まとまっていないのでぐだぐだと適当に書いていくけれどすこぶる面白かった。円城塔さんはいくつものテーマを常に並行させて各作品を書いているのではないかと想像していて、たとえばそれは「何度でも読める本は書けるのか」っていうテーマだったりすると思う。当然作品ごとにテーマというか着想のスタート地点はあるはずで『道化師の蝶』ならそれは以下に引用するようなところからとか
全文掲載:芥川賞受賞会見 円城塔さん | NHK「かぶん」ブログ:NHKより
あらすじは「着想をどうつかまえるか」という話を書こうと思っていて、着想は変なもので、あらかじめ知っている必要はないんですね。それはどこかから降ってこなくてはいけないんですが、降ってくるって何?という話があり、自分でもわからないけれども、まわりの環境では決まっているというだろうというものが確実に自分の中に入ってきてしまうという状況を書くとどうなるのかな、という話です。あらすじではなくてどうして書いたのかみたいな話になっていますが、あらすじはいろんな人が出てきて旅をする話だと思ってもらえれば大丈夫です(笑)。
本書に同時収録されている『松ノ枝の記』は起源の話だろうか。旅の話かもしれない。著者曰く『道化師の蝶』も旅の話だからそういう意味では二つの話は等しく旅の話なのか。ただし後者では旅が長く続きすぎて起源を忘却していってしまう様が書かれている。悲しい。
あるいは起源をめぐる話という意味では『道化師の蝶』も同一かもしれないとふと思い立った。本書では『さてこそ』という言葉がキーワードになっていて要所で何度か使用される。さてこその意味を調べると「前述の意味を受けてそれを強調する語」などと書かれている。
つまりさてこそが使われるためには前述に連なっている言葉がなければならないがさてこその前のさてこその前のさてこその前のどこかには文章の起源があるはずだ。でも本書はさてこそでつながった文章が結局最初に戻ってきて起源はよくわからない。繰り返し語られ直していくエピソードは、食い違いがある。
繰り返し読み返すことで内容が変化していく小説というのがひとつの理想系なのかもしれない。小説は音楽のように通常は何度も再生されることはないがそれは寂しいことだ、という認識が本書にはある、と思う。
食い違い、矛盾といえば『道化師の蝶』はとても神林長平チックだなあと思いながら読んでいた。まあ言語についての物語という側面が強かったので言葉を主テーマにして書き続けてきた上に円城塔先生も神林長平ファンなのだから彷彿とさせるのも当然かもしれないと思ったけれどこんな文章があったのでかなり意図的なのだと思った。
娘から母が生まれたという文章があれば語義の矛盾が生じるが、矛盾は並ぶ文章により解消されうる。そっけなくタイムマシンという単語を投げたりすることで。
神林長平先生の言壺という作品は次の文章で始まる。→『私を生んだのは姉だった』。まあたしかに似てはいるけれど、考えすぎといえば考えすぎか。でも意識はしていると思うな。
さて、ここまでが大体道化師の蝶の感想で本書にはまだ『松ノ枝の記』が残されている。正直僕はこちらの方が美しくてとても好きなのだけどもう面倒臭くなってしまったのでここらでやめにしよう。でも同じく旅の話だしアイディアが面白いし素晴らしいと思う。
総じてオススメ。
- 作者: 円城塔
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/01/27
- メディア: 単行本
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