コニー・ウィリスという作家は僕が今まで読んできた作家の中でも抜群に……いやこう言い切ってしまってもいいだろう。間違いなく、ナンバーワンに、物語にこっちを惹きつけるのがうまい。
それはほとんど週刊少年漫画誌メソッドのようですらある。チャプターごとに「な、なんだってー!!」というような驚きの要素が配置されていることはもちろん、常に登場人物たちは不安にさらされ、ジレンマに襲われている。たとえば電話が繋がらない、連絡がとれない、お互いにお互いを勘違いしたまま理解している、物理的に離れている、心が離れている。囚人のジレンマにも似たそうした状況の中でなんとかしてお互いを理解しようとしていくのが特徴の一つだといってもいいかもしれない。
そしてもう一つの特徴が忙しさや行き違いを書いたものだと思っている。これもまた人間同士はなかなかわかりあえることはないというジレンマを書いていることに繋がるのだけど、コニー・ウィリスのような書き方はあまりみたことがない。たとえば『タイムアウト』という短編には娘たちのためにご飯をつくる母親と、部活にいかなければいけないので早く作って欲しいとねだる娘の構図がその最初の方に配置されている。母親はちゃきちゃき作っているのだが電話がなって、料理は中断されてしまう。
で、母親の電話の内容がここから綴られるのだが、電話の最中に娘の「ママ。もう五時だよ」とか「ママ、食べる時間がなくなっちゃうよ」とかの横槍が常に入る。仕事の依頼が母親にきて、「来週の水曜日よね」と電話の相手に返せばそれを聞いていた娘からは「水曜はあたしの歯列矯正の予約」とコメントが入る。そしていよいよ電話が終わったとなった時も娘からコメントが入る。「ミートローフが六時までに完成する見込みはゼロ」
さらにそのあとも歯列矯正の予約を変更してもらおうと医者に電話すれば、変えてもらう日程について娘と相談しなければいけないし、医者の予約状況も聞かなければいけない。物語ではその後娘に友だちから電話がきて、外で食べることになり、さらにその直後に夫から電話がきて仕事で帰れないから娘たちと先にご飯を食べていてくれといわれる。
素晴らしき哉、このすれ違い、忙しさの世界よ! いやはや人間の世界というやつはめちゃくちゃ面倒くさいじゃないか。ありとあらゆる時間が意味不明な行事に埋め合わされていて仕事をしなければいけないし、人と人がいれば時間を合わせるのは倍数的に困難になる。もうたくさんだ! と思ってしまう。
他にも『女王様でも』という短編ではサイクリストというなんだかよくわからない宗教団体みたいなものに入ろうとしている(入った)娘を引きとめようとばーさんやその姉妹や姑が一同に会してあーだこーだ、どうしようああしようとばたばた駆けずり回る話(母親は個人の主権だからしょうがないという立場)なのだが、これも結局はただの「勘違い」の結果に納まる。
短編一本つかってただの「勘違い」を書いているわけなんだけど、もちろんディティールがめちゃくちゃおもしろく台詞が凝っていることもあるんだけど(台詞はほんとにすごいのでこれだけでも何かが書けそうだ)、コニー・ウィリス作品が快感なのはそうした行き違いなどが最終的には解放されるってことなんだよね。なんてめんどくさい、人生! と思うけどその面倒くさい人生が最後にはすっと整頓され、わかりやすく並んだとき、そこまでの行き違いが途端に快感に変わる。
コニー・ウィリスはそうした忙しさ、行き違い、勘違い、すれ違いなどなどからくる抑圧⇒解放といった描写の運動を書いていることが多い。
- 作者: コニー・ウィリス,大森望
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/02/05
- メディア: 文庫
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