麻布氷川神社
○麻布氷川神社 港区元麻布1-4-23 HP
天慶5(942)年、源経基が平将門の乱平定のため東征したおり、麻布一本松の地に創建されたと伝えられます。他方で、文明年間(15世紀後半)に太田道灌が勧請したという説もあります。
2,000坪以上の社有地を有していましたが、創建地が増上寺隠居地となり、万治2(1659)年に当地へ遷座しました。江戸時代には、『望海毎談』によると江戸七氷川に数えられました。
「江戸切絵図」
「氷川明神」「徳乗寺」(別当)とあります。北へ進むと「一本松サカ」があります。一本松は麻布氷川神社のご神木であったといわれています。一本松坂の左手に「増上寺隠居」とあります。桂昌院と五代将軍綱吉は増上寺隠居所を度々訪問し、その時には麻布氷川神社を参拝しています。

「江戸名所図会 七仏薬師 氷川明神」
手前の坂は「薬園坂」(幕府の薬草栽培所「御薬園」に由来、貞享元(1684)年に小石川に移転)で、坂下に「七佛薬師」(廃寺)、坂上に「氷川明神」が描かれています。


「大日本名将鑑 六孫王経基」(月岡芳年 都立図書館蔵)
当社は、清和源氏の祖である源経基の勧請、創祀によります。

「氷川神社」(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖 東京市公園課)
戦前の社殿が写っています。

<社号標>
社号標は、尾張徳川家第19代徳川義親書、昭和4(1929)年の建立です。
「郷社 氷川神社」


「侯爵徳川義親謹書
昭和四年七月 奉建造 麻布区本村町会」

<毘沙門天>
港区七福神の内、毘沙門天をになっています。

<玉垣>
たった一人の氏子により奉納された玉垣です。玉垣の上に石燈籠が置かれています。

<石鳥居>
昭和10(1935)年に建立の石鳥居です。以前の鳥居には「几号水準点」が刻印されていたようです。

<手水舎>
手水鉢は茶色に染まっており、井戸水は鉄分を含んでいることがうかがえます。

<高尾稲荷>
仙台藩下屋敷の邸内社だった高尾大明神を祀る高尾稲荷です。廃藩後に麻布竹谷町にて祀られ、昭和初期に麻布氷川神社境内に移されたといいます。應恭稲荷も併せて祀られています。

江戸切絵図の「松平陸奥守」下屋敷内に「イナリ」と記されています。

<宮神輿庫>
戦火を免れた神輿庫です。 大きな宮神輿を牛二頭に引かせて巡行させたそうですが、昭和15年を最後に巡行されていません。令和3(2021)年1月に宮神輿の修復が完了、令和4(2022)8月15日に前準備として関係者のみで宮出し・宮入りが行われました。





<神楽殿>
昭和初期建造で、戦火を免れた神楽殿です。

<境内>
クスノキがご神木で、戦災イチョウがあります。

<狛犬>
イチョウの根元に狛犬が置かれています。


<狛犬>
尻尾が立っている狛犬です。文化元(1804)年銘の台座らしきものも置かれています。


<庚申塔>
上半分が失われている庚申塔です。


<拝殿/本殿>
拝殿はコンクリート造で昭和23(1948)年の再建、本殿は木造です。



<社務所>

天慶5(942)年、源経基が平将門の乱平定のため東征したおり、麻布一本松の地に創建されたと伝えられます。他方で、文明年間(15世紀後半)に太田道灌が勧請したという説もあります。
2,000坪以上の社有地を有していましたが、創建地が増上寺隠居地となり、万治2(1659)年に当地へ遷座しました。江戸時代には、『望海毎談』によると江戸七氷川に数えられました。
「江戸切絵図」
「氷川明神」「徳乗寺」(別当)とあります。北へ進むと「一本松サカ」があります。一本松は麻布氷川神社のご神木であったといわれています。一本松坂の左手に「増上寺隠居」とあります。桂昌院と五代将軍綱吉は増上寺隠居所を度々訪問し、その時には麻布氷川神社を参拝しています。

「江戸名所図会 七仏薬師 氷川明神」
手前の坂は「薬園坂」(幕府の薬草栽培所「御薬園」に由来、貞享元(1684)年に小石川に移転)で、坂下に「七佛薬師」(廃寺)、坂上に「氷川明神」が描かれています。


「大日本名将鑑 六孫王経基」(月岡芳年 都立図書館蔵)
当社は、清和源氏の祖である源経基の勧請、創祀によります。

「氷川神社」(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖 東京市公園課)
戦前の社殿が写っています。

<社号標>
社号標は、尾張徳川家第19代徳川義親書、昭和4(1929)年の建立です。
「郷社 氷川神社」


「侯爵徳川義親謹書
昭和四年七月 奉建造 麻布区本村町会」

<毘沙門天>
港区七福神の内、毘沙門天をになっています。

<玉垣>
たった一人の氏子により奉納された玉垣です。玉垣の上に石燈籠が置かれています。

<石鳥居>
昭和10(1935)年に建立の石鳥居です。以前の鳥居には「几号水準点」が刻印されていたようです。

<手水舎>
手水鉢は茶色に染まっており、井戸水は鉄分を含んでいることがうかがえます。

<高尾稲荷>
仙台藩下屋敷の邸内社だった高尾大明神を祀る高尾稲荷です。廃藩後に麻布竹谷町にて祀られ、昭和初期に麻布氷川神社境内に移されたといいます。應恭稲荷も併せて祀られています。

江戸切絵図の「松平陸奥守」下屋敷内に「イナリ」と記されています。

<宮神輿庫>
戦火を免れた神輿庫です。 大きな宮神輿を牛二頭に引かせて巡行させたそうですが、昭和15年を最後に巡行されていません。令和3(2021)年1月に宮神輿の修復が完了、令和4(2022)8月15日に前準備として関係者のみで宮出し・宮入りが行われました。





<神楽殿>
昭和初期建造で、戦火を免れた神楽殿です。

<境内>
クスノキがご神木で、戦災イチョウがあります。

<狛犬>
イチョウの根元に狛犬が置かれています。


<狛犬>
尻尾が立っている狛犬です。文化元(1804)年銘の台座らしきものも置かれています。


<庚申塔>
上半分が失われている庚申塔です。


<拝殿/本殿>
拝殿はコンクリート造で昭和23(1948)年の再建、本殿は木造です。



<社務所>

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