「キリシタン時代」は国家存亡の危機だった、そして今もまた : 【大航海時代から】
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「キリシタン時代」は国家存亡の危機だった、そして今もまた

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「大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか」というやや長い標題の本を読んだ。

著者は、「歴史逍遥『しばやんの日々』」というブログを執筆されている「しばやん」という方である。そのブログのことは、数年間ペル-で暮らしておられた僧侶の方に、確か約1年前に教えて頂いた。その時すぐに、この本が出版されていることを知ったのだが、諸般の事情で最近やっと入手出来て早速期待しながら読んだ。

というのは、私は歴史と言っても殆どこの時代(鉄砲伝来の1543年からポルトガル船来航禁止の1639年まで約100年間)の歴史しか関心がなく、この本はまさにその時代の歴史について書かれたもののようなのだ。しかも、以前の記事に書いたことだが、私は学者・作家・教会関係者の書いた本にはあまり期待できないと思ってきた。それらの方が書いたものの価値が無いと思っている訳ではないが、目的が違うということなのだろう。まあ、その理由はともかく、そのために読みたい本が少ないのだが、「しばやん」さんは私と同じサラリ-マン出身で定年後の身であられるということである。

それに、ブログを開始されてからの10年間に600本以上の記事を書かれたとか。私なぞは、書き始めてから7年以上経つが、まだ100本ぐらいしか書けていない。第一、「しばやん」さんのブログは記事の内容が、私のブログとはとても比較にならないくらい濃くレベルが高いのだ。とにかく、なおさら興味と期待が高まった。


この本の内容

そして、この本の内容は期待通り、いやそれ以上だった。特に、参考になったというか興味を引かれた事項を以下に書き出してみたら、およそ目次の通りになってしまった。つまり、殆ど全ての内容が面白いということなのである。

・鉄砲の量産化
 大量保有と最高権力者秀吉の命令による放棄まで
・大村純忠
 キリスト教入信とポルトガル船誘致の関係、神社仏閣破壊の推進
・大友宗麟
 キリスト教受洗の経緯、神社仏閣破壊
大量の日本人奴隷
 ポルトガル人が日本人奴隷を入手するまでの日本側の国内事情
・秀吉の九州平定・朝鮮出兵
 イエズス会日本準管区長コエリョの関わり及び朝鮮出兵の意味
・26聖人殉教事件
 露わになったフランシスコ会・イエズス会の対立
関ヶ原の戦い
 キリシタン大名が東軍・西軍・中立派、三つのグル-プに見事に分散していることの不思議
・島原の乱
 「一揆勢」の武器大量保有と、1580年ヴァリニャ-ノが指令した「長崎の軍事拠点化」の関係
 「一揆勢」は外国〈ポルトガル船)の援軍を待っているとの幕府の想定


『天正少年使節記』は何処で書かれたか

ただ、一点だけ私の認識と異なる事項があったので、出来ればご教示頂きたいと思う。それは、引用されている『天正遣欧使節記』に関する記述で、「それが、1585年にイタリアで出版されたもの」とされている点である。本当は、どうなのだろうか。

実は、これついては私もブログ記事で、松田毅一著「天正遣欧使節」(講談社学術文庫)を参照して言及している。

松田が指摘しているように、この『対話録』は、ヴァリニャ-ノの純然たる著作といえる性格のものであり、また、この使節派遣を企てた目的の一般を披歴したものである。そして、その内容は極端なまでに西欧キリスト教社会を礼賛し、ひいては非キリスト教社会を蔑視する(まともな日本人の感覚では)実に嫌味なものとなっている。

ヴァリニャ-ノは、少年使節達のヨーロッパからの帰途に、彼らとインド・ゴアで落ち合いマカオに向かった。ところが、その前年に秀吉によって発布された伴天連追放令の影響が懸念されたため、彼らは日本への入国機会を覗って約2年間マカオで過ごさざるを得なくなった。この『対話録』は、少年たちが旅行中に起こしていたメモを基にして、その滞在期間中にヴァリニャ-ノが日本人信者の教育と教勢の復活・拡大という目的に応じた内容で執筆し、デ・サンデ神父にラテン語で書かせたものとされている。

その意味で、この『対話録』が、いつ、どこで、どのような状況の下、誰によって、何の目的で書かれたものなのか、ということは重要である。もしそれが、「1585年にイタリアで出版されたもの」であるとすれば、話は全く違ってくることになるのである。



日本におけるキリスト教布教の実像を受け容れるのは意外と難しい

実は、私は「カトリック4世」である。私の父の母の父、つまり私の曽祖父が奈良の柳生の生まれで、明治の初め頃医学の勉強のため長崎に行き、そこで洗礼を受けたと聞いたことがある。高校時代以降、教会から徐々に離れるようになったが、小学生の頃は、週末は殆ど教会で過ごしていたような感じだった。それが、今では葬式と法事以外は教会に行くことはない。そんな私でも、ついこの数年前までは、「しばやん」の本に書いてあるようなことは、言葉は理解できても、なかなか受け容れるのが難しかった。

鉄砲に使う硝石・奴隷の輸出・神社仏閣の焼き討ちを勧める宣教師たち(偶像崇拝撲滅運動)・秀吉の朝鮮出兵・島原の乱、それらのひとつひとつは、知識として頭に入っているのだが、正直なところ、キリスト教に関連して殆ど同時代に起きたものとして、リアルには想像できていなかったのだ。それから、当時のキリスト教布教の原則としての「教俗一体体制」(教会と国家が一体となって布教と武力による征服を進める体制、という意味である)についても、その実体的な意味が分かっていなかった。


南米の植民地支配・キリスト教布教は全くでたらめに進められた

南米の植民地支配・キリスト教布教についても、それが、ひたすら酷い状況で進められたということは、以前から読んだり聞いたりしていたのだが、何処かすっきり理解できないでいたところ、一年ぐらい前から、南米のキリスト教布教に関する本を読んでいて、ふと気が付いたことがあった。それは、大航海時代に世界に進出していったイベリア両国(スペイン・ポルトガル)自体の状態が全く酷い状態だったのではないか、また、そうであれば、征服者も植民者も聖職者もまともな人間であるはずがなく、植民地支配もキリスト教布教も正常であるはずがないということである。

そもそも、余程食えない状況でもない限り、化け物が棲むと言われたアジアやアメリカに出掛けるはずがない。「インディオの保護者」ラスカサスは、コロンブスのアメリカ「発見」から20年以上経っても未だ、「農民の移住」を提案している。ということは、農業の知識も技術も持たないスペイン人が植民者として移住していた、ということだ。だから、ピサロによるインカ帝国征服の後、リマ市にはスペイン人浮浪者があふれ、治安悪化の原因となったそうだ。もちろん、征服者・植民者は先住民から無償で食糧を供給されることを当然とし、それがない場合は先住民に対し「ヨ-ロッパ人の正義の一撃」加えたそうである。

軍隊にも規律などはなく、上官は部下の反乱を常に恐れていた。副王だ、高級官僚だと言っても、ろくに報酬を貰っていないから、着任と同時に金儲けに専念する。国王だって征服者の上納金を当てにしていたのだから、征服者と植民者が暴力団員であれば、国王は暴力団の親玉である。

聖職者も似たようなものである。そもそも、海外布教が始まった背景には、ローマ・カトリック教会の腐敗堕落の結果として「宗教改革」が発生し地盤を失ったという事情があったのであり、腐敗堕落した人たちと似たような連中が宣教師として海外に行けば何をするか想像できるのである。そもそも、海外宣教は修道会士たちに託されたと言われていて、修道士には清貧・貞潔・服従の掟があるなどと、学校で教わったが、そんな掟を定めなければならない、ということは、そのくらい、それを破る者が多かったということである。

だから、南米の征服者・植民者・聖職者には、先住民から税金や食料を巻き上げ、奴隷にして働かせることでしか自分たちが生きていくすべが無かったのである。(ここで、古代からのヨーロッパ社会の宿痾⦅どうしても治らない病気⦆である「奴隷制」が隠しようもなく表われてしまった。)


種明かし

もう、お分かりだと思うが日本でのカトリック教会は、国家による直接の武力支援がなかったために一部本性を表わすことが出来なかった部分がある。「猫をかぶっていた」と言えば、わかりやすいかも知れない。しかし、当然の事として基本的には南米での乱脈・暴虐と同様のことをしていた。
それは、「しばやん」さんの本に書いてある通りである。
・一神教的偶像崇拝撲滅運動としての神社仏閣の破壊の扇動
・奴隷売買の許容・協力・等閑視
・修道会同士の競合・紛争
・聖職者による国家に対する征服事業慫慂

だから、「しばやん」さんが書いていることは、驚く事でも何でもないのだ。

そして、その活動・事業を支えた考え方は「教俗一体体制」(宗教的権威を持つ教会と世俗的権力を持つ国家が一体となって、布教と征服の事業を進めること)である。秀吉と家康という最高権力者は、ともにカトリック教会の背後にあってそれを支えている国家権力の存在を見破っていたと言われている。個人としても国家としても貿易の利益はちゃっかり享受しながら警戒は怠らなかった、ということである。


最近の事件との関係で言うと

岡本大八事件については、私も記事を書いたことがある。これは、キリシタン大名有馬晴信を陥れるための、家康と老中本多正純の仕組んだ謀略ではないか、などと書いたのだが、今となっては、どうも自信がない。


しかし、面白い事件なので、別の資料について私見を記事にした。


私は結局、家康が「岡本大八事件」後、急遽、禁教に転じたのは、大村喜前の長崎換地問題と有馬晴信の旧領回復問題という幕府支配の根幹に関わる領地問題へのイエズス会の介入に家康が不快ないし不安を感じたため、または大坂の陣を控えていよいよ内政の攪乱要因の潰しにかかったのではないか、と考えるようになった。

しかし、「しばやん」さんが書かれている、その背景についてのレオン・パジェスの解説に対しては、もし本当だとすれば、私は「イエズス会はそこまでわかっていたのか」と感心してしまう。

それに比べると、「家康が岡本大八のようなキリシタンが幕府の中枢近くにいることに驚いた」という通説は、実に下らないような気がする。ただ、この通説は、現在巷を騒がせている問題と似ていて、妙にリアルである。

ところで、家康は直ちに「禁教」に動いたが、元首相は接触してきた団体を自分の勢力の維持・拡大に利用してしまった。おまけに、警察・公安関係の動きも抑えてしまったらしい。監督官庁である文科省も団体の言いなりになったようだ。これだけ、はっきりしているのに現首相は動きそうもなく、余計な儀式を挙行しようとしている。よっぽど、弱みを掴まれているのだろう。「国家存亡の危機」とはこのことかと思う。


通説を疑えば、歴史は面白くなる

「『鎖国』から『開国』につながる流れにおいて、江戸幕府を一方的に悪者にする歴史叙述は、欧米列強にとっても薩長にとっても都合のよい歴史である。戦後の長きにわたり、わが国の学界やマスコミや教育界は、この視点に立った歴史叙述を無批判に受け入れ、拡散してきたとは言えないだろうか。」

学生時代、歴史に全く興味を持てなかった私が「キリシタン時代史」について知ろうと思った理由は、江戸時代初期にカトリック司祭になろうとしてローマに単独行した、ペトロ・カスイ・岐部の生涯に興味を持ったからである。彼は1587年に生まれ、1639年に殉教した。どう勉強して良いか分からないので、とにかく同時代に関することは、何でも知ろうとした。何年もかかってやっと興味の範囲は、1549年のザビエル渡日まで遡ったが、それ以上には殆ど広がらず、私の興味の範囲は未だに1549年から1639年の90年間である。

その過程で知ったことは、キリスト教の歴史と言っても、教会は頼りにならないということである。教会には、自分たちの都合というものがある。例えば、ペトロ・カスイ・岐部がローマに単独行したのは、司祭になりたかったからである。ところが、その時代、日本のキリシタン教会(厳密に言えば日本・イエズス会だが)に、日本人司祭登用・イエズス会入会を抑制する方針があったため、日本では司祭にして貰えなかった。それ故に、単独行せざるを得なかったのである。教会としては、江戸時代初期にローマへ単独行した岐部の快挙を讃えたいところであるが、それをすると、その時代の日本人に対する差別が露わになってしまう。それで、その辺の事情(つまり史実)はぼやかすことになるのである。

歴史学者も小説家もあてにならない。というか、あてにしては、いけないのである。歴史学者は、立てた仮説を資料で説明するのが仕事だから、それを外れることでは当然頼りにならない。小説家は、作品の中で宗教を題材とすることはあるが、事実かどうかはあまり問題にしない。遠藤周作も、小説『沈黙』の中で意識的に史実を改変している。

資料も、圧倒的に多いのは、イエズス会内の書簡・連絡・報告である。これには、たとえ外国語が正確に翻訳されたとしても、その原文自体の信憑性には保証がないという欠点がある。会の事情やそれを書いた個人の事情があるからだ。結局、頼るべきは、自分の常識だということになる。逆に、日頃から自分の常識を出来るだけ磨いて、自分で考えれば良いのである。

私は、戦後の団塊世代だから、随分歪んだ歴史観の影響を受けているのではないかと思うが、まあ50歳位までは何も考えていないに等しい人生だったからそれで良しとしよう。歳をとると感覚が鈍くなるのが一般的であるが、良いこととしては常識が磨けることではないか、と思っている。そうすると、歳を取ればますます歴史も見えてくることになる。これからも、それを楽しみに余生を送りたい。

と言っても、油断は禁物である。「歴史」というのは、昔の話ではない。今も権力は死者を祀ることで自分に都合の良い「歴史」をでっち上げようと狙っている。


〈完〉  

by GFauree | 2022-09-26 14:09 | 大航海時代 | Comments(0)  

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