!
用意いいねアンタ^^;^^;
と言うことで煉瓦の洞の第3弾もいつかあるかもですね^^
さあ、もう後は帰るだけです。
途中、川沿いに気になる石積みを発見したけれどそれもまたのお話。
バス停横にあるおトイレを所望した際に季節外れのホタルさんと目があいました(と言うかトイレの壁に・・・)
水も空気も緑も良いとこですものね。フフフ(*´д`*)
温泉も七滝もワサビ丼もワサビチャーハンもあるし、旅先の一考としていかがでしょうか^^
日本最古の耐火煉瓦工場跡もじっくり見れたし位置ゲーの育成も進んだし私は満足じゃ(*´д`*)
そんなのもあったねー^^;
さて次回は舞台を変えて『海へ』と繰り出す私たち。
そこには『100年を越える海の守り神の煉瓦』が。
更に琴音っちが煉瓦にハマったキッカケをつくった『ハジマリの場所』も登場です。
気になる方は是非どうぞ。ではではまた会いましょうですー☆
第913話 煉瓦の洞リベンジ編☆前編『日本野鳥の会の長靴でアホガール♪』 [廃村さーくる2(煉瓦工場探索)]
『わきゃ・・・実家に帰って来たけど暇ですう(-_-;)』
電話越しに夕実っちがお盆の帰省あるあるを言ってきた。
まあ・・・分からなくもないけどそれ言っちゃダメっすよ夕実っちw
(ぶっちゃけこっちはお兄ちゃんと本家に集った親戚一同の連日の料理の手配や手伝いで大忙しなんだけど^^;)
私たちいつもの三人(私・お兄ちゃん・夕実)は、お盆と言うことで故郷・伊豆稲取へと里帰り。
それぞれご先祖様のお出迎えお見送りの日々を過ごした後、一緒に東京へと帰ることになったんすがーーー
『なあ琴音。前回真っ暗で満足に見ることが出来なかった ”煉瓦の洞”に寄ってから帰らないか?^^』ってお兄ちゃんが言ってきた。
私はそれに二つ返事で返す。
『是非行きましょうお兄様(*´д`*)』と。
え?なんでかって?
だって煉瓦の洞って言ったら世界文化遺産の韮山反射炉を造った日本現存最古参の耐火煉瓦工場だもの(*´д`*)
煉瓦道追い求めるなら行かないのは嘘ですよん☆
その上、前回は晩秋だったこともあって夕刻には真っ暗でほとんどまともに見えなかったのだから・・・
今回は夕実っちも誘って隣町の河津へレッツゴー(強制)
第913話、煉瓦の洞リベンジ編!スタートっす(*´д`*)
かあー!良い天気☆
東京へ帰る前に寄り道敢行っす!
まさかお盆休みに煉瓦に付き合わされるとは思ってませんでしたですよ^^;
まあそこは許せ!夕実ちゃん^^
なんせボクとしてもリベンジしたかったとこだしな。
先輩がそう言うなら全然OKですう(*´д`*)
(この雌豚があw)
っと言うことで、稲取から東京を目指す(帰る)には二通りあるんすがーーー
①伊豆急線で伊豆の東海岸を抜けて熱海まで行き東京か、
②隣の河津駅(ほんとは隣の隣だが)まで行ってバスで天城越えして修善寺駅から、いづっぱこ(伊豆箱根鉄道)に乗って三島~熱海で東京へ
②だと本来は遠回りも遠回りなんだけれど、今回の目的地は②のルートの途中なんだよな^^
天城越えの電車があればもっと楽なんですけどね・・・^^;
やって来たのは河津桜で有名な河津駅。
ここで下車してバスに乗り込むぞ(*´д`*)
でもな~琴音。次の修善寺行きまで40分あんぞ?
どうする?
お昼時ですしランチするってどうでしょうか(むしろ願望)
ならばあそこしかねえ!
ってことで、琴音っちの鶴の一声で向かったお店はこちらでしたですう^^
さかなでご飯さんか^^
前回も寄ったよね、お兄ちゃん^^
確かに美味しかったな☆
んじゃー!れっつさかなでご飯さんだあー☆
来店すると、オジサマがテーブルにあんないしてくれたっす。
さっそく頼んだのは当然酒です☆
えっと・・・話に聞くところ、そこそこ歩くんですよね?これから^^;
景気付け!景気付けだよw
付け出しのイカの煮つけがたまらんのー(*´д`*)
店内をぐるぐると見渡して料理が来るまでのんびり雑談。
ふと、こっそり厨房を覗いていたお兄ちゃんが私にコソコソと話しかけてきた。
なあ琴音。前回来た時は、店主さんのおじいちゃんも一緒に厨房で料理を作ってたんだけど見かけないぞ?
どうしちゃったんかな・・・
ちょっと心配っすね。結構老齢だったみたいだし・・・。
少し気になるところではありますが、オジサマがみんなの料理を運んできてくれました☆
わきゃー☆ 河津の地魚がでっぷり乗った海鮮丼ですう(*´д`*)
このお洒落盛りじゃ無いけど無骨で旨いのがいいんだよな(*´д`*)
お新香もいいね!
何ででしょうか? 馴染んだ土地の物だからか猶更美味しく感じるんですよね^^
分かる分かる^^
でも郷土を離れてるって言う思いでスパイスもあるかもしんないけどね(とは言え美味しい☆)
さてっと、何だかんだでバス出発時間まで10分を切るくらいになったとです。
そろそろ出なきゃとバッグやリュックを背負い始めようとしたころに、
『食後のコーヒーいかがでしょうか^^』と勧められちゃったw
ありがとうございます(時間無いよー・・・)
美味しかったですご馳走様でした☆
・・・と、ちょっと大急ぎでコーヒーを飲み干しつつ河津駅のバスターミナルへと駆けだした私たちでしたw
さて何とかバスには間に合ったとですが、琴音っちがゴソゴソとスマフォをいじりだすのですう。
どうした?現地に着いてからのルートチェックか?
ん?違うよ。
そう言いつつ見せてくれたのはーーー
いつもの位置ゲーか^^;^^;
だって今回行く目的地は、まだ誰もこのゲーマーが訪れてない未踏破エリアなんだもんw
せっかくだしキャラの育成も兼ねて踏破してくるんだ(*´д`*)
はいはい^^;
くうー!何でだよー!
今度はどうしたの^^;
だってこの位置ゲー『レキシトコネクト』には日本全国のお城がマッピングされてるはずなのに、
河津城がデータに無いんだもーん( ;∀;)
あらら本当だ^^;
地元民としちゃちょっと許しがたいが・・・
まあ・・・お城のようなものまで含めると日本にはかつて2万5千はくだらなかったって話だしな。
アプリゲーの制作会社もそこまで把握して登録する・・・ってのは不可能じゃないか^^;
あんまり興味ないけれどぉ、とは言ってもご近所のお城跡が登録されてないのは嫌ですね^^;
さてそれぞれバスの乗車券を購入。1700円って距離を考えるとお値段高めですが、乗り降り自由なので色々途中下車して満喫したい人にはお勧めですう(*´д`*)
なあ琴音。もうすぐ目的地最寄りのバス停の河津七滝だけどどうする?
手前で降りてループ橋見たいっす(*´д`*)
わきゃー!いいですね!私も久しぶりに河津のループ橋見たいですう(*´д`*)
と言うことで少し手前で途中下車。
すると頭上にはーーー
わきゃー☆ やっぱすごいですう^^
子供の頃はお父さんにここを通るのを何度もせがんだもんねw
Uターンしちゃグルグルグルグルしてくれた親父に感謝だよなw
私もおねだりしたことあるですうw
正式名称としては七滝高架橋なんだけど、やっぱり地元民なら河津のループ橋だよな^^
伊豆大島近海地震の土砂崩れによる国道の寸断に端を発して、それを教訓に造られた二重ループ橋。
出来た当時は物珍しくてオレらみたいに何度も無意味に通る人が続出したらしいw
(1981年・昭和56年建造)
んじゃー、ここの真下は道路もあるんだけど、あえて側道の歩道から河津七滝へと行こうぜ^^
了解であります!
そう言われて先輩の後に続いて行くとーーー
わあ・・・!すっごい苔むした緑の小径(*´д`*)!
沢蟹ちゃんゲッド!天ぷらで食っちゃおうか?
こらこらこら^^;
ん?よく見ると何本か脚が無い子だなあ~おまえ。喧嘩して負けちゃったか? はい、お帰り☆
あーん私の酒のアテが・・・
さて、そんなこんなで久しぶりの河津七滝ですう(菅原兄妹は去年以来ですが、私は子供の時以来です)
鹿カレー!?
わさびチャーハン!?
子供の頃はこんなのあったっけかな~って思うよなw
今じゃ自分でスリスリ卸したてのワサビ丼が有名だよね^^
本当はワサビ丼もリベンジしたかったけどさっき海鮮丼食っちゃったしねw
また今度と言うことで先を急ごうず(*´д`*)
さて河津七滝の中心地から山間へと向かうようです。
頭上に広がる緑と青空、そして美味しい空気に心が癒されますですう(*´д`*)
でもそんな面持ちもそこまでだったようです・・・
えっと・・・先輩?
目的の場所ってまだでしょうか^^;
まだだよ。重たい煉瓦を運び出していたから交通の便の良い主要道の近くだと思ったら大間違いだw
なんせ煉瓦造りに適した産出土の近くに煉瓦工場を建てるのが昔の主流だったからね^^
とほほ・・・^^;
ここが分岐点っす^^ ここを左手に『登れば』煉瓦の洞っすよ(*´д`*)
まだ登るんだ^^;
ちょっと鬱蒼としてきました・・・。
しかもとうとう舗装道じゃなくなっちゃった^^;
うぎゃああ!
ど、どうしたの???
位置ゲーのレキシトコネクトが電波圏外になっちゃったよおおう(*_*;
どうでもいいですよ(そんなんw)
まあ・・・GPS拾って遊ぶ位置ゲーじゃ、あるあるな話だな^^;
さてさてそんなこんなでようやく目的の場所『煉瓦の洞』の入り口に到着ですう^^;
日本で最も古い耐火煉瓦工場跡!?
跡と言うか『遺跡』って書いてありますですよ???
ここは明治どころか江戸時代に造られた場所だしね。
嘉永6年建造。嘉永って言ったら今から160年は超える古さだもん。遺跡って言っても過言じゃないのかもね^^
明治の近代遺産だって、もっともっと年数重ねれば、それだって形状によっては遺跡って呼ばれてしまう日が来るってことっすよ。
わきゃ? 親切に案内図も記されてるです^^
今日の目的はこの地図に記されてる奴を全部見ることっす(炭窯跡に石垣の名残とかね)
オレ的には、鳥居のマークが気になってたからそれを特に調査したいかなーって思ってるんだよ夕実ちゃん^^
見た感じ、観光のルートっぽいですしいー
先輩も前回行ってるし楽勝じゃないですか?
まあ~さっき言ったのは表向きの話でね
え?表向き???
この地図に載ってない範囲まで追い求めようかな~ってのが今日の本当の目的でーすw
そうきたかーw
今回は沢も越えるし、煉瓦の洞の裏手の山にも何か発見があるんじゃないかと来たわけっす(*´д`*)
わきゃ・・・でもでもですよ?
私・・・普通の恰好でここまで来ちゃいましたし、琴音っちだって先輩だって普通の靴とかじゃないですかー^^;
そう言うと思いまして!
お兄ちゃんのボーナスで夕実っちにも素敵アイテム買っておいたよ(*´д`*)
身銭を切った訳だが・・・
せっかく夕実ちゃんにもプレゼントってことで、
オレ的に全く無いセンスを必死こいて勉強して選んできたので少しでも喜んでくれたらちょっとばかり嬉しい。
え?先輩がくれるなら何でも嬉しいけど、どうせ多分登山グッヅだろうからそこまで嬉しくないんですけど(あと、センスがねえ・・・)
言っておくけどそんなことないよ!私的にもお兄ちゃんってプレゼント選びヒドスだと思ってたけどこれは納得したから^^
そう言って琴音っちがガサゴソとリュックから取り出した袋にはちょっと可愛らしいマークの入ったアイテムでしたです。
えっと・・・それでWBSJって何ですか???
まあまあ、問題はこの中身だよん(*´д`*)
そう言われて袋の中から手渡された物を受け取ってちょっとビックリな私。
履いてみてくれないかな夕実ちゃん(*´д`*)
は、はいですう☆
こ、こうですかぁ?
結構お洒落さんな長靴ですね(*´д`*)
それは日本野鳥の会のレインブーツ(メジロ色)っす^^
日本野鳥の会ってNHK紅白歌合戦の観客席の得票数をカチカチ数えてた人たちですか!?
そうだね^^ まあ紅白の得票数数えてたのは数年だけどw
お兄ちゃんってば、日本野鳥の会の事務所のショップまで行って、店頭のお姉さまに女の子にも合いそうなブーツを選んできてくれたんだよ?
(東京都品川区西五反田。最寄り駅は東急目黒線不動前駅。丸和ビル3階。
居もしない彼女にプレゼントするんですよ~って嘘こいてお店のお姉さまに選んでいただきましたw)
雨の日の都会歩きにも違和感なさげで、更に膝丈まで深みがあるから少々の山の沢越えにもいいかと思ったんだけど・・・どうかな?
ちょっと憂鬱な雨でもはしゃいでしまいそうな素敵なプレゼントだと思いますです(*´д`*)
わあ・・・わあ・・・ただただ嬉しいですう☆
水たまりにも進んで突貫したくなるデザイン性っすよね(*´д`*)
っつーことでーーー
煉瓦の洞の未開の地へとレッツゴー!
ううう・・・街で履きたい^^;
と言うことで後半戦は新アイテムを駆って野山を駆けずり回りますですですよ^^;
次回もご期待くださいw
お久しぶりですちょいのりですw
とうとう二十日も更新しませんでしたねオイラw
まあ・・・新店舗が出来て生活環境もけっこう変わったのもありますし、
間に料理人人生最大のトラブルもあったし、
ゲームで気分発散してたってのもあったからですかね^^
ブログの更新頻度は現状、これからもあまり多くないと思いますごめんなさい^^;
さて、今回は自分の地元と言うか、ちょいのり家本家の隣町の河津町にある日本の煉瓦工場跡最古の『煉瓦の洞リベンジ編』です^^
前回は晩秋ってこともあってカメラでも追えないくらい真っ暗で、その姿をほとんどお見せ出来ませんでした。
世界文化遺産を造った煉瓦の洞って『こういうとこなんだぜ?』って言うのを改めて見てもらうためにリベンジした物語です^^
次回は日本野鳥の会の素敵アイテムを履き、その全貌を見てもらおうかな~なんて思っちゃったりなんかして。てへへw
さて久しぶりの更新をして皆様のブログ巡りでもしようかなーと思ったのだけれども、
実は今から遅めの夏休み4連休の旅へと行ってまいりやすw
目指すは北海道道東エリア『帯広~釧路』へ!
煉瓦は当然。更に『ばんえい競馬』
そして『タウシュベツ川橋梁』へ!
月刊誌並みの更新になっちゃったけど、気になる方はいつの日かの更新を心待ちにしてくださいw
ではではレッツフライハイ!
第912話 会津喜多方リベンジ編ファイナル☆『煉瓦の記憶(メモリー)』会津若松第29連隊の兵舎跡地ほか [廃村さーくる2(煉瓦遺構編)]
『わきゃ・・・土砂降りですう・・・』
会津旅行最終日の朝、前日の深酒でずっしりと重くなってる半開きの私の瞼の視界の先に、
同室の夕実っちがカーテンの向こうを見てガッカリ顔をしているのが見えた。
エエエ…
今日も昨日に引き続き、Kさんとの会津煉瓦探検!って思ってたのに超絶最悪のコンディションじゃないかー^^;
そこにお兄ちゃんがやって来たのだが、その表情はとってもしぶーい顔^^;
色々と協議の結果、
『Kさんとの煉瓦探訪』は丁寧にお断りすることに相成ったのでありやす(残念無念)
『早めに会津地方を立つとするか・・・。ん~・・・でもそれまでは2時間半くらいは余裕があるし、雨天だけれど会津若松市内でも散歩してから帰ることにしようぜ^^』とお兄ちゃん。
---と言うことで最終日は会津若松市のぶらり旅っす。
第911話、会津喜多方リベンジ編ファイナル!
そこには思いがけない発見も!
ホテルのラウンジで朝食をとった後早々、若松市内へと飛び出した私たち。
かなりの雨勢がアスファルトを叩きつけていたんだけど、
そこは旅慣れたお兄ちゃんと夕実っち。しっかり雨具を用意してたのであるっす(関心関心)
『さてですよ~、この後はどこへ行くですか?先輩』と夕実っちがお兄ちゃんに尋ねる。
私もそう思ってた。
『う~んそうだね^^ 前回、琴音と夕実ちゃんが行けなかったお城に行ってみようか^^
それと先ほどKさんに御免なさいの電話をした際に、幾つか若松市内の煉瓦なんかも教わったんだ。
それはお城の周辺にあるそうだし、どう?夕実ちゃん^^』
『わきゃー!賛成ですう^^』
お城と煉瓦かあ。私的に願ったり叶ったりっす(*´д`*)
断る理由もなくそのプランに乗ることにしたっすよ^^
と言うかKさん本当にありがとうございました☆
さて、お兄ちゃんを先頭に歩いて行くとーーー
わきゃー!ちょっと素敵なお店発見ですう^^
鈴善? 一体どんなお店なんだろ?
入り口の煉瓦アーチがとっても素敵ですう(*´д`*)しかも赤瓦付き☆
古い建物なのかな?見た感じ釉煉瓦っぽいけど。
どうだろうな。確かにこうやって下から平面を見ると焼過煉瓦っぽくない色むらがあるな。
結局この時は分からずじまい。
後々調べてみたら・・・
『鈴善煉瓦蔵』と言う鈴善漆器店の建物らしいっす
(天保3年創業の会津漆器の老舗。会社としては昭和20年設立。職工機械製造や軍需木工品製造なども手掛けた凄いとこ。
この煉瓦蔵自体の詳細年代は分からないけれど大正~昭和の間のようです。
資料館やギャラリーとして建物を保存。
私たちが今見ている煉瓦の建物はその中の一部『たい夢会津総本店』って言う飲食店として使われている???)
さて会津若松駅から歩くこと20分くらいでKさんに助言された場所にやってきたんです^^
お兄ちゃんは意気揚々と『この小学校を取り囲む煉瓦塀は歴史も古くてネット検索でもヒットする有名所だよな^^』とわたし達に振り返ったんだけどーーー
ん?あれ? ・・・なんか・・・古い感じしないなあ^^;
一部分だけ古めかしい感じの煉瓦塀はあるっすけど、その殆どは比較的イマドキ煉瓦ちゃんじゃね?
これはどういうことなんでしょうかですう^^;
これも後々分かったことなんすが・・・
まずはこの小学校から説明いたしやす。
この小学校は『会津若松市立鶴城小学校』
明治6年創設と言う日本屈指の歴史ある学校っす^^
大正期にはこの小学校のシンボルとも言える煉瓦塀が周りを囲いました。
ですが平成28年、校舎ならびに他施設の老朽化の全面改築により煉瓦塀も改修されたようっす^^;
くそ・・・もっと早くここへと来たかった・・・
それを言うなら私たちもですよ。
だって、前回、会津に来た時にここに来たならば古きゆかしき鶴城小学校の煉瓦塀を見れたはずですからね^^;^^;
さて、お兄ちゃん曰く『この近くにも有名煉瓦物件あるから・・・あるはず^^;』と、なんとも頼りげの無い声で私たちをもう一つの物件へと案内してくれた。
けどお・・・
もしかして・・・この煉瓦の門柱だけ?
お、おう・・・^^;
これだけかよ!
ここは会津若松第二中学校の煉瓦の門柱って言うとこだ。
これしか無い・・・これだけだけど、結構歴史のあるものだったりする。
古い学校とかなんですね!ここも。
いや、ここが開校したのは1947年だ。
昭和じゃねーか!
まあーそうなんだが、この門柱はもっと以前のものなんだ。
かつてこの会津若松には歩兵第29連隊と言う陸軍が駐屯してたんだよ。
この門柱は29連隊の名残とも、65連隊の名残では?とも言われている。
65連隊は29連隊と共に明治40年に仙台市中心に発足した歩兵部隊。
特に第29連隊が大正14年からこの会津若松市へと駐屯するんだ。
この地から兵隊さんは出兵・帰還を何度も繰り返しそしてーーー
1945年、終戦。軍旗奉焼をし解散することになった。
これは学校の沿革なんだがーーー
29連隊の兵舎を改装してって書いてあるですね。
そうなんだよ夕実ちゃん。第29連隊の兵営地であったこの辺りは終戦間もなく学校や別の物へと使われたんだ^^
1947年に学校開校って、終戦からほんとちょっとしか経ってないじゃん。しかも最初は他の学校を間借りしてたんすね。
んで、こっちが終戦翌年の航空写真をカラー化したやつだ。
すごく広いですね。
練兵場とかもあったしね。兵舎とか戦後のお金ない時代には仮校舎としてもうってつけだったわけだよ^^
でもそれも時代を経て名残を失っていくわけ。
そして残ったのがこの『煉瓦の門柱』ってことなんだ。
なんかちょっと切ない・・・
残ってるだけマシと思うしかないかな^^
・・・
ん?どうした琴音。
いや~探せばまだまだ痕跡って残ってるんじゃないかと思ってさ。
残念ながら建物として現存するのはこれだけらしいぞ?
それでもちょっと探してみたいっす。お願いっす!
そこまで言うなら・・・
かくして私たちは琴音っちのわがままを容認。これ以外の第29連隊の名残を探してみることにしたのですう^^
やっぱり何もないなあ。そもそも跡地は学校と、この古めかしい集合住宅がほとんどだし^^;
この学校裏手にある団地も跡地なんですか?
地図で見る限りじゃ兵舎があった場所と被ってるね^^
とは言え・・・何もないんじゃねーか?琴音^^;
ん? ちょ、ちょっと待ってよお兄ちゃん!
この団地の庭先に煉瓦が結構散見するよ!!??
お、マジか。しかもモルタルついてたりして、昔、煉瓦の何かの建物があったんじゃないかって臭わせるな!
住宅の煉瓦塀とかじゃなくて?
この団地もかなり古い。年代別航空写真を見た感じだと戦後~現在まで団地以外が建ってた形跡は無さそうだし・・・もしかしたら!?
そんなことはいいのだ!早速煉瓦の調査を開始するっす!
と言うことで私たちは団地の側溝周りや庭先にある煉瓦を見て回ることになったとですう。
するとーーー
げ! これは・・・見えにくいけど『品川耐火煉瓦』の白煉瓦じゃねーか!
古そうな感じですけど、品川耐火煉瓦ってこんなとこにもあったりするのですか??
実はね夕実ちゃん。 福島県ってのは『耐火煉瓦製造が盛んだった』場所でもあるんだよ^^
品川白煉瓦㈱ってのは大手も大手で、全国にいくつか工場を建てたんだ。
明治26年の福島県小名浜支工場を母体に、明治38年に福島県に湯本工場って大きな工場を建ててるんだよ。
この型は旧時代の品川さんの煉瓦。もしかしたら兵営地の建物に使われていた物の残骸を庭先に拝借したとかじゃないかなあ^^
え!? ええっ!!!???
どうした!?どうした!?
これヤバくね?
わきゃ!? あ~刻印ですう(*´д`*)
ひし形にSSってことは同じく品川耐火煉瓦さんですよね?
今まで割と見てきましたけどどうしたですか? 琴音っち^^
いや・・・だって!赤煉瓦の『ひし形SSの刻印』って初めて見たもん!
それがほんとだったら超レアだな!(※品川耐火煉瓦では赤煉瓦も作っていたデータもあるのだけど、現存したものはほとんど見かけないのである)
でも琴音? こっちのを見るとーーー
あれ?『ひし形にTS?』もしかしてさっきのも擦れてただけでこれと一緒なのかな???
このTSって刻印は?
うーん・・・分からないね^^; とは言えこのTSの刻印の『T』の部分と琴音の見つけた『SSの擦れたS』の部分は若干違うようにも見れるな(Sのように丸みを帯びたフォントだし)
わきゃ!?こっちにも発見ですう(*´д`*)
これは馴染みのあるあれですね!
じょ!上敷免製!!!
え?なんでそんなに驚いてるですか???
日本煉瓦製造㈱って言う明治期からあった日本の巨大煉瓦製造メーカーさんのよく見かける刻印じゃないですか^^;
いや、だって!
こんな明治期にしか打たれなかった刻印がここに散乱してるってことは・・・
しかも福島県にってことは・・・
かつてここに『古い煉瓦の構造物があった証明』ってことなんだよ夕実ちゃん。
時代とか考えても『かつて第29連隊の兵舎とかに使用されていた煉瓦』の可能性が大きく広がったわけだよ。
その上ーーー
昔、日本煉瓦製造㈱で働いていたオジ様とお話させてもらったんだけど、上敷免製の刻印煉瓦の北限(つまりは流通限界)ってよくわかってないって聞いてたんすよ。
でもこれで少なくとも福島県までは流通してたってことが見えてきたわけっす。ま、軍需としてだけど。
もしかして・・・結構な発見?
そうだね^^
これだけ古い年代の煉瓦が戦後に趣味や悪戯でここに持ち運ばれたって考えるには無理があるし、かつての軍部がどこの煉瓦製品を使っていたか仕入れていたかって分かる貴重なことだと思うよ^^
探せばあるんですね。痕跡。
しかも煉瓦の刻印からっすもんね。
煉瓦ひとつとってもそこから歴史が紐解ける可能性あるんだから面白いよな(*´д`*)
他にはもう少し見やすい品川耐火煉瓦さんの煉瓦さんなんかもありましたです^^
思わぬ貴重な発見に菅原兄妹も至極ご満悦ですう。
雨も止み、この後はお城見学へと行きましたです(ってゆーか、すぐ横ですもんお城w)
よし、帰ろうか。
そうっすね。
何でよ!もっと鶴ヶ城を語ろうですよお!
だってよくよく考えたらさあ・・・
ボクたち、高校の修学旅行でここに一度来てるじゃん。
すっかり忘れてましたテヘ(*´д`*)
確かに学生時代はまるで興味もなくここに来てましたですね(バスで延々と白虎隊の映画を見せられた記憶が蘇る・・・)
とりあえず位置ゲー『レキシトコネクト』のお城コンプっす(*´д`*)
もしかして・・・それだけの為にここへ来たんじゃ・・・^^;
ちなみにここ鶴ヶ城(会津若松城)にも石垣刻印があるらしいので探してみたけれど見つからなかった模様。
皆で缶チューハイで祝勝を上げて帰途に就くことにしましたです(何の祝杯なんだか・・・)
西若松駅まで歩いて乗り継ぎの電車のチケットを購入(何か1の付く日だったようで割引になってたよ♪)
会津田島からは再び新型特急リバティで帰ることに(*´д`*)
リバティで帰る前に田島でお酒のおつまみ買ってこうっす!
と言うことで帰りの酒宴の為に駅売店で購入してきたのがこちら^^;
これが大当たり☆ この、おふくろ弁当お薦めですう(*´д`*)
南会津の郷土料理詰め合わせなんですがとっても美味しかったですよ☆
ソースかつも喜多方ラーメンも食べれませんでしたが、最後の最後に美味しいものに出逢えました♪(数量限定)
さて次回はこのメンバーで引き続き『伊豆への里帰り』の物語っす!
天城の山中に煉瓦求めてリベンジだよな^^
それは日本にある世界文化遺産の一つを造った『構造物』
旅のお供の新アイテムなんかも登場!
山登りに沢の清水と盛りだくさん!
気になる方はぜひお待ちくださいね^^
ではではまた今度お会いできることを楽しみにしていますですう(*´д`*)