本で床は抜けるのか by 西牟田靖 - 基本読書

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本で床は抜けるのか by 西牟田靖

僕は本屋でバイトしていたこともあるのでよくわかるのだが何しろ本は重い。

毎日毎日凄い量の本が運び込まれてきて毎日毎日凄い量を返品してなんでこんな無駄な大量輸送を日々往復させてんだろうなあと思いながら毎日返品作業をこなしていたが、とにかく重たいのだ。本ぐらい固まって、そして増えるものもあるまい。少ないうちはまだいい。本を読まない人というのは全く読まないものだから。しかし一度本を読む人間に変質してしまい、本が溜まり始めると、まるで本と本がつがって子供を産んでんじゃないのかと思うぐらいに本が溢れてくる。
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『本にだって雄と雌があります』はそんな空想をファンタジーとして小説にしてしまった話だが、まあ作家が小説の題材にしちまうぐらい本というのはほうっておくと増えていくものなのだ。

そして増えたね、あはははと笑ってられればいいのだが、いかんせん勝手に整列して並んでくれるわけでもないので放っておけばたまってものすごい勢いでその重量を我々の住居に圧力をかけてくる。それはもう我々は移動するが本は一人では移動しないのだから休まず体重をかけ続ける。だからひとりでに増大し続ける本を飼っている人々はだいたいの場合、その対処法に追われることになる。凄い読書家が集まれば蔵書の量などもう数えることも不可能で何万は当たり前の世界。当然そんなに量が多いと目当てのものを探しだすのも一苦労だから(データベース化してる人もいるだろうが)、持っているはずなのに必要だから買い直すという作業が発生することになる。無限の資料を持っていてもそこにアクセスできないんだったら持っていないのと変わらん。

だからそういう人種のエッセイを読んだり話をきけば、きまって本の置き場の話、本で床は抜けるのかという話になるものだ。本書は自身も本で床が抜けそうな目に瀕した著者が、せっかくだからと関係各所へ話をきいたり、読書家のエッセイを読みあさってエピソードを収集したり、建築の専門家にどんなもんなら床が抜けないで耐えられるですかねえとお伺いをたてにいった内容のまとめである。もちろん自分の家の床が抜けそうだ! というところから始まっているので、著者の奮闘記でもある。

 「一般住宅の1平米あたりの積載荷重180キロとは、木造住宅も普通はクリアしている数値です。ただし、柱が腐ったり、シロアリに食われたりしていたら、この基準値よりも実際の数値は大幅に下がります。店舗の積載荷重は300キロ、図書館は同じく600キロとなっています。書店に特別な基準値はありません。300キロであればテナントにどんな業種が入ってもまず大丈夫でしょう」

このあたりの専門的な話などなかなか聞く機会もないので面白い部分だ。そもそもこれ、元々マガジン航で連載していて楽しく読んでいたのだが、本になったので一も二もなく買ってしまった。世の中には凄い量の本を貯めこんでいる人間がいくらでもいるものなので、「あの人にも話を聞きに行って欲しかった」というのはいくらでもあるけれど、まあ何しろ本で床は抜けるのかというあまりないテーマなのだからそんな完全性までは求めておらぬ。

冬木家の本棚

ちなみに僕もめっぽう本を買う方だが(30〜50冊/月ぐらい。)、それと同じぐらい本をガンガン捨てるので家には本が全然ない。いちおう依頼を受けて本についての文章を書いてお金をもらったりしている身としては恥ずかしいような気もする……というか、こんなやつで本当に大丈夫なのかと不安感を増大させている可能性さえあるが、まあこれが現実なのだから仕方あるまい(本棚はその人の脳を表すなどもいうがそうなると僕の頭のなかはスカスカであるということになってしまう)。
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すかすかである。当然「あ、あれを参照しないとこれについては書けない」ということもあるのだが、そういう時はどうするのかといえば買い直すのである。そしてまた捨てるのだ。無駄なような気もするが、保管代の方がどう考えても高い。さらに多くなりすぎて目当ての本がどこにあるか長い時間かけないと探せないなんてのも無駄なようにも思う。とかいって場所もお金もあれば保存しておくに決まっている。これは貧乏人なりの苦肉の策といったところか。たださすがに献本いただいた本は捨てられないので、今後は増えていくことが懸念される。

この本についての話

お前の話はいいから本についての話をしろという感じかもしれないから話を戻すと。なかなかおもしろかったのは「電子書籍にしたらどうだろう」という奮闘記も入れられているところかな。マガジン航は『「本と出版の未来」を考えるためのメディア』と宣言しているように、電子書籍系の記事が多いこともこの連載へ影響しているのだろう。というか最初この連載が始まった時は、あまりに他の記事とトーンが違うから驚いたぐらいだ。電子書籍の話になるのはしかし、必然性がある。実際、本が勝手に増殖していくのであれば対応方法はパターンが限られてくるし、その中の有力な一つが電子書籍化だからだ。

1.貯めこむ。整理する人もいれば整理しない人もいるが、とにかく何万冊だろうが貯めこむ。2.買った端から捨てていく。必要なときは買い直す。3.電子書籍にしちゃう。ぐらいじゃなかろうか。僕もKindleだけで既に600冊以上買ってるからものすごくデカイ本棚を常に持ち歩いているようなものだ。電子書籍は本をぽいぽい捨ててしまう人間にはまったく素晴らしいアイテムであるという他ないが、本を電子化していく過程で幾許かの寂しさを感じていく人も当然ながら、いる。著者自身もその一人だ。『大量の本を電子化することで、スペース的にはすっきりしたし、床抜けや地震による被害から免れたということでほっとしたのは確かだ。その一方で、読むという行為の手応え、つまり理解したり記憶したり、という効果が半減したことは否めない。』

確かに紙の本には物質が持っているならではの力が備わっているが、スペース的にはもちろん電子書籍の方が優れているし、そのあたりの兼ね合いには、移行期である現状、誰しも悩むところなのだろう。紙か本どちらが良いんだ、というシンプルな二元論ではなく、どっちの良さもよくわかっているのだが、なおかつ葛藤するところに読書家の揺らぎがある。そんなに気合を入れて読むような本でもないが、ぺらぺらとめくってふふふんと読めるお手軽な本でいい。

本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか