動物・人間・暴虐史: “飼い貶し”の大罪、世界紛争と資本主義
- 作者: デビッド・A.ナイバート,David A. Nibert,井上太一
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2016/07/29
- メディア: 単行本
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『動物・人間・暴虐史』という書名から、最初『暴力の人類史』的な本を想像していたが、その方向性を"動物と人類"の関係に絞った内容といえる。たとえば人類が牛、羊、豚、馬、山羊といった動物に対して、時代ごとにどんな暴力をふるってきたのかを語る"加害者"としての歴史と、動物たちを飼い貶すことによって人類が自身らに対していかに暴力を生み出してきたのかあたりが主な論点となる。
牛、羊、ぶた、馬、山羊、およびその他の社会性の大型動物を、人間が利用するために捕獲、抑圧する行ないは、シェーラーのいうごとく「人間が発展の道を歩めること」には繋がらず、むしろ公正で平和な世界が発展するための土台を掘り崩した。人間が他の動物に加えてきた危害──特に放牧文化と牧場経営の営為に端を発し、今日の工場式飼育に至って極みに達した危害──は、貶められた人間、なかんずく世界に広がる土着民を狙った大規模な暴力の前提条件であり、その生みの親でもあった。
前者については「まあそうだろうな(動物に対して人間が暴力的かつ支配的にふるまってきたのは確かだろう)」と思うだろうが、後者(『貶められた人間、なかんずく世界に広がる土着民を狙った大規模な暴力の前提条件』)はすぐには何をいっているのか飲み込めなかった。ただ、論を読んでくとたしかにもっともな主張に思える。
飼い貶した動物の増加が、大規模な侵略と戦争を引き起こす。
具体的にはどういうことか。
たとえば13世紀にモンゴルのチンギス・ハンは世界征服に乗り出し何百もの都市を焼き払ったが、これは飼い貶した大量の動物に食物と水を与える必要がある遊牧民は、他所の土地へと侵略に赴く必然性があるという根本的な構造が関係するという。
『多くの飼い貶した動物を隷従させると、他の人間が利用する土地と水を奪わなければならなくなり、結果として大規模な侵略と戦争が引き起こされた。』また、自分で移動する上に荷物まで運んでくれる"食料"の存在によって、不可能だった遠征が可能になり、結果的に家畜の存在は世界の戦争の規模を拡大したといえるだろう。
家畜の増加が戦争を引き起こすというのは、何も13世紀以前〜付近に限った話ではない。たとえば大きな事例だと、北米への入植者は飼い貶した動物に焼印を押し野へ放って食べ物を探させたが、先住アメリカ人はこの放し飼いの動物が作物を荒らすといって怒り、当然のように暴力沙汰に発展してしまう。「インディアンと入植者が接する切っ掛けは家畜である場合が最も多かった」という話も残っている。
とはいえ疑問点というか、よくわからん部分もある。確かに家畜化の進展が暴力を誘発させる側面はあるのだろうが、その効果範囲はよくわからないわけである。本書でも「飼い貶しが暴力や戦争の原因の全てではない」といってボカすが、論調としては"飼い貶しが資本主義の発展と膨張を促し、世界を変えた"といわんばかりの強い言葉/主張が優勢で、ピンとこないところが多い。関係していないとはいえないが、無数の相互作用の中の一作用にしか過ぎないのでは、と思う話が多いのだ。
たとえば産業社会は19世紀資本主義下において強欲にうながされて発展し世界に暴力と抑圧をもたらしたとし、侵略行為の多くを可能としたのは飼い貶しであると主張している(植民地支配し徹底した強奪を可能にしたのは馬の搾取と塩漬け肉の食用利用が不可欠だったから)が──うーん、家畜以外にも侵略行為を可能にした不可欠な物っていくらでも挙げられるんじゃないかな(工業力とか)。と、「うーん、よくわからんなあ」と読みながらいろいろ考え込んでしまった。
まあ、その辺は注意深く読んでもらえばいいだろう
直視するにはなかなかに厳しい状況
その後の話は、資本主義の発展/拡張、ハンバーガーの誕生を経て要請された、現代の機械的な家畜の生産と無残な殺戮の話へと至る。現在、『合衆国だけでも二〇一〇年には二万を越すCAFOが並び立ち、その巨大屋舎には何十億という牛、ぶた、鶏、七面鳥、「乳牛」が監禁され恐ろしい環境に生きている。』という状況が広がっている。遺伝子を操作され異常なまでに肉のついた鶏は慢性的な痛みを抱え満足に歩くことも出来ず、処理の手間を省くため羽がはえない鶏が生み出されるケースなどもあり、家畜をめぐる現状は直視するにはなかなかに厳しい状況が広がっている。
著者はこうした状況は倫理的に容認できないとし、世界的義務として菜食主義を広めようと提唱している。現状を否定し高い理想を挙げる理由もよくわかるが、個人的にはそんな不可能な理想をいってどうすんのって感じではある。あと30年もしたら人工肉のコストも下がっていそうだし、まったく乗り気になれない話だ。もちろん現実問題として、倫理意識を持って家畜をめぐる状況をなんとかしようとする行動を否定したいわけではない。少しでもマシな環境で家畜を育て(それ故に値段は高くなるが)売っている人など、この問題に対する関わり方は多様である。
おわりに
いろいろと疑問点も浮かぶが、動物を搾取し続ける人類社会への警鐘の書にして、過去行ってきた支配的な暴力をあらためて直視するために必要な重い一冊だ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp