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2015.04/25 [Sat]
言葉で喋る人には耳で聞け 心で喋る人には心で聞け
子どもが親を馬鹿にするのは間違いだが、親も
子に馬鹿にされぬ要心が肝要だ。
徳富蘆花
今日はいい晴れた日でした。 なんか なにを着たらいいのかと迷い
ます。 途中で立ち話をしてたら、暑いのですものね。 (苦笑)
若いママさんが、入学式の写真を見せてくれると言うので、お茶しな
がら見せていただく、約束でね。 もう少ししたら出掛けるのです。
かわいい女の子なの。そうしてくださる、そのままの優しさが、ありが
たい。ありがたい。 嬉しい、嬉しいのです。
靴の足音
子どもの頃は
父が裏の道を
歩く足音で
「あっ お父ちゃんだあ」 って
走って 玄関まで迎えにいった
優しい父であった
国鉄の駅まで可愛い妹と二人で
お父ちゃんを迎えにいき
おもちゃ屋さんで一年に一回くらいだけれど
手まりを買ってもらえるのが嬉しくて
小さい子供には遠いけれど……
嬉しくて二人で早くから歩いて行った
駅の出札口は木で出来た柵
とっても 背が届かなくて
やっと顔が出るくらいの柵に持たれて待つ
汽車が来るたびに探す まだだ まだだって
やっと見つけて3人でおもちゃ屋へ
あの喜びがいまもつながっている
大人になった時その出札口は、そんなに立派なものでもなく
あんなに大きく思った子どもの視線の違いに記憶がおかしくな
ってひとりわらえます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
幸せは急がないで 青山俊薫
瀬戸内寂聴 編
言葉で喋る人には耳で聞け
心で喋る人には心で聞け
身に上相談にもシーズンがございまして、山桜の咲きほこる春と、
紅葉の秋が特に多うございます。
そんな季節には朝から日暮れまでとぎれなくいらっしゃるから昼食
もいただけないくらい。
他の尼僧さんと一緒に、嬉しい悲鳴をあげております。
門跡寺院は格式とかにどうしてもこだわりますいので、昔は人生
相談はされなかったと思います。
先代の日英尼公さまが、打ち破って開放的なお寺にしたいと、法話
と身の上相談の寺にされたのです。
最初の頃は、”男性も入っていいですか” とよくたずねられたり。み
なさんとまどったようですが、いまは、ご法話だけがめあての方も増え
ました。
最初、ご法話しているときに気になっていたのは、つまらなそうな顔
をして座っている人、フンともしないような人、それこそ木石に向かって
話しているような人がいて、”そんなにつまらないのかなあ” とどうして
も不安になることでしたね。
私が悩んでいると、先輩にあたる尼僧さんが ”大勢の中には、ひと
りくらい興味深い顔をして聞いてくれる人がいるでしょう。 その人にだ
け話しなさいな”と忠告くださって、さらにこんなお言葉を遺してください
ました。
言葉で喋る人には
耳で聞け
心で喋る人には
心で聞け
----常に相手の立場、置かれている状況を忘れず、測り、想像
しながら、耳を傾け、話しをしなさいという意味ですね。
相手が今聞く状態になっていないとき、こっちだけが夢中になって話し
たって、それは、まったく音であるということ、耳に入ってそのまま反対側
の耳から出ていってしまうのです。 以来、それに注意をして、 ”あっ、今
は時期じゃアない” ときずいたら話しの内容を変えるとか、また違った受
け入れ大成のあるときにお話をするというふうに心がけております。
これは親が小さな子どもさんを注意したり、あなたが恋人やお友だちや
旦那様とお話しなさるときもまったく同じではないでしょうか。
玄関先に野球のバットとグローブをもったお友だちが迎えに来ているの
に、小学生の息子さんに ”宿題はどうなっているの” といっても聞く耳
をもっているはずがありません。
お友だちと野球の約束をしてしまう前か、いっそ遊んで帰って来た後に
じっくりとお話しするほうがいいわけです。
仕事が山積みになっている恋人や旦那様に、重い内容のお話しをして
も逃げられ、嫌がられるだけ。 どうか心を澄ませて、相手の方の心の声
を聞いてあげ、想像してあげてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
短歌
ひとりゆえおさな児の川で亡くなったニュースに涙し悲しくなる夜
不幸だから幸せを求める幸ならばいつも幸なら幸は求めず
逝きし人心におられ好きなとき会えるからいいそう考える
俳句
そよ風に吹かれつ友と語る幸
並びゆく小学生や春日差し
お湯温度2度下げ春が去ってゆく
川柳
悪口と本当のことイコールか
さりげなく言う言葉にもなにかある
世辞言えず下手な生き方で生きている
子に馬鹿にされぬ要心が肝要だ。
徳富蘆花
今日はいい晴れた日でした。 なんか なにを着たらいいのかと迷い
ます。 途中で立ち話をしてたら、暑いのですものね。 (苦笑)
若いママさんが、入学式の写真を見せてくれると言うので、お茶しな
がら見せていただく、約束でね。 もう少ししたら出掛けるのです。
かわいい女の子なの。そうしてくださる、そのままの優しさが、ありが
たい。ありがたい。 嬉しい、嬉しいのです。
靴の足音
子どもの頃は
父が裏の道を
歩く足音で
「あっ お父ちゃんだあ」 って
走って 玄関まで迎えにいった
優しい父であった
国鉄の駅まで可愛い妹と二人で
お父ちゃんを迎えにいき
おもちゃ屋さんで一年に一回くらいだけれど
手まりを買ってもらえるのが嬉しくて
小さい子供には遠いけれど……
嬉しくて二人で早くから歩いて行った
駅の出札口は木で出来た柵
とっても 背が届かなくて
やっと顔が出るくらいの柵に持たれて待つ
汽車が来るたびに探す まだだ まだだって
やっと見つけて3人でおもちゃ屋へ
あの喜びがいまもつながっている
大人になった時その出札口は、そんなに立派なものでもなく
あんなに大きく思った子どもの視線の違いに記憶がおかしくな
ってひとりわらえます。
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幸せは急がないで 青山俊薫
瀬戸内寂聴 編
言葉で喋る人には耳で聞け
心で喋る人には心で聞け
身に上相談にもシーズンがございまして、山桜の咲きほこる春と、
紅葉の秋が特に多うございます。
そんな季節には朝から日暮れまでとぎれなくいらっしゃるから昼食
もいただけないくらい。
他の尼僧さんと一緒に、嬉しい悲鳴をあげております。
門跡寺院は格式とかにどうしてもこだわりますいので、昔は人生
相談はされなかったと思います。
先代の日英尼公さまが、打ち破って開放的なお寺にしたいと、法話
と身の上相談の寺にされたのです。
最初の頃は、”男性も入っていいですか” とよくたずねられたり。み
なさんとまどったようですが、いまは、ご法話だけがめあての方も増え
ました。
最初、ご法話しているときに気になっていたのは、つまらなそうな顔
をして座っている人、フンともしないような人、それこそ木石に向かって
話しているような人がいて、”そんなにつまらないのかなあ” とどうして
も不安になることでしたね。
私が悩んでいると、先輩にあたる尼僧さんが ”大勢の中には、ひと
りくらい興味深い顔をして聞いてくれる人がいるでしょう。 その人にだ
け話しなさいな”と忠告くださって、さらにこんなお言葉を遺してください
ました。
言葉で喋る人には
耳で聞け
心で喋る人には
心で聞け
----常に相手の立場、置かれている状況を忘れず、測り、想像
しながら、耳を傾け、話しをしなさいという意味ですね。
相手が今聞く状態になっていないとき、こっちだけが夢中になって話し
たって、それは、まったく音であるということ、耳に入ってそのまま反対側
の耳から出ていってしまうのです。 以来、それに注意をして、 ”あっ、今
は時期じゃアない” ときずいたら話しの内容を変えるとか、また違った受
け入れ大成のあるときにお話をするというふうに心がけております。
これは親が小さな子どもさんを注意したり、あなたが恋人やお友だちや
旦那様とお話しなさるときもまったく同じではないでしょうか。
玄関先に野球のバットとグローブをもったお友だちが迎えに来ているの
に、小学生の息子さんに ”宿題はどうなっているの” といっても聞く耳
をもっているはずがありません。
お友だちと野球の約束をしてしまう前か、いっそ遊んで帰って来た後に
じっくりとお話しするほうがいいわけです。
仕事が山積みになっている恋人や旦那様に、重い内容のお話しをして
も逃げられ、嫌がられるだけ。 どうか心を澄ませて、相手の方の心の声
を聞いてあげ、想像してあげてください。
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短歌
ひとりゆえおさな児の川で亡くなったニュースに涙し悲しくなる夜
不幸だから幸せを求める幸ならばいつも幸なら幸は求めず
逝きし人心におられ好きなとき会えるからいいそう考える
俳句
そよ風に吹かれつ友と語る幸
並びゆく小学生や春日差し
お湯温度2度下げ春が去ってゆく
川柳
悪口と本当のことイコールか
さりげなく言う言葉にもなにかある
世辞言えず下手な生き方で生きている
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