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2015.04/18 [Sat]
紫式部、清少納言をこきおろす!
世の中の人は誰でも幸せになりたいと思っている。 それを
手に入れる方法が一つある。 それは自分の気持ちの持ち
方を変えることだ。 カーネーギー
毎日が、とても幸せを感じて日々を過ごせる。 きっと老いていくごとに、
欲もなくなり……。 かな?…なんていうか・・・。気持ちが変わってくる。
老いていくごとに体の動きも悪くなるし、頭の働きも悪くなるので、考える
ことも欲も減るから でしょうか。 一番の幸せは・・・・ただ ただみんなが
元気ならいい。 それが一番だと思うようになっていました。
老いていくごとに、自然になるものです。 老いて知ることなんですよね。
でも 早く知れば、幸せだなぁと有り難く思い日々を過ごせます。
ありがたい。 ありがたい。 ってちょっと気持ちを変えてみるとね。
本当の幸せに包まれていることに、感謝するのです。
なんか この天風師の心が、理解できてきたかしらね。 わたしも。
幸福というものは、
人に自分の幸福を話すときよりも
人にも自分と同様の幸福を感じせしめるときのほうが
本当の幸福だ。
中村天風
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日本の歴史
名場面
100 童門冬ニ 著より
雅やかな宮中! 女の戦い 紫式部、清少納言をこきおろす
「枕草紙」 を書いた清少納言と、 「源氏物語」 を書いた紫式部と、と
もに一条天皇の後宮にいた才女。 この頃の後宮は、たんなる性生活の
の場ではなく、文学を生むサロンであり、才女がひしめいていた。 男女
間の恋愛についてもおおらかだった。 しかし、貧窮に苦しむ庶民とはほ
ど遠い、いい気なものだった。
十一世紀に入った長保ニねん、藤原氏自系の女二人、一条天皇の後
宮に入れている。
一人は定子で皇后、一人は彰子で中宮である。
この二人にはそれぞれ才女が従がい、その才女たちはめきめき才能
をあらわした。 男性貴族でさえ感嘆する才女たちの文才は、いきおい彼
女たちの住む部屋を大サロン化し、つぎつぎと人が訪れた。
中でも、皇后定子に従がう清少納言と、中宮彰子に従がう紫式部の両
サロンは、訪問客がひきもきらなかった。 二人とも、夫をなくした未亡人
だったが、文才はともに群を抜いていた。
しかし、性格はまったく対照的だった。
人々の見たところ、清少納言は、
「かなり強気だ」
といわれたし、紫式部は、
「とても控えめだ」
といわれた。
また、
「清少納言は、上流生活を賛美し、庶民を卑しんでいる」
といわれ、
「紫式部は、下層の人々にも温かい目を注いでいる」
といわれた。
後宮は女性の世界だ。一条天皇の後宮が華麗な平安文学を生みだ
す舞台になったのは、文才の競いあいももちろんあったが、それ以上に
女性特有の激しい嫉妬心でもあったように思われる。
嫉妬による憎しみの情もまた、才能をさらに磨く研磨機の役を果たす
のだ。
清少納言はと紫式部は、対極に立つ女性としていろいろ対比されるが
実際には、紫式部が後宮に勤めたころ、皇后定子が死んで五、六年たっ
ていた。
清少納言もこのとき宮仕えを辞したらしいから、二人が才能を争った機会
はなかったのが事実だろう。
が、あれだけの控えめで他人の悪口などこれぽっちも言わない、紫式部
が、清少納言についてこう書いている。
「清少納言は、実に高慢ちきでいやな女だ。 りこうぶって、才能を自慢
しているが、まだまだ勉強が足りない。 ああいうふに目立つことばかり考
えている人間は、必ず哀れな末路をたどるにちがいない・・・・・・」
(紫式部日記)
紫式部が後宮に入ったころ、まだまだ清少納言のうわさが高かったのだ
ろう、 持ち前のつつましさが破れて、紫式部はもつい反発したのだ。
彼女もまた女であった。
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短歌
しあわせを感じて日々はすぎてゆく老いる早さは瞬く如し
桜咲き散りゆくうちに逝く人もありてこの世は過ぎてゆく
幸せを感じてひとり日々のなかありがたきかな喜び生きむ
俳句
テレビから全国の桜見た気分
暇なのは貴女と我ね春はゆく
寺の門手を合わせゆく老婆の春
川柳
拉致問題ご家族の心涙する
不平不満愚痴も消え老いありがたき
前向きに楽しく生きる笑顔もち
手に入れる方法が一つある。 それは自分の気持ちの持ち
方を変えることだ。 カーネーギー
毎日が、とても幸せを感じて日々を過ごせる。 きっと老いていくごとに、
欲もなくなり……。 かな?…なんていうか・・・。気持ちが変わってくる。
老いていくごとに体の動きも悪くなるし、頭の働きも悪くなるので、考える
ことも欲も減るから でしょうか。 一番の幸せは・・・・ただ ただみんなが
元気ならいい。 それが一番だと思うようになっていました。
老いていくごとに、自然になるものです。 老いて知ることなんですよね。
でも 早く知れば、幸せだなぁと有り難く思い日々を過ごせます。
ありがたい。 ありがたい。 ってちょっと気持ちを変えてみるとね。
本当の幸せに包まれていることに、感謝するのです。
なんか この天風師の心が、理解できてきたかしらね。 わたしも。
幸福というものは、
人に自分の幸福を話すときよりも
人にも自分と同様の幸福を感じせしめるときのほうが
本当の幸福だ。
中村天風
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日本の歴史
名場面
100 童門冬ニ 著より
雅やかな宮中! 女の戦い 紫式部、清少納言をこきおろす
「枕草紙」 を書いた清少納言と、 「源氏物語」 を書いた紫式部と、と
もに一条天皇の後宮にいた才女。 この頃の後宮は、たんなる性生活の
の場ではなく、文学を生むサロンであり、才女がひしめいていた。 男女
間の恋愛についてもおおらかだった。 しかし、貧窮に苦しむ庶民とはほ
ど遠い、いい気なものだった。
十一世紀に入った長保ニねん、藤原氏自系の女二人、一条天皇の後
宮に入れている。
一人は定子で皇后、一人は彰子で中宮である。
この二人にはそれぞれ才女が従がい、その才女たちはめきめき才能
をあらわした。 男性貴族でさえ感嘆する才女たちの文才は、いきおい彼
女たちの住む部屋を大サロン化し、つぎつぎと人が訪れた。
中でも、皇后定子に従がう清少納言と、中宮彰子に従がう紫式部の両
サロンは、訪問客がひきもきらなかった。 二人とも、夫をなくした未亡人
だったが、文才はともに群を抜いていた。
しかし、性格はまったく対照的だった。
人々の見たところ、清少納言は、
「かなり強気だ」
といわれたし、紫式部は、
「とても控えめだ」
といわれた。
また、
「清少納言は、上流生活を賛美し、庶民を卑しんでいる」
といわれ、
「紫式部は、下層の人々にも温かい目を注いでいる」
といわれた。
後宮は女性の世界だ。一条天皇の後宮が華麗な平安文学を生みだ
す舞台になったのは、文才の競いあいももちろんあったが、それ以上に
女性特有の激しい嫉妬心でもあったように思われる。
嫉妬による憎しみの情もまた、才能をさらに磨く研磨機の役を果たす
のだ。
清少納言はと紫式部は、対極に立つ女性としていろいろ対比されるが
実際には、紫式部が後宮に勤めたころ、皇后定子が死んで五、六年たっ
ていた。
清少納言もこのとき宮仕えを辞したらしいから、二人が才能を争った機会
はなかったのが事実だろう。
が、あれだけの控えめで他人の悪口などこれぽっちも言わない、紫式部
が、清少納言についてこう書いている。
「清少納言は、実に高慢ちきでいやな女だ。 りこうぶって、才能を自慢
しているが、まだまだ勉強が足りない。 ああいうふに目立つことばかり考
えている人間は、必ず哀れな末路をたどるにちがいない・・・・・・」
(紫式部日記)
紫式部が後宮に入ったころ、まだまだ清少納言のうわさが高かったのだ
ろう、 持ち前のつつましさが破れて、紫式部はもつい反発したのだ。
彼女もまた女であった。
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短歌
しあわせを感じて日々はすぎてゆく老いる早さは瞬く如し
桜咲き散りゆくうちに逝く人もありてこの世は過ぎてゆく
幸せを感じてひとり日々のなかありがたきかな喜び生きむ
俳句
テレビから全国の桜見た気分
暇なのは貴女と我ね春はゆく
寺の門手を合わせゆく老婆の春
川柳
拉致問題ご家族の心涙する
不平不満愚痴も消え老いありがたき
前向きに楽しく生きる笑顔もち
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