常光寺(六阿弥陀 第六番)
○常光寺 江東区亀戸4-48-3 HP
六阿弥陀詣の第六番目です。六阿弥陀詣の巡拝の順番は決まっていませんが、五番常楽院→四番与楽寺→三番無量寺→一番西福寺→二番延命院→(木余性翁寺)→六番常光寺の時計回りが一般的で、常光寺で結願となります。
常光寺+@で、北十間川沿の法性寺、龍眼寺(萩寺)、亀戸香取神社、吾嬬神社も併せて参拝することも多々だったようです。
「江戸名所図会」
(挿絵の記載)
「亀戸邑の常光寺は江戸六阿弥陀回りの第六番目なり 春秋二度の彼岸中 都鄙の老若参詣群集せり」
挿絵には、「本栗焼」「唐人飴」の露天が見えます。
「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年 国立国会図書館蔵)
「安政改正御江戸大絵図」の常光寺部分の抜粋です。当時の絵図で見ると大寺です。
<常光寺山門>
石門には「六阿弥陀六番」とあります。説明板「常光寺(寿老人)」と、説明板「六阿弥陀道道標」があります。
(説明板)
「常光寺(寿老人)
由来
常光寺は、江戸六阿弥陀巡礼のうち、第六番目の霊場として栄え、『新編武蔵風土寄稿』には、「本尊六阿弥陀行基の作にして長六寸許、脇立に観音勢至を安す、これ六阿弥陀第六番目にして、春秋彼岸は殊に参詣のもの多し」とあります。
江戸六阿弥陀への彼岸もうでは、江戸時代の庶民の信仰と行楽として盛んに行われていました。
亀戸七福神(寿老人)ひとつとして親しまれています。」
<六阿弥陀道道標> 江東区文化財
延宝7(1679)年、江戸新材木町(現・中央区日本橋堀留町一丁目)の「同行六十人」により造立された「題目塔」で、六阿弥陀道道標を兼ねています。
江東区教育委員会によると、六阿弥陀詣に関する最古の道標とのことです。
正面「南無阿弥陀佛」
右側面「自是右 六阿弥陀道」
左側面下「江戸新材木町 同行六十人」
(山門前の説明板)
「江東区指定有形民俗文化財
六阿弥陀道道標 延宝七年在銘
亀戸四ー四八ー三 常光寺
平成一四年三月ニ九日指定
本道標は江戸六阿弥陀詣の巡拝路である六阿弥陀道を示すものです。
江戸六阿弥陀詣とは、江戸時代、春秋の彼岸に六ヶ寺の阿弥陀仏を巡拝するもので、その巡拝地は順に上豊島村西福寺(北区)、下沼田村延命院(足立区)、西ヶ原無量寺(北区)、田端村与楽寺(北区)、下谷広小路常楽院(調布市に移転)、亀戸村常光寺となっていました。
江戸六阿弥陀には奈良時代を発祥とする伝承がありますが、文献上の初見は明暦年間(一六五五〜五八)であることから、六阿弥陀詣は明暦大火後の江戸市中拡大、江戸町方住民の定着にともなう江戸町人の行楽行動を示すものといえます。
本道標は、塔身・基礎より構成され、塔身の正面に「南無阿弥陀佛」、左側面に「自是右六阿弥陀道」と陰刻があります。
また、右側面の刻銘から、延宝七年(一六七九)二月一五日、江戸新材木町(現中央区日本橋堀留町一丁目)の「同行六十人」により建てられたものとわかります。
本道標は、江戸六阿弥陀詣に関する最古の道標であるとともに、区内に現存する道標としても最古のものです。また、江戸で広まり亀戸にも札所のあった六阿弥陀信仰とその札所巡礼といった地域的特色を示すものとしても貴重な道標といえます。
平成一五年三月 江東区教育委員会」
「六阿弥陀詣でにぎわう常光寺(「江戸名所図会」と六阿弥陀道道標(左上写真)」
ひときわ大きな無量寿塔の周辺に石塔が並んでいます。
一番右手に「寿老人堂」があります。
<地蔵逆修供養塔> 江東区文化財→解除
一番左の寛文12(1672)年銘の供養塔です。台座に「万人講中」
<供養塔>
個人2名の供養塔のようです。
<庚申塔> 江東区文化財
本堂左手に、天和3(1683)年銘の丸彫り庚申塔があります。戦災で像が分断されていたのを補修再建、頭部は昭和40年頃に他の像で補っているようです。
<宝篋印塔>
宝暦9(1759)年銘の宝篋印塔です。
<石地蔵尊像> 江東区文化財
一番右の延享3(1746)年銘の地蔵尊像です。
<手水舎> 江東区文化財
延宝8(1680)年銘の水盤です。
<本堂前 宝塔>
文化元(1804)年銘の宝塔で、霊場礼拝供養塔と六阿弥陀六番目標柱を兼ねています。
(正面)「西國坂東秩父並
四國八十八箇所
霊場巡禮供養」
(側面)「六阿弥陀六番目
西帰山常光禅寺〜」
(側面)「文化元甲子歳十月吉祥寺建之」
<本堂>
<庚申塔道標> 江東区文化財
墓地一番奥にある元文2(1737)年銘の庚申塔で、六阿弥陀六番目標柱を兼ねています。
正面に青面金剛立像
右側面「右 さかさい道」「六阿み多 六番目」
<備考>
「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)によると、阿弥陀詣の六番寺は、正福寺(墨田区墨田)でしたが、常光寺に銭一貫八百文の質物として入れた阿弥陀像を戻すことが出来ず、常光寺が六番寺になったと書かれています。村尾は伝えられている話を記しており、こういった話もあるといったところでしょう。
六阿弥陀詣の第六番目です。六阿弥陀詣の巡拝の順番は決まっていませんが、五番常楽院→四番与楽寺→三番無量寺→一番西福寺→二番延命院→(木余性翁寺)→六番常光寺の時計回りが一般的で、常光寺で結願となります。
常光寺+@で、北十間川沿の法性寺、龍眼寺(萩寺)、亀戸香取神社、吾嬬神社も併せて参拝することも多々だったようです。
「江戸名所図会」
(挿絵の記載)
「亀戸邑の常光寺は江戸六阿弥陀回りの第六番目なり 春秋二度の彼岸中 都鄙の老若参詣群集せり」
挿絵には、「本栗焼」「唐人飴」の露天が見えます。
「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年 国立国会図書館蔵)
「安政改正御江戸大絵図」の常光寺部分の抜粋です。当時の絵図で見ると大寺です。
<常光寺山門>
石門には「六阿弥陀六番」とあります。説明板「常光寺(寿老人)」と、説明板「六阿弥陀道道標」があります。
(説明板)
「常光寺(寿老人)
由来
常光寺は、江戸六阿弥陀巡礼のうち、第六番目の霊場として栄え、『新編武蔵風土寄稿』には、「本尊六阿弥陀行基の作にして長六寸許、脇立に観音勢至を安す、これ六阿弥陀第六番目にして、春秋彼岸は殊に参詣のもの多し」とあります。
江戸六阿弥陀への彼岸もうでは、江戸時代の庶民の信仰と行楽として盛んに行われていました。
亀戸七福神(寿老人)ひとつとして親しまれています。」
<六阿弥陀道道標> 江東区文化財
延宝7(1679)年、江戸新材木町(現・中央区日本橋堀留町一丁目)の「同行六十人」により造立された「題目塔」で、六阿弥陀道道標を兼ねています。
江東区教育委員会によると、六阿弥陀詣に関する最古の道標とのことです。
正面「南無阿弥陀佛」
右側面「自是右 六阿弥陀道」
左側面下「江戸新材木町 同行六十人」
(山門前の説明板)
「江東区指定有形民俗文化財
六阿弥陀道道標 延宝七年在銘
亀戸四ー四八ー三 常光寺
平成一四年三月ニ九日指定
本道標は江戸六阿弥陀詣の巡拝路である六阿弥陀道を示すものです。
江戸六阿弥陀詣とは、江戸時代、春秋の彼岸に六ヶ寺の阿弥陀仏を巡拝するもので、その巡拝地は順に上豊島村西福寺(北区)、下沼田村延命院(足立区)、西ヶ原無量寺(北区)、田端村与楽寺(北区)、下谷広小路常楽院(調布市に移転)、亀戸村常光寺となっていました。
江戸六阿弥陀には奈良時代を発祥とする伝承がありますが、文献上の初見は明暦年間(一六五五〜五八)であることから、六阿弥陀詣は明暦大火後の江戸市中拡大、江戸町方住民の定着にともなう江戸町人の行楽行動を示すものといえます。
本道標は、塔身・基礎より構成され、塔身の正面に「南無阿弥陀佛」、左側面に「自是右六阿弥陀道」と陰刻があります。
また、右側面の刻銘から、延宝七年(一六七九)二月一五日、江戸新材木町(現中央区日本橋堀留町一丁目)の「同行六十人」により建てられたものとわかります。
本道標は、江戸六阿弥陀詣に関する最古の道標であるとともに、区内に現存する道標としても最古のものです。また、江戸で広まり亀戸にも札所のあった六阿弥陀信仰とその札所巡礼といった地域的特色を示すものとしても貴重な道標といえます。
平成一五年三月 江東区教育委員会」
「六阿弥陀詣でにぎわう常光寺(「江戸名所図会」と六阿弥陀道道標(左上写真)」
ひときわ大きな無量寿塔の周辺に石塔が並んでいます。
一番右手に「寿老人堂」があります。
<地蔵逆修供養塔> 江東区文化財→解除
一番左の寛文12(1672)年銘の供養塔です。台座に「万人講中」
<供養塔>
個人2名の供養塔のようです。
<庚申塔> 江東区文化財
本堂左手に、天和3(1683)年銘の丸彫り庚申塔があります。戦災で像が分断されていたのを補修再建、頭部は昭和40年頃に他の像で補っているようです。
<宝篋印塔>
宝暦9(1759)年銘の宝篋印塔です。
<石地蔵尊像> 江東区文化財
一番右の延享3(1746)年銘の地蔵尊像です。
<手水舎> 江東区文化財
延宝8(1680)年銘の水盤です。
<本堂前 宝塔>
文化元(1804)年銘の宝塔で、霊場礼拝供養塔と六阿弥陀六番目標柱を兼ねています。
(正面)「西國坂東秩父並
四國八十八箇所
霊場巡禮供養」
(側面)「六阿弥陀六番目
西帰山常光禅寺〜」
(側面)「文化元甲子歳十月吉祥寺建之」
<本堂>
<庚申塔道標> 江東区文化財
墓地一番奥にある元文2(1737)年銘の庚申塔で、六阿弥陀六番目標柱を兼ねています。
正面に青面金剛立像
右側面「右 さかさい道」「六阿み多 六番目」
<備考>
「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)によると、阿弥陀詣の六番寺は、正福寺(墨田区墨田)でしたが、常光寺に銭一貫八百文の質物として入れた阿弥陀像を戻すことが出来ず、常光寺が六番寺になったと書かれています。村尾は伝えられている話を記しており、こういった話もあるといったところでしょう。
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