言語大戦──『月世界小説』 by 牧野修 - 基本読書

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言語大戦──『月世界小説』 by 牧野修

月世界小説 (ハヤカワ文庫JA)

月世界小説 (ハヤカワ文庫JA)

小説とは言語で表現しうる何もかもを展開できる表現形式である。

100億の軍勢がそこにはいたと書いただけでそこに100億の軍勢を生み出せるものだ。そうはいっても読者は突然そんな文章ではじまったって「はぁ? こいつは何を言っているんだ」と思うばかりで話は前に進まない。物語が物語だけで存在しているわけではなく、仮想的であれ読者を必要とするものである以上そこには何らかの納得感みたいなものが必要である。100億の軍勢がいたと書くのであれば、「100億の軍勢なんかいるわけねえだろ笑」「そんなの想像できないよ笑」という嘲笑を一瞬で無に帰すほどのめりこませる何かが。

あらすじとか

本書『月世界小説』初読時の感想はもう呆然としてしまってただただ「小説とは文章で表現できるかぎりにおいて何でもありなのだということに真正面からぶつかっていったような小説ではなかろうか。」と思うばかりだった。何しろ冒頭からかっとばしている。最初の章は『菱屋修介 世界n 2014』といい、ゲイの菱屋修介が2014年を舞台に、ノンケと思われる友人をLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の祭典に連れていく場面から始まる。その場で菱屋修介は、相手のことを好きなあまりに正直であろうとして、ゲイであることをカミングアウトしてしまう。

そこまでだったらこじんまりとした個人の物語を予感させる、「別に普通の世界の普通の話だな」と思わせる内容だ。だが──世界には突然『機械仕掛けの鯨が鳴いているような』アポカリプティっク・サウンドが鳴り響く。空には天使が跳びまわり音楽を奏で、衝撃が地面を揺らし雨のようにガラスが飛び散りあらゆるソファやテーブルといった家具やら人やらが降ってくる。天使が喇叭を高らかに鳴らし人の顔を持ったイナゴが地面からはい出す。

炸裂音とともにビルの一角を崩し、次から次へと焼けた大岩が落ちてくる。
悲鳴と怒声。そして不吉な喇叭の音と崩壊する建物の悲鳴。
炎がそこかしこで生き物のように赤い鎌首をもたげた。
喇叭を持った天使が告げる。
「地に住める者どもは禍害なるかな、禍害なるかな、禍害なるかな、尚ほかに三人の御使いの吹かんとする喇叭の聲あるに困りてなり」

世界の終焉だ。何の前触れもなく、ゲイの告白が始まったと思ったら世界が崩壊を始めてしまった。それも天使だイナゴだ天使が語りだす文言だと聖書の内容を思わせる数々の崩壊。菱屋修介は地獄そのものの内容を目の前にして突如「もう駄目だな」「月だ。月に行こう」と無茶苦茶なことを言い出して妄想の世界へと旅立ってしまう(ええ!? ってかんじだ)。それは妄想癖のあった菱屋修介の習慣的な手段だった。身体と心が分離するように、菱屋修介はいつものように妄想の月世界へと逃げこんでいく。

いきなり天使が喇叭を吹き鳴らして地面からイナゴが出てきて月だ、月に行こうと言われたって何が何だか意味がわからない。そこで第一章とも呼べる部分が終わり、次に『菱屋修介 01 1975 世界n+1』が始まる。そこでメインとなって描かれていくのは我々のよく知る現代日本とはまったく別の世界だ。1945年ポツダム宣言受諾後、アメリカに司法権を明け渡し英語を公用語とした日本。それだけなら違う歴史を辿った日本なんだなというところだが、なんとこの日本では誰もが「元々存在していた日本語」の存在を忘れてしまっている。

なぜ、少なくとも1945年までは使っていたはずの日本語の存在を覚えていないのか。そもそも文献は日本語で書かれているはずなのだからおかしいではないか。古事記から何から何まで過去の文献は英語に置き換わっているのだ。誰も疑問をもたない日本語消失の謎。言語学を研究しているヒッシャーはこの章でその疑問を植え付けられ、なぜ誰も日本語を覚えていないのかを調べ始める。

その過程で、この世界独特のルールもまた同時に明らかになっていく。『「なあ、ヒッシャー君。この世には最終的に論理合理で割り切れぬ物事があるのを知っているね」』『奇蹟と呼ばれる神の御業がそれだ。この神は宗教を問わない。仏教もキリスト教もイスラム教も儒教も、ありとあらゆる信仰の中に存在する抽象的な神の実体だ。』宗教狂いの与太話かと思えばそれは「この世界では」真実だ。

次々と切り替わっていく世界線で人類は尽きせぬ戦いを、言語を根絶せんとする神との間で繰り広げている。神によって描かれた世界で生きているのだから、神を打倒しなければ神の物語から逃れることは出来ない。しかし疑問に思わないように創られている彼らは、なぜ逃れられないのかと、神は間違えているのではないかと疑問を抱くことさえできない。それでも自ら物語る力を持った人達は、その支配をのがれることができる。

ある世界線ではポリイと呼ばれる、言葉によって表現されたものがされたままに存在し、うまく扱えば世界そのものの書き換えさえ可能な言語技術を使って「世界の書き換えバトル」が展開され、また別の世界では「記号破壊砲」「言語能力反応」「言語爆弾」といった言語系の特殊軍事技術が洗練された少年バトル漫画的な言語戦争が展開され──多種多様な形で、「言語大戦」が世界中で巻き起こっているのだ。

超ド級の──SFだ!

と、あまりあらすじをだらだらと書くのを好まない僕としては長々と説明してきてしまったが、これで本作の確信に切り込むための準備は整った。そう、『月世界小説』は物語ることの物語であり、小説の必須構成要素である言語についての物語であり、この世界を創りあげた神との戦いまでも描いてみせる超ド級の────SFだ!

記号破壊砲の砲弾が命中すると、命中したものすべての意味が剥奪される。相手が人間であれば、頭、腕、胴体といった肉体の各部位を示す単語の意味はもちろん、その人間の存在、といった抽象的な概念までが消えうせる。対象が人間でなく、兵器や機械類でも同じだ。すべての意味が一掃され、その断片から新しい意味が流動的に付加されていく。結果的に敵は戦闘行動が不可能になる。

この流れるような、溢れ出るホラの連なりぃ!! だがたまらなく魅力的でのめり込ませられるホラだ! 「小説ってのは、ここまで出来るんだぜ」とばかりに最上級の巨大な敵として「神」を仕立てあげ、世界の危機ではなく物語る上で間違いなく必須要素である「言語が奪われる」ことを主題とし、世界を言語によって書き換えていく「物語ることそのもの」が世界変革の手段であるという、どこまでも野心的で射程を広くとった全部載せの作品である。

言語SFと称することも、メタSFと称することも、帯に書かれているように『神狩り』への正当的なオマージュと称することもできるだろう。そうした一つ一つの要素を切り取って収束させる意味も特にないように思う。僕にとってはピンからキリまで純粋に面白いSF小説そのもの、小説のスペックをギリギリまで使い倒そうとする小説だ。

一方で、次々と明かされる驚愕の事実、突き抜けていく神vs人類の物語──世界線が無数に切り替わり、途方もなく肥大化していく風呂敷に途中「これはちゃんと終わり切るのか……」と不安になったりもした。ところが、その処理もこの作品のすごいところで「言語」という主題でこの世界を構築し、風呂敷を広げていきていながらも、その背景に現実の科学理論をふんだんにばら撒いて、言語学への知見や聖書解釈の論理も同時に持たせながら補強に使い、強引にこの世界観を統合しもっともらしく成立させてしまう。

どこまでも真面目で、どこまでもバカバカしく、同時にそれを茶化して高らかに笑いあげるような視点を持ち、物語の進行は豪快な力技でありながらも実に技巧的。物語終盤に訪れるこの世界の見事なまでの統合──メインディッシュへのお膳立てまで辿り着けばもはやそこに不安はなく、ただ途方もなく面白い物語がこの先には展開しているんだと安心して身を委ねることができるだろう。

なぜあなたは物語を読むのかと問いかけたことがあるだろうか。それは今だっていい。その問いに直面する人へ、本書は小説を、物語を愛する人の為の物語だ。