常楽院(六阿弥陀第五番)
○常楽院 台東区上野4-8-4(旧所在地)
当初の名称は長福寺でしたが、九代将軍家重の幼名が長福丸であったため、常楽院に改称しています。常楽院は、関東大震災で大きな被害を受け、また戦災で焼失し、調布に移転しました。
戦後に跡地一帯を購入した赤札堂は、赤札堂の敷地内に仮堂を設け本尊の阿弥陀の模刻を安置しました(上野4丁目)。その後、昭和36(1961)年に開業した東天紅の敷地の一角(池之端1丁目)に堂宇(常楽院別院)を設け、ここに模刻の阿弥陀は移されます。株式会社アブアブ赤札堂と株式会社東天紅の持ち株会社が小泉グループで、両社はグループ企業です。ビルの屋上ではなく平地にお祀りした心意気に感心します。
※「「篤信」の「商売人」ー東天紅上野本店裏手の常楽院別院に関する調査報告ー徳田安津樹」を参照しました。
「江戸名所図会 常楽院」
挿絵には「六阿弥陀五番目なり 春秋二度の彼岸中賑わし」とあります。石畳の参道の右手に「六地蔵」や「地蔵」が見えます。
阿弥陀堂内右手には閻魔大王が見えます。
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「東都歳事記 彼岸六阿弥陀参」
東都歳事記に六阿弥陀参の全体図が描かれています。
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五番常楽院部分の抜粋です。三橋の脇に「五番」が描かれています。
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「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」(文政12(1829)年 足立区立郷土博物館所蔵)
文政12(1829)年に六阿弥陀四番与楽寺が作成した「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」から、常楽院部分の抜粋です。常楽院から三橋を渡って4番与楽寺へ、あるいは6番常光寺への六阿弥陀巡拝路が描かれています。
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「江戸切絵図」
江戸切絵図には、三橋の脇、下谷広小路に面して「常楽院」が描かれています。現在のABABがある場所です(台東区上野4丁目)。
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「名所之内上野」(歌川芳盛 東京都立図書館蔵))
「名所之内上野」の全体図と六阿弥陀部分の拡大です。常楽院は三橋の手前に「六アミダ」と表示されています。町屋の間にある冠木門(表門)をくぐった先が境内となっています。
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「上野広小路」(日本之名勝 史伝編纂所 明治33年)
三橋の手前右手に常楽院の入口らしきものが見えます。
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<几号水準点>
几号水準点の所在地に「上野広小路常楽院地蔵台石」がありますが、消失したようです。
○常楽院別院 台東区池之端1-4-1
門柱には、左に「六阿彌陀」、右に「第五番」とあります。
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<誹風柳多留巻頭の地>
境内入口に、平成27(2015)年に柳多留二百五十年実行委員会が建立した「誹風柳多留巻頭の地」碑があります。「五番目は同し作でも江戸産れ」は、『誹風柳多留』の巻頭を飾る句です。
六阿弥陀詣の六ヶ寺のうち、常楽院だけが御府内に位地し大いに賑わい、江戸っ子の自慢であり、川柳の題材ともなりました。
六阿弥陀は同じ人が、同じ木から彫ったものでも、五番目は他とは違って江戸にあるという江戸自慢を詠んだ句です。他に「五番目の弥陀は麦めしきらひ也」という川柳もあります。
(正面)「誹風柳多留巻頭の地」
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(右面)「五番目は同じ作でも江戸産れ」
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(左面)「平成二十七年四月吉日 柳多留二百五十年実行委員会」
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(参考)
上野公園入り口の階段横に、「川柳の原点 誹風柳多留発祥の地」の記念碑が建っています。平成27(2015)年8月の建立です。 こちらで記載済
東岳寺(足立区伊興本町)に、誹風柳多留の版元、花屋久次郎遺跡の碑が建っています。こちらで記載済
<境内>
境内に、石燈籠、水鉢、石仏、不明の石があります。
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<江戸六阿弥陀縁起>
東天紅の壁に「江戸六阿弥陀縁起」の掲示があります。
(説明板)
「江戸六阿弥陀縁起
聖武天皇の項(七二四~七四九)、武蔵国足立郡(今の東京都足立区)に沼田の長者とよばれる庄司(荘園を管理する人)従二位藤原正成という人がいて、多年子宝に恵まれずにいたが、ある時、熊野権現(和歌山県)に詣でて祈願したところご利益を得てようよう一女を授かった。
この息女は足立姫と呼ばれた程にみめ美しく、仏を崇い、天質聡明であったが、隣りの郡に住む領主豊島左ヱ門尉清光に嫁がせると、領主の姑が事々に辛くあたり悲歎の日々を送ることになった。
そしてある時、里帰りの折りに思い余って沼田川(現荒川)に身を投げ、五人の侍女もまた姫の後を追って川に身を投じたのであった。
後日、息女らの供養に諸国巡礼の旅に出た長者が再び熊野権現に詣でたところ夢に権現(衆生を救うために日本の神の姿をとって現れる仏)が立ち一女を授けたのはそなたを仏道に導く方便であった、これより熊野山中にある霊木により六体の阿弥陀仏を彫み広く衆生を済度せよ、と申されたのであった。
長者が熊野山中を探し歩くと果たして光り輝く霊木をみつけ、長者は念を込めてその霊木を海に流したのである。長者が帰国してみると霊木は沼田の入江に流れ着いており、間もなくこれも先の夢のお告げの通りに、諸国巡礼の途に沼田の地に立ち寄られた行基菩薩に乞うて六体の阿弥陀仏を彫り、六女ゆかりの地にそれぞれお堂を建ててこれを祀ったのである。
江戸時代に入り、この六阿弥陀を巡拝し、極楽往生を願う信仰が行楽を伴って盛んになり、特に第五番常楽院は上野広小路の繁華街(現ABAB赤札堂地)にあったので両彼岸などは特に大いに賑わい、江戸名所図絵にも描かれている。広小路のお堂は、関東大震災と第二次大戦期の焼失を継て、ご本尊阿弥陀さまは調布市に移ったが、参詣の便を図って縁のある上野池之端、此東天紅の敷地を拝借して別院を設け、模刻の阿弥陀さまをお祀りしている。
六阿弥陀第五番 常楽院
調布市西つつじヶ丘四の九の一」
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<阿弥陀堂>
祭壇のロウソクは電光式、線香も電光式です。電光式の線香は初めて見ました。
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<模刻阿弥陀さま>
模刻ですが、直接拝めるのはここと一番の再建露仏だけなので、貴重かと思います。
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当初の名称は長福寺でしたが、九代将軍家重の幼名が長福丸であったため、常楽院に改称しています。常楽院は、関東大震災で大きな被害を受け、また戦災で焼失し、調布に移転しました。
戦後に跡地一帯を購入した赤札堂は、赤札堂の敷地内に仮堂を設け本尊の阿弥陀の模刻を安置しました(上野4丁目)。その後、昭和36(1961)年に開業した東天紅の敷地の一角(池之端1丁目)に堂宇(常楽院別院)を設け、ここに模刻の阿弥陀は移されます。株式会社アブアブ赤札堂と株式会社東天紅の持ち株会社が小泉グループで、両社はグループ企業です。ビルの屋上ではなく平地にお祀りした心意気に感心します。
※「「篤信」の「商売人」ー東天紅上野本店裏手の常楽院別院に関する調査報告ー徳田安津樹」を参照しました。
「江戸名所図会 常楽院」
挿絵には「六阿弥陀五番目なり 春秋二度の彼岸中賑わし」とあります。石畳の参道の右手に「六地蔵」や「地蔵」が見えます。
阿弥陀堂内右手には閻魔大王が見えます。
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「東都歳事記 彼岸六阿弥陀参」
東都歳事記に六阿弥陀参の全体図が描かれています。
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五番常楽院部分の抜粋です。三橋の脇に「五番」が描かれています。
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「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」(文政12(1829)年 足立区立郷土博物館所蔵)
文政12(1829)年に六阿弥陀四番与楽寺が作成した「武州江戸六阿弥陀巡拝之図」から、常楽院部分の抜粋です。常楽院から三橋を渡って4番与楽寺へ、あるいは6番常光寺への六阿弥陀巡拝路が描かれています。
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「江戸切絵図」
江戸切絵図には、三橋の脇、下谷広小路に面して「常楽院」が描かれています。現在のABABがある場所です(台東区上野4丁目)。
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「名所之内上野」(歌川芳盛 東京都立図書館蔵))
「名所之内上野」の全体図と六阿弥陀部分の拡大です。常楽院は三橋の手前に「六アミダ」と表示されています。町屋の間にある冠木門(表門)をくぐった先が境内となっています。
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「上野広小路」(日本之名勝 史伝編纂所 明治33年)
三橋の手前右手に常楽院の入口らしきものが見えます。
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<几号水準点>
几号水準点の所在地に「上野広小路常楽院地蔵台石」がありますが、消失したようです。
○常楽院別院 台東区池之端1-4-1
門柱には、左に「六阿彌陀」、右に「第五番」とあります。
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<誹風柳多留巻頭の地>
境内入口に、平成27(2015)年に柳多留二百五十年実行委員会が建立した「誹風柳多留巻頭の地」碑があります。「五番目は同し作でも江戸産れ」は、『誹風柳多留』の巻頭を飾る句です。
六阿弥陀詣の六ヶ寺のうち、常楽院だけが御府内に位地し大いに賑わい、江戸っ子の自慢であり、川柳の題材ともなりました。
六阿弥陀は同じ人が、同じ木から彫ったものでも、五番目は他とは違って江戸にあるという江戸自慢を詠んだ句です。他に「五番目の弥陀は麦めしきらひ也」という川柳もあります。
(正面)「誹風柳多留巻頭の地」
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(右面)「五番目は同じ作でも江戸産れ」
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(左面)「平成二十七年四月吉日 柳多留二百五十年実行委員会」
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上野公園入り口の階段横に、「川柳の原点 誹風柳多留発祥の地」の記念碑が建っています。平成27(2015)年8月の建立です。 こちらで記載済
東岳寺(足立区伊興本町)に、誹風柳多留の版元、花屋久次郎遺跡の碑が建っています。こちらで記載済
<境内>
境内に、石燈籠、水鉢、石仏、不明の石があります。
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<江戸六阿弥陀縁起>
東天紅の壁に「江戸六阿弥陀縁起」の掲示があります。
(説明板)
「江戸六阿弥陀縁起
聖武天皇の項(七二四~七四九)、武蔵国足立郡(今の東京都足立区)に沼田の長者とよばれる庄司(荘園を管理する人)従二位藤原正成という人がいて、多年子宝に恵まれずにいたが、ある時、熊野権現(和歌山県)に詣でて祈願したところご利益を得てようよう一女を授かった。
この息女は足立姫と呼ばれた程にみめ美しく、仏を崇い、天質聡明であったが、隣りの郡に住む領主豊島左ヱ門尉清光に嫁がせると、領主の姑が事々に辛くあたり悲歎の日々を送ることになった。
そしてある時、里帰りの折りに思い余って沼田川(現荒川)に身を投げ、五人の侍女もまた姫の後を追って川に身を投じたのであった。
後日、息女らの供養に諸国巡礼の旅に出た長者が再び熊野権現に詣でたところ夢に権現(衆生を救うために日本の神の姿をとって現れる仏)が立ち一女を授けたのはそなたを仏道に導く方便であった、これより熊野山中にある霊木により六体の阿弥陀仏を彫み広く衆生を済度せよ、と申されたのであった。
長者が熊野山中を探し歩くと果たして光り輝く霊木をみつけ、長者は念を込めてその霊木を海に流したのである。長者が帰国してみると霊木は沼田の入江に流れ着いており、間もなくこれも先の夢のお告げの通りに、諸国巡礼の途に沼田の地に立ち寄られた行基菩薩に乞うて六体の阿弥陀仏を彫り、六女ゆかりの地にそれぞれお堂を建ててこれを祀ったのである。
江戸時代に入り、この六阿弥陀を巡拝し、極楽往生を願う信仰が行楽を伴って盛んになり、特に第五番常楽院は上野広小路の繁華街(現ABAB赤札堂地)にあったので両彼岸などは特に大いに賑わい、江戸名所図絵にも描かれている。広小路のお堂は、関東大震災と第二次大戦期の焼失を継て、ご本尊阿弥陀さまは調布市に移ったが、参詣の便を図って縁のある上野池之端、此東天紅の敷地を拝借して別院を設け、模刻の阿弥陀さまをお祀りしている。
六阿弥陀第五番 常楽院
調布市西つつじヶ丘四の九の一」
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<阿弥陀堂>
祭壇のロウソクは電光式、線香も電光式です。電光式の線香は初めて見ました。
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模刻ですが、直接拝めるのはここと一番の再建露仏だけなので、貴重かと思います。
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