地下を通して、数千、数万年後の祖先に我々は何を遺せるのかを考える一冊──『アンダーランド──記憶、隠喩、禁忌の地下空間』 - 基本読書

基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

地下を通して、数千、数万年後の祖先に我々は何を遺せるのかを考える一冊──『アンダーランド──記憶、隠喩、禁忌の地下空間』

この『アンダーランド』は、大自然を相手にした旅行記に定評のあるロバート・マクファーレンによる、地底をめぐる紀行文学である。マクファーレンは本書の中で、イングランド南西部で青銅器時代の墳墓を探索し、ダークマターの検出など、科学的な実験のために用いられている地下科学施設におもむき、ある時は氷河の中にロープを用いて降りていき、最終的には核廃棄物を収容する地下施設にまでいってみせる。

「地底」と一言でいっても、訪れる場所の種類がやけにバラついていて、話にまとまりがあるのかなと少し心配しながら読み始めたのだけれども、地底の旅に「時間」と「人新世」という二つの中心を付け足すことで一貫性が生み出されている。様々な文学作品や神話からの引用に彩られた文章も素晴らしく、たいへんおもしろかった。

時間と人新世というテーマ

地下には嫌なもの、見たくないもの、隠しておきたいものが送り込まれるものだ。また、意図せずして地下の奥深くに物がしまいこまれ、何万年も経った後に表出してくることもある。そうした、場合によっては何万年も開けられることのない地下空間には、地上とは隔絶した時間が流れている。本書の原題は『Underland: A Deep Time Journey』で、悠久の時間の旅についての話なのだ。

また、我々は地下から目を逸らそうとするが、時には地下から漏れ出てくるものに相対しなければならない。「目を逸らすことができない地下から漏れ出る物」その具体例として本書で取り上げられていくのが、もうひとつのテーマである「人新世(ひとしんせい)」だ。現代においては人類の活動が地球の生態系や土壌、気候に支配的な影響を与えるようになっていて、こうした新しい地質年代を表すものとして、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが考えだしたのがこの人新世である。

北極圏では、古い時代にたくわえられたメタンガスが、永久凍土の融解にともなって地球地表上に漏れ出ている。著者が一見したところ地下とあまり関係がない北極圏にまでいって氷河の中に入っていくのは、こうした地球環境の変化をとらえ、長大な時間の視点から地球の過去と未来を考えるというテーマに沿ったものだからだ。ダークマターについて語った章だけ浮いているが、これも宇宙創成にふれることで、有給の時間に触れるという観点から。読んでいてかなり強引に感じはしたけれども。

悠久の時間を意識することによって、人は過去から未来へつながる数百万年もの時間のなかで贈られ、引き継がれ、遺されてきたものの網目のなかにいると感じ、自分たちのあとに来る時代や存在に何を遺せばよいかを考えることもできる。

氷河

個人的におもしろかったのは、氷河の中に入っていく章と、核廃棄物の処理場についての話だ。そもそも、グリーンランドの章が始まった時は氷河って入るような地底なくないか?? と思いながら読んでいたが、氷河にはムーランと呼ばれる穴が空いていて、著者はそこに入っていく。ムーランとは、氷の溶けた水が溜まって、それが氷点をわずかに上回っているため、溜まった場所が次第に窪んでいき、最終的に窪みが大きくなっていって、巨大な穴になった場所のことをいう。

ムーランは、数センチ程度のものから、100メートル以上の物もある。氷河の融解が進むにつれムーランの数も増えていき、ムーランが増加することによって、氷河の中に水が流れ込むことでさらに氷が溶けてしまう。著者は体にロープを結びつけ、ムーランの一つに降りていく。結局、氷河に穴が空いた部分でしかないので、降りていった先に特別な景色があるわけではないのだが、降りるまでの過程が旅行記として実に楽しい。ムーランの奥深くで流れる、水によって空気が動いて鳴る特殊な音。三頭の雄大なクジラとの遭遇、巨大な氷塊が海に落ちていき浮き上がっていく瞬間、燃えるようなオーロラ。ほぼ文章だけだが、非常に美しく、雄大な景色の描写が続く。

核廃棄物

ラストは核廃棄物補完所。これも、行くのはフィンランドのオルキルオト島にある核廃棄施設で、その施設自体は順当に案内係の人間に案内されるだけでたいしておもしろくはないのだけど、核廃棄所にまつわる話がおもしろい。たとえば、核廃棄物について考えるためには、通常の時間尺度から離れる必要がある。ウラン235の半減期は約7億万年だ。そのようなものを保存し、しまっておくためには、新しい記号論が必要とされる。たとえば、時代を超えて文明が移り変わったり崩壊しても、それが危険なものだと後世の人間に示すためにはどのような記号を用いるのが良いのか。

人間が人間である限り「危険だ」と認識できる記号など、存在するのだろうか。まさにそうした疑問を検討するために、1990年頃には、原子力記号論という研究分野が生まれた。そして、アメリカでは、ユッカマウンテンやニューメキシコ州で建設中だった核処理廃棄物施設で、今後一万もの間、埋蔵場所への侵入を防ぐための標識システム構築のために、ふたつの独立した委員会が設立され、人類学者、建築家、歴史家、グラフィック・アーティストらが意見を述べた。

そこで出てきた意見に、棘の景観やブラックホールの絵、威嚇するブロックを設置してはどうかというものがあったが、そうした攻撃的な構造は「ここには竜がいる」という警告ではなく「ここにはお宝がある」という誘因として働いてしまう危険性もある。ムンクの叫びのような恐怖を感じるイメージを残すという案も出されたが、記号学者にして言語学者であるトーマス・シーべオクは変化しても働きを失わない超越的なシニフィエを見つけることはできないとして、別の案を提案している。

長期的で能動的なコミュニケーション・システムを作って、その場所の性質を物語や民話、神話などを使って伝達していくことだという。ようは原子力教団みたいなのを作って、そこに改作や修正を許容した柔軟さを持つ、神話を作り出すのだ。SFではよく使われている手段ではある(何千年も経って、意味は殆ど失われていても近寄ってはいけない、触れてはいけないなどの単純な感情だけは伝わっている)。うまくいくかどうかはともかくとして、なかなかに物語的な興味を惹句する案である。

しかし、数千、数万年残る伝達手段を、と考えた場合は、こうした発想の飛躍が必要になってくるのだろう。ニューメキシコ州にある廃棄物隔離パイロットプラント(WIPP)は現在のところ2038年に封鎖されることになっているが、その場所につける標識はまだ検討中で、その計画には社会学者やSF作家が加わっているという。

おわりに

我々は数千、数万年後の人々にとってよい祖先になるために何ができるだろうか。地の底に行くことで悠久の時間にふれ、ダークマターにふれることで宇宙の始まりに、核廃棄物にふれることで何十世代もあとの人類の行末に思いを馳せさせてくれる、優れた紀行文学だ。