堀之内北公園
○堀之内北公園(恐竜公園) 足立区堀之内1-21-1
別名「恐竜公園」と呼ばれています。恐竜のオブジェが3体あり、公園の通路には恐竜の骨格がアレンジされ、トイレには恐竜のタイル壁画があります。
<3体の恐竜>
「ステゴサウルス」
叩いてみると、中は空洞の音がします。FRP製です。尾のトゲは、防御のための武器です。




「アンキロサウルス」
叩いてみると、中は空洞の音がします。FRP製です。尾の先には防御のための武器である骨が入った塊がついています。


「プラテオサウルス」
叩いてみると、手が痛い。他の2体と違って、コンクリートでできています。




(※恐竜名はこちらのサイトを参照しました。)
<恐竜の骨格>
通路には、恐竜の骨格が小石でアレンジされています。


<恐竜のタイル壁画>
トイレには「恐竜のタイル壁画」があしらわれています。

<スプリング遊具>
子どもは読めないであろう「sea otter」(ラッコ)と「giraffe」「キリン」です。


「足立区立 堀之内北公園」
公園銘板です。

「雨水貯留・浸透施設」
グランドは雨水貯留・浸透施設となっています。そのためグランドは公園内では一段低くなっています。

別名「恐竜公園」と呼ばれています。恐竜のオブジェが3体あり、公園の通路には恐竜の骨格がアレンジされ、トイレには恐竜のタイル壁画があります。
<3体の恐竜>
「ステゴサウルス」
叩いてみると、中は空洞の音がします。FRP製です。尾のトゲは、防御のための武器です。




「アンキロサウルス」
叩いてみると、中は空洞の音がします。FRP製です。尾の先には防御のための武器である骨が入った塊がついています。


「プラテオサウルス」
叩いてみると、手が痛い。他の2体と違って、コンクリートでできています。




(※恐竜名はこちらのサイトを参照しました。)
<恐竜の骨格>
通路には、恐竜の骨格が小石でアレンジされています。


<恐竜のタイル壁画>
トイレには「恐竜のタイル壁画」があしらわれています。

<スプリング遊具>
子どもは読めないであろう「sea otter」(ラッコ)と「giraffe」「キリン」です。


「足立区立 堀之内北公園」
公園銘板です。

「雨水貯留・浸透施設」
グランドは雨水貯留・浸透施設となっています。そのためグランドは公園内では一段低くなっています。


テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
北鹿浜公園(蒸気機関車C5075、展示室)
○北鹿浜公園 足立区鹿浜3-26-1 HP
北鹿浜公園は、昭和45(1980)年6月30日に開設しました。
<銀河鉄道>
地球を離れて行く銀河鉄道が描かれています。ファンタジックです。トイレの壁画なのがもったいない印象を受けます。



<北鹿浜駅>
交通広場の乗車切符を売っています。
「KITASHIKAHAMA PARK ST.」



<蒸気機関車C5075展示>
昭和4(1929)年に製造され、昭和46(1971)年に引退。旅客・貨物用機関車として約200万Km走りました。現在の足立区役所が建設される前にあった中央本町公園に、昭和46(1971)年7月5日に設置された機関車です。








(説明板)
「C5075(中距離用小型テンダ機関車)
ここに展示されている蒸気機関車は、1929年(昭和4年)に製造されました。
1971年(昭和46年)に引退して足立区に来るまで、旅客・貨物用機関車として約200万Km(キロメートル)も走り続けました。」


<展示室>
無料の展示室があります。
11〜1月 9:30-15:15 9〜10月、2〜4月 9:30-16:15 5〜8月 9:30-16:45







「外に展示されている機関車のナンバープレート」「50年位前まで駅で販売してたお茶」など



「C5075勇姿(昭和42(1967)年)」

「C5075」の歴史などが記されています。

「大日本全国鉄道航路細見地図」

「電車案内図」

「HOゲージ」


<交通広場>
「消防車」が展示されています。




<児童遊具広場>
タコの滑り台があります。



動物がいます。





<足立区北鹿浜公園(交通公園)>


<トイレ>
こちらのトイレには、公園内の風景が描かれています。


<江北西部土地区画整理組合解散記念碑>


<パンフレット>


○小祠 足立区鹿浜3-28-7
公園の外に目をやると、赤い祠が目立っています。白井運輸の屋敷神ですかね。

北鹿浜公園は、昭和45(1980)年6月30日に開設しました。
<銀河鉄道>
地球を離れて行く銀河鉄道が描かれています。ファンタジックです。トイレの壁画なのがもったいない印象を受けます。



<北鹿浜駅>
交通広場の乗車切符を売っています。
「KITASHIKAHAMA PARK ST.」



<蒸気機関車C5075展示>
昭和4(1929)年に製造され、昭和46(1971)年に引退。旅客・貨物用機関車として約200万Km走りました。現在の足立区役所が建設される前にあった中央本町公園に、昭和46(1971)年7月5日に設置された機関車です。








(説明板)
「C5075(中距離用小型テンダ機関車)
ここに展示されている蒸気機関車は、1929年(昭和4年)に製造されました。
1971年(昭和46年)に引退して足立区に来るまで、旅客・貨物用機関車として約200万Km(キロメートル)も走り続けました。」


<展示室>
無料の展示室があります。
11〜1月 9:30-15:15 9〜10月、2〜4月 9:30-16:15 5〜8月 9:30-16:45







「外に展示されている機関車のナンバープレート」「50年位前まで駅で販売してたお茶」など



「C5075勇姿(昭和42(1967)年)」

「C5075」の歴史などが記されています。

「大日本全国鉄道航路細見地図」

「電車案内図」

「HOゲージ」


<交通広場>
「消防車」が展示されています。




<児童遊具広場>
タコの滑り台があります。



動物がいます。





<足立区北鹿浜公園(交通公園)>


<トイレ>
こちらのトイレには、公園内の風景が描かれています。


<江北西部土地区画整理組合解散記念碑>


<パンフレット>


○小祠 足立区鹿浜3-28-7
公園の外に目をやると、赤い祠が目立っています。白井運輸の屋敷神ですかね。


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前堰公園(ユーカリとコアラ)
○前堰公園(ユーカリとコアラ) 足立区保木間2-12-6
前堰公園は、舎人公園通りと北側の旧道に挟まれた、細長い三角地の公園です。「ゆうかり」と書かれたレリーフが刻まれた柵が並び、ユーカリの大木がそびえ、コアラ像がいます。
<ユーカリ>
ベルモント公園のユーカリより大きな木です。






<コアラ>
公園銘板の上にいるコアラ像です。公園の開設は昭和42(1967)年3月とあります。
足立区とオーストラリアのベルモント市が姉妹都市提携をしたの昭和59(1984)年10月ですから、ユーカリとコアラは公園開設当初のものではないと思われます。




<煉瓦敷>
公園内は煉瓦敷となっていますが、ユーカリの根が押し上げて、煉瓦が波打っています。

<童謡>
石の座イスには、童謡が紹介されています。オーストラリアとは関係ないので、チグハグな印象を受けます。



前堰公園は、舎人公園通りと北側の旧道に挟まれた、細長い三角地の公園です。「ゆうかり」と書かれたレリーフが刻まれた柵が並び、ユーカリの大木がそびえ、コアラ像がいます。
<ユーカリ>
ベルモント公園のユーカリより大きな木です。






<コアラ>
公園銘板の上にいるコアラ像です。公園の開設は昭和42(1967)年3月とあります。
足立区とオーストラリアのベルモント市が姉妹都市提携をしたの昭和59(1984)年10月ですから、ユーカリとコアラは公園開設当初のものではないと思われます。




<煉瓦敷>
公園内は煉瓦敷となっていますが、ユーカリの根が押し上げて、煉瓦が波打っています。

<童謡>
石の座イスには、童謡が紹介されています。オーストラリアとは関係ないので、チグハグな印象を受けます。




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貝柄山公園 清田松琴句碑 中沢貝塚
○貝柄山公園 鎌ヶ谷市初富本町2-22
公園に隣接する「下総小金中野牧跡」にちなんだ野馬の親子のブロンズ像が設置されています。
貝柄山公園は、谷津田を公園として整備したもので、昭和59(1984)年に開園しました。最初貝殻山かと思いましたが、貝柄山という名称は、近くに貝塚があり、昔この周辺が中沢字貝柄山といっていたことによるものです。
また、市制施行20周年を記念して設置された三体のブロンズ像があります。
<小金中野牧の野馬>
野馬の親子のブロンズ像です。馬の銅像は実物大です。やはり短足ですね。遊具ではありませんが、馬の背中はテカテカに光っており、こどもたちが乗って遊んでいることが伺えます。



(プレート文)
「小金中野牧の野馬
江戸幕府は、軍事上重要な馬を確保するため、直営の牧場をもちました。(以下略)
この像は、その当時の野馬の姿を参考に制作したものです。
鎌ケ谷のあゆみ(改定版)より引用」

<脊椎動物>
鎌ヶ谷市に居住し制作活動を行った山崎英五作の「脊椎動物」です。


<いのち>
(プレート文)
「市制施行20周年を記念し、ふるさと創生<緑と水と文化のふれあい事業>の一環として、ここに彫像「いのち」を設置する。
平成三年三月吉日
像制作 酒本雅行
建 立 鎌ヶ谷市」


<悦び 花を飾りて>
(プレート文)
「市制施行20周年を記念し、ふるさと創生<緑と水と文化のふれあい事業>の一環として、ここに彫像「悦び 花を飾りて」を設置する。
平成3年8月吉日
像制作 大須賀力
建 立 鎌ヶ谷市」


<公園内>


「動物 捨てないで!」、公園では初めて見る掲示です。




○清田松琴句碑 鎌ケ谷市東中沢2-13
貝柄山公園の南出入口脇に清田松琴の句碑があります。清田松琴はホトトギス同人のご当地の牛飼の俳人です。

(表)
「をりをりに 余花の散りくる 峡田かな 松琴」


(裏)
「平成五年十月吉日」

(台座)
「鎌ヶ谷市北初富三三四番地
清田松琴 明治四十四四月生
ホトトギス同人 伝統俳句協会員
酪農業経営
施行㈱真嶋園」

○中沢貝塚 鎌ケ谷市東中沢2-10
貝柄山公園に隣接した崖上には、「中沢貝塚」があります。中沢貝塚は、縄文時代後期の貝塚跡です。


(説明板)
「中沢貝塚
中沢貝塚は縄文時代後期から晩期(約4000〜3000年前)の遺跡で、市内では最大規模の集落遺跡です。この遺跡は中央が窪地状になっており、その窪地の周囲を土堤状の高まりが巡っています。これはいわゆる環状盛土遺構と考えられ、県内でも千葉市加曾利貝塚や佐倉市井野長割遺跡にみられる大規模集落の特徴の一つです。また、これまでの調査から、盛土に沿って貝層が6つのブロックで分布すると考えられ、市内でもこれほど広範囲に貝層が広がる遺跡はありません。貝層からはハマグリなど海で獲れる貝が多く出土しており、当時の人々は、中沢貝塚が面している大柏川に沿って東京湾まで移動していたと考えられます。そして、中沢貝塚のある位置は大柏川の最北であり、分水界を隔てて、手賀沼水系の支流が近接していることから、この遺跡は東京湾から北側に抜けるルート上にあったと想像できます。このように、中沢貝塚は立地、遺物の種類や量からも、交流の拠点となる集落であったと考えられます。
この遺跡は、明治時代から考古学者たちに広く知られ、昭和37年(1962)以来、鎌ケ谷町、市教育委員会が30次に渡る発掘調査を行っており、出土品の一部は鎌ケ谷市郷土資料館に展示されています。
令和4年3月 鎌ケ谷市教育委員会」
公園に隣接する「下総小金中野牧跡」にちなんだ野馬の親子のブロンズ像が設置されています。
貝柄山公園は、谷津田を公園として整備したもので、昭和59(1984)年に開園しました。最初貝殻山かと思いましたが、貝柄山という名称は、近くに貝塚があり、昔この周辺が中沢字貝柄山といっていたことによるものです。
また、市制施行20周年を記念して設置された三体のブロンズ像があります。
<小金中野牧の野馬>
野馬の親子のブロンズ像です。馬の銅像は実物大です。やはり短足ですね。遊具ではありませんが、馬の背中はテカテカに光っており、こどもたちが乗って遊んでいることが伺えます。



(プレート文)
「小金中野牧の野馬
江戸幕府は、軍事上重要な馬を確保するため、直営の牧場をもちました。(以下略)
この像は、その当時の野馬の姿を参考に制作したものです。
鎌ケ谷のあゆみ(改定版)より引用」

<脊椎動物>
鎌ヶ谷市に居住し制作活動を行った山崎英五作の「脊椎動物」です。


<いのち>
(プレート文)
「市制施行20周年を記念し、ふるさと創生<緑と水と文化のふれあい事業>の一環として、ここに彫像「いのち」を設置する。
平成三年三月吉日
像制作 酒本雅行
建 立 鎌ヶ谷市」


<悦び 花を飾りて>
(プレート文)
「市制施行20周年を記念し、ふるさと創生<緑と水と文化のふれあい事業>の一環として、ここに彫像「悦び 花を飾りて」を設置する。
平成3年8月吉日
像制作 大須賀力
建 立 鎌ヶ谷市」


<公園内>


「動物 捨てないで!」、公園では初めて見る掲示です。




○清田松琴句碑 鎌ケ谷市東中沢2-13
貝柄山公園の南出入口脇に清田松琴の句碑があります。清田松琴はホトトギス同人のご当地の牛飼の俳人です。

(表)
「をりをりに 余花の散りくる 峡田かな 松琴」


(裏)
「平成五年十月吉日」

(台座)
「鎌ヶ谷市北初富三三四番地
清田松琴 明治四十四四月生
ホトトギス同人 伝統俳句協会員
酪農業経営
施行㈱真嶋園」

○中沢貝塚 鎌ケ谷市東中沢2-10
貝柄山公園に隣接した崖上には、「中沢貝塚」があります。中沢貝塚は、縄文時代後期の貝塚跡です。


(説明板)
「中沢貝塚
中沢貝塚は縄文時代後期から晩期(約4000〜3000年前)の遺跡で、市内では最大規模の集落遺跡です。この遺跡は中央が窪地状になっており、その窪地の周囲を土堤状の高まりが巡っています。これはいわゆる環状盛土遺構と考えられ、県内でも千葉市加曾利貝塚や佐倉市井野長割遺跡にみられる大規模集落の特徴の一つです。また、これまでの調査から、盛土に沿って貝層が6つのブロックで分布すると考えられ、市内でもこれほど広範囲に貝層が広がる遺跡はありません。貝層からはハマグリなど海で獲れる貝が多く出土しており、当時の人々は、中沢貝塚が面している大柏川に沿って東京湾まで移動していたと考えられます。そして、中沢貝塚のある位置は大柏川の最北であり、分水界を隔てて、手賀沼水系の支流が近接していることから、この遺跡は東京湾から北側に抜けるルート上にあったと想像できます。このように、中沢貝塚は立地、遺物の種類や量からも、交流の拠点となる集落であったと考えられます。
この遺跡は、明治時代から考古学者たちに広く知られ、昭和37年(1962)以来、鎌ケ谷町、市教育委員会が30次に渡る発掘調査を行っており、出土品の一部は鎌ケ谷市郷土資料館に展示されています。
令和4年3月 鎌ケ谷市教育委員会」

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炎のモニュメント(アスリートの手形)
○炎のモニュメント(アスリートの手形) 北区西が丘3-10-3 稲付西山公園
「炎のモニュメント」高崎哲作品



炎のモニュメント台座に北区ゆかりのアスリート26名の手形が設置されています。

(一部抜粋)
内村航平

平野美宇

張本智和

鈴木セルヒオ

○案内看板(サブモニュメント) 北区西が丘3-10-3 稲付西山公園
棒高跳び選手のスタート姿勢をモチーフにデザインされています。


(説明板)
「みんなの輝き、つなげていこう。
Unity in Diversity
東京2020大会への気運を高め、また日々闘うアスリート達を応援するため、トップアスリートの歴史を手形とともに炎のモニュメントの台座に刻みます。
北区地域振興部 東京オリンピック・パラリンピック担当課 2017年3月設置」

○ROUTE2020トレセン通り
西が丘エリアと赤羽、十条の各駅を結ぶ道です。オリンピック・パラリンピック競技や北区の取組みなどを紹介する看板(20基)が設置されています。


「炎のモニュメント」高崎哲作品



炎のモニュメント台座に北区ゆかりのアスリート26名の手形が設置されています。

(一部抜粋)
内村航平

平野美宇

張本智和

鈴木セルヒオ

○案内看板(サブモニュメント) 北区西が丘3-10-3 稲付西山公園
棒高跳び選手のスタート姿勢をモチーフにデザインされています。


(説明板)
「みんなの輝き、つなげていこう。
Unity in Diversity
東京2020大会への気運を高め、また日々闘うアスリート達を応援するため、トップアスリートの歴史を手形とともに炎のモニュメントの台座に刻みます。
北区地域振興部 東京オリンピック・パラリンピック担当課 2017年3月設置」

○ROUTE2020トレセン通り
西が丘エリアと赤羽、十条の各駅を結ぶ道です。オリンピック・パラリンピック競技や北区の取組みなどを紹介する看板(20基)が設置されています。



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