馬さん煉化工場(旧宮城村)/隅田川テラス
○馬さん煉化工場ノ跡 足立区宮城2-7-2
明治のはじめ頃(明治4年、あるいは明治8年とはっきりしない)、宮城村に下川煉化工場が創設されました。工場主は、下川馬次郎氏で、地元では「馬さん煉化」「馬さん工場」などと呼ばれました。 馬さんのお孫さんが建てた、石碑「馬さん煉化工場ノ跡」が、ご自宅玄関にあります。
(表面)「馬さん煉化工場ノ跡 煉化発祥ノ地」
(裏面)「明治十年内國勧業博覧会 褒状煉化石貳種
東京府管下宮城村 下川馬次郎
昭和六十一年三月吉日 下川清建之」
<煉瓦敷路地>
裏のアパートの路地は、煉瓦敷です。古い煉瓦も脇に用いられています。
<煉瓦造りの祠>
下川馬次郎氏が元宿堰の工事を請け負った際、夢枕に現れた狐のお告げにより、堰に使っている煉瓦と同じ煉瓦を使って小さな御堂を造り、土中から見つかった田中稲荷の石を祀ったのが、現在の元宿堰稲荷神です(こちらで記載)。
これに関連していると思われますし、この煉瓦造りの祠は神狐がおわしますし、稲荷社でしょう。
<水神>
隣の祠には「水神」が祀られています。
○阿出川家煉瓦造り蔵 足立区宮城1-36
大正10(1921)年建築の煉瓦造りの蔵です。木々が生い茂って、どこから見てもよく見えません。
正門、西門ともに煉瓦敷です。
<阿出川氏>
阿出川氏一族は小田原北条氏の家臣でしたが、主家の滅亡により帰農し、宮城村を開発しました。宮城氏がいなくなり荒廃していた性翁寺を元和2(1616)年に阿出川対馬守貞次が再興しています。性翁寺は阿出川氏一族の菩提寺となっています。(性翁寺はこちらで記載)
○南宮城公園と煉瓦舗道 足立区宮城1-27-5
宮城村は明治22(1889)年に9つの村が合併して江北村となり大字宮城となります。荒川放水路の開削で南北に2分された大字宮城は、昭和7(1932)年に北宮城町と南宮城町になりました。
南宮城公園は、現在の宮城の南に位置しているわけでもなく、南宮城町の時代に設けられた公園でしょう。煉瓦をモチーフとした公園です。
<ワシントンからの「里帰り桜」>
ワシントンからの「里帰り桜」が1本と、説明板があります。
(説明板)
「ワシントンからの「里帰り桜」
現在の足立区江北の一帯は、昭和初期まで「荒川の五色桜」と呼ばれた桜の名所でした。様々な品種の桜が植えられていて、花の時期には、白や黄色、淡紅や濃紅色などに彩られ、 五色の霞がたなびくように見えたところから、この名が付いたと言われています。
明治四十五年、当時の東京市長、尾崎行雄は日米友好の証として「荒川の五色桜」の苗木十二品種三千本を、アメリカの首都ワシントンに贈りました。 現在、市内のポトマック公園は、世界的な桜の名所となっています。
しかし、本家の「荒川の五色桜」は堤防の工事や戦争、公害等の影響で、残念ながら衰退してしまいました。
足立区では「五色桜」を復活させるために、昭和五十六年二月、区制五十周年記念事業として、ポトマック公園の桜の枝三十五品種三千本の里帰りを実現しました。この枝から苗木を増やし、あわせて「荒川の五色桜」に由来する品種を集め、区内の公園や学校などに植えました。新しい桜の名所として「都市農業公園」や「荒川桜づつみ」などがうまれています。
ここに植えられている桜は、これらの桜の一種です。貴重な、歴史的財産でもある「里帰り桜」を、将来にわたって大切に大きく守り育てていきましょう。
足立区」
<煉瓦舗道>
煉瓦舗道があります。
○宮城ファミリー公園 足立区宮城2-1-14
宮城ファミリー公園は「みやぎ水再生センター」の処理施設の屋上に作られています。かつて煉瓦工場があった場所です。公園入口は煉瓦と点字ブロックの赤黄色。公園は屋上にあるので階段で上がります。
公園を通り抜けて、隅田川左岸の隅田川テラスに降りますが、柵があって「浅間の渕」手前で行き止まりです。
○隅田川テラス(豊島) 北区豊島4丁目
対岸に行って、豊島橋から続く、隅田川右岸のテラスに降りました。こちらも豊島四丁目リバーサイド公園先で行き止まりです。
隅田川右岸のテラスから、向岸の「みやぎ水処理センター」を見たところです。
テラス行き止まりから、下流の浅間の渕方向を見たところです。
隅田川テラスから豊島橋を見たところです。豊島橋は工事中でしたが、工事は2023年1月に終わりました。
テラスからスカイツリーが垣間見られます。
豊島橋から隅田川下流のテラス終端方向です。
豊島橋をくぐります。
明治のはじめ頃(明治4年、あるいは明治8年とはっきりしない)、宮城村に下川煉化工場が創設されました。工場主は、下川馬次郎氏で、地元では「馬さん煉化」「馬さん工場」などと呼ばれました。 馬さんのお孫さんが建てた、石碑「馬さん煉化工場ノ跡」が、ご自宅玄関にあります。
(表面)「馬さん煉化工場ノ跡 煉化発祥ノ地」
(裏面)「明治十年内國勧業博覧会 褒状煉化石貳種
東京府管下宮城村 下川馬次郎
昭和六十一年三月吉日 下川清建之」
<煉瓦敷路地>
裏のアパートの路地は、煉瓦敷です。古い煉瓦も脇に用いられています。
<煉瓦造りの祠>
下川馬次郎氏が元宿堰の工事を請け負った際、夢枕に現れた狐のお告げにより、堰に使っている煉瓦と同じ煉瓦を使って小さな御堂を造り、土中から見つかった田中稲荷の石を祀ったのが、現在の元宿堰稲荷神です(こちらで記載)。
これに関連していると思われますし、この煉瓦造りの祠は神狐がおわしますし、稲荷社でしょう。
<水神>
隣の祠には「水神」が祀られています。
○阿出川家煉瓦造り蔵 足立区宮城1-36
大正10(1921)年建築の煉瓦造りの蔵です。木々が生い茂って、どこから見てもよく見えません。
正門、西門ともに煉瓦敷です。
<阿出川氏>
阿出川氏一族は小田原北条氏の家臣でしたが、主家の滅亡により帰農し、宮城村を開発しました。宮城氏がいなくなり荒廃していた性翁寺を元和2(1616)年に阿出川対馬守貞次が再興しています。性翁寺は阿出川氏一族の菩提寺となっています。(性翁寺はこちらで記載)
○南宮城公園と煉瓦舗道 足立区宮城1-27-5
宮城村は明治22(1889)年に9つの村が合併して江北村となり大字宮城となります。荒川放水路の開削で南北に2分された大字宮城は、昭和7(1932)年に北宮城町と南宮城町になりました。
南宮城公園は、現在の宮城の南に位置しているわけでもなく、南宮城町の時代に設けられた公園でしょう。煉瓦をモチーフとした公園です。
<ワシントンからの「里帰り桜」>
ワシントンからの「里帰り桜」が1本と、説明板があります。
(説明板)
「ワシントンからの「里帰り桜」
現在の足立区江北の一帯は、昭和初期まで「荒川の五色桜」と呼ばれた桜の名所でした。様々な品種の桜が植えられていて、花の時期には、白や黄色、淡紅や濃紅色などに彩られ、 五色の霞がたなびくように見えたところから、この名が付いたと言われています。
明治四十五年、当時の東京市長、尾崎行雄は日米友好の証として「荒川の五色桜」の苗木十二品種三千本を、アメリカの首都ワシントンに贈りました。 現在、市内のポトマック公園は、世界的な桜の名所となっています。
しかし、本家の「荒川の五色桜」は堤防の工事や戦争、公害等の影響で、残念ながら衰退してしまいました。
足立区では「五色桜」を復活させるために、昭和五十六年二月、区制五十周年記念事業として、ポトマック公園の桜の枝三十五品種三千本の里帰りを実現しました。この枝から苗木を増やし、あわせて「荒川の五色桜」に由来する品種を集め、区内の公園や学校などに植えました。新しい桜の名所として「都市農業公園」や「荒川桜づつみ」などがうまれています。
ここに植えられている桜は、これらの桜の一種です。貴重な、歴史的財産でもある「里帰り桜」を、将来にわたって大切に大きく守り育てていきましょう。
足立区」
<煉瓦舗道>
煉瓦舗道があります。
○宮城ファミリー公園 足立区宮城2-1-14
宮城ファミリー公園は「みやぎ水再生センター」の処理施設の屋上に作られています。かつて煉瓦工場があった場所です。公園入口は煉瓦と点字ブロックの赤黄色。公園は屋上にあるので階段で上がります。
公園を通り抜けて、隅田川左岸の隅田川テラスに降りますが、柵があって「浅間の渕」手前で行き止まりです。
○隅田川テラス(豊島) 北区豊島4丁目
対岸に行って、豊島橋から続く、隅田川右岸のテラスに降りました。こちらも豊島四丁目リバーサイド公園先で行き止まりです。
隅田川右岸のテラスから、向岸の「みやぎ水処理センター」を見たところです。
テラス行き止まりから、下流の浅間の渕方向を見たところです。
隅田川テラスから豊島橋を見たところです。豊島橋は工事中でしたが、工事は2023年1月に終わりました。
テラスからスカイツリーが垣間見られます。
豊島橋から隅田川下流のテラス終端方向です。
豊島橋をくぐります。
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