私は昔からおばあちゃん子だった。
学校が終われば毎週末泊まりに行っていたし、
親と喧嘩をして家に帰りたくなかったときでもずっとそばに居てくれて
話を聞いてくれて、仲介役にもなってくれた。
多分孫の中でも一番大切にしてくれた。
そう思う。
でも最近私は仕事が忙しくてあまり会いに行かなかった。
行かなかったというより行きたくなかった。
なぜならおばあちゃんが弱っていたのが分かっていたから。
前まであんなに元気そうだったおばあちゃんが目に見て分かるほど衰弱していたから。
そんなおばあちゃんを見たくなかった。
居なくなってしまうことを想像したくなかった。
でもそんな希望も露と消え、おばあちゃんの身体を病は蝕んでいった。
その話を聞いた時私は妙に落ち着いていたと思う。
冷静だった。
覚悟はできていた。
まぁそっか。そうだよな。
でももう会いに行けないと思った。
おばあちゃんに余計な心配をかけたくなかった。
自分の身体がボロボロになっても、どれだけ病に苦しんでいても
ずっと私の心配をしてくれていたのだという。
苦しかった。
胸が痛くて痛くてしょうがなかった。
自分が今までにしてきたことがおばあちゃんを苦しめていると
心配させていると考えたら吐き気が止まらなかった。
だから会いに行くのも、話を聞いてもらうのも、
全部全部やめようと思った。
それは自己防衛なのかもしれない。
居なくなってしまうという恐怖から逃げようよして、
目を逸らしているだけなのかもしれない。
でもそれでももう「会いに行けない」と思った。
失ったから私は気づいた。
「失うことの怖さ」を。
そして孤独感を。
遅かったなぁ。