歓喜が疾走し心臓は語りだし世界は二万三千人に覆される──『ブロの道』 - 基本読書

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歓喜が疾走し心臓は語りだし世界は二万三千人に覆される──『ブロの道』

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)

本書はロシアの小説家ウラジミール・ソローキンによる氷三部作のうちの第一部作品となる。実は氷三部作のうちの第二部は、既に翻訳・出版されているが、これは本国での出版順がそうなっている為。物語の時系列的にはこちらの方が古く、如何にして「氷」へと繋がるのかという話になっているので、どちらから読んでもいいだろう。

とにかく、ここではひとまず『氷』の話はおいて、『ブロの道』という、歓喜や衝動といったものを文章のみでここまで見事に描け、伝えることができるということそれ自体に感動する凄まじい傑作の話をしよう。本書は、歓喜そのものの表現であり、それが伝染し、第二次世界大戦が世界を滅茶苦茶にする大きなうねりの中で、その歓喜が疾走し、世界へと広がっていく物語である。

あらすじとかもろもろ

物語は一人の語り手──アレクサンドル・スネギリョフの人生に、幼年時代から寄り添う形で展開していく。彼は1908年6月30日にロシアで生を受けた。奇しくもその日はツングースカ大爆発のちに呼ばれることになるロシアの巨大隕石落下が起こった日であり、これが彼を後に運命的な出来事へと導いていくことになる。幼年期のほとんどを平和な家庭の中で過ごしてきたが、第一次世界大戦、ロシア革命を経て家族を亡くし、各地を転々としながら生活を続けることになる。

物語が大きく動くのは、彼が大学をさまざまな理由から除籍された後、ツングース大爆発跡地へと隕石を回収する為に向かう探検隊の一向に加わることになってからだ。当時はまだ未開の地にあったその跡地は、探査をするのも「探検」と称さなければ嘘になるような過酷な場所であった。彼はそれまでは冷めた青年であったが、その道中で「さまざまな不可思議なこと」が起こり、後の人生を一変させてしまう。

跡地へと近づいていくと、あるときから食欲はわかず、それでいて腹は減らず、体調も悪化しない。それどころか心の奥底から歓喜が沸き起こってくる。どれだけ働こうがいっさいの疲労を覚えない。跡地へと向かえば向かうほど彼の歓喜は大きくなり、ついに「巨大で懐かしいもの」を彼は感知する。彼は同行した探検隊が建てたバラックに火をつけ、自由を手に入れたあと「巨大で懐かしいもの」へ向けて疾走する。

 心臓が激しく鼓動しはじめ、目の中にバラ色がかかったオレンジ色の虹が輝きだした。体が急に暖かくなった。それから、暑くなった。
 恍惚が私を捉えた。
 人間の言葉を忘れた固く結んだ口から、嗚咽が迸った。私は理解した。巨大で懐かしいものに触れることができなければ、自ら溺れ死ぬだろう。それがなくては生きる意味などない。それ以外、私には何もない。人生で一度も、これほど強く何かを願ったことはなかった。

彼が見つけた「巨大で懐かしいもの」は巨大な氷だった。それはただの氷ではなかった。彼がそれに触れ、歓喜に打ち震えた時、彼は自分の本当の名を理解する。アレクサンドル・スネギリョフではない。彼の名はブロだ。彼は自分がなぜブロであるのか、それをこの世界の絶対的な真理と共に理解する。世界を創造した二万三千のうちの一人。二万三千は人間の老人から新生児へと転生を繰り返しその数は減らず、ただ覚醒をせずいつかくるその時を待ち続けている。彼は、覚醒した最初の一人だった。

二万三千の最後の一人が見出されたとき、汝らは輪になって立ち、手をつなぎ、二十三度、汝らの心臓が光の言語で二十三の言葉を発する。そして原初の光が汝らの中で目覚め、輪の中心を向く。そして燦然と輝き始める。そして地球、この光の唯一の過ちは、原初の光に溶ける。そして永久に消滅する。汝らの地上の体も消える。そして汝らは再び原初の光線の束となる。そして、光は以前のように自らのために空虚で輝く。そして、新たな宇宙を産む──素晴らしい、永遠の宇宙を。

人類に対する不撓不屈の長い戦争

彼はここにきて自分が「何なのか」を知り、これから何をすればいいのかを知る。彼は即座に旅に出る。二万三千の兄弟姉妹を見つけ出し、自分と同じく覚醒させ、この世界を永久に消滅させ、新たな宇宙を産むのだ。覚醒させる方法は簡単だ。自身の心臓が目指す方角、指し示す人物へ向けて、心臓で語りかけることのみ。

ここから物語は圧倒的な速度でもって疾走していく。姉妹フェルとすぐに出会う。彼らは歓喜に打ち震え、お互いの言葉ではなく、心臓で語り合う。その後すぐに、川下りの荒くれ者の男が「同類」だとわかる。同類であれば、あとは心臓で語りかければいい。相手はさすれば同調する。どうしようもなく心臓が共鳴する。

「お前ら……いったい何者だ?」ニコラが訪ねた。
「私はお前の兄弟だ」私は答えた。
「私はあなたの姉妹」フェルが小声で言った。
「我々はお前のために来た」と私は付け加えた。
 一分間、彼は呆然と座っていた。それから、嗚咽を漏らして泣き出した。我々は彼を抱いた。彼は号泣し、広い肩を震わせた。その泣き方には、多分に子どもっぽいところがあった。私の心臓が感じたところでは、彼は待ちくたびれていたのだ。本当に疲れ切っていた。

ブロとフェルはセンサーのような能力を持っており、彼らは同士を増やす度に底知れない歓喜に打ち震え、新たに加わった人々はみなまったく新しい世界認識と、ブロと同様の目標──二万三千の同士を覚醒させる──を持って歩み出す。

本書における物語的な面白さは、いかにしてこの地道な覚醒運動と世界転覆運動とも呼べる活動を「世界的に」行うのかという部分にある。何しろ100人とか200人とかではないのだ。二万三千人。途方もない数ではないが、少ない数でもない。世界中に散らばっているだろう。資金も必要になる。国家のみが絶対の権力を有するロシアでは、なんとかして国家権力の内部に潜伏する必要もある。

第二次世界大戦へと突入する歴史的な変動の中で翻弄されながら彼らもまた自分たちの活動を着実に推し進めていく。次第に大きくなっていく組織。覚醒につぐ覚醒。全員がまったく同じ目標を見据え、完全に意思の統率がとれた、化け物じみた集団となっていく大きなうねりは物語部分だけに注目しても随分おもしろい。

最初は地道に一人一人「私はお前の兄弟だ」「ぐわーーーー」みたいなめちゃくちゃな勧誘方法をしていたのに、次第に組織的に拉致って徹底的に覚醒させるなど、システマチックになっていく。一見したところキチガイじみた覚醒のプロセスだが、その普及のプロセスはひどく実際的で一点の曇りなき狂信者たちの世界転覆物語として破格の面白さだ。

理屈の物語ではない。これは心臓の物語だ。

だが、一方で重要なのはこれは「理屈」の物語だけではないということだ。彼らは言語化不可能な理由によって二万三千の同士を心臓で感じ取っている。世界の真理を、人間一人一人の歴史を一瞬で、心臓で感じ取ってみせる。『我々が己の理性だけを信頼することはもう二度となかった。どんな企ても、どんな事業も、どんな仕事も、各々で真っ先に自分たちの心臓と照合した。』と語るように、彼らは理性だけでなく心臓が指し示す余人には理解できない行動動機で動き回る。

それは言語的な感覚を超越している。『だが、口が何を語れるというのだ? 果たして、人間の見窄らしい言語は発見の歓喜を伝えることができるだろうか?』

彼らは、お互いがお互いを発見し、覚醒させるプロセスを通じて途方も無い歓喜を経験していく。それは、彼ら自身がいうように「言語化不可能」なものだが、本書は言語的な表現媒体である小説という形式を通してその歓喜を文章に落とし込んでいく。手を変え品を変え、あるいは時には真正面からこの世界の真理を理解し歓喜に打ち震えるブロへと寄り添い、彼が発見し、確信し、一瞬でその世界認識を切り替える瞬間をまざまざと読者に向けて突き付けてみせる。

 そして私は人間の本質を理解した。
 人間は肉機械だ。

彼がこの圧倒的な認識にたどり着くまでの一瞬が、人類史をたどり直す軌跡が、文章を読んでいるだけでこちらまで伝わってくる。彼らは、これ以外にもさまざまな世界の真理へと至り、発見をし、歓喜に打ち震えながら疾走していく。時にその行動は歴史によって止まり、あるいは個々人の死によって停滞する。しかし「歓喜」だけは、この物語でブロがその道を歩き出してから、途絶えることはない。

無茶苦茶な物語だ。それがたとえどのような立場の人間であれ、覚醒者が心臓で根気強く語りかけ、氷のハンマーで心臓を打てば覚醒し、目覚め、心臓で語り始める。理性での判断さえ頼らず、ただ心臓の導きにしたがって正しい道を選びとってみせる。理屈は読者にとっては重要な要素だ。何の理屈もないバカが街で暴れ回っている話なんか読みたくはないだろう。生半可な作家が書いたら「なんなんだそりゃ」で終わってしまいそうな話を、圧倒的な演出と描写力でねじ伏せてみせる。

本書は、歓喜の疾走そのものだ。

氷: 氷三部作2 (氷三部作 2)

氷: 氷三部作2 (氷三部作 2)