法福寺(川口市里)
○法福寺 川口市里1577
足立百不動尊霊場92番です。



<出羽三山供養塔道標>
山門から参道に入ると、参道左手に、文化12(1815)年銘の出羽三山供養塔道標があります。
(正面)「月山 湯殿山 羽黒山 西國 秩父 坂東 供養塔」




(台石正面)「大ミみや江 三里半
与のへ 三里半
うらわへ 二里半」
(台石右面)「せん住へ 三里
日本者しへ 五里
とねりへ 一里」
(台石左面)「そう加江 二里
こしがやへ 二里
大門へ 二里」
(台石左面は植木が密接して確認困難、資料による)


<庚申塔等>
左端から地蔵菩薩と二基の文字庚申塔、文化14(1817)年銘の「七観世音大士」、享保18(1733)年銘の馬頭観世音、安永10(1781)年銘の庚申塔があります。







足立百不動尊霊場92番です。



<出羽三山供養塔道標>
山門から参道に入ると、参道左手に、文化12(1815)年銘の出羽三山供養塔道標があります。
(正面)「月山 湯殿山 羽黒山 西國 秩父 坂東 供養塔」




(台石正面)「大ミみや江 三里半
与のへ 三里半
うらわへ 二里半」
(台石右面)「せん住へ 三里
日本者しへ 五里
とねりへ 一里」
(台石左面)「そう加江 二里
こしがやへ 二里
大門へ 二里」
(台石左面は植木が密接して確認困難、資料による)


<庚申塔等>
左端から地蔵菩薩と二基の文字庚申塔、文化14(1817)年銘の「七観世音大士」、享保18(1733)年銘の馬頭観世音、安永10(1781)年銘の庚申塔があります。








正源寺(川口市新堀)/新堀庚申道標
〇正源寺 川口市新堀934
<山門/仁王像>
精緻な仁王像です。足の爪までくっきりしています。





<石碑/石仏>
山門入ってすぐ参道左手に、石碑/石仏が並んでいます。

<六地蔵>
お地蔵さまは、全員マスクをしています。


<地蔵菩薩>
こちらのお地蔵さまもマスクをしています。


<普門品供養>
「普門品供養」(左側面に嘉永三(1850)年の銘)
正面「明治十八年十一月 一万觀供養」と、あとから刻まれているようです。


<双体道祖神>

<庚申塔>
享保十九(1734)年銘の庚申塔です。
三猿は、脇の二猿が真ん中の猿に背を向けています。


<二十三夜供養塔>
寛文五 (1665)年銘の二十三夜供養塔。
正面右に「奉待二十三夜供養現當成就所」


<羽黒山 湯殿山 月山 三社大権現供養>
享和三(1803)年銘の出羽三山供養塔です。
一番右は月山が一般的ですが、こちらは羽黒山。
「天下泰平」「國土安穏」



○喜多家
北千住の和菓子店・喜多家の支店、川口新堀店が道路沿いに正源寺に並んであります。
ドラえもんがマスクをしています。

○新堀庚申道標 川口市新堀804
安行街道を新堀交差点から北進すると次の手押し信号交差点に庚申道標があります。
青面金剛立像を陽刻した道標となっています。寛政5(1793)年の造立。
「北 い王つき道/西 者とがや道/東 そう加道/南 江戸道」




<山門/仁王像>
精緻な仁王像です。足の爪までくっきりしています。





<石碑/石仏>
山門入ってすぐ参道左手に、石碑/石仏が並んでいます。

<六地蔵>
お地蔵さまは、全員マスクをしています。


<地蔵菩薩>
こちらのお地蔵さまもマスクをしています。


<普門品供養>
「普門品供養」(左側面に嘉永三(1850)年の銘)
正面「明治十八年十一月 一万觀供養」と、あとから刻まれているようです。


<双体道祖神>

<庚申塔>
享保十九(1734)年銘の庚申塔です。
三猿は、脇の二猿が真ん中の猿に背を向けています。


<二十三夜供養塔>
寛文五 (1665)年銘の二十三夜供養塔。
正面右に「奉待二十三夜供養現當成就所」


<羽黒山 湯殿山 月山 三社大権現供養>
享和三(1803)年銘の出羽三山供養塔です。
一番右は月山が一般的ですが、こちらは羽黒山。
「天下泰平」「國土安穏」



○喜多家
北千住の和菓子店・喜多家の支店、川口新堀店が道路沿いに正源寺に並んであります。
ドラえもんがマスクをしています。

○新堀庚申道標 川口市新堀804
安行街道を新堀交差点から北進すると次の手押し信号交差点に庚申道標があります。
青面金剛立像を陽刻した道標となっています。寛政5(1793)年の造立。
「北 い王つき道/西 者とがや道/東 そう加道/南 江戸道」





テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
真福寺/大熊家地蔵堂(旧鳩ヶ谷市)
〇真福寺 川口市辻736
山門右手に社号塔。文化2(1805)年造立。「四國八十八箇所移 六十二番真福寺」 。足立百不動尊霊場91番です。
駐車場は本堂裏手にあり、広いです。




<大師像>

<観音堂>



<本堂>


<出羽三山等供養塔>
山門入ってすぐ左手に2基の石塔があります。
左が出羽三山等供養塔。
「月山 湯殿山 羽黒山 西國 坂東 秩父 奉順拝光明真言三百萬遍供養塔」
嘉永2(1849)年造立。川口善光寺などとも刻まれており、道標を兼ねています。







<庚申塔など>
墓地入口に小堂が2つあり、庚申塔と六地蔵が祀られています。








〇大熊家地蔵堂 川口市八幡木3-5


六地蔵の右手に3基の石塔が並んでいます。



左:「不動明王像道標」嘉永5(1852)年12月造立。
正面:「成田山」
左側面:「左 鳩ヶ谷道」
右側面:「右 江戸道」




中央:「羽黒山 湯殿山 月山 奉納 坂東 西國 秩父百番」
寛文7(1667)年の造立。



右:庚申塔。
山門右手に社号塔。文化2(1805)年造立。「四國八十八箇所移 六十二番真福寺」 。足立百不動尊霊場91番です。
駐車場は本堂裏手にあり、広いです。




<大師像>

<観音堂>



<本堂>


<出羽三山等供養塔>
山門入ってすぐ左手に2基の石塔があります。
左が出羽三山等供養塔。
「月山 湯殿山 羽黒山 西國 坂東 秩父 奉順拝光明真言三百萬遍供養塔」
嘉永2(1849)年造立。川口善光寺などとも刻まれており、道標を兼ねています。







<庚申塔など>
墓地入口に小堂が2つあり、庚申塔と六地蔵が祀られています。








〇大熊家地蔵堂 川口市八幡木3-5


六地蔵の右手に3基の石塔が並んでいます。



左:「不動明王像道標」嘉永5(1852)年12月造立。
正面:「成田山」
左側面:「左 鳩ヶ谷道」
右側面:「右 江戸道」




中央:「羽黒山 湯殿山 月山 奉納 坂東 西國 秩父百番」
寛文7(1667)年の造立。



右:庚申塔。

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
地蔵院 出羽三山塔道標(川口市桜町)
〇地蔵院 川口市桜町5-5-39 HP
地蔵院は、足立百不動尊霊場29番です。
日光御成道から赤山街道への分岐点、参道入口に出羽三山供養塔道標があります。




(正面)「四國八十八箇所徙 五十九番 地蔵院」寺標

(右面)「従是 古し可や道 二リ」道標

(左面)「月山 湯殿山 羽黒山 百番札所 四國徧禮 供養塔」供養塔



(裏面) 年号と願主が刻まれています。文政5(1822)年の建立。


<山門~境内~本堂>






<良縁地蔵>


<不動明王立像>
毎月28日午後2時からのご開帳以外の時は、お身代わりの像が祀られています。


<タブノキ>
川口市指定天然記念物。推定樹齢およそ600年です。


<小谷三志墓>
小谷三志の墓所があります。



左の碑 顕徳碑

左後方 三志の長女いち(鵜殿令行)とその子供の鵜殿正親の墓

右後方 三志の先師参行禄王の石碑

<女性による富士山初登頂ー1832年>
小谷三志は、女性による富士山初登頂を富士講の高山たつが成し遂げることに、多大の役割を担いました。
高山たつは天保3(1832)年に富士山への登頂を達成しました。
境内に読売新聞(2019年12月10日夕刊)の記事が掲示されています。




<旧鳩ヶ谷市マンホール蓋>
地蔵院は、足立百不動尊霊場29番です。
日光御成道から赤山街道への分岐点、参道入口に出羽三山供養塔道標があります。




(正面)「四國八十八箇所徙 五十九番 地蔵院」寺標

(右面)「従是 古し可や道 二リ」道標

(左面)「月山 湯殿山 羽黒山 百番札所 四國徧禮 供養塔」供養塔



(裏面) 年号と願主が刻まれています。文政5(1822)年の建立。


<山門~境内~本堂>






<良縁地蔵>


<不動明王立像>
毎月28日午後2時からのご開帳以外の時は、お身代わりの像が祀られています。


<タブノキ>
川口市指定天然記念物。推定樹齢およそ600年です。


<小谷三志墓>
小谷三志の墓所があります。



左の碑 顕徳碑

左後方 三志の長女いち(鵜殿令行)とその子供の鵜殿正親の墓

右後方 三志の先師参行禄王の石碑

<女性による富士山初登頂ー1832年>
小谷三志は、女性による富士山初登頂を富士講の高山たつが成し遂げることに、多大の役割を担いました。
高山たつは天保3(1832)年に富士山への登頂を達成しました。
境内に読売新聞(2019年12月10日夕刊)の記事が掲示されています。




<旧鳩ヶ谷市マンホール蓋>

テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
- カウンター