サウス・セントラル・ロサンゼルスのシャーロック・ホームズ──『IQ』 - 基本読書

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サウス・セントラル・ロサンゼルスのシャーロック・ホームズ──『IQ』

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

IQ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

日系アメリカ人であるジョー・イデによる『IQ』は、黒人を主人公に据え、『ベイカー街の脳をサウス・セントラル・ロサンゼルスに移し替えたシリーズ第一作』とも評された探偵小説だ(ベイカー街はホームズの住んでる街)。新人賞三冠受賞作+装丁もカッコよくかなり期待して読み始めたのだけれども、これはまーおもしろいですね。
www.theguardian.com
治安は最悪でギャング同士の抗争が盛んなサウス・セントラル・ロサンゼルスを舞台として、一悶着も二悶着も誘発しそうなクールでIQがべらぼうに高くホームズのような頭脳をもった黒人を主人公に据え、ラッパー殺人未遂事件の解決と黒人探偵が”なぜ探偵になったのか”を追うこの物語は、セリフも地の文もどこを切り取ってもめちゃくちゃカッコよく、キャラ造形や文体は《マルドゥック》を思い出させるところもある。ミステリ、犯罪小説好きだけでなく幅広い層に手にとってもらいたい逸品だ。

ざっとあらすじ的な

黒人探偵の名はアイゼイア・クィンターベイ。自ら探偵を名乗っているわけではなく、警察が対応できない、手が出せないような地元の事件を優先的に引き受けている人物だ。彼の何がシャーロック・ホームズ的要素なのかといえば、いろいろあるが一つはその鋭い観察眼だろう。人と同じ状況を聞き、観ただけで、人よりも多くの情報を引き出してみせる。『まったく関係ないが、どうしても彼にはいろいろと見えてしまう。ちがう点、おかしな点、辻褄が合わない点。あるいは、辻褄など合うはずがなかったり、相手の言っていることとちがうはずなのに、バッチリ合っている点。』

IQとは彼の名前の頭文字であると同時に、その高い知的能力に対するあだ名でもある。普段はいなくなった娘の捜索などが仕事なわけだが、彼がなぜか世話をしている脳に障害を負った少年のためにも大金が必要となり、リスクもリターンも大きい仕事へと飛び込んでいくことになる。仕事をもってきたのは何年も前から陰に陽にとつるんできたドッドソンだ。なんでも、三週間豪邸にひきこもって出てこなかった大物ラッパーを殺すために巨大な犬をけしかけた殺し屋とその依頼主を探し出せという。

なんで犬なんか使うわけ? と思ったが、訓練された闘犬はそれはそれはおそろしいものだ。加えて殺しを依頼される殺し屋には通常期限が切られているものだから、三週間も防備が整った豪邸に引きこもられると多くの手はないともいえる。手がかりと言えるのは犬がけしかけられ、ギリギリで大物ラッパーが逃げ出し、けしかけた謎の男が犬を回収して去っていく映像のみ。異様に落ち着き払った殺し屋、巨大な犬の特性、殺し屋がもっていた銃など、IQは映像から無数の情報を引き出し、ひとまずは犬から調査を開始してみせる。『「殺し屋を雇った者を探し出す唯一の手がかりは殺し屋であり」アイゼイアはいった。「殺し屋を探し出す唯一の手がかりは犬だ」』

まあ、事件の相手側には犬ぐらいしか特徴がないからな。そうした2013年の大物ラッパー殺人未遂事件を追う探偵パートと交互に、IQがいかにして今のような仕事を始めるようになったのか──が明かされる2005年パートが挟まれる。こちらでは、IQが父と母の亡き後に自分を育ててくれた兄を何者かに殺され、同じ家で同居するようになったドッドソンと共に、その優れた頭脳を活かした綿密なる強盗を実行する犯罪が描きこまれていく。順序立てて、計画通りに。彼らは強盗に軍の放出物資店で買った破壊槌を用いていたことから、後に”破壊槌盗賊団”と呼ばれるようになっていく。

ロサンゼルス南部の貧困

どちらのパートでもおもしろいのはサウス・セントラル・ロサンゼルスの貧困層の生活、文化が綿密に描きこまれていくところにある。金がないからギャングや強盗に手を出さざるを得ず、ヒップホップやラップが社会にどっしりと根付いている。口調は荒く、喧嘩っ早くて、すぐに銃が出て一瞬即発の空気になってしまう最悪な治安だ。

そんな場所で親もなく暮らしていくためにもIQは強盗を続け悪へと堕ちていくわけだが、決して人は殺さず、彼なりの高い倫理観をもってやっていることが明らかとなり、そうした倫理観自体がまた彼を苛むことになるという複雑なパーソナリティの描き方もまた魅力だ。行き場のない息詰まる貧困の描写がやけにリアルだなと思っていたのだが、解説の渡辺由佳里さんによるとジョー・イデが育ったのもロサンゼルス南部で、ほとんど黒人の友達の中で暮らすうちにその文化に溶け込んでいったという。

セリフ回しなど

細かく区切って論理を積み重ねていくクールなIQのセリフ回しや、リズム感のよい地の文の数々もまた読みどころである。『「ギャングスタの流儀はテクニックじゃなくて、心構えだ。何かを自分のものにしなけりゃ、自分が誰かのものになる」』とか、『大きな犬を育てようと思いついたのは、新作のゴジラ映画を観ているときだった。ばかでかいトカゲがどたどたと歩き回り、ビルを壊し、橋を落とし、津波を引き起こし、人々が蟻のように逃げ惑っていた。わめき、身を隠し、祈り、泣き、愛するものの名前を叫びながら。』などなど、読んでいてひたすら気持ちがいい文章が並ぶ。

ひたすらにむなしさに苛まれ、ドクターにかかりながら「とにかく解放されたかった。」と地の文で綴られる大物ラッパーの破滅的な描写などは先にも書いたように《マルドゥック》シリーズに出てきても違和感がない。ルビ芸も炸裂しているし(『「おれのものシットが燃えてる」カルは言った。「おれのシットを燃やしちまった」』)。

おわりに

とまあ、シリーズ第一作目にして非常に読みどころの多い一冊なのである。IQが探偵になるまでは本書で明かされるが、まだその前日譚(兄の死)にあたる謎はまだ残っているし、続刊も続いているので、楽しみに待ちたいところ。