"The Aerosol Grey Machine" <Van der Graaf Generator> |
1. Afterwards
2. Orthenthian Street
3. Running Back
4. Into A Game
5. Ferret & Featherbird
6. Aerosol Grey Machine
7. Black Smoke Yen
8. Aquarian
9. Giant Squid
10. Octopus
11. Necromancer
もちろん、このアルバムは、バンドとしてもPH自身のキャリアとしても記念すべき最初のアルバムであるが、バンドの歴史を紐解いてみれば、すでにこの時点でバンドは「再結成」されたものなのであることは断っておきたい。このアルバムには16ページに及ぶブックレットが付されており、そこにはPH自身が「初めて語る」というVdGGの最初期の物語が12ページに渡り連綿と綴られている。かいつまんで言えば…、
そもそもの始まりはマンチェスター大学の1年生であったPHと、バンドの名付け親でもあるクリス・ジャッジ・スミス(Chris Judge Smith)が意気投合したことに始まり、そこにニック・パーン(Nick Pearn;org)とマギー(Maggie;b)を加えた4人での活動開始なのだが、最初のライブを行おうとしたまさにそのステージに颯爽と登場したジャッジ・スミスのあまりにサイケデリックな格好(詳細はブックレットを参照)に驚き呆れたマギーが演奏を始める前にステージを降りてしまい3人で演奏をした、というのがもっとも初期のバンドの唯一の活動であり、ライブ後当然のように解散。ニックは学生に戻っていった。
その後二人はジョン・ピール(故人)や英国マーキュリーのトップだったルー・ライツナーの自宅を突然訪問し演奏したりしたという。その後、大学の友人の弟だったというヒュー・バントン(org,p)が参加。この3人で、同じ学生仲間であったマネージャの家で(彼の両親が外出中にその庭先などでTVをギターアンプ代りにして)デモ・テープを録音。そのテープをもって様々なレコード会社にアプローチが行われた。こうしてアメリカのマーキュリーと、この時点でVdGG=PH+JSをその対象とした契約を結んでいる。
それから、PHとJSが休暇をとってアメリカに行っている間に、HBはイギリスでさらにメンバーを探し、同時に有能なマネージャを見つけた。それがトニー・ストラットン・スミス(Tony Stratton-Smith:故人)である。そう、後にカリスマ・レーベルの創始者となるトニーである。そしてキース・エリス(Kieth Ellis:故人)が加入した。彼はPHよりもひとつ年上で「要するにプロ」であった。その後ガイ・エヴァンス(Guy Evans)がHBがアングラ新聞に出したメンバー募集に応募してきたのだが、そのオーディションでは互いに相手に対しNGを出していたという。
この5人編成(JS/PH/HB/KE/GE)で録音されたのが幻のシングル『ピープル・ユー・ワー・ゴーイング・トゥ/ファイアブランド』であった。これはトニーの尽力でポリドール系列のテトラグラマトン・レーベルからリリースされたが、すでにマーキュリーとの契約が存在していたためにすぐに回収されることとなった。この騒ぎの直後にリード・ボーカルの座を巡って両雄並び立たず野格言どおり、「曲を書いた方がリードを歌う」となり、JSがバンドを離れたのである。その後買ったばかりの機材を盗まれ、借り物の機材を使った不満たらたらのギグを経て、トニーがマーキュリーとの不当な契約に新しいメンバーを含めようとしなかったこともあってマーキュリーとの関係も怪しくなり、バンドは2度目の解散をする。ここまでがバンドの「前史(pre-history)」である。
マーキュリーは契約を理由にPHにアルバムを製作することを要求していたため、PHはすでに書き上げていた3曲と以前のメンバーを集めて録音が行われた。それは6時間の練習、12時間の録音、6時間(LPには8時間と記述)のミックスダウンであった。結果、新たに9曲が完成した。これに先に録音していた2曲「ネクロマンサー」「アフターワーズ」が加わった11曲がこのときの、このメンバーによるセッションの全てである。トニーはレコードの発売の前にマーキュリーを説得し、PHをその不当な内容の契約から開放することに成功した。と同時にPHのソロ・アルバムとなるはずであったこのアルバムを「VdGG」の名前でリリースすることとしたのである。なぜならば、イギリスではジミ・ヘンドリックスやフリート・ウッドマックの前座としてツアーを重ねた結果、すでに知名度が上がりつつあったからだ。
しかし、アルバムはその英国ではなく、まだ一度のライブも行ったことのないアメリカでまずリリースされた。同時にシングル「アフターワーズ/ネクロマンサー」もリリースされたが、当然ながらセールスは悪かった。イギリスでもごくわずかな輸入盤が入荷したが正式なリリースはされなかった。その後ようやく欧州大陸でドイツのフォンタナ、オランダ、イタリアでヴァーティゴからそれぞれリリースされたのだがイギリスでは結局出されることはなかったのだ。
不思議なことがここでも起こっている。最初にリリースされたものと後のバージョンとで1曲入替りがある。それは『ネクロマンサー』と『スクァッド・ワン』である。これは現在のFie!のCDではともに収録されており、結果としてこのセッションのすべてが収録されていることになる。
レコーディングには4人のメンバーにジェフ・ピーチ(fl)をゲストに迎えたもの。曲によってはコーラスで最初期の手伝ってくれたゴーディアン・トローラー(Gordian Troeller)などが参加している。このGTはその後バンド/PHのマネージャになる人物である。このアルバムのために再び集結したメンバーは、レコーディングを通じて活動再開への意欲を高めた結果、次のステップへと進むのである。メンバーはまだ20歳であった。
オリジナルはアメリカ、欧州はドイツ、イタリアとオランダでのみのリリースであったため、長いこと入手しづらい作品として中古盤が高値を付けていたのも事実である。現在入手できるFIe!からのリリースは、本当に待望された再発であったと言える。楽曲はすべてリマスターされ、一部リミックスされている。ただし、通常のイメージされる処理ではなく、主に音のレベルを調整したことと、オリジナルでは時間とお金がなかったために手を加えることが出来ず、パート1と2に分かれていた「Orthenthian Street」でのクロス・フェードのやり直しである。これにより本来の意図通りに1曲という体裁をとることができている。
「Afterwards」は、PHの日本公演で実際に見た/聴いたことのある人もいるとは思うが、1986年の日本公演で初めて見たときにはこんな最初期の曲を演奏してくれるのか、と大変感動したものである。シングルカットされた曲だけにとっつきやすい優しいメロディを持ち、コード進行もエキセントリックではない。
「Orthenthian Street」は、実際にはそんな名前の通りは存在しないそうだ。オリジナルではパート1と2に分かれていたものがひとつになり、本来の形が始めて明らかになった。爽やかとさえ言える出だしから軽快なリズムが耳を引く。
「Running Back」緩やかなリズムと中間部のフルート、何度も出てくる寂びのリフレイン。アコースティック・ギターをメインとしたバラッドである。
「Into A Game」アコースティック・ギターのイントロから、徐々にアップテンポになっていくこの曲では、静と動とが見事に描かれており、すでに音楽的な手腕が花開きつつあることを示している。もちろんまだ若さ全開の部分が返って気持ちいい。
「Ferret & Featherbird」後に「ネイディアズ・ビッグ・チャンス」に再録されたがこちらがオリジナル。よりリアルなバンド・サウンドであり、幾分フォーキーなバラッドに仕上がっている。
「Aerosol Grey Machine」タイトル曲でありながら非常に短いこの曲は「フールズ・メイト」の「インペリオル・ゼップリン」を思い起こさせる陽気さが特徴。もともとソロ作品として作られたということが、こういう曲を含める余地につながっていたのかもしれない。
「Black Smoke Yen」短めだが唯一のインスト・ナンバー。キース・エリスの存在感が強烈。彼の存在が「プロ」のミュージシャンとは何かを教えてくれた、とPHは語っている。そして最後の音が伸びていく中をアコースティック・ギターが次の曲を奏で始める。
「Aquarian」この曲ではまさに初期のVdGGの特徴的な世界が広がる。しかしながら、決定的に異なっているのはオルガンの描く幻想的な世界をゴリゴリのベースが切り裂いていくことであろう。サックスの不在とベースの存在感の強さが後のアルバムとは大きく異なっているにもかかわらずこの曲はVdGGであることを強烈にアピールしてくる。水瓶座の時代がやってきた、と寿ぐ歌として書かれ始めたこの曲も出来上がってみると「ホワイトハンマー」などに通じていくダークな歌に仕上がっている。
「Giant Squid」オリジナルのLPには「Squid One」というタイトルで記載されていたが、やはりベースが印象的なイントロからPHの描く音楽世界が広がっている。中間部のブレイク以後のオルガン・ソロとそれに重ねられるドラムとベースのせめぎあいがバンド的な展開を見せようとするところで唐突に終わるのが残念。
「Octopus」これもまた出だしから紛れもなくVdGGソングである。全体の音質がよりシャープ・エッジな現代的なものであったならば間違いなくより迫力を感じることができるだろう。途中で音色を変えて空間的な広がりを見せるオルガンに対抗するような固い音でのピック弾きのベースが時代を感じさせつつも非常にかっこよく聞こえてしまう。キース・エリスという人物は非常にすばらしい才能を持った人だったのだろう。後のPHのソロで聞くことのできるPH自身のベース・ギターのプレイはこの人に影響を受けたものかもしれない。
「Necromancer」今となっては少々古臭さも否めないアレンジではあるが、短いながらもポップソングとしては秀逸。イギリスらしさ全開である。シングル「アフターワーズ」のB面でもある。
録音は、当時マーキュリーと契約していたジョン・アンソニー(John Anthony)のプロデュースで、トライデント・スタジオで行われた。録音エンジニアは、エルトン・ジョンの録音を一手に引き受けているロビン・ケーブル(Robin Cable)が担当した。マーキュリーがPHに与えたレコーディングのための時間はたった二日間であった。そして彼らはこのアルバムを作り上げたのである。そのエピソードはLPの裏ジャケットにジョンが「一枚のLPを作るには」と題して書いており、それはFie!盤のブックレットの裏表紙部分にそのまま載せられている。かなり小さい文字ではあるが…。
1999年にはマーキュリーによるLPの再発などもあるが、最後に店頭で目にしたことがある人もいると思うが、レパトワー(Repertoire)というドイツのレーベルから発売されたもうひとつの『エアロゾル・グレイ・マシン』について、1997年10月のソファ・サウンドのニューズレターに「雑記」として書かれているPH自身の言葉を引用しておこう。
----------------------------------------------------------------
歴史的な注釈をひとつ二つ。『エアロゾル』(あなたが葉書を手に入れたと願う):もちろんFie!バージョンは、『エアロゾル』セッションのすべてを真に代表するものである;『ファイヤーブランド(Firebrand)』と『ピープル・ユー・ワー・ゴーイング・トゥ(People You were Going to)』は、レパトワーのバージョンに含まれてはいるけれども、同じ時期に演奏されたものでもなければ、同じメンバーで演奏されたものでもない。とにかく、それはなくなるだろう;レパトワーCDは今やどんな場合も削除されている(訳注:廃盤になった)。だから、もしあなた方がこれらの特殊な-かすかに決まりの悪い-ちっぽけな(前)歴史を追いかけようとするのであれば、それは海賊盤の世界に逆戻りすることだと、私は思う。
----------------------------------------------------------------
By BLOG Master 宮崎