伊藤新道復活プロジェクトの記録2022|父から受け継ぐ意思と景色 - .HYAKKEI[ドットヒャッケイ]

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伊藤新道プロジェクト

伊藤新道復活プロジェクトの記録2022|父から受け継ぐ意思と景色

第三吊り橋の架橋

伊藤新道を下流側から遡行(そこう)していったときに、第二吊り橋を超えると急に谷が開けて、行く先にも双六岳(すごろくだけ)が見え始め、雰囲気がガラッと変わる。

熱水変性を受けた花崗岩の赤茶けた色は相変わらずだが、ところどころ硫黄成分や石灰質の黄色や白が顔を出し、この辺りが晴れた日の陽光を受けたさまは、湯俣ブルーと相俟って私の気分を華やかに彩っていく。
この生命感がなくただ色が織りなす世界が伊藤新道の異世界観なのかもしれない。
それを稜線(りょうせん)からゴヨウマツが見下ろしている。
そういった中で渡渉(としょう)を繰り返し、ワリモ沢出会い【旧第四吊り橋】を超え、稜線部にとりつく直前に第三吊り橋はある。

今回第三吊り橋は、一連の吊り橋架橋の集大成ともいえる橋なので、第一、第二とは趣を変え、少し贅沢に木材や、特注のステンレスの主塔を使い、揺れを最小限に抑える構造とした。

今回のプロジェクトで一番美しい橋である。

伊藤新道、その異世界

余談になるが、第三吊り橋を渡った先の砂地の広場で、私は過去に何度も野営をした。あるときは登山道の修繕のため、ある時は調査のため、また父が83歳で最後に伊藤新道を下った折にもここで泊まった。
目の前の硫黄尾根の岸壁には幾筋もの細い滝があり、また目前の岸壁のその有機的な岩肌は見ていて飽きることがない。

私は三俣山荘からこの第三吊り橋の広場まで、いくつかのバリエーションで調査、危険個所の巻道の作道を試したことがある。一度目はワリモ北分岐付近から下り、途中で100mほどの滝に出くわし、巻くのに絶壁の森をトラバース(※3)。私は絶叫し妻は楽しそうだったのを覚えている。二度目は、鷲羽池(わしばいけ)から下り、これまた絶壁の草付き(※4)を絶叫、これまた妻は楽しそうであった。それは原因のわからない大胆さだ。

それから、展望台から赤沢までのルートは崩落が激しくいずれはなくなってしまうだろうとの父からのアドバイスで、大きく赤沢源頭方向に巻く道を作るよう指示されたことがあった。

2 週間ほど泊まり込んでどうにか作道し、父に誇らしげに見せたところ「こんな危ない道を作って、何をやっているんだ。」とのことで却下され、茫然としたのも強烈な記憶だ。

その作道の折、崖で見たカモシカの滑落死体から受けたインパクト、また「もうこのままこの森で暮らそっかな」という自然との一体感と自由は、その当時影響を受けまくっていた、星野道夫(※5)さんのイメージとも繋がっている。

人のいない世界、動物側の世界の美しさを私はここで学んだ。

第三吊り橋上流約1㎞のところに、湯俣川と硫黄東沢との出会いがあり、ここは伊藤新道上ではないが名所である。真っ白な岩肌に湯俣ブルーの水の滑滝(なめたき)、それに夏場には泳げそうなプールのような滝つぼ。中州には湧き出す温泉と、だれが作ったのか程よい湯舟がある。

また硫黄東沢をほんの少し遡行すると、最近「白影の滝」と名付けた美しい滝がある。
私はこの場所をいずれ保全しつつ眺められるようにしようと思っている。

(※3)山の斜面をほぼ水平に移動すること

(※4)急斜面や岩石地帯、または岩壁の上などで草や小さい低木の生えている場所。足場が悪く滑りやすい。

(※5)1952-1996年、千葉県市川市生まれ。アラスカで暮らし、大自然に生きる動物を撮影した写真家。写真集以外にも随筆や絵本など多様な著作を発表している。

ガンダム岩へのタラップ設置

話が前後するが、第一吊り橋上流にガンダム岩という巨大な二段に重なった大岩がある。

この岩は一見高巻けばいいのか、下の洞窟のようになっている滝つぼ脇を潜ればいいのか分からない様相。水量がそこまで多くなければ優に下を潜れるのだが、去年高巻きをした登山者が事故を起こしてしまった。そこで私はこの大岩に煙突に登るようなタラップをつけ、どんな状況でも通行できるようにした。

施工したのは、クライミング技術に長けているマウンテンワークスのメンバーだ。宙ぶらりんでドリルに力を入れるのは大変だっただろう。
しかし、激しい浸食活動でとめどなく動き続ける湯俣川の巨岩たちを見ていると、やがてこのガンダム岩も無くなり、いずれ思い出になるような気がする。

来年のこと、いつかのこと

来年は、今年出来なかったスラブ(※6)への桟道の設置、峠の茶屋の避難小屋の建設、稜線部危険個所へのステップ、梯子、ロープの設置を8月中旬までに終わらせ本開通としたいと思っている。いずれ伊藤新道の黎明期から廃道に至るまで、復活への道のり、クラウドファンディング、維持管理団体が出来、登山者が当たり前のように通行するようになっても、そのあまりに脆い岩肌と極彩色の異世界観は続いていくのだろう。

伊藤新道との付き合いは、私が初めて全行程を歩いた高校一年生の時からすると、30年になる。その間に2本残っていた吊り橋は崩れ落ち、赤沢の河床などは4mほども浸食されて下がった。そして父も亡くなり、山も川も生命として留まることなど知らない。すべては変化し、思い出となっていく。そんな無常観が凝縮されているのがまた伊藤新道の魅力なのかもしれない。

(※6)表面に凸凹が少ない、滑らかな一枚岩。

文:伊藤圭
写真:井上実花

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