2015年 02月 25日
Terje Isungset - 公演感想 |
ノルウェーのパーカッションプレイヤーTerje Isungset (テリエ・イースングセット)の日本ツアーが無事終了した。
たった一人での演奏だが、いろいろな音が聴こえてくる。彼のライヴを見ていつも思うことだ。とてもマジカルな感じがするが、そこには長年彼が独自に編み出した方法がある。ドラマーとしてポップ、ロック、ジャズ、フュージョン、ブルース、マーチングバンドなどあらゆる種類(カントリーだけはやっていないと言っていた)の仕事をこなした後、既存のジャンルの演奏から一度完全に離れ、オリジナルな演奏スタイルを確立していった。
まず見ていてわかるのは、両手両足(足先)、口を万遍なく、それもいつも動かしていることだ。ヴォーカルを兼務するドラマーであれば、これはあり得る。Terje の場合はこれに加えて、両膝、両脚(足先ではない)、くるぶし、唇・歯・口腔・舌(口琴を使う時)、両腕、声を使う。
次に独特だと思われるのは、自らが集めたり、もらったりした自然素材をパーカッションに仕立てることだ。平らな石が三枚、彼の左手先に並べられていたが、これらの内の一枚は両親の家の屋根に使われていたものだし、他の二枚は山に登った時、彼の娘さんが遊びで叩いたりしていた石の音を聴いて拾ったものだ。また、手に持っていた丸い石二個は中国公演の時、中国の人からもらったものと言っていた。演奏では、丸い石を平らな石の上に円を描くように擦りながら音を出したり、二つを手に持って叩き合わせたり、丸い石で平らな石を叩いたりして使う。Terje が両手に持って頻繁に使うドラム・スティック状の物はノルウェーのカバノキを自分で集めて束ねたもの(使っているうちにチップオフして使えなくなるので、たくさん作ってあると言う)、ドラム後方に吊るされていた長い木片(樹齢100年ぐらいで芯が詰まっている)や、彼が時折手に持って揺らした吊るしの木片(50種ぐらい作ってとってある)も同様だ。これらの木材はご両親や義理のご両親の家のそばで集めたものだ。野生のノルウェー山羊の角で作った笛も、農家・牧畜家からもらったものから作られている。
つまり、身体を総動員することと、自然素材を活かすこと、この二つが基本軸にある。もっとも、そのベースとなる演奏技法にはドラム・セットに由来する「バス・ドラム、スネア・ドラム、ハイハット、フロア・タムとシンバル」という構成はあって、ドラムの歴史的発展段階としては20世紀型のスタイルが採用されている。このコンビネーションの上に、各種パーカッション類、特に鈴やベル、タンバリン(ハイハットに縦にして付ける)といったものが利用される。五体を駆使してこれらを同時並行的に鳴らしていくことにより、とても一人で出しているとは思えないような音数が得られるわけだ。
ここで付け加えるべきは、ドラム・セットのフォームはとっているが、いわゆるロック、ポップ、ジャズで使用するドラム類はほとんど使われていないことだ。バス・ドラムはマーチング・バンド用の大変大きなもの(グラン・カッサより素朴な音)だし、ハイハットにはシンバルは取り付けられておらず、その上下するシステムにはタンバリンに各種の鈴などが取り付けられている。唯一、既存のものを使うのはフロア・タムとスネア・ドラムだが、フロア・タムのチューニングは低くして、バス・ドラムの低音域に連動させ、スネア・ドラムにはかなりの数のベルや金属片がぶら下げられていて、スネアにリム・ショット(ドラムの端を叩く)を与えると同時にこれらの金属片などが様々な音を出すようになっている。フロア・タムやバス・ドラムさえ、Terje 側に幾つものベルや金属片が取り付けられていて、これらもドラムを叩くたびに連動して音を出す。アニミスティックな雰囲気を出すバス・ドラムはやはり通常より低音域にチューニングされていて、雷音や轟を想像させるに十分だ。
パーカッション以外の楽器も使う。一つは口に咥えて演奏する細長いチューブで、これはヨーロッパの家庭用電気コード・ケースだという。ちょうど、ヨーロッパのフォークで使う一穴フルートのような音がする。片方から息を吹き込み、もう片方の穴を手で塞いで調節する。もう一つ特筆すべきは、Terje の口琴(jews harp, mouth harp、アイヌのムックリの同類)演奏だ。口琴の名手に匹敵すれど決して劣らない技術と演奏力を持っている。唇、歯、口、口腔内、舌、そして手を駆使してあらゆる種類の音と倍音を出していく。更に、通常の口琴演奏家と違うのは、口琴を演奏しながらバス・ドラムやパーカッション類をも演奏してしまうことだ。両足は勿論、時には右手を口琴から離して使う。このコンビネーションは説得力があり、Terje の演奏の大きな特徴だと思う。
Terje は大変姿勢よく演奏する。背が高く、脚が長いので、ドラム椅子は通常のものを使っていても、最も高い位置に設定するから、彼の腰と脚の上部はドラム類の上に見える。普通、ドラマーがドラム類の影に隠れるのとは対照的だ。柔軟性に富んだ身体を、まったく無理なくリラックス・モードで使いながら、緩急自在に演奏するのが大変印象的だ。例えれば、武士の弓矢の鍛錬の如く、或いは抜刀から振り下ろしまでの一連の刀の扱い方を見るが如く、どこから見ても無理がないのに切れ味は最高度といった感じだ。こういうミュージシャンは見たことがない。自然志向のTerje だからこそなのかも知れない。無我に入り、天地と一体となった上での演奏では、武道と共通するものがあるのだろう。
武道でもそうだが、パーフォーマンスの会場には気を使う。やはり静けさが大事だ。精神統一はもちろんのこと、楽器類の鳴り方や聴こえ方に大きな影響がある。本来はまったくノイズ類がないのが理想だが、ライヴハウスではあらゆる種類のノイズがあるのが普通だ。そこをどこまでマネージできるかも一つの力になる。例えば、空調の音、キッチンの冷凍庫、冷蔵庫、製氷機、ビールサーバーなどの音、更には会場の外の騒音も勘定に入れる。柏のNardis の公演では、ちょうど演奏が最後の最後になったとき、会場外に車や人の歩く音がして、それを計算に入れてエンディングを、それらの音が終わる時に合わせていた。
ミュージシャンとしての力量は総合力にある。あたりまえだが、実際に演奏の現場で、持っている最大の力を発揮するのは大変だ。まず、体調がある。海外から来れば時差や長旅による不眠、疲れが最初の関門だ。そこに、会場の問題(ステージ、ノイズ、他)、使う楽器(会場など地元で調達するもの)の不備や欠損、音響設備の良し悪しなどが加わる。演奏はその後の課題だ。
総合力とはある意味マジカルな力でもある。与えられたどんな環境でも、限られた時間で最高度の演奏を要求される。そこでオーディエンスを魅了するには、ミュージシャン本人が持っている力全部を自ら引きだす必要がある。言ってみれば、常に不完全な環境で100%を超える演奏を提供することが期待される。これまで10年にわたりTerje のライヴを企画制作してきたが、彼ほど、このマジック力が強いミュージシャンはいないのではないかと思う。横浜 Airegin の公演で、ある方が「Terje はシャーマン」と言われていたが、本当にそういう素質を彼は備えている。
最終日、会場となった代官山の「山羊に、聞く?」で、演奏最後の場面で「野生山羊の角笛」が登場した。「(絶滅した)山羊がメッセージを託しているように思う」と Terje が言って、吹いて出てきた音は、まさに自然からのメッセージだった。どこか遠くからやってきた深い音は、オーディエンスを間違いなく揺さぶったと思う。「自然は師匠」という Terje だからこそ出せる音だった。
たった一人での演奏だが、いろいろな音が聴こえてくる。彼のライヴを見ていつも思うことだ。とてもマジカルな感じがするが、そこには長年彼が独自に編み出した方法がある。ドラマーとしてポップ、ロック、ジャズ、フュージョン、ブルース、マーチングバンドなどあらゆる種類(カントリーだけはやっていないと言っていた)の仕事をこなした後、既存のジャンルの演奏から一度完全に離れ、オリジナルな演奏スタイルを確立していった。
まず見ていてわかるのは、両手両足(足先)、口を万遍なく、それもいつも動かしていることだ。ヴォーカルを兼務するドラマーであれば、これはあり得る。Terje の場合はこれに加えて、両膝、両脚(足先ではない)、くるぶし、唇・歯・口腔・舌(口琴を使う時)、両腕、声を使う。
次に独特だと思われるのは、自らが集めたり、もらったりした自然素材をパーカッションに仕立てることだ。平らな石が三枚、彼の左手先に並べられていたが、これらの内の一枚は両親の家の屋根に使われていたものだし、他の二枚は山に登った時、彼の娘さんが遊びで叩いたりしていた石の音を聴いて拾ったものだ。また、手に持っていた丸い石二個は中国公演の時、中国の人からもらったものと言っていた。演奏では、丸い石を平らな石の上に円を描くように擦りながら音を出したり、二つを手に持って叩き合わせたり、丸い石で平らな石を叩いたりして使う。Terje が両手に持って頻繁に使うドラム・スティック状の物はノルウェーのカバノキを自分で集めて束ねたもの(使っているうちにチップオフして使えなくなるので、たくさん作ってあると言う)、ドラム後方に吊るされていた長い木片(樹齢100年ぐらいで芯が詰まっている)や、彼が時折手に持って揺らした吊るしの木片(50種ぐらい作ってとってある)も同様だ。これらの木材はご両親や義理のご両親の家のそばで集めたものだ。野生のノルウェー山羊の角で作った笛も、農家・牧畜家からもらったものから作られている。
つまり、身体を総動員することと、自然素材を活かすこと、この二つが基本軸にある。もっとも、そのベースとなる演奏技法にはドラム・セットに由来する「バス・ドラム、スネア・ドラム、ハイハット、フロア・タムとシンバル」という構成はあって、ドラムの歴史的発展段階としては20世紀型のスタイルが採用されている。このコンビネーションの上に、各種パーカッション類、特に鈴やベル、タンバリン(ハイハットに縦にして付ける)といったものが利用される。五体を駆使してこれらを同時並行的に鳴らしていくことにより、とても一人で出しているとは思えないような音数が得られるわけだ。
ここで付け加えるべきは、ドラム・セットのフォームはとっているが、いわゆるロック、ポップ、ジャズで使用するドラム類はほとんど使われていないことだ。バス・ドラムはマーチング・バンド用の大変大きなもの(グラン・カッサより素朴な音)だし、ハイハットにはシンバルは取り付けられておらず、その上下するシステムにはタンバリンに各種の鈴などが取り付けられている。唯一、既存のものを使うのはフロア・タムとスネア・ドラムだが、フロア・タムのチューニングは低くして、バス・ドラムの低音域に連動させ、スネア・ドラムにはかなりの数のベルや金属片がぶら下げられていて、スネアにリム・ショット(ドラムの端を叩く)を与えると同時にこれらの金属片などが様々な音を出すようになっている。フロア・タムやバス・ドラムさえ、Terje 側に幾つものベルや金属片が取り付けられていて、これらもドラムを叩くたびに連動して音を出す。アニミスティックな雰囲気を出すバス・ドラムはやはり通常より低音域にチューニングされていて、雷音や轟を想像させるに十分だ。
パーカッション以外の楽器も使う。一つは口に咥えて演奏する細長いチューブで、これはヨーロッパの家庭用電気コード・ケースだという。ちょうど、ヨーロッパのフォークで使う一穴フルートのような音がする。片方から息を吹き込み、もう片方の穴を手で塞いで調節する。もう一つ特筆すべきは、Terje の口琴(jews harp, mouth harp、アイヌのムックリの同類)演奏だ。口琴の名手に匹敵すれど決して劣らない技術と演奏力を持っている。唇、歯、口、口腔内、舌、そして手を駆使してあらゆる種類の音と倍音を出していく。更に、通常の口琴演奏家と違うのは、口琴を演奏しながらバス・ドラムやパーカッション類をも演奏してしまうことだ。両足は勿論、時には右手を口琴から離して使う。このコンビネーションは説得力があり、Terje の演奏の大きな特徴だと思う。
Terje は大変姿勢よく演奏する。背が高く、脚が長いので、ドラム椅子は通常のものを使っていても、最も高い位置に設定するから、彼の腰と脚の上部はドラム類の上に見える。普通、ドラマーがドラム類の影に隠れるのとは対照的だ。柔軟性に富んだ身体を、まったく無理なくリラックス・モードで使いながら、緩急自在に演奏するのが大変印象的だ。例えれば、武士の弓矢の鍛錬の如く、或いは抜刀から振り下ろしまでの一連の刀の扱い方を見るが如く、どこから見ても無理がないのに切れ味は最高度といった感じだ。こういうミュージシャンは見たことがない。自然志向のTerje だからこそなのかも知れない。無我に入り、天地と一体となった上での演奏では、武道と共通するものがあるのだろう。
武道でもそうだが、パーフォーマンスの会場には気を使う。やはり静けさが大事だ。精神統一はもちろんのこと、楽器類の鳴り方や聴こえ方に大きな影響がある。本来はまったくノイズ類がないのが理想だが、ライヴハウスではあらゆる種類のノイズがあるのが普通だ。そこをどこまでマネージできるかも一つの力になる。例えば、空調の音、キッチンの冷凍庫、冷蔵庫、製氷機、ビールサーバーなどの音、更には会場の外の騒音も勘定に入れる。柏のNardis の公演では、ちょうど演奏が最後の最後になったとき、会場外に車や人の歩く音がして、それを計算に入れてエンディングを、それらの音が終わる時に合わせていた。
ミュージシャンとしての力量は総合力にある。あたりまえだが、実際に演奏の現場で、持っている最大の力を発揮するのは大変だ。まず、体調がある。海外から来れば時差や長旅による不眠、疲れが最初の関門だ。そこに、会場の問題(ステージ、ノイズ、他)、使う楽器(会場など地元で調達するもの)の不備や欠損、音響設備の良し悪しなどが加わる。演奏はその後の課題だ。
総合力とはある意味マジカルな力でもある。与えられたどんな環境でも、限られた時間で最高度の演奏を要求される。そこでオーディエンスを魅了するには、ミュージシャン本人が持っている力全部を自ら引きだす必要がある。言ってみれば、常に不完全な環境で100%を超える演奏を提供することが期待される。これまで10年にわたりTerje のライヴを企画制作してきたが、彼ほど、このマジック力が強いミュージシャンはいないのではないかと思う。横浜 Airegin の公演で、ある方が「Terje はシャーマン」と言われていたが、本当にそういう素質を彼は備えている。
最終日、会場となった代官山の「山羊に、聞く?」で、演奏最後の場面で「野生山羊の角笛」が登場した。「(絶滅した)山羊がメッセージを託しているように思う」と Terje が言って、吹いて出てきた音は、まさに自然からのメッセージだった。どこか遠くからやってきた深い音は、オーディエンスを間違いなく揺さぶったと思う。「自然は師匠」という Terje だからこそ出せる音だった。
by invs
| 2015-02-25 12:03
| Terje Isungset