私の「てんから」考
私は若い頃、テンカラにはかなり入れ込んだ時期がありました。現在主流となっているレベルラインのスタイルも早くから取り入れていた、渓流紀行家でテンカラ釣りを広めた山本素石氏がまだ存命だった頃その門下で愛知県の犬山市在住の井戸蛙石という人物がいて「関西のつり」という雑誌にレベルラインのことを投稿しておられたのを読み、手紙で教えを請い、そのアドバイスをもとに半分は自己流でそれなりにきわめたとおもう。そんなテンカラ狂いが10年も過ぎた頃、FFをやる後輩と一緒に釣りに行くことになり、当時は私もFFなんて日本の渓流では釣れっこないと思っていたので、後輩のこともかなり侮り、テンカラの威力を見せてやるくらいの気分で出かけた。けっこう長いトロ瀬のあちらこちらでライズしているポイントに遭遇し、先にテンカラで振らせてもらった。楽勝気分で望んだが自慢の逆さ毛ばりはまったく見向きもされず負け惜しみに「こういう一見簡単に見えるのにかぎって、釣れないんだよ」なんて言った私に「ちょっとやらせてもらっていいですか?」「たぶんガガンボだな・・・?」なんて独り言をいいながら白い綿毛のようなフライをフワっとキャストするとスローモーションのようにゆっくりと浮上しパクリとくわえた。自分ならこのタイミングで合わせるだろうと思われるところよりズーッと遅れて軽く竿を立てると水底近くで魚がギラギラとローリングするのが見えた。丸々と太ったアマゴだった。その後も私がテンカラで叩きまくった数ヶ所からも同じようにアマゴを釣って見せた。そして「やっぱりガガンボでしたね」とその頃の私にはわけの分からないことをつぶやくのでした。完敗だった。「すごいな」と私がいうと「たまたまCDCガガンボがバッチリ、マッチングしただけですよ」と涼しげに言ったが、相当満足したようでその後はまったく釣りをせず私のテンカラを見ているだけだった。私のほうはその逆にかなり混乱しつつも後輩にすこしは良いところを見せておかないと、という思いもあり、躍起になってテンカラ竿を振るのにかえってサッパリなまま1日が終わってしまった。「それにしてもゆっくり合わせるんだね」と聞くと、「ちゃんとフライが消えたのを確認してから合わせますからね、けっこう咥えたように見えても咥えそこなってることも多いですから」「またティペットは8X(0.3号)であり長くしてあり魚がくわえてから違和感を感じて吐き出すまでの時間が長いのでゆっくりロッドを立てればいいんです」と自分が今まで考えもしなかったことを言った。自分はいままで毛ばりにガバッときたらいかに早く合わせられるかにかかっていると思っていたし特にアマゴの場合など毛ばりの近くで異変を感じたら即座に合わせるスタイルでやってきていたので当然あわせも強くなりハリスは最低でも1号くらいないと合わせ切れしてしまう。ハリス0.3号にもおどろかされたし魚がちゃんとくわえたのを確認してから合わせるというのにもおどろいた。
結局、帰りの車の中で「弟子入りするからFFを教えてほしい」と後輩に頼み、その日でキッパリとテンカラと決別した。それからはフライフィッシング一筋となった。38歳の時だった。
これはあとで知ったことですが、その後輩は岩井渓一郎氏の第一回FFスクールから何回も受講しており当時の日本のフライフィッシングの最先端をマスターしたかなりのエキスパートで、結局、私はとても良い師匠に弟子入りしたわけでした。
両方の釣りをやった私からみて、どちらの釣りが難しかったかといえば、もちろんフライフィッシングだろう、テンカラは初めての人でも現場で簡単なレクチャーを受ければその日のうちに魚を釣れるようになる人もいるが、FFではそう簡単にはいかない、フライのシステムで日本の複雑な流れを流すことができないのだ。そしてなによりも魚の食性に基づいたフライを使いこなすためにいろいろ理解しなければならないことがたくさんあり、FFに転向した私もテンカラをやってたころと同じように、どんなポイントも攻略できるようになるには2シーズンくらいかかったのだから、かなり難しかったと思うが、思うように釣れなくても、なぜか楽しくてテンカラに戻ろうなんてまったく考えなかった。テンカラだってマスターできるまではけっこう難しかったような気がするが、その記憶は自転車に初めて補助輪なしでのれるようになれたのと一緒で「あんなに難しかったのに一回乗れてしまったら何てことなかった」のと同じような記憶だ、FFほうは一応乗れるようになっても、次から次にステップがありそれをひとつひとつクリアしていくごとに終わりがないような奥深さを感じる。テンカラは活性の高い魚だけ効率良く釣ることが身上であるが、FFは活性の低い魚でも何とかして攻略することのほうがより楽しいというかとても重要で、FFという遊びでの競争相手があるとしたら、常に自分自身であり、他人との競争心はない。たとえばその日は調子よくぽんぽん釣れたとしても「この魚は10年前の自分にでも、やすやすと釣れただろう」と思ってしまうので大した充足感にはつながらない、逆にまったく反応しないような魚を見つけ自分が持ちうるすべての知識と経験をしてやっとの思いで釣った時に心の中で「この魚は昔の自分では釣ることができなかっただろうな」と思うわけであり、そんなときにこそ一番充足感を得ることが出来るのである。
なぜかは分からないがテンカラしかやらない人はテンカラのほうがフライより良く釣れるに決っていると単純に思い込んでいる人が多いようだし、私の周りにいるフライフィッシャーの中にも「テンカラってそんなによく釣れるんですか?」とたまに聞かれるが、「君達くらいのレベルならテンカラもフライも別に変わらないよ」と答えている。もしも私が同じ川の同じ区間を同じ日の同じ時間に釣ることができたとしたら、テンカラとFFのどちらの釣り方でも、きっとほとんど変わらない結果になると思う。うまいフライフィッシャーと平均的なテンカラ師だったら間違いなく前者のほうがたくさん釣るし、反対に平均的なフライフィッシャーとうまいテンカラ師だったらやはりうまいテンカラ師のほうが釣るだろう、つまり釣り方より釣り人の技量の差だと思う。技量が同じだったら変わらないハズだ。私のように,テンカラも本格的にやったことのあるフライフィッシャーは数少ないと思うので、そのあたりのこともニュートラルな視点から語っておいたほうが良いかなと思っている。
そして今、私はまたテンカラをはじめようかと考えている。というのは最近のテンカラはレベルライン(主にフロロカーボンの2号から4号あたりの単なるテグスのこと)が主流となっていて竿も最先端のズーム式グラファイトロッドまであり長さも伸ばして4mは普通という、なんかこれでは日本の伝統文化というには少し方向がずれて行ってるような気するので、私がやるなら昔ながらの3m弱の竹竿と馬の毛のラインを使った伝統スタイルの継承にこだわってみようと思っている。石徹白にも古くからテンカラ釣りがあったようで私の好きな山本素石氏の随筆集「渓流物語」(朔風社)の中にも「越前のテンカラ師」というタイトルの一文がある。昭和30年代に素石氏が石徹白川で出合ったテンカラ釣りをする地元の老人の話で、その老人は目がほとんど見えなくなっていたらしかったが、素石氏がたった今釣り上ってきたコースを釣って下ると言う、どんな釣りをするのか見たかったのでついて行ったら、とても目が不自由だとは思えないようにポンポンと釣ったという。昔から越前各地の山村には竹の延べ竿に馬の尾の毛を何本かをより合わせテーパーにした糸を使うテンカラ釣りが伝わっていると書いている。後年になり私自身も石徹白へ足繁く通うようになり、この話に登場する老人は上村金重さんという上在所地区に実在していた人物で、実はその曾孫にあたる上村恭平君に石徹白小学校の「釣りクラブ」で私がFFを教えたことがあったのだ。
こうなると、恭平君にも曾じい様のやっていてような「石徹白テンカラ」をぜひとも継承してもらわなければならない。
久保田友芳さんはこんなタイプのかなり小さい毛ばりを好んで使っていた。
1994年頃、夏の夕方、友さに川で出会うとよくビクの中を見せられた、見せてくれる時はきまって丸々と太った岩魚で満タンだった。
そして「君らみたいに毛ばりを自然に流しとってはこういうのは釣れんぞ、岩魚のおりそうなところに毛ばりを止めて誘わんと釣れん」といつも言っていた。
フライを始めた頃で、当時のスタイルはとにかくナチュラルドリフトを心がけていた時代だったので誘って釣るのには少し違和感を感じたものである。
「石徹白てんから」の伝統を一緒に保存していきたいと思ってくれる仲間を募っていますので興味があったら連絡してください。
by itoshiro-sp | 2013-03-07 17:34