歴史探訪と温泉 有楽町 内幸町

南町奉行所跡(東京都旧跡) 町名由来「有楽町」

○南町奉行所跡 千代田区有楽町2-9-18

 JR有楽町駅の中央口前広場に、かつて南町奉行所がありました。広場には石垣が、地下広場には穴蔵が復元展示されています。

(正面)
 「東京都指定旧跡 南町奉行所跡」
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(右側面)
 「所在地 千代田区有楽町二丁目
  指定 大正七年四月」
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<石組下水溝>
    
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(説明板)
「東京都指定旧跡 南町奉行所跡
 江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交代に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務していました。
 南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見されました。また、「大岡越前守御屋敷」と墨書きされた荷札も出土しました。
 再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業地内でベンチなどに活用しています。
 所在地 千代田区有楽町二丁目
 旧跡指定 大正7年4月
  平成19年(2007)10月 千代田区」

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○南町奉行所穴蔵跡 千代田区有楽町2-7-1有楽町イトシア地下1階広場

 有楽町イトシア地下1階広場に南町奉行所の穴蔵が展示されています。

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(説明板)
「南町奉行所跡から発見された穴蔵
 この板枠は、ここの再開発に伴う遺跡発掘で発見された「穴蔵」を、壁に立てて展示したものです。この穴蔵は、江戸時代中期の南町奉行所内に掘られてた地下室で、なかから伊勢神宮の神官が大岡忠相の家臣に宛てた木札が出土しました。また遺構両脇の木製ベンチには江戸時代の水道管(木樋)を、向かいの石のベンチには奉行所の石組材を再利用しました。
 穴蔵の構造は、厚い板材を舟釘で留め、隠し釘となるように端材を埋め、板材の間には槇肌(木の皮)を詰めて防水処理をしています。また、壁板の一辺には水抜き穴があき、そこから竹管が延びて桶に水が溜まる構造となっています。
 ここがかつて町奉行大岡越前守がつとめた南町奉行所(東京都旧跡)であったことや、江戸時代の技術などを伝えるために設置しました。
 平成20年3月 千代田区教育委員会」

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<所在地>

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(参考)
 「大岡越前守忠相屋敷跡/燈籠と庭石


○町名由来板「有楽町」 千代田区有楽町2-5

 晴海通りに面して、バス停「数寄屋橋」の東側に「千代田区町名由来板 有楽町」が設置されています。

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(説明板)
「千代田区町名由来板 有楽町
ぼくの有楽町 童門冬二
 ぼくにとって戦前の有楽町は“高級な街”だった。朝日・毎日・読売の大新聞が毎日、知識の生産をつづけている。日劇(日本劇場)や東京宝塚劇場などの高級劇場が林立している。「山手線の環外は東京でも田舎だ」といわれていた。その環外に住むぼくにとって、有楽町はまさに“遠くに在りて思うもの”だった。
 それが突然「きみたちもおいでよ」という庶民的な街に変質したのは、なんといっても大阪からの「そごうデパート」の進出である。昭和三十二年(1957)五月のことで、エスカレーターやエアカーテンが珍しかった。そして一躍その変貌ぶりをアピールしたのが、フランク永井の歌う「有楽町で逢いましょう」だ。本当はデパートのCMソングだそうだが、そんな気配はみじんもない。銀座と並んで日本の街にした。ちかくの都庁に勤めていたぼくは“すし屋横丁”の常連であり、いまでもその跡を懐かしく訪ねる。現実を超えて、有楽町はぼくの脳裡にしっかり根づいている。 童門冬二」
有楽町
 「有楽町」の名前は、戦国時代に活躍した武将、織田信長の弟、織田有楽斎(長益)に由来します。茶人としても名をはせた有楽斎は関ヶ原の戦いのあと、徳川家康方に属し、数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領しました。その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたのです。その「数寄屋橋御門」の名前は、外堀を渡ると数寄屋町に通じることから生
まれました。江戸時代、大岡越前による、いわゆる「大岡政談」で有名な南町奉行所があったのもこのあたりです。 有楽町町会」

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○歴史と文化の散歩道「数寄屋橋ふれあい散歩」 千代田区有楽町2-5

 晴海通りに面して、バス停「数寄屋橋」の西側に「歴史と文化の散歩道 数寄屋橋ふれあい散歩」が設置されています。

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(説明板)
「数寄屋橋ふれあい散歩
 数寄屋橋ふれあい散歩は、日比谷公園から歌舞使座までの晴海通りを歩く約1.5kmのみちのりです。かつては水路に囲まれた銀座八丁、現在は日本を代表するショッピング街をめぐる散歩道です。」
「文明開化とレンガ街
 現在の銀座のにぎわいは明治に始まる。その頃銀座は、ガス燈・街路樹の続く煉瓦街だった。数寄屋橋から銀座にかけての一帯は、 文明開化の玄関口新橋ステーションや築地を間近に控え、また新橋から上野・浅草方面へ抜ける鉄道馬車が行き交い、維新後いちはやく過去の町並みが一変したところである。2階建アーケイド式のレンガ街には、草創期の新聞社が数多く軒を連ねた。また、近代商店街のさきがけにふさわしく、洋服屋・靴屋・時計屋・化粧品店など洋風の店が並び、情報とショッピンクの街として発展。“銀ぶら”ならぬ“レンガへ行く”という流行語を残している。」

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「東京名所之内 銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図」(三代広重 都立図書館蔵)

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○有楽町で逢いましょう 千代田区有楽町2-5-1

 2008年11月7日に歌碑「有楽町で逢いましょう」の除幕式が行われました。「有楽町で逢いましょう」の歌は、有楽町に出店したそごうデパートによる有楽町高級化キャンペーンとしての歌でした。

 「あなたを待てば雨が降る
  濡れて来ぬかと気にかかる
  ああビルのほとりのティー・ルーム
  雨もいとしや唄ってる甘いブルース
  あなたとわたしの合言葉
  有楽町で逢いましょう」

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tag : 江戸幕府施設旧跡千代田区町名由来

内幸町の由来

○町名由来「内幸町」 千代田区内幸町1-1

 国会通りの歩道に、千代田区町名由来板「内幸町」が設置されています。

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(説明板)
「千代田区町名由来板 内幸町
 この界隈には江戸時代の初期から大名屋敷が置かれていました。安政三年(1856)の絵図にも見られるように、陸奥白河藩阿部家、薩摩鹿児島藩島津家、肥前小城藩鍋島家、大和郡山藩柳沢家、日向飫肥藩伊東家、石見津和野藩亀井家の上屋敷がありました。
 明治五年(1872)、阿部家、島津家、鍋島家の上屋敷を合併して内山下町一丁目、柳沢家、伊東家、亀井家の上屋敷を合併して内幸町一丁目となりました。内山下町、内幸町という町名は、山下御門、幸橋御門の内側に位置していたことに由来しています。
 明治時代の内山下町一丁目には内務大臣官舎や鹿鳴館、帝国ホテル、内幸町一丁目には東京府庁や社交クラブの東京倶楽部などがありました。
 鹿鳴館は明治十六年(1883)、政府によって現在の大和生命保険株式会社(内幸町1-1-7)の場所に建設されました。外国貴賓や政府高官などが集まり、舞踏会や演奏会で賑わいましたが、明治二十七年(1894)、華族会館に払い下げられました。また、東京府庁は同じく明治二十七年(1894)、内幸町一丁目から有楽町二丁目(現・丸の内三丁目)へ移転しました。
 昭和十三年(1938)、区画整理により内山下町一丁目と内幸町一丁目の東側が合併して新たに内幸町一丁目となり、内幸町一丁目の西側は内幸町二丁目となりました。かつては上流階級の社交場であったこの町は、戦後、多くの企業が名前を連ねるオフィスビルなどに姿を変えました。
(平成16年6月) 千代田区」

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「鹿鳴館」
 説明板に記載の鹿鳴館(コンドル設計)」はこちらで記載

「東京府庁舎」(東京府史行政篇 第1巻 東京府 昭和10年)
 説明板に記載の当初の東京府庁舎です。東京府庁舎は、当初東京市幸橋門内(現在の内幸町一丁目)の旧大和郡山藩柳沢家の上屋敷を接収し開設されました。現在は「千代田区立内幸町ホール」があります。その後、明治27(1894)年に丸の内に新たに東京府庁舎が建設されました。(こちらで記載
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 樋口一葉は、明治5(1872)年、東京府庁舎の構内にあった長屋で生まれており、「内幸町ホール」の前には「樋口一葉生誕地」の案内板が設置されています。(こちらで記載
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「東京倶楽部」
 説明板に記載の「東京倶楽部」(コンドル博士遺作集所載 昭和7年)です。コンドルの設計で明治29(1896)年の築です(現存せず)。
 ウィキペディアによると、英国の駐日大使がビクトリア女王に宛てて「日本は紳士が集う社交クラブがない野蛮国」といった内容の書簡を送ったという情報を聞きつけた明治天皇が、井上馨に命じてつくらせた社交クラブが「東京倶楽部」です。当初は鹿鳴館内の一室にクラブハウスを置きましたが、鹿鳴館の廃止でコンドル設計の建物が建てられました。コンドルは東京倶楽部の会員でもありました。
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「東京市及接続郡部地籍地図」(東京市区調査会 大正1年)

 大正元年に東京市が発行した地図から、「内山下町」と「内幸町」部分の抜粋です。

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「東京市及接続郡部地籍地図」(東京市区調査会 大正1年)

 「内幸町一丁目」部分の拡大です。「都新聞社」(現在の東京新聞)、「タイムズ社」(ジャパンタイムズ社)が見えます。

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 現在は、「日本プレスセンタービル」(千代田区内幸町2-2-1:昭和51(1976)年竣工)が建っています。10階にはレストラン「アラスカ」があります。天高15mの巨大なドーム空間の店内です。

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「江戸切絵図」

 江戸切絵図から現在の内幸町部分の抜粋です。

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「この附近の江戸時代」 千代田区内幸町1-1

 御幸通りの帝国ホテル側に設置されている案内板です。文字情報がとても多いです。

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 大名小路の記載部分を抜粋します。
 愛宕下から丸の内までが日比谷入江を埋め立てた大名小路とのこと。
「約四百年前まで、この帝国ホテルの玄関の辺りは日比谷入江所呼ばれる海岸線でした。
 日比谷入江の南北の範囲は現在のJR浜松町駅あたりから日比谷公園、皇居外苑、そして大手町まで続き、一方東西は帝国ホテルの前の日比谷公園を隔てて、外務省などが建ち並ぶ「桜田通り」の西側まででした。
 17世紀の初め、徳川幕府は江戸城(現在の皇居)を大規模に拡張するため入江の埋め立てと、そこに屋敷を建てて住むことを全国の大名に命じました。
 埋め立てられた入江のうち、愛宕下ー今の港区内ーから丸の内までの範囲は、多くの大名屋敷が集中していたため、明治維新までの260年間にわたって「大名小路」と呼ばれていました。」

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 続き
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○新幸橋 中央区銀座8-2

 新幸橋交差点から東へガード下(幸橋架道橋)をくぐると「新幸橋」碑があります。新幸橋は、昭和4(1929)年に企業等の寄付で外濠に架橋され東京市に寄付されました。碑には寄付者の名前が刻まれています。昭和31(1556)年に外濠が埋め立てられ廃橋となりました。

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○内幸町一丁目街区開発プロジェクト「TOKYO CROSS PARK 構想」

 千代田区内幸町に本社がある帝国ホテルや東京電力など10社が、内幸町一丁目街区開発プロジェクト「TOKYO CROSS PARK 構想」が進行中です。内幸町一丁目一番にあるビルはすべて建て替えです。再開発が終わって、鹿鳴館などのモニュメントはどのように再配置されるのでしょうかね。

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tag : 千代田区町名由来樋口一葉コンドル

スターギャラリー (有楽町)

〇スターギャラリー 千代田区有楽町1-2-2

 東京ミッドタウン日比谷と日比谷シャンテを繋ぐ地下2階の通路に「スターギャラリー」があります。全77名の人名リストが掲げられています。

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 ドラえもんの手形もあります。

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(参考)
 「スターの広場」(浅草公会堂) こちらで記載
   浅草ゆかりのスターの手型とサイン337人。

 「日本スポーツ文化賞栄誉広場」(上野公園) こちらで記載
   国民栄誉賞受賞者の手形。

 「力士像と手形」(国技館通り) こちらで記載
   7基の力士像と手形の碑。

 「雷電手形石と手形の墓石」(報土寺) こちらで記載
   力士雷電の手形石。手形の墓石。

 「指塚」(傳通院)    こちらで記載
   日本指圧協会による建立。

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tag : 手形

新ゴジラ像/有楽稲荷神社

○新ゴジラ像(日比谷ゴジラスクエア) 千代田区有楽町1-2-2

 2018年3月22日に除幕式、新ゴジラ像が設置されています。

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○有楽稲荷神社 千代田区有楽町1-7-1

 安政6(1859)年、摂津高槻藩主・永井飛騨守直輝が、上屋敷地内に創立した邸内社です。現在は有楽町電気ビルヂング前に建っています。

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tag : 銅像邸内社

鹿鳴館跡 日本勧業銀行跡

○鹿鳴館跡 千代田区内幸町1-1ー7 日比谷U-1ビル

※「内幸町一丁目街区開発プロジェクト(TOKYO CROSS PARK構想)」により、令和4(2022)年9月から解体。

 帝国ホテルと日比谷U-1ビルの堺の塀に「鹿鳴館跡」プレートがあります。
 鹿鳴館は、ジョサイア・コンドルの設計です。1940(昭和15)年に、取り壊されました。

(プレート説明)
「鹿鳴館跡
 ここはもと薩摩の装束屋敷の跡であってその黒門は戦前まで国宝であった
 その中に明治十六年鹿鳴館が建てられいわゆる鹿鳴館時代の発祥地となった
  千代田区」

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「東京名所 鹿鳴館」(井上探景(井上安治)明治20年)

 ベンチに座っている人が印象的です。

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「東京名所帖 鹿鳴館」(井上安治(井上探景)明治20年)

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「東京景色写真版 鹿鳴館」(江木商店 明治26年)

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「明治大正建築写真聚覧 鹿鳴館」(建築学会編 昭和11年)

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「大東京寫眞帖」(昭和5(1930)年)

 東京市公會堂からみた日比谷附近の展望です。昭和15(1940)年に取り壊された鹿鳴館と、昭和43(1968)年に取り壊された帝国ホテル旧本館(ライト館)が並んで写っています。

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○みずほ銀行内幸町本部ビル時計塔 千代田区内幸町1-1-1

※「内幸町一丁目街区開発プロジェクト(TOKYO CROSS PARK構想)」により、令和4(2022)年9月から解体。

 ハートが3つ連なった時計塔です。第一勧業銀行時代のハートのロゴですね。足下は巨岩がゴロゴロしています。何かの象徴なのか由縁はわかりません。

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<明治の頃の日本勧業銀行>

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出典:「東京風景」小川一真出版部 明44.4(1911)


<明治大正建築写真聚覧 日本勧業銀行>(建築学会編 昭和11年)

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tag : 井上安治コンドル

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