社会保障費統計の代表的なものは,国立社会保障・人口問題研究所で作成されている「社会保障給付費」である。これは,国際労働機関(ILO)が定めた国際基準に準拠しているが,この定義による調査が1996年で断絶しているため,現在では国際比較ができなくなっている。典型的な使われ方は,例えば社会保障国民会議での資料(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyoukokuminkaigi/kaisai/dai03/03sankou1.pdf )14ページにあるように,社会保障給付費の時系列的な推移を示して,「我が国の社会保障給付費は、年々増大している」と説明するものである。社会保障費の上昇を問題視する人に重宝される(「医療費統計の体制転換に向けて」と同じ書き方になっていますが,わざとやっています)。
社会保障費の国際比較には,経済協力開発機構(OECD)が定義した社会保障費統計の国際基準である社会支出(SOCX,Social Expenditure Database)に基づいて作成されたデータを用いる。日本のデータは,国立社会保障・人口問題研究所で作成されている。典型的な使われ方は,上記資料18ページにあるように,主要先進5か国とスウェーデンとで対国民所得比の計数を比較して,日本の社会支出が欧州諸国より低いことを説明するものである。日本の社会保障費水準は高くないと主張する人が,このデータを引き合いに出す。
国際比較が可能なもうひとつの統計は,国連他の機関で定義されたSNA(System of National Accounts)のなかのデータである。SOCXは支出のみの統計であり,財源の情報がないので,財源も含めた議論をするにはSNA統計を使うことになる。ただし,各国で異なる社会保障制度をSNA統計で整合的に比較できるかどうかはやや不安な面がある。SOCXでは各国の関係者が統計を整合的にするための努力を重ねているのに対して,経済全体の体系であるSNAではそこまで十分に手が回っていない。
社会保障給付費,SOCX,SNAの示す社会保障費用は食い違っている。SOCXのデータが非常に遅れているため,現在のところ同じ年で比較できるのは2003年になる。この年の社会保障給付費では84.3兆円,SOCXでは91.9兆円となる。SNAでは,社会保障基金の社会保障給付(現金による社会保障給付と現物社会給付)と中央政府・地方政府の社会扶助給付の合計が81.9兆円となる。各統計が社会保障費用を違った形で定義しているために,こういう違いが起こるのだが,何とか調整できないかと思うのは自然な反応だろう。調整するとなると,どの統計が機軸になるのかを考えないといけない。
内閣府に設置された政府の統計委員会では,統計法の全面改正を受けて,公的統計の整備課題について検討をおこなっている。私はそのワーキンググループ委員(主として財政分野を担当)となっているが,社会保障費統計については,国際比較ができなくなっているILO基準ではなく,ESSPROS(European System of integrated Social Protection Statistics)に準拠した統計を作成すべきと主張している。ESSPROSは,欧州連合統計局(Eurostat)で定義された社会保障費の財源と支出に関する統計基準である。
わが国の統計にEUの基準を用いるというのは,事情を知らない人には奇想天外な話に聞こえるかもしれないが,十分な理由がある。国際基準の事情に精通しないと理解しにくいところがあるが,かいつまんで説明すると以下のようになる(機会があればくわしく触れたいと思います)。
(1)わが国が加盟するOECDの基準であるSOCXが基幹となるのは自然な話であるが,財源の情報がないため,SOCXだけでは不十分である。
(2)SOCXの定義の多くはESSPROSに準拠している。これは,EU加盟国がESSPROSによる統計を作成しているので,SOCX作成のために二度手間をかけさせない配慮による。わが国ではすでにSOCX統計を作成しているので,ESSPROSによる統計の整備はおもに財源側の整備作業だけでよい。
(3)社会保障統計の国際調査の長い断絶の後,ILOは新しい社会保障費調査SSI(Social Security Inquiry)を開始したが,これはESSPROSに準拠している。わが国もこれに回答することになる。ILOは,昔の自分の基準を捨てて,ESSPROSを適当な国際基準だと判断したことになる。
(3)国連他5機関が定義する国民経済計算の国際基準SNA(System of National Accounts)では,政府支出の機能別分類COFOG(Classification of Functions of Government)が定義されている。わが国は現在10の大分類のデータしか作成していないが,財政統計を充実するため,より詳細な分類のデータを推計しようとしている。大分類の「社会保護」のなかの詳細分類はESSPROSの分類を継承している。
以上,多くの統計の基盤にESSPROSが関係しているのである。
医療費統計の世界では, WHO,OECD,Eurostatの支持を得たSHAが唯一の国際基準の地位を確立したが,社会保障費統計では,それに相当する世界基準が存在しない。OECDとEurostatの間で統一基準をもてていないことが響いている。そのため,各国際機関の要請と国内統計のために,わが国は大同小異の複数の統計を作成しなければいけない状況にある。このときは,「マザーデータ」となる統計を作成しておいて,それに若干の加工をして各統計を作成していく手順が効率的だ。上の状況を踏まえると,ESSPROSに準拠したマザーデータを用意して,SNA,SSI,SOCX,社会保障給付費のニーズに応えていくのが,もっとも理にかなっている。
統計委員会での人口・社会統計を議論するワーキンググループ(こちらには私は参加していない)での議論では,「社会保障給付費」を基幹統計とする方向であるので,残念ながら私の構想とは違う方向に進んでいる。
私は,経済統計のワーキンググループに参加しているが,こちらでSNAの社会保障統計をESSPROSに準拠するように提言している。政府財政統計の国際基準であるGFS(Government Finance Statistics)での社会保障の概念がESSPROSに準拠しているので,GFSに準拠しても同じことになる。ESSPROSへの準拠は作業部局向けの言い方,GFSへの準拠は広く一般向けの言い方になる。
(参考)
平成17年度社会保障給付費(国立社会保障・人口問題研究所)
http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/kyuhuhi-h17/kyuuhu_h17.asp
Social Security Expenditure (OECD)のホームページ
http://www.oecd.org/els/social/expenditure
ESSPROS (Eurostat)
http://epp.eurostat.ec.europa.eu/portal/page?_pageid=3134,70318806,3134_70394008&_dad=portal&_schema=PORTAL#ESSPROS
Social Security Inquiry (ILO)のホームページ
http://www.ilo.org/public/english/protection/secsoc/areas/stat/ssi.htm
(関係する過去記事)
「医療費統計の体制転換に向けて」
社会保障費の国際比較には,経済協力開発機構(OECD)が定義した社会保障費統計の国際基準である社会支出(SOCX,Social Expenditure Database)に基づいて作成されたデータを用いる。日本のデータは,国立社会保障・人口問題研究所で作成されている。典型的な使われ方は,上記資料18ページにあるように,主要先進5か国とスウェーデンとで対国民所得比の計数を比較して,日本の社会支出が欧州諸国より低いことを説明するものである。日本の社会保障費水準は高くないと主張する人が,このデータを引き合いに出す。
国際比較が可能なもうひとつの統計は,国連他の機関で定義されたSNA(System of National Accounts)のなかのデータである。SOCXは支出のみの統計であり,財源の情報がないので,財源も含めた議論をするにはSNA統計を使うことになる。ただし,各国で異なる社会保障制度をSNA統計で整合的に比較できるかどうかはやや不安な面がある。SOCXでは各国の関係者が統計を整合的にするための努力を重ねているのに対して,経済全体の体系であるSNAではそこまで十分に手が回っていない。
社会保障給付費,SOCX,SNAの示す社会保障費用は食い違っている。SOCXのデータが非常に遅れているため,現在のところ同じ年で比較できるのは2003年になる。この年の社会保障給付費では84.3兆円,SOCXでは91.9兆円となる。SNAでは,社会保障基金の社会保障給付(現金による社会保障給付と現物社会給付)と中央政府・地方政府の社会扶助給付の合計が81.9兆円となる。各統計が社会保障費用を違った形で定義しているために,こういう違いが起こるのだが,何とか調整できないかと思うのは自然な反応だろう。調整するとなると,どの統計が機軸になるのかを考えないといけない。
内閣府に設置された政府の統計委員会では,統計法の全面改正を受けて,公的統計の整備課題について検討をおこなっている。私はそのワーキンググループ委員(主として財政分野を担当)となっているが,社会保障費統計については,国際比較ができなくなっているILO基準ではなく,ESSPROS(European System of integrated Social Protection Statistics)に準拠した統計を作成すべきと主張している。ESSPROSは,欧州連合統計局(Eurostat)で定義された社会保障費の財源と支出に関する統計基準である。
わが国の統計にEUの基準を用いるというのは,事情を知らない人には奇想天外な話に聞こえるかもしれないが,十分な理由がある。国際基準の事情に精通しないと理解しにくいところがあるが,かいつまんで説明すると以下のようになる(機会があればくわしく触れたいと思います)。
(1)わが国が加盟するOECDの基準であるSOCXが基幹となるのは自然な話であるが,財源の情報がないため,SOCXだけでは不十分である。
(2)SOCXの定義の多くはESSPROSに準拠している。これは,EU加盟国がESSPROSによる統計を作成しているので,SOCX作成のために二度手間をかけさせない配慮による。わが国ではすでにSOCX統計を作成しているので,ESSPROSによる統計の整備はおもに財源側の整備作業だけでよい。
(3)社会保障統計の国際調査の長い断絶の後,ILOは新しい社会保障費調査SSI(Social Security Inquiry)を開始したが,これはESSPROSに準拠している。わが国もこれに回答することになる。ILOは,昔の自分の基準を捨てて,ESSPROSを適当な国際基準だと判断したことになる。
(3)国連他5機関が定義する国民経済計算の国際基準SNA(System of National Accounts)では,政府支出の機能別分類COFOG(Classification of Functions of Government)が定義されている。わが国は現在10の大分類のデータしか作成していないが,財政統計を充実するため,より詳細な分類のデータを推計しようとしている。大分類の「社会保護」のなかの詳細分類はESSPROSの分類を継承している。
以上,多くの統計の基盤にESSPROSが関係しているのである。
医療費統計の世界では, WHO,OECD,Eurostatの支持を得たSHAが唯一の国際基準の地位を確立したが,社会保障費統計では,それに相当する世界基準が存在しない。OECDとEurostatの間で統一基準をもてていないことが響いている。そのため,各国際機関の要請と国内統計のために,わが国は大同小異の複数の統計を作成しなければいけない状況にある。このときは,「マザーデータ」となる統計を作成しておいて,それに若干の加工をして各統計を作成していく手順が効率的だ。上の状況を踏まえると,ESSPROSに準拠したマザーデータを用意して,SNA,SSI,SOCX,社会保障給付費のニーズに応えていくのが,もっとも理にかなっている。
統計委員会での人口・社会統計を議論するワーキンググループ(こちらには私は参加していない)での議論では,「社会保障給付費」を基幹統計とする方向であるので,残念ながら私の構想とは違う方向に進んでいる。
私は,経済統計のワーキンググループに参加しているが,こちらでSNAの社会保障統計をESSPROSに準拠するように提言している。政府財政統計の国際基準であるGFS(Government Finance Statistics)での社会保障の概念がESSPROSに準拠しているので,GFSに準拠しても同じことになる。ESSPROSへの準拠は作業部局向けの言い方,GFSへの準拠は広く一般向けの言い方になる。
(参考)
平成17年度社会保障給付費(国立社会保障・人口問題研究所)
http://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/kyuhuhi-h17/kyuuhu_h17.asp
Social Security Expenditure (OECD)のホームページ
http://www.oecd.org/els/social/expenditure
ESSPROS (Eurostat)
http://epp.eurostat.ec.europa.eu/portal/page?_pageid=3134,70318806,3134_70394008&_dad=portal&_schema=PORTAL#ESSPROS
Social Security Inquiry (ILO)のホームページ
http://www.ilo.org/public/english/protection/secsoc/areas/stat/ssi.htm
(関係する過去記事)
「医療費統計の体制転換に向けて」