先日、健康法(筋トレ)について書きました(最下段のリンク参照)。今日は、そのひとつの「ウォーキング」について。
今日もいつものように、「ウォーキング」に出かけました。わたしの「ウォーキング」は、通常のウォーキングとは違いバラエティに富んでいて、いろいろなことをやっています。
ただ歩くだけではありません。歩くのに飽きたら、ゆっくり走ります。坂道が見えてきたらダッシュしたりもします。坂道を上り終えたら、また歩きます。歩きながらのストレッチもします。
だいぶ前に書きましたが、この「ウォーキング」では、「フレージング」も同時にしています。今やっているフレージングは、金子兜太の句です。(金子兜太の自選100句のフレージングは既に終えました。)今度は、自選100句以外の句のフレージングのスタートです。(フレージングについては、最下段のリンク参照)
フレージングの紙に書いてある句を詠みながら、歩いたり、スロージョギングしたりします。歩くリズムやジョギングのリズムに乗って句を詠みます。これが実に気分が良いのです。下記の句は、今行っているフレージングの中の一句です。
富士を去る日焼けし腕の時計澄み 金子兜太
歩きながら、ジョギングしながら、句を詠んでいると、その句の世界が自分の身体の中に沁みとおってきます。自分の心を潤す雫が、一粒こぼれ落ちてきて身体の中に広がっていくような感じです。
また、歩きながら周りの世界を体感し、それを一つのフレーズにしたりもします。歩きながらの思い付きやひらめき、気づきなどをメモ帳に短く端的に書き込みます。(「メモ帳」については、最下段のリンク「胸に熱く響く 金子兜太の句」参照)
このようにウォーキングは、わたしにとっては筋トレの場であるとともに、世界に出合うフィールドワークの場でもあるのです。
上記のメモ帳に書き込んだフレーズをもとに、文章にして考えを深めたり、俳句や短歌もどきフレーズに創ったりして、ドキュメントとして日々残すようにしています。
例えば、筋トレの日のドキュメント(俳句もどきフレーズ)(例) :
こくこくと刻みて走る終の時 いろは *終=つい
坂ダッシュ乱るる息や秋気澄む いろは
急坂を腿上げ走る 彼岸花* いろは
*俳句では主に「曼珠沙華」というそうですが、わたし的には「彼岸花」という方が親しみがあります。
また、年齢的にも「彼岸」ということを思います。彼岸か地獄か、どちらに近しいのかな? 今日この頃。
ところで、前回の記事の「西田幾多郎記念哲学館」には、「思索の道」という道がありました。また、京都には、西田が毎朝思索に耽りながら散歩した「哲学の道」というのもありますね。
野外での身体の活動を伴った思索の中にこそ、リアリティのある新鮮な着想も発想も湧き出てくるのではないでしょうか。書斎の思考に対する否定的な言葉を、先哲(ニーチェだったかな)の書の中で読んだ覚えがあります。閉じこもって本ばかり読んでいないで、野外に出るのがいいです。身も心もリフレッシュします。
外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女