Archive [2014年05月 ] 記事一覧
「これだ」雷に打たれたような気持ちになった西郷さん
「人生の師」童門冬二著より 自分に厳しい分だけひとには”寛容”になれる。 …上杉鷹山と西郷隆盛がともに心服した”大恩師”… 西郷吉之助が沖永良部島に流された時、痛憤する西郷の前に一人の先輩流人が現れる。川口雪蓬と言う学者である。島津久光に学問を教えていた人だ。 --省略ー 島に流されてきた西郷に、この川口が何冊もの本を貸す。西郷は読み耽る。やがて一冊の本に行き合う。「おうめいかん遺草」と...
ケネディが尊敬する日本人「上杉鷹山」
「上杉鷹山」(下巻)童門冬二著より 途中より {治憲=鷹山」 このままゆくでゆくと、藩は何事につけても、(私ひとりを頼るようるなる)と思った。 それはまちがいだ、藩はこれからも存続する。しかし私はいずれ死ぬ、それなのに私ひとりに頼っていてはどうにもならない。(では、どうするのだ)治憲は自問する。(私ひとりに頼らせぬことだ)(その方法は)(隠居、退隠だ){まだ、若いではないか)(年齢にはかかわり...
今日は他人の身・明日は我が身
短歌 幸せはこころが決めると日日思う 幸せ感じて今日を生きおり 振り返る暇なく過ぎし若き日を老いて思えりいまは静かに 現代の三種の神器アイパット・スマホ・パソコン老いは楽しも 几帳面な姉の文には性格がそのまま出ており亡き父に似て 詩 いきてゆく とても大変だ いろんなことある せつなくて 苦しくて辛い 神にも仏にも もう十分です そうかといって どうにもならず ...
二本棒は”おはし”として日本文化の代表選手なのです。
「大和古流の「躾」と「為来(しきたり)」友常貴仁著より …なぜお箸というの?… 当家の長男は、なかなかの難問を当主である私に投げかけてまいります。その、難問に一つまた一つ答えていくことで、当代と次代との信頼を深めていけるのです。そして父と子という親子の関係が保たれます。 「なぜこのニ本の棒をお箸というの」 なんとも単純明解な問題です。もし私がこの難問に答えられなくては、長男は当代を疑い始めるでし...
わたしのいいところは、亡き母の教え愛嬌良しよ
自分を思う どうしてなんだろう 甘えることができない なんでも歯をくいしばって なんでも自分で頑張る 馬鹿なんだな なぜなんだろう 甘えたら楽なのになあ でもなんだって我慢してる 自分で出来ることは自分で...
日本人のお箸、なかなか神秘的です。
「大和古流の「躾」と「為来(しきたり)」友常貴仁著より ……お箸には魂霊が宿る…… -省略ー 猿と違った人間としての生活の基本の道具、お箸。現代日本人は、どの人でも自分のお箸を持っています。そして、この自分のお箸を他人に使われることをたいへんに嫌います。昔から宇宙のエネルギーを十分に貯えた生きる糧、食べ物を口に運ぶ掛け橋、お箸には、使う人の魂霊が宿ると考えられてきました。 長男と列車で地方へ旅した...
この世の中それほど捨てたもんじゃあない・河野善行氏その②
「至知」2007・3 --えん罪を大権してーーその② 捜査というのは、疑うところから始まります。疑って、疑って、そして真実に辿りつく、疑うのがいけないとなれば、捜査は成り立たないわけです。 けれども当時の捜査本部は、明らかにしてはいけないことをしてしまいました。高校1年の子供に対して切り替え尋問をやったのです。「君のお父さんは罪を認めている。君だけ隠していてもどうなるものでもない。みんな喋りなさい...
いのちというものは自分のものだけでなく・星野富弘
「たった一度の人生だから」星野富弘 日野原重明 前向きに何かを期待する気持があるのなら 心が健康だということです 病んでいても 健康感をもつことがとても大切です。日野原 人は病むことによって 感性が磨かれていきます。日野原 人間というのは どん...
お母ちゃんの不思議(詩)
詩 お母ちゃんの不思議 かあちゃん 疲れて居眠りしてる こたつで父を待つ夜更け 裏の道を歩く靴音 とうちゃんだとすぐに気がつき 目を覚ます 不思議 なぜ なぜ わかる わたし 不思議だった それが愛? かあちゃんわたし熱だして泣いてた 「泣いて病気が治るかね」 「みんなに心配かけるだけ」 「泣かずに我慢しないとね」 なんで?どうして?...
「不機嫌なほど大きな罪はない」ゲーテの言葉。
「がんばらない、がんばらない」ひろさちや著より 仏頂面………不機嫌も陽気も周りに伝染し、自分に返ってくる ドイツの作家、ゲーテのことばに 「不機嫌ほど大きな罪はない」 というのがあった。これを聞いたとき、最初、わたしは、人間がときに不機嫌になるのはやむを得ないのに、それを罪だと言われると困ってしまう……と思った。けれども、よく考えてみると、不機嫌は周りの人々まで巻き添えにするものであって、その意...
「おれのような小さな男を殺して何になる」勝海舟
「人間の器量」童門冬二著より ……暗殺者竜馬を参らせた勝の度量…… 勝海舟は、幕末に公式にアメリカに行った最初の日本人だが、当時アメリカの市民重視の制度をみてびっくりした。そのときに、「ワシントン大統領の子供は、いま何をしていますか?」と聞いて「さあ、知りませんね」と答えられたときは、通訳の福沢諭吉といっしょに目をまるくした。日本でいえば、徳川将軍の子孫が何をしているのかわからない、といわれたのと同...
竹中半兵衛のケジメのつけ方(その②)
「人間の器量」童門冬二著より …ケジメのつけ方に示された」無類のきびしさ…… 「何事だ!狂ったか?」 その夜の城の番の指揮をとっていた斎藤飛騨守が手兵をひきいて、行く手に達ふさがったが、半兵衛たちのいきおいにはかなわない。斬り殺された。事態を知った竜興は、「謀反だ、謀反だ!半兵衛を殺せ!」と、わめいた。目が恐怖でつりあがっている。側近はわれ先に逃げ散って誰もいない。 半兵衛が入って来た。竜興は悲鳴をあ...
竹中半兵衛は、小柄で女性のように優しい風貌(その①)
「人間の器量」童門冬二著より……生き方の底に独特のスジを通した竹中半兵衛…… 竹中半兵衛と緒葛孔明は、ちょっと似ている。二人ともよき参謀で、頭が鋭かったが、ちょっと似ているというのはつぎのような点だ。・ 作戦に陰険なところがない・ 生き方に詩情が漂う・ 責任の取り方がきれいだ・ 死が悲劇的である;等 もちろん、二人が担当した戦いの規模は比較にならないが、結局「出処進退の美しさ」が、後世のひとびとに、さ...
一生懸命やる。一生懸命と同時に方向ということはどうなのか・・・
「子育てのこころ」盛永宗興著より ……最初の一歩がどこをめざすのか…… -省略ー ところうで、私の寺では若い人たちが一緒に泊まって生活するだけでなく、もう少し年配のお母さんがたもいろいろな相談に来られます。そのなかで「老師、私はほんとうに一生懸命やってきたんです。 「一生懸命やってきましたのに、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか」 と泣かれる人が非常に多いのです。 たとえば、一生懸命やっ...
将軍家光をにらみつけた松平信綱
「人間の器量」童門冬二著より……何よりも部下のために心を砕く…… 松平信綱 --省略ーー 徳川三代将軍家光は、活発な将軍でスポーツが好きだった。特に鷹狩りを好んだ。たくさんの部下をつれて、山野を歩き、獲物をのトリをさがしてタカに襲わせる遊びである。家光は、このタカ狩りを「公の仕事だ」と考えていた。タカ狩りによって、部下の心身の鍛練ができるからだ。 が、動員...
「悪いことはするな」より悪の必要のない人生を
「まんだら人生論」ひろさちや著より 「悪い事をするな」より悪の必要ない人生をーー 唐の詩人の白楽天は、太守となって杭州に赴任したとき、その土地の名僧の道林和尚に、「仏教の教えの大意は何か?」と質問した。すると道林和尚は、すかさず、「悪いことはするな!いいことはしろ!」 と応じたと言う。有名な話である。 たしかに、仏教が教えているのは、「悪いことをするな!いいことをしろ!」である。 そして、わたした...
フクロウ型からヒバリ型に改造・志望大学に合格
「自分を生かす」竹内均著より …なぜ{フクロウ型}より{ヒバリ型}なのか… 人間は自然のリズムに従って生きるのが一番自分の能力を発揮できるといわれている。つまり、朝は日の出とともに起き、夜は日没とともに寝るという生活である。その点、私の生活時間は、子どもの頃からほとんど変化していない。どんなに忙しいときでも、生活リズムはいつも一定のパターンを踏襲している。 先ず、午前四時に起床し、二時間ほど学習し、...
ネガティブなこころがネガティブなものを呼び込む
「何のために生きるのか」 稲盛和夫 対談集 五木寛之ーー好きなところだけーー稲盛……私はだんだん年がいくに従って、ますますポジティブに明るく感謝 して、という生き方になってきました。一切ネガティブなことは考え まい、と、それはネガティブなこころがネガティブなものを呼び込む と考えるからなんです。五木……...
幸せへの一番の近道.
「人生の心がけ」庭野日敬著より ……人のためが自分のため…… かって海軍飛行予科練習生として航空隊で終戦を迎え、その後、画家を志して苦学していた一人の青年が、私の手伝いをしていたことがありました。その彼から、こんな話を聞いたことがあります。 彼は戦後の混乱期に、たび重なる挫折に打ちのめされ、自分の才能も周りの人間も信じられなくなって、「自分の人生には何の望みも残されていない」と、自殺を決意したのです。...
「痛くしてごめんなさい」看護婦さんのことば
「まんだら人生論」ひろさちや著より……合理的思考より愛情ある言葉を…… 1970年に終結したビアフラ内戦は、一日に餓死者3000人といわれる悲惨な状況をつくりだした。国際赤十字の要請によって、ビアフラの救援活動に参加された日本人医師の竹中文良氏は、現地で見聞きしたことを著書「医者が癌にかかったとき」に書いておられる。 患者でごった返す病院にあって、現地人の看護婦たちが懸命の医療行為を行っている。看護婦...
「ときには巧言令色の必要がある」と述べた福沢諭吉
「十八史略の人間学」伊藤肇著より ……福沢諭吉と池田成彬…… 子曰く、巧言令色、鮮(すくな)し、仁。(言葉巧みにお上手を言うのや、うわべだけいかにもとりつくろって愛想がいいのは、本当の人間味のない証拠である) 三井財閥の大番頭だった池田成彬が慶応義塾に学んで福沢諭吉の講義を聞いた途端にトコトン福沢嫌いとなった。 諭吉53歳、成彬20歳、演題は「学生の野蛮粗暴なる態度を正そう」というところにあったが、...
スターリンの遺書
「十八史略の人物学」伊藤肇著より…スターリンの遺書… スターリンが死の床に横たわっていた。その周囲を後継者の椅子を狙う野心家どもが、心配そうな顔をしてうろつきまわっていた。 突然、スターリンがフルシチョフを読んで彼の耳元でささやいた。「君はわしのあと釜に座ることになるのだが、時がたつにつれて、誰もが君に白い眼を向けはじめるだろう。もし、そうなったときには、クレムリンの地下室に私が残しておいた、二通の...
朝顔は朝の光だけでは咲かない。五木寛之さんから聞いた。
「小さな人生論」藤尾秀昭著より -自分の花を咲かせて生きる― 心臓の鼓動を聞いたことがあるだろうが、胸に手を当てて聞くあの音ではない。心臓が血液を全身に送り出す源流の音である。 ズビィーン、ズビィーンとも聞こえる。 あるいは、、 ビィーコッ、ビィーコッ友聞こえる。それらを総集したような音である。 ともかく、懸命な音である。ひたすらな音である。心臓は昼夜二十四時間、一瞬の休みもなく、血液を全身に送りだ...
「生類憐みの令」の廃止をした家宣将軍
「人間の器量」童門冬二著より 巧みに混合された「ぬくもり」と「きびしさ」 家宣のこの態度は、医者に対してだけでなく、家臣の管理に対しても同じだった。「人にはそれぞれ特性がある。その特性が性の合う人と合わない人がある。上役と部下の関係も、そのへんを含んで人事を考えなければならない」そういっていた。 綱吉が死んで家宣は将軍になった。綱吉の寵臣だった柳沢吉保がきてこういった。 「私は綱吉様のご寵遇をうけ...
六代将軍家宣・名もない将軍にも賢君はいた。
「人間の器量」童門冬二著より ーー安易に人をきめつけてはならないーー ーー省略ーー 六代目の将軍徳川家宣。前代の綱吉が「人間を犬のしたにおく」という、有名な「生類憐みの令」で、世界史に類も例のない価値の倒錯社会をつくり出して、日本中をあきれさせたから、家宣の影が薄いのだ。 家宣は元の名を綱豊といって、甲府城主だった。綱吉の養子になって次期将軍の座を約束された。 ーー省略ーー その家宣が将...
ニセモノのチャーチルを見分ける眼力がある
「光に向かって100の花束」ーニセモノのチャーチルを見分けよー かの有名な、USスチール社の社長、ある日、ひとりで社の、自分の部屋までいってこなければならぬ急用ができた。 会社の正門はさしかかると、門番の男がはばんだ。「時間外ですから、どなたさまも、お入れすることはできません」「俺は社長のシュワップだ」「社長さんのお顔を存じませんので、失礼ですが、あなたが社長である証拠をおみせくださいませんと、お...
神仏拝まぬ先に親拝め・・・吉田松陰の言葉
「ゆっくりしいや」大西良慶著より ー省略ー 明治維新に活躍した吉田松陰は、「神仏、拝まぬ先に親拝め、親にましたる神仏なし」と言ったと言う。母親を仏様として拝むのやね。拝むよりほかに、恩に対する表現はないわね。 維新といえば、幕末の志士に大きな影響をあたえた頼山陽に逸話がある。京都を山紫水明と讃えた人やの。 この人がまだ書生時代、安芸から出て、京都の三本木で勉強していた。勉強して楠公伝を書いた。南...
「面白かったのう」と息をを引きとった高杉晋作・
「さわやかに死をみつめる80の話」公方俊良著よりーー「夢」の意味するものーー 沢庵は、多方面に活躍した禅僧です。宮本武蔵や柳生宗矩に剣術の奥義を説いたり、大寺の住職に迎えられたり、幕府に反抗して流刑に処されたり、将軍の尊崇を受け寺院を開山したりと、七十三歳の生涯を精いっぱい生き抜いた人といえましょう。 沢庵は、体に障害を感じてひそかに死期を悟り、絵師を読んで一円相(一筆で丸を描いたもの)を画かせ、...
山岡鉄舟の持論「本当の救いとは・・・」
「禅の名言」高田明和著より -人にはすべて能不能ありー 山岡鉄舟の持論は「自分でやっていけない者だけを面倒みる。自分でやっていける人には、手を出す必要はない」というものでした。 小倉鉄樹さんは鉄舟の弟子で、日本画家で文化勲章をもらった小倉遊亀さんのご主人でしたが、鉄舟のことを俺の師匠と呼んで、数々の逸話を記録しています。 彼は鉄舟のこの言葉を継いで「不遇の者を救ってやるのがほんとうの救いだ。順境に...
半兵衛が信長よりも秀吉を選んだわけは・・・
「人間の器量」童門冬二著より ー半兵衛にさらわれた信長と半兵衛をとりこんだ秀吉の差ー 山に秀吉が訪ねてきた。雑談をして帰ってゆく。ちょいちょい来る。が、半兵衛は秀吉の来訪の目的を見抜いていた。信長が何としてでも半兵衛を家臣にしたいのだ。やがて半兵衛はいった。「あなたには根負けしましたな。お仕えしましょう」「それは!主人の信長が喜びまする」「いや、私がお仕えするのはするのは、信長様ではありません。...
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