隅田川ウォールアート(今戸)
○隅田川ウォールアートギャラリー(今戸地区) 台東区今戸1丁目
「~『粋』のある浅草今昔ギャラリー~」として、浅草・今戸地域の文化や街並みの錦絵が「江戸~明治~大正~昭和」と展示されています。東京都建設局のサイトに説明があります(サイト)。
<桜橋>
隅田公園入口にある案内板





<桜橋北詰はらっぱ> 台東区今戸1-1
GTSのモニュメントがあります。


(説明板)
「F 桜橋北詰はらっぱ
桜橋のたもとに、足を止めて一息つけるような場所を作りたいと考えました。そこに、黒くごつごつとした手摺のようなものを、高さを変えながら敷地いっぱいに広げました。座ったりもたれかかったりして東京スカイツリーの見える景色を楽しみながら、利用者に自由で居心地の良い時間をすごしていただきたいと考えました。また、素材に使用した鉄には、鍛造という技法を使っています。生きた鉄の表情や手触りを感じて頂ければと思います。」

<隅田川テラス案内図>
「桜橋」「待乳山聖天」の説明があります。



<隅田川距離標>
「隅田川距離標
河口より7.9km地点」

「河口より8.0km
墨田川右岸」

<隅田川ウォールアートギャラリー>(南端)
「~『粋』のある浅草今昔ギャラリー~」


<展示>
下流から順に「江戸~明治~大正~昭和」と辿ります。
「東都名所 浅草金竜山」(広重)

「江戸高名会亭尽 今戸橋之図 玉庄」(広重)
「狂句合 夜光の玉庄燈臺の百目掛」 掲示の題名は会亭ではなく金亭と誤っています。


「江戸名所 猿若町芝居顔見世繁栄の図」(広重)

「東京名所四十八景 ミめくり真乳山遠景」(昇齋一景)

「東京真画名所図解 今戸橋雪 明治前期」(井上安治)

「東京両国橋開大花火之図 永島春暁 明治23年5月(1890)」

「凌雲閣機絵双六 歌川国貞 明治23年11月(1890)」

「東京名所真景之内 如月待乳山雪のたそがれ 小林清親 明治29年(1896)」


「東京風景六 待乳山 織田一麿 大正5年(1916)」
待乳山聖天の境内の同じ光景の場所にも、掲示があります。

「東京名所 浅草公園池畔観覧場殷賑之光景 大正7年4月10日(1918)」

「大東京十二景の内 七月 花火の両国(隅田川) 藤森静雄 昭和8年8月(1933)」

<隅田川ウォールアートギャラリー>(北端)
「~『粋』のある浅草今昔ギャラリー~」の説明板があります。



○隅田川テラス(今戸2丁目~橋場1丁目~2丁目)
<隅田川テラス案内図>
「早慶レガッタ」「橋場の銭座」の説明があります。


<隅田川テラス案内図>
←白鬚橋650M 桜橋→550M


<隅田川テラス周辺案内図>
「隅田川テラス」「白鬚の渡し」の説明があります。



<橋場銭座跡> 台東区橋場1-1-6 別途記載
<橋場の渡し> 別途記載
<明治天皇行幸対鴎荘跡> 台東区橋場2-1 別途記載
○白鬚橋 台東区橋場2丁目・荒川区南千住3丁目~墨田区堤通1丁目・2丁目
(碑文)
「白鬚橋
白鬚(しらひげ)の名は、天暦五年(九五一年)創建の縁起のある向島の白髭神社に由来している。古来、梅若伝説で知られる渡船場もこの辺りにあり、のちには舟の浮橋などもかけられたという説もある。
ここを、「船場の渡し」といったのは、このゆかりの名であり、交通の要地であったことを示している。
大正三年(一九一四年)には、地元の住民によって会社が設立され、有料の木橋がかけられた。
関東大震災(一九二三年)を経て、復興事業の一環として、昭和六年(一九三一年)に重量感溢れるアーチ橋としてかけかえられた。その後、東京大空襲などにも他の橋とともに多くの人を救う役割を果たした。
現在も、荒川区・墨田区・台東区の三区を結ぶ重要な橋である。
昭和五十八年三月 東京都」




「名所江戸百景 隅田川 水神の森 真崎」(広重)
石碑にはめ込まれているパネルの国立国会図書館所蔵の錦絵です。墨堤の桜から、手前に水神の森、隅田川対岸に真崎稲荷、遠方に筑波山が描かれています。ここからは筑波山は右手なので見えないはずですが描かれています。

○水神大橋 荒川区南千住8丁目~墨田区堤通2丁目
水神の森は、隅田川神社と改められていますが、水神大橋にその名を留めます。



※GTSのモニュメント「桜橋北詰はらっぱ」を見てきたので2021年11月25日の記事を加筆し再アップしました。
「~『粋』のある浅草今昔ギャラリー~」として、浅草・今戸地域の文化や街並みの錦絵が「江戸~明治~大正~昭和」と展示されています。東京都建設局のサイトに説明があります(サイト)。
<桜橋>
隅田公園入口にある案内板





<桜橋北詰はらっぱ> 台東区今戸1-1
GTSのモニュメントがあります。


(説明板)
「F 桜橋北詰はらっぱ
桜橋のたもとに、足を止めて一息つけるような場所を作りたいと考えました。そこに、黒くごつごつとした手摺のようなものを、高さを変えながら敷地いっぱいに広げました。座ったりもたれかかったりして東京スカイツリーの見える景色を楽しみながら、利用者に自由で居心地の良い時間をすごしていただきたいと考えました。また、素材に使用した鉄には、鍛造という技法を使っています。生きた鉄の表情や手触りを感じて頂ければと思います。」

<隅田川テラス案内図>
「桜橋」「待乳山聖天」の説明があります。



<隅田川距離標>
「隅田川距離標
河口より7.9km地点」

「河口より8.0km
墨田川右岸」

<隅田川ウォールアートギャラリー>(南端)
「~『粋』のある浅草今昔ギャラリー~」


<展示>
下流から順に「江戸~明治~大正~昭和」と辿ります。
「東都名所 浅草金竜山」(広重)

「江戸高名会亭尽 今戸橋之図 玉庄」(広重)
「狂句合 夜光の玉庄燈臺の百目掛」 掲示の題名は会亭ではなく金亭と誤っています。


「江戸名所 猿若町芝居顔見世繁栄の図」(広重)

「東京名所四十八景 ミめくり真乳山遠景」(昇齋一景)

「東京真画名所図解 今戸橋雪 明治前期」(井上安治)

「東京両国橋開大花火之図 永島春暁 明治23年5月(1890)」

「凌雲閣機絵双六 歌川国貞 明治23年11月(1890)」

「東京名所真景之内 如月待乳山雪のたそがれ 小林清親 明治29年(1896)」


「東京風景六 待乳山 織田一麿 大正5年(1916)」
待乳山聖天の境内の同じ光景の場所にも、掲示があります。

「東京名所 浅草公園池畔観覧場殷賑之光景 大正7年4月10日(1918)」

「大東京十二景の内 七月 花火の両国(隅田川) 藤森静雄 昭和8年8月(1933)」

<隅田川ウォールアートギャラリー>(北端)
「~『粋』のある浅草今昔ギャラリー~」の説明板があります。



○隅田川テラス(今戸2丁目~橋場1丁目~2丁目)
<隅田川テラス案内図>
「早慶レガッタ」「橋場の銭座」の説明があります。


<隅田川テラス案内図>
←白鬚橋650M 桜橋→550M


<隅田川テラス周辺案内図>
「隅田川テラス」「白鬚の渡し」の説明があります。



<橋場銭座跡> 台東区橋場1-1-6 別途記載
<橋場の渡し> 別途記載
<明治天皇行幸対鴎荘跡> 台東区橋場2-1 別途記載
○白鬚橋 台東区橋場2丁目・荒川区南千住3丁目~墨田区堤通1丁目・2丁目
(碑文)
「白鬚橋
白鬚(しらひげ)の名は、天暦五年(九五一年)創建の縁起のある向島の白髭神社に由来している。古来、梅若伝説で知られる渡船場もこの辺りにあり、のちには舟の浮橋などもかけられたという説もある。
ここを、「船場の渡し」といったのは、このゆかりの名であり、交通の要地であったことを示している。
大正三年(一九一四年)には、地元の住民によって会社が設立され、有料の木橋がかけられた。
関東大震災(一九二三年)を経て、復興事業の一環として、昭和六年(一九三一年)に重量感溢れるアーチ橋としてかけかえられた。その後、東京大空襲などにも他の橋とともに多くの人を救う役割を果たした。
現在も、荒川区・墨田区・台東区の三区を結ぶ重要な橋である。
昭和五十八年三月 東京都」




「名所江戸百景 隅田川 水神の森 真崎」(広重)
石碑にはめ込まれているパネルの国立国会図書館所蔵の錦絵です。墨堤の桜から、手前に水神の森、隅田川対岸に真崎稲荷、遠方に筑波山が描かれています。ここからは筑波山は右手なので見えないはずですが描かれています。

○水神大橋 荒川区南千住8丁目~墨田区堤通2丁目
水神の森は、隅田川神社と改められていますが、水神大橋にその名を留めます。



※GTSのモニュメント「桜橋北詰はらっぱ」を見てきたので2021年11月25日の記事を加筆し再アップしました。
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
隅田川テラス 駒形橋~吾妻橋~言問橋~桜橋
○隅田川テラス(駒形橋~吾妻橋) 台東区雷門2丁目
駒形橋を振り返り、すぐ先に見える吾妻橋へ歩きます。



<隅田川テラス案内図>
「吾妻橋」「雷門 大提灯」の説明があります。



○吾妻橋 台東区雷門2丁目・花川戸1丁目~墨田区吾妻橋1丁目
<吾妻橋>
(碑文)
「吾妻(あずま)の名は、古来、東国・関東地方を総称するアスマの語に由来している。また、本所の吾妻神社にもゆかりをもっている。
もとは“竹町の渡し”のあったところが、安永三年(一七七四年)に住民によって有料の橋がかけられ、大川橋と呼ばれたが、のちに吾妻橋と通称された。
明治九年(一八七六年)には、吾妻橋を正式の名称として、木橋がかけられたが、明治十八年(一八八五年)夏には洪水で 流失した。その後、明治二十年(一八八七年)に鉄製のトラス橋として完成した。
しかし、関東大震災(一九二三年)には橋床の木造部分が焼け、鉄骨の部分のみ残った。現在の橋は、昭和六年(一九三一年)にかけかえられた。
浅草観音、ビール会社、六区などは、古い都鳥の伝承とともに、この辺りの風物詩として、 文芸の題材などに生かされてきた。
昭和五十八年三月 東京都」
{江戸名所図会より」(隅田川両岸挿絵)




「江戸名所図会 大川橋 吾妻橋とも名つく 隅田川両岸」
石碑には、江戸名所図会の挿絵がプレートとしてはめられています。

「絵本江戸土産 宮戸川吾妻橋」(広重)
吾妻橋西からの光景です。向岸に「源森橋」(現:枕橋)が見えます。現在は、この場所からは水門だけ見えます。枕橋はスカイツリーの夜景スポットとして有名です。

「名所江戸百景 吾妻橋金竜山遠望」(広重)
桜吹雪が舞っています。右方向に流れていますが、帆の向きとは反対です。簾を上げている屋根舟です。隅田川下流の吾妻橋、富士山、浅草寺が見えます。

「絵本隅田川両岸一覧」(北斎)
葛飾北斎「絵本隅田川両岸一覧」から「大川橋」部分を抜粋して繋げています。隅田川右岸から吾妻橋を描いています。

「江戸名所百人美女 大川橋里俗吾妻はし」(豊国・国久)
夜鷹と横にいるのは牛(客引き、用心棒)です。牛は左手に「吉田」と書かれた傘をもっています。夜鷹は石原橋奥の本所吉田町の裏長屋に住み、隅田川を越えて商売をしていました。


「吾妻橋」(井上探景(井上安治) 明治21年)
出版が明治21年で、明治20(1887)年に鉄製のトラス橋として完成した当時に描かれています。

○竹町の渡し
「東都隅田川両岸一覧」(鶴岡)
竹町の渡し部分の抜粋です。竹町の渡しは、吾妻橋の下流に描かれています。西岸では、材木が並ぶ材木町へ、渡し船が着岸しようとしています。

東岸では、渡し船が竹町の石階のある船着き場に向かっています。

「江戸切絵図」
江戸切絵図で確認すると、吾妻橋の下流と駒形堂の上流の間に「竹町之渡」と記されています。

○隅田川テラス(吾妻橋~すみだリバーウォーク) 台東区花川戸1丁目
吾妻橋をトンネルの通路でくぐります。「通路の通行(開放)時間 6時~21時」
(下流側)



(上流側)


<そらちゃん> 台東区花川戸1-1
トンネル通路の上に、GTSのモニュメントがあります。




(説明板)
「A そらちゃん 2012年度制作
大理石彫刻にガラスとモザイクを組み合わせた作品です。招き猫で、両目と胸のハートは、色ガラスの凹レンズがはめ込まれており、東京スカイツリーや周辺の風景が小さく幾つも映ることで、おもしろいパノラマが楽しめます。近所には縁結びと招き猫発祥の地として有名な今戸神社がありますが、こちらの招き猫「そらちゃん」もよろしくお願いします。」

(説明板)
「GTS観光アートプロジェクトは、平成22年度より平成24年度までの3年間の計画で行われた、東京藝術大学(G)・台東区(T)・墨田区(S)による三者共催の地域連携プロジェクトです。
浅草と東京スカイツリーを結ぶ隅田川両岸地域は、江戸時代から桜の名所であり、浅草寺を始めとした由緒ある名所・旧跡が数多く点在するエリアです。GTS観光アートプロジェクトは、東京スカイツリーの建設にあわせて浅草と東京スカイツリーをアートで結ぶため東京スカイツリーのビューポイントに環境アート作品を12作品設置しました。地域の観光とあわせてアート巡りの旅をお楽しみください。
平成25年3月吉日 GTS観光アートプロジェクト実行委員会」

<河口より7.0km 隅田川右岸>


<隅田川(吾妻橋上流)右岸修景>
「2010年9月
隅田川(吾妻橋上流)右岸修景工事
延長121.1m→
東京都
清水建設株式会社 施行」

<グリーンプラネット> 台東区花川戸1-1
GTSのモニュメントがあります。


(説明板)
「B グリーンプラネット 2010年度制作
これは、何だろう、宇宙との交信につかうの?自分の背丈に合った高さの穴から顔を覗かせてみよう。すると視界一面に緑の植物とその先に空と東京スカイツリーの不思議な世界が現れる。昆虫や小動物の視点を体験し、見ず知らずのヒトビトと共に緑の惑星に初めて降り立ったような感覚と共感が生まれるかもしれません。宇宙の気を集めるお椀の形は隅田川と調和し、この場所を、一つのパワースポットに変えてしまうような作品です。」

<街路灯> 台東区花川戸1-1
「下町の心意気ここに灯す 浅草有志会」
カブト虫がとまっています、蝉がとまっています。自動点灯のセンサーでしょうか。





<水生植物植栽>
水生植物の植栽が続いていました。


<隅田殻テラス案内図>
「吾妻橋」「船祭(三社)」の説明があります。


○すみだリバーウォーク/山の宿の渡し跡
こちらで記載済です。
○隅田川テラス(すみだリバーウォーク~言問橋) 台東区花川戸1丁目~2丁目
「屋形船」「屋根船」と「花火」の透かし彫りです。








<LOOK> 台東区花川戸2-1
GTSのモニュメントがあります。


(説明板)
「D LOOK 2010年度制作
この作品では様々な休息のための「居場所」をつくることを目的としました。作品の一つは東京スカイツリーの最上部を指し示す「矢印」です。これは様々な座り方の出来る2階建のベンチ空間になっています。もう一つは煙突状のパイプの下に頭を入れて、寝転んで東京スカイツリーを望遠鏡で見ようとする「潜望望遠鏡」です。この2つの作品で、寝転んで・座って・もたれかかってと様々な過ごし方をしながら、ここから見える風景を楽しんでみて下さい。」

「GTSベンチ」もあります。

○隅田川テラス(言問橋~桜橋) 台東区浅草7丁目~今戸1丁目
言問橋から上流の透かし彫りは「桜」です。




<スカイネスト> 台東区浅草7-1
GTSのモニュメントがあります。





(説明板)
「E スカイネスト 2011年度制作
スカイネスト(空の巣)は、東京スカイツリー第1展望台の逆円錐型の一部をトレースした、三日月形の鳥の巣です。中には、雀・鳩・長尾鶏・鷹・インコ、大小さまざまな鳥たちが置かれます。隅田川側からみると風でめくれたような形をしており、そのくぼみに立つと、巣に守られて東京スカイツリーを見上げることができます。言問橋のたもとのちょうど行き止まりになっているこの場所では、この巣が特別なビューポイントを提供します。」

<東京大空襲戦災犠牲者追悼碑/言問橋の縁石> 台東区浅草7-1-6 別途記載
<竹屋の渡し跡> 台東区浅草7-1 別途記載
<山谷堀水門> 台東区浅草7-1、今戸1-1 別途記載
※GTSのモニュメント「そらちゃん」「グリーンプラネット」「LOOK」「スカイネスト」を見てきたので、2021年11月24日の記事に加筆し再アップしました。
駒形橋を振り返り、すぐ先に見える吾妻橋へ歩きます。



<隅田川テラス案内図>
「吾妻橋」「雷門 大提灯」の説明があります。



○吾妻橋 台東区雷門2丁目・花川戸1丁目~墨田区吾妻橋1丁目
<吾妻橋>
(碑文)
「吾妻(あずま)の名は、古来、東国・関東地方を総称するアスマの語に由来している。また、本所の吾妻神社にもゆかりをもっている。
もとは“竹町の渡し”のあったところが、安永三年(一七七四年)に住民によって有料の橋がかけられ、大川橋と呼ばれたが、のちに吾妻橋と通称された。
明治九年(一八七六年)には、吾妻橋を正式の名称として、木橋がかけられたが、明治十八年(一八八五年)夏には洪水で 流失した。その後、明治二十年(一八八七年)に鉄製のトラス橋として完成した。
しかし、関東大震災(一九二三年)には橋床の木造部分が焼け、鉄骨の部分のみ残った。現在の橋は、昭和六年(一九三一年)にかけかえられた。
浅草観音、ビール会社、六区などは、古い都鳥の伝承とともに、この辺りの風物詩として、 文芸の題材などに生かされてきた。
昭和五十八年三月 東京都」
{江戸名所図会より」(隅田川両岸挿絵)




「江戸名所図会 大川橋 吾妻橋とも名つく 隅田川両岸」
石碑には、江戸名所図会の挿絵がプレートとしてはめられています。

「絵本江戸土産 宮戸川吾妻橋」(広重)
吾妻橋西からの光景です。向岸に「源森橋」(現:枕橋)が見えます。現在は、この場所からは水門だけ見えます。枕橋はスカイツリーの夜景スポットとして有名です。

「名所江戸百景 吾妻橋金竜山遠望」(広重)
桜吹雪が舞っています。右方向に流れていますが、帆の向きとは反対です。簾を上げている屋根舟です。隅田川下流の吾妻橋、富士山、浅草寺が見えます。

「絵本隅田川両岸一覧」(北斎)
葛飾北斎「絵本隅田川両岸一覧」から「大川橋」部分を抜粋して繋げています。隅田川右岸から吾妻橋を描いています。

「江戸名所百人美女 大川橋里俗吾妻はし」(豊国・国久)
夜鷹と横にいるのは牛(客引き、用心棒)です。牛は左手に「吉田」と書かれた傘をもっています。夜鷹は石原橋奥の本所吉田町の裏長屋に住み、隅田川を越えて商売をしていました。


「吾妻橋」(井上探景(井上安治) 明治21年)
出版が明治21年で、明治20(1887)年に鉄製のトラス橋として完成した当時に描かれています。

○竹町の渡し
「東都隅田川両岸一覧」(鶴岡)
竹町の渡し部分の抜粋です。竹町の渡しは、吾妻橋の下流に描かれています。西岸では、材木が並ぶ材木町へ、渡し船が着岸しようとしています。

東岸では、渡し船が竹町の石階のある船着き場に向かっています。

「江戸切絵図」
江戸切絵図で確認すると、吾妻橋の下流と駒形堂の上流の間に「竹町之渡」と記されています。

○隅田川テラス(吾妻橋~すみだリバーウォーク) 台東区花川戸1丁目
吾妻橋をトンネルの通路でくぐります。「通路の通行(開放)時間 6時~21時」
(下流側)



(上流側)


<そらちゃん> 台東区花川戸1-1
トンネル通路の上に、GTSのモニュメントがあります。




(説明板)
「A そらちゃん 2012年度制作
大理石彫刻にガラスとモザイクを組み合わせた作品です。招き猫で、両目と胸のハートは、色ガラスの凹レンズがはめ込まれており、東京スカイツリーや周辺の風景が小さく幾つも映ることで、おもしろいパノラマが楽しめます。近所には縁結びと招き猫発祥の地として有名な今戸神社がありますが、こちらの招き猫「そらちゃん」もよろしくお願いします。」

(説明板)
「GTS観光アートプロジェクトは、平成22年度より平成24年度までの3年間の計画で行われた、東京藝術大学(G)・台東区(T)・墨田区(S)による三者共催の地域連携プロジェクトです。
浅草と東京スカイツリーを結ぶ隅田川両岸地域は、江戸時代から桜の名所であり、浅草寺を始めとした由緒ある名所・旧跡が数多く点在するエリアです。GTS観光アートプロジェクトは、東京スカイツリーの建設にあわせて浅草と東京スカイツリーをアートで結ぶため東京スカイツリーのビューポイントに環境アート作品を12作品設置しました。地域の観光とあわせてアート巡りの旅をお楽しみください。
平成25年3月吉日 GTS観光アートプロジェクト実行委員会」

<河口より7.0km 隅田川右岸>


<隅田川(吾妻橋上流)右岸修景>
「2010年9月
隅田川(吾妻橋上流)右岸修景工事
延長121.1m→
東京都
清水建設株式会社 施行」

<グリーンプラネット> 台東区花川戸1-1
GTSのモニュメントがあります。


(説明板)
「B グリーンプラネット 2010年度制作
これは、何だろう、宇宙との交信につかうの?自分の背丈に合った高さの穴から顔を覗かせてみよう。すると視界一面に緑の植物とその先に空と東京スカイツリーの不思議な世界が現れる。昆虫や小動物の視点を体験し、見ず知らずのヒトビトと共に緑の惑星に初めて降り立ったような感覚と共感が生まれるかもしれません。宇宙の気を集めるお椀の形は隅田川と調和し、この場所を、一つのパワースポットに変えてしまうような作品です。」

<街路灯> 台東区花川戸1-1
「下町の心意気ここに灯す 浅草有志会」
カブト虫がとまっています、蝉がとまっています。自動点灯のセンサーでしょうか。





<水生植物植栽>
水生植物の植栽が続いていました。


<隅田殻テラス案内図>
「吾妻橋」「船祭(三社)」の説明があります。


○すみだリバーウォーク/山の宿の渡し跡
こちらで記載済です。
○隅田川テラス(すみだリバーウォーク~言問橋) 台東区花川戸1丁目~2丁目
「屋形船」「屋根船」と「花火」の透かし彫りです。








<LOOK> 台東区花川戸2-1
GTSのモニュメントがあります。


(説明板)
「D LOOK 2010年度制作
この作品では様々な休息のための「居場所」をつくることを目的としました。作品の一つは東京スカイツリーの最上部を指し示す「矢印」です。これは様々な座り方の出来る2階建のベンチ空間になっています。もう一つは煙突状のパイプの下に頭を入れて、寝転んで東京スカイツリーを望遠鏡で見ようとする「潜望望遠鏡」です。この2つの作品で、寝転んで・座って・もたれかかってと様々な過ごし方をしながら、ここから見える風景を楽しんでみて下さい。」

「GTSベンチ」もあります。

○隅田川テラス(言問橋~桜橋) 台東区浅草7丁目~今戸1丁目
言問橋から上流の透かし彫りは「桜」です。




<スカイネスト> 台東区浅草7-1
GTSのモニュメントがあります。





(説明板)
「E スカイネスト 2011年度制作
スカイネスト(空の巣)は、東京スカイツリー第1展望台の逆円錐型の一部をトレースした、三日月形の鳥の巣です。中には、雀・鳩・長尾鶏・鷹・インコ、大小さまざまな鳥たちが置かれます。隅田川側からみると風でめくれたような形をしており、そのくぼみに立つと、巣に守られて東京スカイツリーを見上げることができます。言問橋のたもとのちょうど行き止まりになっているこの場所では、この巣が特別なビューポイントを提供します。」

<東京大空襲戦災犠牲者追悼碑/言問橋の縁石> 台東区浅草7-1-6 別途記載
<竹屋の渡し跡> 台東区浅草7-1 別途記載
<山谷堀水門> 台東区浅草7-1、今戸1-1 別途記載
※GTSのモニュメント「そらちゃん」「グリーンプラネット」「LOOK」「スカイネスト」を見てきたので、2021年11月24日の記事に加筆し再アップしました。
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
伝法院通り②
○伝法院通り
鳩の形の組み合わせで「伝」の文字になっています。



<地口行灯>
13本の街路灯(25面)に地口行灯が飾られています。
(説明文)
「地口行灯(じぐちあんどん)
地口とは江戸時代に流行した言葉あそびで、駄洒落(だじゃれ)の一種です。これを絵画化したのが「地口絵」で、行灯に仕立てたのが「地口行灯」です。伝法院通りの鎮護堂(おたぬきさん)では古くからご縁日の時には数多く奉納され、賑やかに飾られていたことに由来し、現在はこの通りに飾るようになりました。
とんでゆに入る夏のぶし(飛んで火に入る夏の虫)」

東から西に見て行きます。
「大かめ もちだ」(大金持ちだ)

「はんぺん もらって たばこにしょ」(三遍回って煙草にしょ)

「ねた もの ふうふ」(にたもの夫婦)

「おやおや うず ばっかり」(おやおやうそばかり)

「わらう顔には ふぐ きたる」(笑う門には福来る)

「あとの 号外 先に たたず」(後の後悔先にたたず)

「とんで ゆに入る 夏の ぶし」(飛んで火に入る夏の虫)

「唐人に つりがね」(提灯につり鐘)

「板きり むすめ」(舌切り雀)

「ひまの 大工に 五十両」(縞の財布に五十両)

「井戸の 渕には 戸は 立られぬ」(人の口には戸は立てられぬ)

「たらいに 見かわす かおと かお」(互いに見交わす顔と顔)

「玉から 小僧が ないて 出た」(山から小僧が泣いて来た)

「ほうずきの こうべに かにやどる」(正直の頭に神宿る)

「はだかで 田つぽれ」(裸でかっぽれ)

「大かぶ 小かぶ 山から 小僧が ぬいてきた」(大寒小寒山から小僧が泣いて来た)

「恵びす だいこ くう(恵比寿大黒)

「はねが はたきの 世の中じゃ」(金がかたきの世の中)

「目刺は 物を おこらざりけり」(昔はものをおもわざりけり)

「おかめ はちまき」(傍目八目)

「狸へ かえす 観音経」(魂返す、反魂香)

「はけに つづみ」(竹に雀)

「大竹 のみ」(大酒飲み)

「本より 上うご」(論より証拠)

「えんま したの 力持」(縁の下の力持)

(参考)伝法院通り①
鳩の形の組み合わせで「伝」の文字になっています。



<地口行灯>
13本の街路灯(25面)に地口行灯が飾られています。
(説明文)
「地口行灯(じぐちあんどん)
地口とは江戸時代に流行した言葉あそびで、駄洒落(だじゃれ)の一種です。これを絵画化したのが「地口絵」で、行灯に仕立てたのが「地口行灯」です。伝法院通りの鎮護堂(おたぬきさん)では古くからご縁日の時には数多く奉納され、賑やかに飾られていたことに由来し、現在はこの通りに飾るようになりました。
とんでゆに入る夏のぶし(飛んで火に入る夏の虫)」

東から西に見て行きます。
「大かめ もちだ」(大金持ちだ)

「はんぺん もらって たばこにしょ」(三遍回って煙草にしょ)

「ねた もの ふうふ」(にたもの夫婦)

「おやおや うず ばっかり」(おやおやうそばかり)

「わらう顔には ふぐ きたる」(笑う門には福来る)

「あとの 号外 先に たたず」(後の後悔先にたたず)

「とんで ゆに入る 夏の ぶし」(飛んで火に入る夏の虫)

「唐人に つりがね」(提灯につり鐘)

「板きり むすめ」(舌切り雀)

「ひまの 大工に 五十両」(縞の財布に五十両)

「井戸の 渕には 戸は 立られぬ」(人の口には戸は立てられぬ)

「たらいに 見かわす かおと かお」(互いに見交わす顔と顔)

「玉から 小僧が ないて 出た」(山から小僧が泣いて来た)

「ほうずきの こうべに かにやどる」(正直の頭に神宿る)

「はだかで 田つぽれ」(裸でかっぽれ)

「大かぶ 小かぶ 山から 小僧が ぬいてきた」(大寒小寒山から小僧が泣いて来た)

「恵びす だいこ くう(恵比寿大黒)

「はねが はたきの 世の中じゃ」(金がかたきの世の中)

「目刺は 物を おこらざりけり」(昔はものをおもわざりけり)

「おかめ はちまき」(傍目八目)

「狸へ かえす 観音経」(魂返す、反魂香)

「はけに つづみ」(竹に雀)

「大竹 のみ」(大酒飲み)

「本より 上うご」(論より証拠)

「えんま したの 力持」(縁の下の力持)

(参考)伝法院通り①
テーマ : 歴史・文化にふれる旅 - ジャンル : 旅行
浅草オレンジ通り
○オレンジ通り(職人街通り) 台東区浅草1丁目
オレンジ通りは雷門通りと伝法院を結ぶ伝法院への参道です。
台東区役所(第二庁舎)の取り壊し後に浅草公会堂が建てられ、通りの名称は「区役所通り」から「浅草公会堂オレンジ通り」(後に「オレンジ通り」)となっています。 道路がオレンジ色に舗装されています。










<オレンテくん>
オレンジ通りのキャラクター「オレンテくん」があちこちにいます。
「オレンテくん」は「手」の形をしており、オレンジ通りは職人が多く「職人の手」と、浅草公会堂前にある「スターの手」を象徴しています。







<オレンテくんのおうち> 台東区浅草1-5-9
「オレンテくんのおうち」は、オレンテくんの着ぐるみ保管所です。英語名は「Orante house」 です。






<オレンテくんポスト> 台東区浅草1-38-6 浅草公会堂
手紙を持ったオレンテくんがポストの上にいます。裏から見ると、指先に爪が見えます。平成26(2014)年11月の設置です。








日本語と英語のオレンテくん紹介板があります。


○スターの広場 台東区浅草1-38-6 浅草公会堂
浅草公会堂正面入口前には、浅草ゆかりの俳優、落語家、歌手など多くのスターの原寸大の手型とサインが並べられています。
台東区が昭和54(1979)年から始めたスターの手型設置事業で、浅草公会堂前はいっぱいとなり、現在は、オレンジ通り花壇上に収められ現在も続いています。



(説明板)
「「スターの手型」
Ster Plaza(Handprints)
━あなたもスターの手とくらべてみませんか!━
Find your favorite performers handprints!
「スターの手型」は、芸能界の振興に貢献した方々の功績をたたえるとともに、大衆芸能ゆかりの地“浅草”のシンボルとして末永く後世に伝えるために、設置しているものです。
今回は新たに5名の方の手型がオレンジ通り花壇に設置され、337名となりました。
これからも、新たなスターの方を顕彰してまいりますので、また浅草にお越しくださいますようお願いいたします。
"Ster Plaza" displays the handprints and signature of well-known Japanese performers who contribute to the development in the field of entertainment.
The plaza is popular among fans as the "Mecca" of popular entertainment as well as a symbol of Asakusa.
令和2年12月吉日 台東区」

<モニュメント「スターの広場」>
(プレート文)
「10周年記念モニュメント
「スターの広場」
製作 後藤良二
平成元年3月18日」


<最近のスターの手型>
「スターの手型 令和2年12月 台東区」
「片岡秀太郎 加藤茶 倍賞千恵子 林家正蔵 細川たかし」


オレンジ通りは雷門通りと伝法院を結ぶ伝法院への参道です。
台東区役所(第二庁舎)の取り壊し後に浅草公会堂が建てられ、通りの名称は「区役所通り」から「浅草公会堂オレンジ通り」(後に「オレンジ通り」)となっています。 道路がオレンジ色に舗装されています。










<オレンテくん>
オレンジ通りのキャラクター「オレンテくん」があちこちにいます。
「オレンテくん」は「手」の形をしており、オレンジ通りは職人が多く「職人の手」と、浅草公会堂前にある「スターの手」を象徴しています。







<オレンテくんのおうち> 台東区浅草1-5-9
「オレンテくんのおうち」は、オレンテくんの着ぐるみ保管所です。英語名は「Orante house」 です。






<オレンテくんポスト> 台東区浅草1-38-6 浅草公会堂
手紙を持ったオレンテくんがポストの上にいます。裏から見ると、指先に爪が見えます。平成26(2014)年11月の設置です。








日本語と英語のオレンテくん紹介板があります。


○スターの広場 台東区浅草1-38-6 浅草公会堂
浅草公会堂正面入口前には、浅草ゆかりの俳優、落語家、歌手など多くのスターの原寸大の手型とサインが並べられています。
台東区が昭和54(1979)年から始めたスターの手型設置事業で、浅草公会堂前はいっぱいとなり、現在は、オレンジ通り花壇上に収められ現在も続いています。



(説明板)
「「スターの手型」
Ster Plaza(Handprints)
━あなたもスターの手とくらべてみませんか!━
Find your favorite performers handprints!
「スターの手型」は、芸能界の振興に貢献した方々の功績をたたえるとともに、大衆芸能ゆかりの地“浅草”のシンボルとして末永く後世に伝えるために、設置しているものです。
今回は新たに5名の方の手型がオレンジ通り花壇に設置され、337名となりました。
これからも、新たなスターの方を顕彰してまいりますので、また浅草にお越しくださいますようお願いいたします。
"Ster Plaza" displays the handprints and signature of well-known Japanese performers who contribute to the development in the field of entertainment.
The plaza is popular among fans as the "Mecca" of popular entertainment as well as a symbol of Asakusa.
令和2年12月吉日 台東区」

<モニュメント「スターの広場」>
(プレート文)
「10周年記念モニュメント
「スターの広場」
製作 後藤良二
平成元年3月18日」


<最近のスターの手型>
「スターの手型 令和2年12月 台東区」
「片岡秀太郎 加藤茶 倍賞千恵子 林家正蔵 細川たかし」



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