その未来はどうなの? - 基本読書

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基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

その未来はどうなの?

いまはわからない世の中なのかもしれない。情報洪水だとか言われるが、とにかくまわりには問題が山積みになっているように聞こえてきて、そのどれもがよくわからない。たとえば尖閣問題がわからない。どうにも人の話を断片的に聞いている限りでは日本の物を中国や韓国があの手この手で難癖つけて奪おうとしているらしいのだが、どういう理屈でそうなるのかわからない。

TPPも僕はそれが何なのか全く知らないがとにかくみんなやばいやばいと言っているのでなるほどどうやらやばいらしいということしかしらない。年金がヤバイのは僕は何冊か本を読んだことがあるのでそれとなく知っているが、それでも「どこからどこまで知っているの?」と言われると「よくわからない」という他ない。

もちろんわからないのは僕だけで、僕以外の人はみんなよくわかっているのかもしれないが、とにかく世の中よくわからないことばかりである。よくわからないことばかりなのに、街に出ればいたるところに文字があってTwitterには滝のように文字が流れてきて考えが麻痺してしまう。「なにがわからないんだろう?」と考える暇すら無い。本書の言葉を借りて言えば、『「分からないことの仕組」が複雑になっていて、「どう分からないのか」さえもがよく分からないのではないかということです』

橋本治はすごい。いつもこちらの言葉にならない感覚的な部分にぴったりとフィットした言葉で、物事を表現する。橋本治は何年か前に『「わからない」という方法』という名著を出しているのだが、そこで橋本治は「わからないことから始めよ」ということを書いていた(ような気がする)のだ。

橋本治は自身の作品を書く時は常に「わからない」ことをテーマにして、そのテーマを「わかっていく」過程を本にするのだという。まさにわからないを方法にしており、だからこそ橋本治の本はまったくわからない人間に響く。同時に橋本治は20世紀は「わかる」を前提にした時代は終わって、これからは「わからない」の時代なのだと見抜いていた。

本書はなんだかよくわからない、どうわからないのかさえもがよくわからないような状況になってしまったのはなぜなんだろう? と考える本です。間違ってもよくわからないことがよくわかるようになる本ではないのですが、「よく分からないのは相変わらずだけど、よくわからないのはこういうところなのではないか」と考えていくような感じ。

テーマもばらばらでテレビの未来、ドラマの未来、出版の未来、シャッター商店街と結婚の未来、男の未来と女の未来、歴史の未来、TPP後の未来、経済の未来、民主主義の未来についてそれぞれどうなの? と問い続けていく。まとまりがなく微妙かとおもいきや、一つ一つの章で「その発想はなかった、すごい」と驚いてしまうような記述が出てくる出てくる。しかし、ばらばらに見えたピースが最後の『民主主義の未来はどうなの?』に結実する。

『民主主義の未来はどうなの?』に対する橋本治の答えは、「民主主義の未来はやっぱり民主主義だろう」です。これがどういうことかというと、民主主義は否定しにくいんですね。それは「支配者の一方的かつ独断的な力の支配を防ぐシステム」であるからで、「独裁者防止システム」だからです。そして独裁者がいる国は未だにありますが、そういう人達も「民主主義が悪だ」とは言わない。

誰もが胸に持っている「善」のイメージと、みんなが話しあって決める民主主義はどうやらとてもマッチしているみたいですね。で、そうやって民主主義が蔓延すると「朕は国家なり」というような支配者、リーダーは生まれなくなる。そうするとなにが起こるのかというと、「私が決めるからお前らは黙ってろ」と言う人がいなくなり物事が簡単に決まらなくなるのだ。

というあたりを読んでいて「でもアメリカはリーダーいっぱいいるじゃん」と思っていたのですけど、この前なんかのテレビを観ていたら、アメリカのエリート大学でも「スティーブ・ジョブズになりたい人挙手」みたいにいっても誰も手を挙げない──「自分なんかになれるはずないから」っていう学生ばかりだったらしいので、ひょっとしたらアメリカも同じような兆候が現れているのかもしれません。

独裁者、リーダーがいなくなった世界の代わりに出てくるのが話し合いで決める世界です。その世界では誰もが話しあって最適な解が出せるような気もしますけど、結局話し合いでなにをするのかといえば「自分の有利になるものを引きずり出す」でしょう。そんな世界でまともな結論が出せるのかといえば、微妙だというんですね。「こうすればいい」という方向性が出しづらく、「こうするしかない」という策も「自分の利益にならないから」という理由で突っぱねられる。

結局「誰もが納得する結論」でないと「そんなのやだね」にぶつかってしまうので「なにも決められない」的状況が進んでしまう。『全員が自分の権利を主張出来て、主張してしまうから、これを黙らせることが出来ないし、権利を主張する側が黙ろうともしない。だから独裁者は登場出来なくて、見事に「成熟した民主主義は民主主義であることを守る」です』

民主主義が未来もやっぱり民主主義なのは、民主主義が民主主義であることを守るからであるっていうのは、すごいなあ。なるほど。そもそも民主主義について考えたことなどないもの。成熟した民主主義では独裁者は民衆に叩き潰されるのだ。今や国家規模で独裁者が叩き潰されようとしているし。そして問題はこのまま民主主義を放置すると何も決められない状態に陥ってしまうっていうことですね。

そんな状況でどうするのか? 問題さえはっきりしているのならば、それを解決すればいい。問題の根底は民主主義がわざわざ「自分の不利益になる議論なんて誰もしない」ことから一人の独裁者が消えた代わりに誰もが自分の利益を勝ち取ろうとする独裁者になったことでした。だからこそ人のいうことにケチをつけるし結局何も決まらないのです。だったら「自分のことではなく、みんなのことを考えて議論しよう」

あはは。小学生に言い聞かせるような道徳でなんとも気が抜けてしまうけれど、このような道のわかりやすい話が面白いんです。それに何より、未来のコトを考えて、民主主義が抱える問題を指摘して、出てきた答えが「みんなのことを考えて議論しよう」というのは、なんだかとっても素敵でした。どう思います?

その未来はどうなの? (集英社新書)

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