- 作者: クリストファー・サイクス,大貫昌子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/12/15
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
どう説明したらいいものやらわからない本がある。本書がまさにそれだし、ファインマンという人物の底抜けの魅力を伝えるには、やはり本書を読んでくれ! と書く他ない。氏の魅力を言葉で説明しようとしても、エンターテイナー、自己をどこまでも客観的に見れる人、純粋、人情まである、いつでも楽しそう、といった記号的な説明になってしまう。それだけ読んでも人は『ふーん凄い人なんだあ』と思うだけであろう。それはあまりにも忍びない。ということで、少しだけエピソードを紹介しよう。まずは彼の天性の1つである『ショーマン』としての1例から。
ショーマンとしてのファインマン
ファインマンの友人の一人であるアル・ヒップス家では、エイプリルフールに仮装パーティを開くのだが、ファインマン氏は忙しいにも関わらず毎回これにやってくるという。そこでは仮装のテーマが決まっていて、ある時は神話伝説。その時ファインマンはただの白衣とあごひげをつけてきて、誰かが「あなたはモーゼですか?」と聞いたらファインマンは「いや、わしは神だぞ!」と答えた、とか。またどんな衣装も本格的に作ってきており、本書にはその時の写真も掲載されている。そこには凄く満足そうな笑顔で写っているファインマンがいて、それだけでこっちにも笑みがこぼれる。
教師としてのファインマン
学生に対して勉強を教えるのも相当うまかったようである。これについても何人もインタビューで答えている。いつも講義をするのが楽しくて仕方がない様子だったというが、それが単なる誇張表現や、本に収録するにあたっての偽善的発言に聞こえないのは、本書に『本当に楽しそうで仕方がない』様子のファインマンの写真が数多く掲載されているからだ。時に、写真は万を超える文章の表現を超える。
学生人気が高く、講義は感動的であったとさえ言わしめたファインマンの教育論について本人が語っている部分がある。氏、曰く特別な教育哲学なんて持たないというのが、最善の教育法に関する自分の理論だ。生徒は一人一人違う人間で、その目指すところも受け取りたいものも違う。だからこそ考えられる限りの教え方を全部混ぜて使い、生徒を退屈させないようにする。らしい。ただそれが出来たら苦労せず、日々精進の毎日だったという。
父としてのファインマン
娘、ミシェル・ファインマンから見たファインマン。とにかくファインマンは、彼女のことを何一つ縛ろうとせずに自由にしてくれたという。そんな中、娘がちょっとした悪戯心からファインマンに対して、政治家になりたいと言ってみた。ファインマンは大の政治家嫌いで、そんなことを言ったら絶対に反対するだろうとミシェルは思ったのだ。しかし帰って来た答えは君ならきっといい仕事ができるよ! という娘のあと押しをする、全肯定の言葉だった。
「何ごとも額面通りに受けとるな」と、この通りの言葉だったかどうかはわからないけれど、父から受けた教訓はそれよ。彼は私たちが幸福であることを望んでいたわけだけど、それはごくやさしいことのように聞こえて、ほんとうはいちばんむずかしいことなのじゃないかしら。「大学に行って教育を受け、できるだけのことを学びなさい」とは言ったけど、「僕のあとに続いてほしい」なんてことは一言も言わなかった。絶対にね
こんなのまだまだ序の口ですが、書きすぎても意味がないのでこれぐらいで。何しろ全てが面白い。ファインマンの言葉も、周囲の人の言葉も、何故かっていったらそこにはネガティブサというものが感じられない。そう、本書はほとんどずっと楽しい。ただ最後の最後だけは違う。本書が発行される前には、ファインマン氏は死んでしまっている。ガンにおかされ、4度も大手術を行いもはや助からないとなった時に自分から死を選んだファインマンの心境、家族の心境、氏が死についてどう考えていたのか(ダジャレです)直球で聞いている。世界最高の頭脳が、死の間際に何を考え、死の直前に何を言ったのか。けっこー感動します。