来月101歳 めでたい
今年になって3度目の入院をしていた義伯母が無事退院しました。
寝たきりになることもなく、歩行器で歩きますし、トイレにも行けます。背筋はしゃんと伸びている。
具合が悪くなっても薬で回復することができる、その回復力,体力にびっくりしています。
回復してきたら、私はもうどこも悪くないよ、と言うぐらい。いえいえ,自覚はないけれど確実に弱っているはずだから無理は禁物と口酸っぱく言うのですがピンと来ないようです。
先々週のラジオで黒川伊保子さんが語っていた中に、"老いとは楽に死ぬための脳の作戦"
という言葉がありました。
小脳の働きが弱り,運動機能が衰えるのと同時に空間認知の力も衰える。
体の自由が効かなくなる(動ける世界が小さくなる)と、イメージする力も衰え外のことがあまり気にならなくなるのだとか。
さらに、脳の扁桃体が萎縮すると、恐怖が薄れてくるのだとも。
好奇心が小さくなり恐怖心が薄れてくる状態は,側から見るとぼんやり忘れているように見える。
これは,楽に逝くための道を歩いているということ
"物忘れは憂いが消えていくこと"
義伯母の姿に重ねながら、いろいろな言葉が納得できました。
あれほど親しくし,気にかけていた友人のことも
「忘れた」「会えば思い出すかもしれないけれど」
と言うのは、自然なことなのですね。
ありがたいことに私や私の子どもたちのことはしっかりわかります。
佐藤愛子さん流に言えば、"長寿,何がめでたい"かもしれませんが、もうすぐ101歳になる義伯母にはやっぱり"おめでとう"と言いたいと思います。
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