人肉食が行われるほど追い詰められた、漂流者たちの反逆と帰還──『絶海: 英国船ウェイジャー号の地獄』 - 基本読書

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人肉食が行われるほど追い詰められた、漂流者たちの反逆と帰還──『絶海: 英国船ウェイジャー号の地獄』

この『絶海』は、1740年代に起こった英国船ウェイジャー号の漂流。そしてそこからの数年がかりの帰還までを描き出した、冒険・歴史ノンフィクションである。もともとウェイジャー号は財宝を積んだスペイン船を追う密命を帯びた、250人の乗組員のいる大規模な船だったが、嵐に荒波にと過酷な航海と壊血病による壊滅的な被害によって、南米大陸南端を航行中嵐に飲み込まれてしまう。当時の造船・航海技術は完璧とはほど遠く、こうした事故自体は航海につきもので、そう珍しいものではない。

しかしこの事例では事故の後に特異性があった。わずかに生き残ったウェイジャー号の乗組員たちは、ろくに食料もとれない無人島に到達し、食料や武器を奪い合い、裏切りは続出し、海軍の規範を維持することもままならず、果てには殺人や人肉食に及ぶものまで現れるのだ。彼らがたどり着いたウェイジャー島は現代においても嵐の絶えない過酷な環境であり、食料が増えるイベントはほぼなにもないことから(海藻をこそげとったり、海鳥を落としたりするぐらいだ)飢えに苦しむものは後を断たず、ひとり、またひとりと飢えて亡くなっていき、最終的に今後の方針について当時艦長だった人物と反逆者たちの間で大きな対立が起こり、決定的な分裂に至ることになる。

飢えに追い詰められた人間の集団がどのような行動に至るのか。また、ウェイジャー島で大きく分かれた二派は最終的にイギリスに帰国を果たすのだが、どうやって水も食料もほぼ何もない状態からその帰還の冒険を成功させたのか。二派は軍法会議にかけられるのだが、どちらの言い分がみとめられたのか──など、『蝿の王』的なサバイバル、出発と帰還時のわくわくする冒険、帰国してからの法廷劇と、どの章も異なる読み味で楽しませてくれる。一気読み必死のノンフィクションだ。

出発、そして無人島への漂着。

前提となるところから紹介をはじめるが、まずウェイジャー号が英国を離れたのは対スペイン戦の最中の1740年9月のことであった。士官たち乗組員約250人が乗り込み、極秘任務を帯びた小艦隊の中の一隻としてポーツマスから出港している。

極秘任務とは、世界の海を股にかける最高の財宝船と呼ばれるスペインのガレオン船を拿捕することだった。勇猛な目標ではあるものの、実態としては出港前から大変だったようだ。今では発疹チフスとして知られる病(しらみなどを介して感染する細菌感染症)が爆発的に流行し乗組員がバタバタと倒れ、そもそも当時の英国に徴兵制はなかったから乗組員は足りなかった。そのせいで、当時ロンドンでは、武装した徴募隊が船乗りの適性のありそうな者を片っ端から拉致してきていたのだという。

そんなやり方で連れてこられたやつが仕事するわけないだろと思うが実際次から次へと脱走していたようだ。『もっとも、反抗的な者は隙あらば脱走したし、志願した乗組員たちも不安に駆られて脱走した。セヴァーン号からは、わずか一日で三〇人が姿を消した。(p.54)』。結局、当時のウェイジャー号には6歳の少年から80代の歴戦の船乗りのような人物も、子連れで乗り込んでいたらしい。善人も悪人も、追い剥ぎから押し込み強盗まで、あらゆるキャリアを持った人が揃っていたようだ。

で、そこからしばらくしてウェイジャー号は難破して地獄のような目にあうわけだが、そこまでも別にラクな道のりだったわけではない。医学的な知識が現代とはかけ離れている時代だから、みなビタミン不足で壊血病になり、空気の入れ替えも知られていなかったから、窒息寸前で苦しんでいた。排泄物にまみれ、疫病は広まり、治療法もないから、バタバタと人は死んでいく。なにしろ当時といえば、人間にとって不可欠なものが土の中にあると考え、病人を顎まで土に埋めることが試みていた時代である。航海中の死者は、ウェイジャー号で250人中50人以上にものぼった。

そんな状態でまともに航海できるわけもなく、英国出発から約7ヶ月後の1741年4月10日のこと、艦隊を組んでいたセヴァーン号とパール号が他の船から遅れをとって消え、艦隊は5隻から3隻へ。その後すぐにウェイジャー号も本隊から離れてしまう。ろくに海と船を監視するものもいなくなり、嵐に翻弄され、陸地に向かって進み、沖に出ようとしても波と潮の影響で海岸線から離れることができない。最終的にウェイジャー号は暗礁に乗り上げ、乗組員は近くの謎の島に漂着することになる。

蝿の王状態

島にたどりつくことができたのは、当初250人いた乗組員のうちわずか145人。難破して死を目前にした人々からすれば陸地は救いだったが、かといってそこが楽園ではないこともすぐに明らかになる。山はあるが不毛で、動物といえばとるのが難しいカモメぐらい。そのうえ島には絶え間なく暴風雨が吹き荒れ、移動もできない。

海岸にはかろうじて二枚貝や巻き貝があったので最初はそれを取ってたべ(すぐに食べ尽くすが)、時折難破したウェイジャー号から物資が流れ着くのでそれを拾うという、絵に描いたような無人島漂流譚である。船に乗っていた当初は艦長のチープの言うことを聞いていたが、その規範もこの島で暮らすうちに外れはじまる。

何しろこの状況に導いたのも結局はチープのせいであるし、当時の英国海軍では乗った船が役務から外れると給料がもらえなくなる仕組みだったから、ウェイジャー号が失われた時点で収入が途絶え、無駄に苦しんでいることにもなりえた。当然、不満分子が現れるのは避けられない。一ヶ月も経たないうちに荒くれ者9人が本隊から離れ、。独自に食料を探し始める。本隊も安泰ではなく、艦長にたいする見下した物言いをするものもいれば、どこかに与するのを避け、一人で行動したものもいる。

敵対する複数の長が立ったせいで、ウェイジャー号の乗組員たちは「無政府状態」という海に沈みかけているとキャンベルは記している。互いに敵意をむき出しで、相手を襲いかねないほど反発し合っていたため、「何が起こるか予断を許さない」状況だった。(p.194)

食糧問題は一切解決せず(セロリを発見するなど福音もあるのだが)派閥の対立も激しくなり、最終的には殺人、人肉食、それから今後の方針をめぐっての暴力的な解決にまで至ることになる──。『人肉食については自分の日誌にも残すべきではないと思っている者が大半だったが、バイロンは死んだ仲間の体を切り落として食べるようになった者がいることを記しており、それを「絶体絶命の窮地」と呼んでいる。』

そして、本当にごく一部の人間は英国に帰還することに成功するのだが、それはウェイジャー島よりもはるかに過酷な旅で──と本当に悲惨なシーンは実際に読んで確かめてもらいたいところだ。

おわりに

ウェイジャー島には定住民こそいないものの時折やってきて海洋資源を狩猟採集をして去っていく原住民も存在し、彼らとの邂逅があったりと、無人島生活と言えども様々なイベントが発生する。ひとり、またひとりと餓死していく様が詳細に書き残されていたりと、これまで読んできた数々の悲惨な海洋冒険ノンフィクションの中でも、あまりに過酷で、人の死に対する感覚が麻痺していくような一冊だ。

ちなみに、本作の著者は先日映画も公開されたばかりの『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(インディアン連続怪死事件を扱った実話犯罪映画)の原作者でもある。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の成功を受けてか、本作(『絶海』)も監督のスコセッシ、主演のディカプリオのタッグで映画化が決定している。あまり爽快な物語にはならないだろうが、今から劇場で鑑賞するのが楽しみだ。