麻布一本松
○麻布一本松 港区元麻布1-2-2
<一本松坂> 港区元麻布1-3〜2-11
(標柱)
「一本松坂 港区
いっぽんまつざか 源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が坂の南部にあるための名である。」



<一本松>
古来から植えつがれている一本松です。

標柱「一本松」

土台銘石「世話人 若者 安政2(1855)年」

「御神燈」
文化4(1807)年銘の御神籠です。

寛文6(1666)年銘の墓石です。

「一本松の由来」碑
昭和38(1963)年2月、一本松西町町会による建立です。
(碑文)
「一本松の由来
江戸砂子によれば天慶二年西紀九三九年ごろ六孫源経基平将門を征伐しての皈途此所に來り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りささぐ翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松と云い又一本松とも云う
注 古樹は明治九辰年焼失に付き植継
昭和二十年四月又焼失に付き植継」
(※平将門を討ったのは源経基ではなく平貞盛・藤原秀郷です。明治九辰年は、明和九辰年のようです。)


「江戸名所図会 麻布一本松」
一本松のたもとに茶屋、茶屋の左手に「長伝寺」が描かれています。


茶屋には「ふじ岡」の看板が掲げられています。

「絵本江戸土産 麻布一本松」(広重)
挿絵には「麻布雑式のうち通り一本松町の道の傍に在り 経基王武蔵守たりしとき此の地を遊歴し給ひて此の松に衣冠をかけ給ふといふ」とあります。

「狂歌江都名所図会 一本松 水車」(広重)
右上に「一本松」が描かれています。


「江戸の華名勝會 あ 三番組 麻布一本松 六孫王経基」(元治元(1864)年 三代豊国、葛飾為斉 都立図書館蔵)
「一本松は一名冠りの松といふは経基公夏装束をかけ給ひてしばし暑をしのぎたまふ依て冠りの松の意あり此所の姥粟めしを柏の葉にのせて六孫王に奉る故に矢盛在粟飯沢といふ」とあります。松の枝に装束がかけられています。

右上タイトル下の挿絵には「蒲焼」とあり、狐鰻の宣伝でしょうか。
<一本松坂> 港区元麻布1-3〜2-11
(標柱)
「一本松坂 港区
いっぽんまつざか 源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が坂の南部にあるための名である。」



<一本松>
古来から植えつがれている一本松です。

標柱「一本松」

土台銘石「世話人 若者 安政2(1855)年」

「御神燈」
文化4(1807)年銘の御神籠です。

寛文6(1666)年銘の墓石です。

「一本松の由来」碑
昭和38(1963)年2月、一本松西町町会による建立です。
(碑文)
「一本松の由来
江戸砂子によれば天慶二年西紀九三九年ごろ六孫源経基平将門を征伐しての皈途此所に來り民家に宿す 宿の主粟飯を柏の葉に盛りささぐ翌日出立の時に京家の冠装束を松の木にかけて行ったので冠の松と云い又一本松とも云う
注 古樹は明治九辰年焼失に付き植継
昭和二十年四月又焼失に付き植継」
(※平将門を討ったのは源経基ではなく平貞盛・藤原秀郷です。明治九辰年は、明和九辰年のようです。)


「江戸名所図会 麻布一本松」
一本松のたもとに茶屋、茶屋の左手に「長伝寺」が描かれています。


茶屋には「ふじ岡」の看板が掲げられています。

「絵本江戸土産 麻布一本松」(広重)
挿絵には「麻布雑式のうち通り一本松町の道の傍に在り 経基王武蔵守たりしとき此の地を遊歴し給ひて此の松に衣冠をかけ給ふといふ」とあります。

「狂歌江都名所図会 一本松 水車」(広重)
右上に「一本松」が描かれています。


「江戸の華名勝會 あ 三番組 麻布一本松 六孫王経基」(元治元(1864)年 三代豊国、葛飾為斉 都立図書館蔵)
「一本松は一名冠りの松といふは経基公夏装束をかけ給ひてしばし暑をしのぎたまふ依て冠りの松の意あり此所の姥粟めしを柏の葉にのせて六孫王に奉る故に矢盛在粟飯沢といふ」とあります。松の枝に装束がかけられています。

右上タイトル下の挿絵には「蒲焼」とあり、狐鰻の宣伝でしょうか。

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