- 作者: デイヴィッド・イーグルマン,大田直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/09/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いったん視覚情報や触覚情報といった身体表面から情報を受け取り、それを脳で解釈することによってはじめて"人間用に最適化された、人間用の世界"を構築する。我々はある種のフィクションの世界を生きているわけだ。
と、大層な語りだしではじめたけれども、本書はそうした現実の解釈機関である脳についての一冊だ。著者は日本でも『あなたの知らない脳──意識は傍観者である』で知られる神経科学者で、巧みな文章で脳科学の世界を紹介する伝達者である。本書は著者が監修・出演したBBCのテレビ番組の書籍版であり、「人はどうやって決断を下すのか」、「人はどうやって現実を認識するのか」など縦横無尽に語ってみせる。
本書だけで脳科学が全てわかるわけではないが(そんな事はどんな本でも無理だ)、分野の動向を概観し、入り口とするためには最適な一冊である。『では、内的宇宙への各駅停車の旅に向けて、心の準備をしてほしい。何十億もの脳細胞と何兆というその接続の途方もなく深いもつれのなかをのぞいたら、そこには思ってもみなかったものが見えてくると思う。あなただ。』
現実とは何か?
というわけで具体的な内容をご紹介していこう。最初でも触れたように、我々は現実をありのままに受け取っているのではなく、脳が解釈し編集した結果を受け取っているに過ぎないわけだが、この件について、興味深い例がいくつもある。たとえば、失明してから40年以上経ってから、物理的損傷を回復できる幹細胞治療によって、目が見えるようになった男性が存在する。
それまで暗闇だった世界が突然くっきりと物が見えるようになるのだから、男性にとっては素晴らしい体験になるだろうと思うところだ。が、実際にはそうではない。新しい角膜は正常に機能し、脳に外界の情報を送り込むが、彼の脳はその情報を即座には理解することはできなかったのだ。顔も認識できなかったし、人間、車、植物、建物といったものが何なのか理解できず、奥行きもうまく認識できないために目が見えなかったときよりもスキーが下手になってしまった。
つまり視覚系とは単につければ見えるようになるというカメラのようなものではなく、脳の方で「視覚情報を適切に解釈する」過程が必要だが、40年も目がみえなかった彼はその能力が発達していなかったのだ。結局、手術から15年が経っても、よく物体を理解する必要がある時は、触ったり、持ち上げたり、聞いたりといったほかの感覚を用いなければいけないという。当たり前のように行なっている「世界を見る」という行為も、裏では複雑な認識処理が走っているわけだ。
自由意志の感覚
「自由意志」をめぐる最新のトピックもひときわ刺激的だ。たとえば、磁気パルスを放出して脳の運動皮質への刺激を加えると、被験者が一方の手を他方より好むようになるのだが、この性質を用いた興味深い実験がある。この実験では、第一に、被験者は画面が赤になった時にどちらの手を上げるかを決定し、次に画面が緑になったところであらかじめ決めていた動きを実行する。
この時、赤になって決定が行われた後に磁気パルスを放出し行動に誘導を加えても、最初に決めた手を上げるに違いないのだから、どちらを上げるかの割合は変わらないはずだ。ところが、実際には操作され誘導された手を上げる可能性が高くなる。しかも、被験者は自分は元々自分があげたかった手をあげたのだと報告する。つまり、上げたかった手が途中で変っていることに気づかず、自由意志で誘導された手を動かしたとおもいこんでいる可能性が高いのだ。『TMSが手の動きを起こしているのに、被験者の多くは自由意志で決定したかのように感じている。』
この辺のトピックは『あなたの知らない脳──意識は傍観者である』で語られていたけれども、事例などが全般的にアップデートされているのが良い。
あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: デイヴィッド・イーグルマン,大田直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/09/08
- メディア: 文庫
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決断、時間、ミラーリング
本書では他にも、ニューロンの発達と記憶の形成について、我々はどうやって決断するのか?という仕組みについてなど無数のトピックについて解説/紹介していく。たとえば決断をめぐる章では、オキシトシンと呼ばれるホルモンを投入されることで自分のパートナーをより魅力的に感じる、"きずなを強める"効果とそれがもたらす決断への影響を論じ、別の章では"危機的状況下において時間が遅く流れるように感じるのは、記憶の錯誤である"と結論付けてみせる。
我々は人の表情をみるときに、ミラーリングといって自身の顔の筋肉が引きづられるが(そのおかげで長年連れ添った夫婦はお互いに似てくるという)、しわを減らすためにボツリヌス毒素を顔の筋肉に注入した人々は、筋肉が麻痺しミラーリングを適切に行えなくなってしまうことで、他者の感情を特定する能力に衰えが出るという──などなど、比較的脳科学関連のポピュラー・サイエンス本を日常的に読んでいる人であっても、知らなかった! と楽しめる話題が多いだろう。
未来について
この手のポピュラー・サイエンスではありがちともいえるが、"これから先、脳科学方面で何が起こり得るのか"という未来を語る章も、まるでSFを読むようにして楽しませてくれる。たとえばマシンを体に直接つなぐ技術は向上しつつあり、目がみえずとも耳が聞こえずとも、人工内耳や人工網膜により直接神経系に情報を送り届けることで感覚を取り戻す試みが行われている。
また、感覚器官の代替として、別方面からは感覚代行というアプローチがある。たとえばカメラからの視覚情報を電気パルスに変換し、舌の上で刺激として展開する技術がある。これをうまく使いこなせるようになった視覚障害の人たちは、ボールをバスケットに投げ入れたり、はてはロッククライミングまで出来るようになる(舌の刺激で岩の角や割れ目が判断できるらしい)。つまり、「舌で見る」ということが可能になるのだ。『感覚代行が実証しているように、脳はどんなものでも入ってくるデータを取り込み、それをどう利用できるかを考え出す』
視覚はもともと入力器官の存在するデータだが、そもそも入力器官の存在しないデータを感覚代行として取得する事も考えられる。ツイートや株式変動などを常に感覚器官で(視覚のように、舌などで)取得できるようにしたら、何も見ずとも新しいデータを取得し続けられるかもしれない。
記憶とは正確なビデオカメラのようなものではないし、自由意志と思い込んでいるものは何らかの操作/影響を受けた結果かもしれないし、我々が現実だと思いこんでいるものは所詮脳が解釈した結果に過ぎない──などなど、現実に対する思い込みを本書は次々と暴き立てててくれる。近年の脳科学関連ポピュラー・サイエンスの中でも、特にオススメの一冊だ。