- 作者: バーツラフ・シュミル,塩原通緒
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2019/03/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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社会が進化するにしたがって、人間の数は増え、社会の仕組みや生産の仕組みはより複雑になり、より多くの人がより質の高い暮らしを送れるようになっていった。基本的な生物物理学の観点からすれば、有史以前の人類の進化と歴史の流れは、ともに、エネルギーをできるだけ集約的で汎用的な携帯で、いかにたくさん貯蓄し、循環させられるか、そしてそのエネルギーをできるだけ無理のない、低コストで効率のよい方法で、いかに熱や光や運動に変換させられるかを希求するものだったと見なすことができる。
そして生存に必要なエネルギー採取が効率的に行えるようになって以後も、人類は自身らの娯楽、さらなる発展を目指してエネルギー収支の改善に邁進してきた。だから、最初『エネルギーの人類史』という書名を見たときは「凄く読みたい!」と胸が高まるのと同時に「でも、それってちゃんとまとめられるんだろうか??」という疑問も同時に湧いてきたものだ。『エネルギーは、唯一無二の普遍通貨』であり、実質的に人類のすべての営みをエネルギーの観点から語り直すことができるからである。
だが本書は、風力や水力、人間の労働力から道具や輓獣の使用をジュール換算で数字にすることで描写し、それが人類史の中でいかに効率化されたかを描きつつ、エネルギー収支のみでは決定されない人間の動機や選り好みにも適宜触れながら、最後までスマートにまとめきってくれた。また、上下巻とけっこう長い本だが、随所随所にコラムが差し挟まれまったく飽きずに読み切らせてくれる極上の一冊でもある。
具体的な内容について
では具体的な内容についていくらか紹介していこう。基本的には「エネルギーと社会」と題された第一章の後は、先史時代のエネルギー、そこから伝統的な、人間と家畜が労働をする農耕についての話、産業化以前に使われていた燃料、道具について、次に化石燃料と一次電気……とだんだん近代に近づいていく構成になっている。
たとえば、先史時代の農耕を行わない狩猟採集民はどのようなエネルギー収支のもと生きていたのか? 農耕を行わない彼らは一日数時間だけ働いてそのへんに生えている野生植物とたまの狩りで健康で活発で満ち足りた生活をおくっていたという人もまれにいるが、二〇世紀に存在した狩猟採集民の栄養状態と健康状態はよくて不安定で、壊滅的な飢餓に陥ることも少なくない、とても満足した状態ではないという。
想定されるエネルギー収支的にはどうだろうか? 基礎代謝に必要とされるエネルギーは(当時の狩猟採集民の身長を低く見積もって)1日あたり6メガジュール(250キロジュール/1時間)、成人の生存に必要な最小限の食物エネルギーが8メガジュール(330キロジュール/1時間)になる。典型的な狩猟採集活動には男性で基礎代謝率の4倍、女性で5倍、900キロジュール/1時間が必要になり、ここから生存に最低限必要な部分を差し引くとおおむね狩猟採集における正味のエネルギー入力は、およそ1時間あたり600キロジュールだったという。この収支だとけっこう働かんとだめやね。
ギザの大ピラミッドを造るのにどれだけのエネルギーが必要か?
個人的に読んでいて楽しかったのは建造物について語られた章で、ジュール換算することでその規模が実感として把握しやすくなる。たとえばギザの大ピラミッドの建造に必要なエネルギーはいくらか? 大ピラミッドの位置エネルギー(2.5平方メートルの石の質量を持ち上げるのに要するエネルギー)は、2.5テラジュールで、これをクフ王の統治期間である20年間で調達するには1500人の採石工が年間300日働いて一人あたり0.25立方メートルの石を切り出す必要がある。それを建設現場に運ぶのに3倍の人数が必要だったとしたら、建設資材を供給する労働力は合計およそ5000人。
1日に投入される総有効エネルギーを一人あたり400キロジュールとすると、石を持ち上げるのに必要なのは625万日の就業、20年間でこれを比例配分すると約1000人の労働者で達成できるから6000人。さらに積み上げ中のピラミッドの所定の位置に石を納めるのに1000人、管理者や監督、食糧配達などの要因としてさらに1000人足して8000人。なんとなく全体の総エネルギー量から必要な人員がみえてくる。
さらには、労働者が共同で毎時4ギガジュールの有効力学的エネルギーを投資していたとしたら、全体の仕事率*1は1.1メガワットになり、これを維持するためには毎日20ギガジュール余分に食物エネルギーを摂取しなければならず、これには小麦1500トン近くが必要で……と石の重量から必要な食物量までなんとなく推測できるし、ヘロドトスが聞いたという話ではこの建設には10万人が年間3ヶ月の労働で20年間働いたというが、誇張されているだろうとあたりがつけられる。
エネルギー消費の増大は幸福度に結びつくか?
ここまでは上巻の内容(のほんの一部)で、下巻からはいよいよ化石燃料や電気が現れ、我々のエネルギー使用量が爆発的に跳ね上がっていくことになる。下巻では歴史をエネルギーを通してみることでわかること(たとえば、新しいエネルギー源と新しい原動力の採用と拡散が、経済的社会的環境的変化の根本にある)、またエネルギーを通しても見えないもの(たとえば、複雑な社会の崩壊)は何なのかについて語っており、非常におもしろい。
たとえば、人類の営みはそのままエネルギー交換であるとたとえられるのであるから、使えるエネルギーが増えれば増えるほどより様々なことができるようになって教育なや医療環境が整い、平均寿命がのび、幸福度も上がり、諸要素が改善されていくように思えるが、実態は異なっている。正確にいえば、ある一定のところまで一人あたりエネルギー消費量が増えると、それ以降、少なくとも人間開発指数は(出生時平均余命と成人式自指数、一人あたりGDPの統合した数)、どの国においても目に見える改善の結果を起こさないのである。『グラフでは、回帰直線が一人当たり五〇から七〇ギガジュールのあいだではっきりとカーブし、そのあとは収穫逓減となり、一人あたり一〇〇から一二〇ギガジュールを超えたところで、その線は平坦となる。』
最もエネルギーを大量に消費する国アメリカでは新生児1000人あたり6.6人が生後1年以内に死亡していて、この死亡率は世界31位。平均余命も世界で36位である。無論それは消費されたエネルギーがそれ以外のところ(たとえば娯楽)に向かっているからだが、著者はこの点に関しては『こっけいなレベルにまで達している。』とけっこうな語調で批判しており、エネルギー消費の多寡よりも、エネルギーをどう格差を縮め、世界における生活の質に変換するために使うかを考えねばならんととく。*2
加えて、今の高エネルギー文明は、そもそも過去の太陽エネルギーによって蓄積された化石燃料資源によって支えられた、『いわば芝居の幕間』にすぎない。再生エネルギーの活用は有望だが、肥大しきったエネルギー消費量を支えるためにはあと数世代はかかるであろうし、前例のない追求であり成功する見込みは不確かである。だが、仮に厳しかったとしても、再生エネルギーへの転換は、やらねばならんのだ──と、最終章はとことん熱のこもったアジテートで、納得するかはともかく(僕は再生エネルギー周りの技術革新が多数起こりつつあるのと、世界的な人口減傾向のおかげでわりとなんとかなるんじゃねと楽観的である)たいへん素晴らしい出来の一冊だ。
- 作者: バーツラフ・シュミル,塩原通緒
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