2011年5月度 ソファ・サウンド・ジャーナル 「前へ漂う」 |
「前へ漂う...」
sofasound | May 31, 2011 at 6:38 pm
なんともう、さらに一月が過ぎてしまったようだ。私は、完全に自分のソロ・アーティスト・モードに戻っていたんだ、もちろんだとも;一方、家ではさまざまなライブ録音を、とても近い将来に何らかの種類のディスク/ディスクスでリリースする意図を持って聴き続けていた。気が遠くなるような、また、時に混乱させられるような仕事だ:多岐にわたるマテリアルがあり、幸運にも、個々のパフォーマンスは、同様にさまざまに幅広いものとなっている。最終的にどんなものにまとめられようとも、もちろん、それはどのような類の決定版のセットにはならない(あるいはそう受け取られることを意図されないものになる)だろう。結局、私はこれらの楽曲の多くを演奏し続けようとするだろうし、したがって、それらとの関係を持ち続ける必要があるのだ。しかしながら、これまでに集められた証拠に基づけば、思うに、セレクションとパフォーマンスはともに、現在のソロ・ショーを適正に表すものとなるだろう。そこにおいて、それが起こるとき、私はいまだに、とりわけ鋭く、強く感じているのである。
もちろん、私は2度ほどその鋭さを試す機会を今月、二つのイベリア半島での冒険において得たわけだ。ゴウヴェイア・フェスティヴァルへの私の訪問は、都合3度目(一度はVdGGで)であり、いつものように、まったくもって文明化した礼儀正しい経験であった。ビルバオ、呼び出しの二つ目は、長いこと私のお気に入りの都市のひとつである。私の個人的な歴史の範疇において、ホテルで録音したギターがアルバムのバッキング・トラックになった(これまでのところ)唯一の場所でもある。「スタンブルド」のである。
(私はいつも十分な量の基本的なハードウェア/ソフトウェア一式をツアー中に録音できるように、と持ち歩いている。だが、実際にそれを使ってどうこうすることは、まともな休止時間でもなければ滅多にあるものではない。同様に、VdGGとのツアーに出ている間にも、原則的にはソロのライブ録音を審査する作業が“できればなぁ”と思っている。しかし、どういうわけだか、更にさらに、1)不可避的にやってくるショーを見越して、エネルギーを節約する必要があること。2)ツアーすることの持続的な楽しみの一つが、心に行動の自由を許すことであり、中立的な目で、じっくりと観察することを許すことである。ずいぶんと昔にこのことを「スロータイム」と書き表したことがあるし、それはいまだに私がありがたいと思っていることなのだ;結果として、ツアー中には目に見えて多くをこなそうとはせずにいるのだ。ツアー以外であれば、もちろん、極めてたっぷりと...。)
ゴウヴェイアでの伝統の一部は、最終日のランチタイムにパネル・ディスカッションが行われることである。今年のお題は、今日、どのようなミュージシャンでも実際にどうやって生活していくことが出来るのか、というものであった。明らかに私は、人生の時間を音楽に費やしており、かつ、そうすることで私自身と家族とを支えているという信じられないほど特権的なポジションにあるわけだが。これは、多くのミュージシャンの経験とは、歴史的にも、あるいは、極めて、現在においてもかけ離れていることだ。例えば、一緒に参加したほかのパネリストの誰一人として現在完全に自分の音楽的仕事だけで生きていけるわけではなく、また、ほかの仕事で以ってそれを補助しなければならない状況にあるのだった。
言うまでもないことだが、熱心で事情通の観客達の前で、あるいは一緒に行う幅の広い討論は、将来のミュージシャン達にとってなんら確実な道を示すには至らなかった。現状のままだ。人々は「無料の音楽」を権利として期待している。産業界は巨大な利益を数少ない「メジャーなブランド」から得ることを期待している。そして、もはやこれっぱかしも革新には興味がない。すべてが何か奇妙な「クラウド・フューチャー」の中で上手く行くのだろう。しかし、レディオヘッドの作業モデルは、ただ単に、グループが、それ以前のメジャー・レーベルからのリリースの直接的な結果として、すでにミリオン・セラーであるというためだけに過ぎない。一方、ミュージシャンは - 彼らはでなければならないのだが - 勇敢な顔を物事に対して維持しているのだ。お願いだから泣き言を言うんじゃない!
事実、全体として、それは陰鬱なディスカッションだった;だがそれらは、実際、面白い時間ではあった。個人的には、これまで幾度か表面的な物事の下でぶくぶくと澱んでいたある種の考えをはっきりと表現することが出来たことには感謝している。単にそれらを口にしただけである種の明快さが自分には得られたのだ。嬉しいことに、実際に演奏する機会は、演奏し続けることの不可能性を議論することよりもむしろ、その世私達の幾人かを待ち受けていたのだった。
どのような出来事においても、演奏することは前へと進み、そして実際、演奏を録音することへと進むのだ。5月はようやくVdGGのメトロポリスDVDのリリースが日の目を見る。私の、今となっては随分と前のことのように思える! 言っておかなければならないのは、これは極めてユニークなドキュメントであり、イベントは絶対的にその時一度限りのものだった。書いている時には私はまだそれを全部を通しては見ていない(時には、自分がそう見えるかもしれないよりもずっと、自分のことが頭から離れない、という訳では明らかにないのだ)のだが、たぶん、来月(6月)にはいくら亀を通すことが出来るだろう。あなた方はソファ・サウンドで注文することで可能だ。もちろんだとも。
もう一つの新作は「ウォーム・ウインター」というアルバムで、ティム・バウネスのプロジェクトであるメモリーズ・オブ・マシーンズによるものだ。ここで、私はギターを1曲で弾いている。その他のゲストとして興味深い顔ぶれが並んでいる。あなた方はこのアルバムについてバーニングシェドのこのページで見つけることが出来るだろう。
あぁ、貢献、コラボレーション、これもまたもう一つの議論の的だ!
...たぶん、次回。
------------------------------------------
大変遅くなってしまいました。5月度のジャーナルの訳をお届けします。
今回は、現在進行中のソロ・ライブのストックの聴き直し作業についても触れられています。いったいどのようなアルバムにまとめてくるのか、大変楽しみです。
また、ポルトガルでのフェスティヴァルで行われたパネル・ディスカッションでの発言について、少し掘り下げたピーター自身の、プロの音楽家としての考えを述べていますが、この部分は思わず何度も読み返してしまいました。
最新の関連作に触れた後の、最後の最後に、意味深な一文が添えられています。ほかのアーティストの作品へのゲスト参加や、共作した作品について、何か新たな取組みを考えているのでしょうか? それとも、その基準や意義についてのものでしょうか。いずれにせよ「次回」が楽しみです。
by BLOG Master 宮崎